ひさびさに東京に行った。もう少し正確に言うと、ひさびさに鹿島を出た。
目当ては本屋めぐりでしたが、ほんとうに買いたい本がなかった。本屋に入ればたいてい何冊か(衝動買いであっても)手に取るのですが今日ばっかりはそれがなかった、不思議なくらい。Book1stにも行った。八重洲にも行った。オアゾにも行った。でもだめだった。
学生らしさが日々失われていっているのは自らの読書生活にも反映されていて、実は最近ほとんど日本近代文学というものを読んでいない。文庫というのを買わなくなった。たいてい現代女性作家の単行本(このジャンルは確実に一つの市場です。かつて斎藤美奈子が『L文学』とくくっていましたがまさにそれです)、薄味のビジネス書、濃い味の自己啓発書。
ミスチルも聴かなくなった。インストとかピアノ曲とか、あんまり自分から乗っかっていかなくてもいいような曲ばかり聴いています。
それが変化と呼ばれるもの。
成長と呼ぶべきかどうかはわからないけど。
それでも自分が選んだ道なのだ。
いつまでも「学生」はやってられないのだ。
思い出を追体験するような場所にわざわざ足を運ぶのは愚かだ。それは今以上一歩も成長しないことを宣言しているようなものだ。一体誰があのキャンパスにいる? おまえもいないのだ、そこにはもう。卒業。重い言葉。
過渡期なのだと思う。
しかし過渡期である以上、ぼくは今までとは違うものになりつつあるということ。それをどう受け止めるか、だ。あるいは押しとどめるか、だ。それくらいの選択権はある、と信ずる。