沈潜ときどきユリイカ

今朝目が覚めたら頭の中に突然金のように鳴り響いたフレーズ。

「戦闘、開始」

太宰治『斜陽』の中に出てくる。原文はこのあと次のような文章が続く。

 戦闘、開始。
 いつまでも、悲しみに沈んでもおれなかった。私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。

べつに恋、しているわけではありませんが。それはぼくにとってはブンガク、かもしれません。ただ、なんだか急に明るい物語を書きたくなった。ちがう、明るい主人公を描きたくなった。ぼくが動かさなくても勝手に動いてくれるような。

もちろんその「明るさ」は太宰的なコンテクストを十二分に引き受けている。

アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。(『右大臣実朝』)

滅びるまでの明るさ。滅びるほどの明るさ。滅びるがゆえの明るさ。
自分を大切にできないとき一番がんばれたりするのは、経験上ぼくにとって周知の事実。いつまで続くかわかんないけどね。


アカルイネクラ

他人が自分をどう見ているかってどこまで自覚できるんでしょうか? そんなもん無理だよっていう不可知論者はさておき、同期に言わせれば「しゃもぢは明るい根暗」らしいです。ちなみに室の人は「小倉優子とか好きそう」だとか。後者はともかく前者は言い得て妙だな、と感心ししてしまった。根暗の自覚はあるんですがそれに納得できない自分というのがいて、それで外面的には明るく振る舞おうとしているのかもしれません。分裂する近代的自我!

昨日はこっそり駒場祭へ。そのあとBook1stと八重洲ブックセンターをはしごして15,000円ほど書物を購入。八重洲の中をBook1stの青い紙袋を下げてうろうろするなんてことをしちまいました。三島由紀夫関連を三冊、この前トップランナーに出ていた上原ひろみの本などなど…。

今日も読書三昧! しあわせだ~。


結局書かずじまいの日々

また買ってしまった……マンガ大人買い。『NANA』『ハチミツとクローバー』に続いて第三弾は『のだめカンタービレ』。
のだめカンタービレ (12)

音大を舞台にした(途中から卒業後の話になるけど)クラシックマンガです。笑えるし、勉強にもなるし、音大生の生活の一コマがかいま見られるのもおもしろい。関連商品もいろいろ出ているみたいです。のだめ教則本とか、作中に出てくるオーケストラのCDとか(誰が弾いてんだよ…)。

久石譲監督の映画に『Quartet』というのがあって、これは題名にもあるとおりカルテット四人の青春群像といった映画なんですが、キャラクター的にも舞台的にも「のだめ」はこれと似ています。この映画は結構好きで(割と青春一筋系の映画なので好きなことはあんまり公言していないんだけど)ああいう世界にあこがれるきっかけけともなったのですが、「のだめ」も充分に楽しんでいます。

しかしそれにしても『ハチクロ』といい『のだめ』といい芸術系の学生が主人公のマンガは

「がんばれない自分」
「がんばってんのに報われない自分」
「自分に才能なんてホントにあんのか?」
「ていうか、才能ってそもそもなによ」

みたいのが永遠のテーマで、身につまされます。いや、身につまされますなんて余裕ぶっこいていってる場合じゃないんだけどね。ほんとに先の思いやられるしゃもぢ君です。


反映

ぼくにとって本を読むことは確かに人生の一部である。それはつまり、読書に対する姿勢がそのまま生き方にも反映してしまうということ。

多くの本を積み上げては急いでそれを切り崩そうとする読み方をしているときは、生き急いでいる。余裕が無くせかせかして一つのことに集中することができない。

そういうことは少ないけれど、一冊の本を何度か読み返す、それもゆっくりと時間をかけて。そういう時はゆったりと人生を運ぶことができる。

それはまた書く行為についても言えるのだろう。急いでたくさんのセンテンスをたたみかけるとき、ぼくは余裕を無くし先々のことにおびえ焦っている。

逆にそれを利用して、つまりはきわめてゆっくり読む、何度も読むようにすることによって人生に対する姿勢をコントロールすることはできないだろうか。

と、いうようなよしなしごとを考えている。

パソコンの見過ぎで目が痛い。


「思い切って」「あきらめる」こと。

思い切って昼まで眠る。夢を見る。昔好きだった人が出てきた。かなり近くでその顔を見たから確実である。少しだけ満ち足りた気持ちは、睡眠時間に比例するのだとしたらむしろ寝坊した方が休日の過ごし方として効率がいいような気もする。

近くの郵便局へ歩いていく。昨日郵便物を出しに行ったらもう窓口が閉まっていて、封書はそのまま駐車場に止めてあるぼくの車の助手席へ放り込んでおいたものだから、近くでもそのまま車で行こうかとも思った。でも結局ドアを開けてそれを取り出すと、ドアを閉めた。

歩いていくことにする。あまりにも天気が良すぎるから。「雲が一つも見あたらないから」とあとで書こうと思って仰いだのだけれど、海の方の空には少しだけ綿のかたまりを細く引き延ばしたような雲が浮かんでいた。

そのあと思い切って図書館まで足を伸ばすことにする。住宅街をくねくねと歩く。ときどき空き地(っていうか、この単語を使うことのできる鹿島っていう場所はやっぱりいいところだと思う)で子供が一人で遊んでいたりする。ゲートボールに興ずる元気なおじいさんおばあさんもいる。3メートルもあろうかと思われる松の木がぽかんとと突っ立っていたりもする。

図書館では西鶴とヘッセを拾い読みする。窓際の席に座っていると外の鳥の声がチチチと聞こえてきて、とても気分がよい。館内の座敷では中学生の女の子が教科書を広げている。茶髪のにーちゃんも隣であぐらをかきながらバイク雑誌をめくっている。

車に乗るということは自分の周りの空間が外とは切り離された状態で移動していることだと思う。車で外出というのはその実、一歩も外に出ていないような気がする。冬の空気や臭いや音に体をさらけ出す、せめて自転車にでも乗って。はじめてその時、自分はこの土地に住んでいるんだという気持ちになる。

毎週末東京に帰るというのも一つのライフスタイルだとは思うけれど、やっぱり生活の中で否が応でも時間を割かなければならない場所というのを肯定してあげないと自分が苦しい。それはなにもむ形而下の問題にとどまらないけれど、くだくだしいのでこれ以上は書かない。

それから寮の部屋へまたてくてくと歩いて戻る。そうしてなんだか文章を書きたくなった。

思い切るというのは大事だと思う。

でも、すごいよな。「思い」を「切る」んだからな。新明解をのぞくと「思い切り」の第一義が「あきらめ」になっているのがそれをよく表していると思う。拘泥していたなにかをばっさりと切って捨てる。そうすると意外にも物事が「あきら」かになるのだ。そういうものなのだ。

そんなわけで、今年のこり二ヶ月のテーマは「思い切る」です。

ちなみにこの文章は思い切って解禁したたばこによって驚異の集中力が舞い戻り、ものされたのだとか。


電器屋にて

ノートパソコンを見ていたら「パソコンお探しですかあ?」と店員。

「いいえ」

自分の欲しいものくらい自分で決めますから、決められますから、決めさせろよ。こっちはラベルシールだけ買いに来たんだよ、安い買い物だよ。確かに昨日は給料日だったけどよ。

レジに行く。店員が一人しかいない。客の列。

パソコンの販促してる暇があんならこっち来いよ。レジだぞ、レジ、現金が支払われるところだぞ。

イライラ……

ようやく一人店員がやってくる。

「お次にお並びの方、こちらへどーぞっ」

おまえがこっち来いよ、おまえがっ。待たせたんだぞ。

イライラ……

っていうか、イライラしている自分にイライラ。
牛乳が足りないような気がして帰りに買って帰ったとさ。


人の部屋で勝手に寝ている川□くんよ…

日に日にいろいろな物事に対するモチベーションを失いつつあるしゃもぢ@飲酒中です。いかがお過ごしでしょうか。っていうか、こういう口調のブログってよくありますけど、実は結構好きだったりします。

最近改めて個人サイトっておもしろいと感じています。個人サイトのリンクからリンクへたどり歩くというのは格好の暇つぶしであり、格好の人間観察であり、表現活動の様々をかいま見ることのできる(そういうことをしている人のところにばっかり行っているというのもありますが)チャンスです。世の中には本当に文章のうまい人がいるってものです。

だいぶ義務感のただようエントリーでした。
はなだんは大変なことになっていますな。


充血まなこにピアノのうるおいを

九時半頃トイレに行って鏡を見たら目がめちゃくちゃ充血していたので帰ってきた。パソコンをずーっと見ているのってやっぱり人間にとって全然自然ではないよ。自覚はされないんだけどどこかに相当疲労が蓄積しているのかもしれない。たとえば目の裏と耳の穴の奥が交差するあたりに、日々腫瘍が肥大していくような。大丈夫かな。

そんなわけで、ちょっと癒されようと(こんな言葉を口にするとは……ぼくも堕落したもんです。もうトンガリ文学青年ではなくなったのかもしれません)ラフマニノフを購入。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番/他

ピアノよりはストリングス派だったんですが……一時期バカみたいに聞きまくっていたショスタコも近頃めっきり聞かないし、趣味は変わりゆくものなんですかね。ずーっと変わらず好きな曲もあるんですが。

でもまあとにかくロシア万歳! ウラー! です、たまには。

ああ、眠い…