森鷗外『渋江抽斎』(青空文庫)

を、読みました。

ここで終わらないのか? という疑問を持ちながら読みすすめると、ここで終わるのか! という驚きで締めくくられる、「変な」作品ですね。鷗外作品後期の傑作群である史伝のひとつということですが、小説と呼んでいいのかわかりません。ただたしかに言えるのは鷗外の文字通り文の芸=文芸は堪能できます。

冒頭の、ミステリー小説を読み解いていくかのようなふと気になった渋江抽斎という人物へのアプローチからまず引き込まれます。ブッキッシュな調査と並行して、鷗外の人脈を駆使した各方面や墓地・寺院への聞き込みによって抽斎の子孫にたどり着くところは、鷗外の頭の中をそのまま追体験しているようで面白い。特に昔のことなので寺が移動していたりしていて聞いたことと実地見聞したこととの齟齬があり行き詰まってしまうところもなんというか、鷗外自身もそういうのを楽しんでいるような感じが伝わってきます。「ここまでは調べた、これ以降はちょっとわからない。知らない人がいたら教えてくれ」と素直に(これは新聞連載だったようです)表明し、その表明に読者から投稿があってまた糸口がつながっていく、そのいちいちが再現されていて読んでいて本当に楽しいです。

その後、抽斎のその生涯を追っていくのですが、抽斎が亡くなる記述がちょうど作品の半分くらいのところなんですね。そこで終わるのかと思えば、その後は妻の五百(いお)の強烈なキャラクターと、子どもたち、とくに陸(くが)の成り上がり人生の描写が引き続いて本当に面白い、読ませる。むしろ渋江抽斎の本編においては抽斎の生涯よりも五百の生涯のパートの方がずっと面白いです。「学がある人のところに嫁ぎたい」という五百の意図をまんまと叶えたところなど、鷗外はどうやってそんなこと調べたのだろう? 後半に行くに従って典拠の紹介が無くなり、小説的な語り口になるのもミソですね。

けっこう人物の多さとか、それぞれの年齢の考証部分などは退屈するかもしれないのですが、もっと気軽に手にとって楽しんでいい作品だなと改めて思いました。また史伝シリーズは読んでいってみたいと思います。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。