高速バスの憂鬱

ついこの前までは東京駅に近づくとほっとしていたのに、もう潮来のインターチェンジを出ると「帰ってきた」という気持になってしまう自分が不思議です。なんかもう、いろいろな意味で(というのはいい意味も含まれているということを言いたいからなのですが)あきらめがついてきました。

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以下創作的駄文

「がんばってね」が本当に最後の別れの言葉のようで、自分の不甲斐なさを呪って死んでやりたいと思った。もしも神様がいるのならこれでよかったんだという証拠を見せてください、いつまでも待つから。ぼくはいつも以上になにもできなくて、いつも以上になにも話すことがなくて、帰りの電車に乗らなくちゃいけない時間になるのを待っているばかりでした。

  だからいつも一人になっても
  生きて行けるようにと
  心を少し冷まそうと
    ――小谷美紗子「春遅し」

それでもかつてそれが日常であったものは非日常に、非日常であったものは日常に入れ替わってしまった今はやらなくちゃいけないことが多すぎて、明日の朝にはもう忘れ去っているのかもしれない。それがいいことか悪いことなのかさえわからない。だけどぼくも生きなくちゃならない、大げさだけど。

大げさだけど……

  今日も学校や会社で負けてきたよ
  でも明日も行って来るよ
    ――小谷美紗子「雨音呟く」

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