かつてぼくにとって文章を書くことは、苦楽を伴うものではなく、単に排泄的な意味合いもあり、世間ではそういうのを自慰的な遊戯などとも称すのでしょうが、とにかく、ぼくにとって文章を書くことは、定期的に胸の中に散り積もるいとしいとしという心を世界に対して実態を伴った言葉の連なりとして、あるいはディスプレイ上に光る文字として、ポンと海の中へ投げ入れる──というよりはむしろ、だれもいない倉庫の真ん中に置かれた広い机の上にメッセージの入ったボトルをそっと残す、などという多少は詩的な余韻を伴うものでありました。
月別アーカイブ: 2011年1月
無題3
わかっているから言えることがある。わかっているから言えないことがある。わかっていないんだから知ったかぶりをするのだし、つじつまの合わないことを言い立てる。出来るふりをする。けれどそれは単純にいえば自分を守るためであり、自分の過去を守るためである。
無題2
私の存在価値はなにか。私の所属する集団の存在価値は何か。この二つの問の関係はなにか? 私と集団とはどのように定義されるのか、されるべきか。「私」はどこまで拡大解釈されるのか。この問いを問うべきは集団の内部に対してか、外部に対してか。
無題
人間の基準はどこにあるか。「ベースキャンプ」としての孤独。
もう一度、初めからやり直したかったのだ……という稚拙な願望を堪えながら何百回目かわからない、その、引かれた白線にもう一度足をかける。on your mark.
高橋優「福笑い」
中野坂上の駅で丸の内線を待っているといやでも耳に入ってくるのでうんざりしていたのだが、よくよく聴いてみるとなかなか良い曲である。年齢が近いというところも良い。オッサンが青臭いこと歌い続けるのはけっこう大変なことだと思う。
あけまして。
今年も当ブログ、よろしくお願いします。
昨年末あたりからまったく更新頻度が落ちてしまいましたが、今年はなんとか持ち直したいと思います。
でも春までは予算で死んでいるのでやっぱり無理かもー! とか言いながら去年一昨年のを読み返してみると(いま、「きょねん」で変換したら「2010年」が候補にあった。恐るべしグーグル日本語入力!)、けっこう生存証明日誌と化している。。。
今はツイッターでもろもろ更新もしているので、ブログでは書評中心になると思います。そちらもぜひフォローどうぞ。
去年は色々と変化の激しい一年でした。東京異動というのも大きかったですが、親族が減りまた増え、また同人誌その他人間関係にも変化が大きく、自分のスタイルなり、立場の自己認識の仕方とかいろいろと変えなければならなかったり、逆に変えてはいけないと判断しなければならなかったり、考えさせられることが多かったです。
多くはここで語るべきではないし、これからの一年でここに書かれる文章の行間から滲み出てきてくれるとありがたいのだけれど、まあとにかく、今年も「一生懸命というのは当たり前に、日々の暮らしを丁寧に」を心がけて変わらず生きていきたいと思います。
皆様に置かれましても素敵な年になりますように!