好きなことしていいのよ←だけどよ!

それにしても好きなことをするということがどんなに難しいかというのは、大学を出てみなければぼくにはわからなかった。

ぼくの所属していた国文学科は非常にゆるいところで、取得単位数も普通に講義に出ていれば一年で揃えられるし、卒論に関しても「一月十八日までに出してね」で終わり。だから好きなだけ本を読むことができた。図書館が大好きだった。紙の饐えた臭いが充満する書庫にもぐって、エスペラント語の教科書や江戸の版本やちょっとマニアックな作家の全集(上林暁とか梅崎春生とか岡本かの子とか)や「海燕」の目次を眺めたりするのが大好きだった。本当にあの図書館にないものはないと言っていいくらいで、森?外の蔵書がほこりにまみれて置いてあったり文学雑誌が初号から揃っていたり(復刻版ではなくね)、ぼくにとってはまさに夢のような場所でした。他のどこよりも楽しめて、退屈させない場所でした。好きなことを好きなだけできるピーターパンの国でした。

さていま僕の部屋には埴谷雄高全集第三巻、日本近代文学事典全六巻と昭和文学全集(天金の例の赤いやつです)が数冊あるもののあの本郷のネバーランドとはほど遠い。

なにを懐かしがっているのだろう?

たとえば「これから先も、自分の給料はことごとく本代につぎこんでいつか甲村記念図書館みたいな私設図書館を作り上げたい」なんて宣言してみる?

そうじゃなくて、そういうことじゃなくて。

もっと本を読む時間がほしいと愚痴るほど仕事が忙しいわけでもないが、けれど一日中パソコンの前に座って寮に帰ってからドストエフスキーとか読めるかといえばなかなか難しいというのも確かだし、ただやっぱり一番確かなのはどんどんとなし崩し的に悪い意味で現実的になってしまっている自分というのがいて、それがすごくいやです。

ぐちになってしまいましたっ。

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