「たこつぼ」からの再生案について

最近どうもいけないのは、自分がこうと決めたことに対してぜんぜん忠実になっていないということ。きわめて受動的に日々を過ごしているということ。”あいのり”からタカノが消えたのがごくごく最近の出来事だと思っていたのに、去年の今頃の話であることに愕然となって、なんだかこうして知らず知らずのうちに年をとっていくということがどうしようもなく不安になってきている。

そう考えてしまうのはきっと、転職ランキングには必ず顔をのぞかせる某社の中途採用に、たとえ冗談で応募してみたとはいえ書類選考で落とされたということも影響しているのかもしれない。

職場に新人が入ってきて、彼らに自分の知っているごくごくわずかな知識でも分け与えてやることに喜びを見いだしていることも影響しているのかもしれない。

あるいは、鹿島臨海工業地域がいかに困難に次ぐ困難の上にできあがったのかという歴史を、例の潮来の図書館で鹿島開発史やら鹿嶋町史やらをひもとくことで知ってしまったことも影響しているのかもしれない。

いずれにせよ、ぼくは非常にいま日常生活の行き詰まりを感じている。息づまっている、と言った方が正確かもしれない。

平日、フル操業の頭がクールダウンして元に戻ってくるのがだいたいこの日曜日の朝。それでも月曜日の朝はもうすぐそこにいて、ぼくに襲いかかろうとしてくる。日が落ちるのが、とてもじゃないけど耐えられないときだってある。

それは仕事がいやでいやでどうしようもないとか、そういうことではないのだと思うようになった。実際そうなのだ、別段辞めたいと思うほどの不満は今のところない。世間一般のいわゆる”仕事”に比べれば公務員的だし、変な言い方だけど室の全社的なポジショニングはぼくの性に合っていると思う。ここでだめだったら他のどこに行ってもだめだろう、というのがぼくの持論である。

それでも、いやだからこそ生活への不満とか自分への不満とか、そういう感情的な部分が平板になってきているのだと思う。心動かされる物語に触れていないせいかもしれない。いや、根はもっと浅いところにあるだろう。

そこで生活の改善案を考えてみるのである。

・たばこをやめる(既に灰皿とライターを廃棄)
・ヨガを再開
・小説のプロットを量産してみる
・自分の持っているモノ(環境とかも)に目を向ける
・会計とか簿記の勉強をする

とか、まあ、非常に妥当なラインではあるのだが。

でもなにか変えなくちゃならないという必死さはある。いまのままでは後悔するんだと思う。具体的になにがどうしたと言えない(=不可能性ではなくて能力の無さ)のが自分でもいやなのだけれど。

くだくだしくなりそうなのでこの辺で。

「たこつぼ」からの再生案について」への2件のフィードバック

  1. フジテレビあいのり スーザン大活躍

    フジテレビあいのり スーザン大活躍

    フジテレビあいのりは1999年の番組開始以来様々な若者達が出演してきました。アウトロー、スーザン、mie 田中 美帆、和泉、デビィ(デヴィ)、ヒデなど多数のメンバーの活躍でなりたってきました。ここではあいのりについて様々な情報、画像を紹介していくこととします。

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