塩田昭彦監督『カナリア』を見ました。
同監督の『害虫』は好きで何度か見ていたので、『カナリア』もまた同じシリアス路線なのかな(ちなみに『黄泉返り』も塩田監督であることにぜんぜん気づいておりませんでした)と期待していたら期待通り。
『害虫』は割と解釈に自由を持たせてくれる映画だったのでいろいろと自分に引き寄せたりしながら書く素材としてはおもしろかったのですが、『カナリア』はけっこうストレートです。メッセージがもう、びんびんに伝わってきます。あんなに大事なこと、登場人物の口を借りて説明しちゃっていいのかというくらい。
ただ、むしろぼくは教義とか憎しみとか悲しみとか、そういう抽象的なものだけで人間って生きられない、のかな? という風に見えて仕方がなかった。
万引きや売春が「生きていく=食べていく」という意味で現実を象徴する一方で自分を捨てた祖父に対する憎しみだけで東京まで歩いていこうとする主人公の男の子はやっぱりどこかズレてしまっている、現実から。
もちろんそのことは映画が進むにつれて自覚されていって、もう一人の主人公の女の子が二回目の売春をするとき、あの男の子が追っかけていって車のガラスを割るまでの葛藤というのはたぶんすさまじいものがあったのだと思う。ただ、これは本来はすごく大人の問題なんじゃないか、どうやって「生きていく=食べていく」のか、なんていうのは、とも思う。
その意味でやっぱりこの映画に登場する子供たちはいろいろなものを先に見すぎてしまっていて、先に背負わされすぎてしまっていて、大人だってわからない問題に頭をつっこんでいる姿が見るものの目をとらえて離さないのかもしれない。
映画のラストシーンの「生きていく」は「食べていく」という意味ではないんでしょうね。じゃあ何なのか。
「罪を許す」
「弱いものを守る」
「死なないでいる」
いろいろあるんでしょうけど、まああとは映画を見てください。
公式はこちら。
カナリヤ、試写会で見ましたよ!
あれはすごい!まじすごい!
ホントにヘビーですよね。。。
私の大好きな映画の1つです。。
おっ、見ましたか~。
重い映画だよね……『害虫』もけっこうおなじ作りになっている映画なので見てみるとおもしろいかもよん。