月別アーカイブ: 2006年12月

記憶という宝物

小川洋子作品は最近、本格的に読み始めました。小川作品でも異色と言われることの多い(らしい)『博士の愛した数式』ですが、2時間で読み通せました。なかなか牽引力のある小説です。決して「恍惚の人」的な小説ではないです。

この小説のテーマはやっぱり記憶、と言うより、記憶を持つことができることの尊さ。結局人間というのは良い意味でも悪い意味でも過去を引きずらざるを得ない生き物で、結構そのことはステレオタイプな心理学で悪人視されがちなのですが、逆に記憶を持つことができるからこそあの甘酸っぱい痛みも味わえるということに、感謝しなければならないんだ! ということを学んだ。……なんだか持って回った言い方だけど、失恋の痛みとかそういうものって特権なんだと思わせてくれます。

たとえばこんな箇所。家政婦として博士のもとにやってきた主人公が突然、契約解除を申し渡されたあとの描写です。博士の記憶は80分しか持たないのです。

私を一番苦しめたのは、博士が私たちを、もう二度と思い出してくれないという事実だった。博士は決して、私が辞めた理由をお義姉さんに尋ねたり、ルートの消息を案じたりはできない。食堂の安楽椅子で一番星を見つめている時、あるいは書斎で数学の問題を解いている合間、私たちとの思い出に耽る自由さえ奪われている。
   ――小川洋子『博士の愛した数式』新潮文庫2003

引用をしてみて気づくのは記憶というのはやっぱり一人のものではなくて共有されるものなんだということ。あるいは、共有されたいという欲求を人間が持っているということなのか、……そう言った方が正確かもしれない(残念ながら)。誰に対して? あの時、あの場所にいた人に対して――これは保坂和志もよく取り上げる問題ではあるのだけど、本当に、あの時、あの場所にいたということ、その事実、それはどこへ行ってしまったのだろう? 空気の中に霧散してしまったのだろうか? どうしてまたあそこへ行きたくなってしまうのだろう? そしてこの思いが独りよがりのものではないということをどうして願ってしまうのだろう……。

おそらく「薬指の標本」にもその感覚は通底していて、弟子丸は自分の標本が欲しかっただけなんじゃないの? という下世話な思いにとらわれてしまうのはぼくだけじゃない……よね? ある意味で彼も記憶障害なのです、きっと。標本技師として他者のカタストロフィーに付き合いすぎてどこかでシャットダウンしてしまったような感じがする。そんな彼に縛られ続けていたいと願う女の子がいたら、やっぱりそりゃあねえ! 幸福な関係と称せるのかどうかは知りませんが。

と、結局どっぷり小説を読んで過ごしてしまった土曜日でした。

冬の書庫管理

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国会図書館は室温22度、湿度55パーセントに保たれているそうです。この2255の法則が本の管理に適しているらしいのです、誰が言ったか知らないが。

そんなわけで加湿器と温風器を導入……と、思ったらブレーカーが飛んだ……。おんボロ寮め。

いよいよ十二月。室は予算モードに突入です。この土日はモチベーションについてしっかり考えるべく読書します。