西炯子『娚の一生』

を読みました。

完結ですね。あんな地震ネタで終わるとは思いもしませんでしたが、なんとなく三巻という枠に収まりきっていないというか、この内容であればもう少しページを費やしてもいいし、費やさないとなかなか伝わらないものも伝わらないような気がしました。地震だけでも豊島ミホ『東京・地震・たんぽぽ』くらい一冊書けてしまいますから。

おそらく30代の恋愛や、女が仕事をするということ、老後や相続も含めた家族の問題、いろいろなテーマが散らばっているのだけれど、上手く絡み合ってきてくれない。それぞれはぞれぞれのエピソードとして実に上手いのだけれど、それらを集めて一冊の本にしたときになかなか人物像が収斂されてこないのが残念。まあ、現実の人間はそんなもんと言われればそんなもんなのでしょうが。。。作品としては海江田のキャラクターに牽引されるところはあるので、むしろそこでの評価が高いのかもしれません。漫画大賞が楽しみです。


Cocco『大丈夫であるように』

を、見ました。Coccoのドキュメンタリーと言えばもう何年前になるのか『Heaven’s hell』があり、これはもう大学生の時に何度見返したかわからない。あの頃はCoccoについては2時間くらい語りたい症候群にかかっていました。

その後、CDを出すという活動は少なくなりましたが、絵本や書籍などで彼女の考え方が変わっていくことに驚き、確実に90年代メンヘラー世代の残滓を引きずっているぼくとしては正直残念なところもあり、そして最後には彼女の変化について行きたいなどと考えるのでした。

今回の是枝監督によるドキュメンタリーも同じことが言えるでしょう。ここで彼女は今までの自分とこれからの自分とをいろいろな形で語ってくれています。──10代の頃は死ぬことを急いでいたしそれがかっこいいと思っていたけれど、今では「生きていく」ことをいかに続けていくかを考えなければならない。はっきりとそう言っています。生き続けていくことが、前提になっている。それは、ある人にとっては当たり前のことなのかもしれないけれど、毎日を死にたい死にたいと自問しながら生きていくことを背負わされている人間には、いやそれどころか逆に生きたいと願っても生き続けることがかなわない人間には、まずそこで立ち止まらなければならない選択肢なのです。

息子に「もののけ姫」を見せたときにあれほど嫌いだったラストシーンに対する見方が変わったというくだりや六ヶ所村の問題、見るべき部分、耳を傾けるべき部分は多分にあります。その一挙手一投足に、大げさに言えば彼女の思想が詰まっているし、人間はそうやって生き続けるのはしんどいけれどそうあるべきなのかもしれない、誰もがCoccoのようになれるわけではないのだけれど、なりたいと願うのは可能だ。この映画のタイトルが、大丈夫と言い切ることはできないけれど、「大丈夫であるように」と願うことはできるということに由来するように…。


2週間ぶりの休日

一日だけだけど、部屋中に散乱した弁当のガラの片付けやら洗い物やら洗濯やらで朝からそこそこ活動。ストップしていた読書も再開。活字を浴びるのは何にも代え難い喜びだ……。

仕事は終わらない。ピークは迫っている。以前はToDoをひとつずつ消していくことを仕事と思っていたけれど、そんなレヴェルでは全くない。やらなければならないことの半分もできていない。常に〆切は目前に迫っている。ひとつが終われば、必ず次がある。まあ、それが普通なのだと言われればその通りなのだ。