初稿ゲラ届く

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既に五回以上は書き直している原稿なのでいまさら書き直すところはないんですが、誤字脱字とかあとはパソコン執筆だったのでやたら漢字変換しちゃってたりなところをチェックせねばなりません。

奥付を見るとクリスマスに初版発行のようです。すごいなあ。金払えばなんでもできちゃうんだなあ。


のだめカンタービレ15巻

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しかもぬいぐるみ付きの方。

これ、おなかを押すと「ぎゃぼっ」って声出すんですが、のだめのイメージだと「ぎゃぼおおおおー」とかなりケツを伸ばすのが正解な気もします。どうでもいいんですけどね。

最近また『天使なんかじゃない』の愛蔵版をそろえてしまい、少女マンガ熱再燃です。


眠れない夜のあとの眠れない夜

昨日の夜は学生時代のことをいろいろと思い出してしまって
朝の四時くらいまで眠れずに悶々としてしまいました。

完全にまた、ノスタルジーにとらわれています。
こうなると仕事に対するモチベーションとか
ほんとになくなります。
「顔が死んでる」とか言われました。

とはいえ、やらなくちゃいけないことは多くて
けれども思考停止した頭はぜんぜん新しいことに反応してくれず
またぐるぐると過去の映像を繰り返し再生してしまいます。

なにがそうさせるんだろう?

私小説書いているからか?

それもあるけど、やっぱりどうも、現状肯定できない自分が……現実逃避の手段になっているんですよね、きっと。

ああでも逃げたい、ここから逃げ出したい。
いっそ過去へと飛び立ちたい。

無理な願いだけどさ。

今夜はせめて悪い夢を見ずに眠りたい。


小説の季節

近頃のエントリーを見ていただければおわかりのことと思いますが
いまぼくは日記を書く気にまったくなれません
小説を書きたいのです。

けれども、いま書いているものはもう
本当にぼくのなかでは最後の砦で
これを書き上げちゃったらぼくはもうなんにも書けなくなるかもしれません。
それくらいのものです。

自分の過去を言語化する作業に取りかかっているのです。
私小説といってもいいかもしれません。
かなり後ろ向きの小説です。
でも、これを書かないとにっちもさっちもいかんのです。
遺書みたいなもんです。

逆に言えば、やっとその題材に対して冷静になれてきたというか。
過去としてとらえられるようになってきたというか。

きっと完成させます。

完成させなければなりません。

と、女の子っぽい改行日記をばモゴモゴ
(こーゆーのも一つのネット文体だね)


【短編小説】高炉とカーテンウォール[第一稿]

 昔はよかった。本当に昔は良かったんだよ。海は青かった。山はみどりにあふれ、人々は毎朝太陽が昇ると働きだし日が暮れれば家へ戻った。老いも若きも互いをいたわり合い、誰かが死ねば涙を流さぬ者はなかった――なんてことを目を細めながら言う好々爺がいることをぼくはこの街に来てからひそかに期待していた。

 ここは北関東の海沿いにある工業地帯。いまから二十一年前、広大な海辺の土地が買収された。港が掘られ、高炉が建ち、日本のあらゆる場所から労働者が集められた。彼らの中には北海道に妻子を残してきた者もあった。あるいは都会の高校を出てふらふらしていたところを連れ去られてきた者もあった。いずれにせよ誰もが故郷を後にして、もともと人の住むようなところではないこの街に突然発生した大量の雇用に応じた。さまざまな男たちが光の通らない立て屋に押し込められ、二十四時間三交代で汗をかいた。ときどき死ぬ者もあった、なにしろ相手は時に一○○○度を超える溶けた鉄だ。自ら死ぬものも少なくなかった。それでも毎年彼らの代わりに、いやそれ以上の人員がそれぞれの故郷からかやってきた。やがて彼らを相手にする店が立ち、病院ができ、バスが通るようになった。男たちの中には子供を持つ者も出てきた。彼らはきっと父親の仕事を憎みながらもどこかで自分の将来をそこに認めているのたった。

 葉子とはよく幕張で落ち合った。夜の幕張はまさに人工の極北だった。やはり二十余年前には海だったその場所が埋め立てられ高層ビルが行儀良く並べられた。メインストリートには最低限のレストラン街とアウトレットとJRの駅が添えられ、休日だけは用のない人間も足を運ぶ。

 歩道に人の姿は見られない。車の通らないメインストリートの信号はそれでも自らの法則性にしたがって刻々と色を変えていく。それにある時はシーシュポスのむなしさを、ある時は毅然たる孤高さを感じた。その日のぼくはどちらかというと後者だったと思う。

 ぼくたちはビルの谷間で手をつなぎながら、けれど身体は寄りそわずにそれぞれの歩幅で歩いていた。恋人という間柄ではなかった。

「また人が死んだわ」
「自殺ってこと?」
「コンクリートがいけないのよ、あの色といい渇いた感じといい、まるで見ている者の生命力を吸い取っていくようだもの。砂漠にいるようなものだわ」
「でも――それはもう昔の話じゃないの? つくば症候群とか言われていたのは」
「あそこには昔なんて言葉はない。ねえ、あそこには歴史なんてないのよ」
 うそのような話だがぼくは葉子と最低三度はこれと同じ会話をしている。ぼくと彼女とが幕張で会うようになってからの一年の間に三人の人間が一つの街の中、一人の人間の周りで自らの命を絶ったことになる。それが多いのか少ないのかはよくわからない。

 葉子はつくばにある研究機関に勤めていて、海外から来た研修生に農業を教えるという仕事をしている。じつに成果の見えにくい仕事であり、息の長い仕事だ。一日何トン粗鋼を出しそれが予算値よりも多かったのか少なかったのか、あるいは限界利益の多いものを何トン売りそれは販売構成をいくら押し上げたのか、などということを日々計算しているぼくとはちがう。けれども、この違いを彼女の立場から考えてみることでぼくは単調な日々の繰り返しにいくらかのなぐさめを見いだすこともまた事実だった。

 東関東自動車道で北上する車の中で葉子はあまり口を開かなかった。幕張からぼくの住む工業都市まではおよそ一時間。そのあいだ特に音楽をかけたりすることはない。彼女はヴィオラをやっていて、そして「クラシック音楽をCDで聴く習慣がない」と言うのだから。けれどもそういう沈黙が心地よくなるほど二人は親しかったわけでもないだろう。いつだってぼくは気づまりで、なんにもない田園地帯に突然現れるラブホテルのグロテスクな色彩が近づいてくるたびに無意味に緊張した。

 夜、ぼくたちはよく墓地に足を運んだ。きらびやかなネオンと音の洪水をばらまくパチンコ屋の隣には、たくさんの墓石がひしめき合った空間が必ずと言っていいほどあった。そしてそれらは決まって、かつて造成された工業地帯から移されてきた墓地なのだった。それでも風化も激しい小さな墓石の隣には鋭利に切り出された黒く大きな墓石が立ちはだかり、それはこの街の縮図のようだった。住宅地も商業地も人間関係も同じ構図を持っている。生きている間も死んでからも、同じ世界の中にありつづける。

「いいわね。ここにはちゃんと古いものと新しいものとの闘いがある――」
 葉子は言う。
「かならずしも美しいものじゃない。君はそれを、君の言う『歴史』という概念に当てはめることができる?」
 ぼくはわざとわかりにくい表現を使った。ちょっとした挑戦。ちょっとしたかまかけ。それはまたちょっとした求愛でもあった。けれども彼女はぼくの質問には答えずにこう言うのだった。
「港公園へ行きたい」

 もしもこの場所にいくぶんでも臨海副都心的な要素を無理にでも見つけようとするならば、港公園がそれにあたるかもしれない。掘込み港の北岸側はぼくの勤める製鉄所の荷役岸壁として使われているが、南岸側は公園として整備されている。赤いレンガの敷き詰められ、パンジーの咲く花壇が並べられた――そこへ日曜日の昼下がりにもなれば地元のガラの悪いカップルが座り込み、平日は駐車場の木陰に工場勤務者が暇をもてあましにくる。ましてや土曜日の夜。ぼくは正直、あまり乗り気ではなかった。(未完)