東京都写真美術館

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に、行ってきました。

恵比寿ガーデンプレイスの中に位置する割には周囲の赤煉瓦からは若干浮いた存在の建物です。前に写真についていろいろ考えていた時期もあったりしたので、山手線から見えるたびに一度は訪れてみたいと思っていた美術館です。

古屋誠一については前情報一切無しで行ったのですが、展示場入ってまず一枚目が、外国の女性の遺影、その傍らに漢字で書かれた戒名が立っているという写真。「これはなんだ?」という問いに対して、展示は、彼女が生きていた頃のポートレートを並べてきます、合間合間に息子とおぼしき少年が青年に育っていく過程も差し挟みながら。そして半分を過ぎた頃に彼女の髪の毛は剃られ、ひどくやせ衰え、病院のベッドさえ写される。そしてその後に、上記パンフレットの、喩えが悪いかもしれないがジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』のような森に横たわる美しい顔。

クリスティーネは写真家の妻であり、1985年に自ら命を絶った。冒頭の遺影は1986年の写真。そして、当たり前のようだが、彼女の写されている写真のインデックスに1986年より後の年は出てこない。写真は事実である。けれど、1986年より後の写真には成長を続ける息子の姿がきちんと写されている。これも事実である。どんな物語をそこに読み込もうが、それは鑑賞者の勝手かもしれないが、ここには物語に収斂されないたくさんの宙に浮いた記憶が残されている気がした。写真と写真の間にある空隙。それは、ただの壁かもしれない。だが、一枚の写真に対して事務的に振られていく題名と場所、撮影年を印刷したプレートの向こうに途方もない距離と時間とが、まだまだ手つかずのまま埋まっている。それを掘り起こすのが良いとは限らないかもしれない。残された有限の写真の中から個展用にと選択をする写真家の姿が浮かぶ。それこそが残された者の、できることの全てなのかもしれない。

古屋の写真展が私的な、あまりに私的な死を扱うのに対し世界報道写真展の方は、報道という公共のファインダーを通じた全的な死に溢れていた。その二つに本質的な区別などないし、区別をつけようとも思わない。だが、報道写真の中の死は撮影者のメッセージ、展示者のメッセージをダイレクトに投げかけてくる。その意味で、こちらで受け止める準備がなければ相当に「シンドイ」写真ばかりだった。

イラン近郊の空襲や大統領選挙の動乱、傷ついた兵士、宗教的戒律の招く残酷な刑罰。テレビが伝えてくるそれらのイメージはあまりにもアメリカ寄りであり、そのことをごくごく卑近に言えばそれらのアングルは常に遠くからであり、上空からであった。報道写真はそうではない。それらは地面から上空を見上げる。地面に立って、すぐ目の前で起きている出来事を写す。戦争がいけないとかそういう話ではなくて、人が人を殺すのを目の前で見なければならないという、見ることが出来てしまうという世界は、どう考えてもおかしいということだ。

引き伸ばされた大きな写真の中の流血にめまいを覚えながら少しだけ足早に会場を後にしました。美術館を出た後の恵比寿の空は少しだけ違って見えた──といったら、あまりにロマン主義かもしれませんが、この空の遠くの遠くの下では今この瞬間でさえ、紛争が続いている、傷ついている人がいるのだと思うと、やりきれなさと、怒りと、あるいは日本にいながらにしてそうした事実をお金を払って目の当たりにできるという境遇に対するいらだちと、いろいろな感情に襲われました。死は常に既に過去のものかもしれませんが、現在の死というものもあり得るし、写真を見るという行為はいつだって現在にしか成立し得ません。ますます写真というものに対する不思議さを考えさせられました。

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