書き直しました。

去年書いたものを全部読み返してみたんですが、ほんっとひどいですね。こんな幼稚な文章をさらしていたなんて恥知らずもいいところです。ということで、書き直しました。日記風のものは全部捨てて、同じようなことを言っているものはつなげて、その後の気づきなど加味して。

その幼稚さというのは、たぶん、他人を否定しないと保てない自分がいたということ。自分の城を守るために自分とは違う人を傷つけようとしていたということ。
ドゥルーズをちょっとかじって、村上春樹も読んで、少し改善されました。彼らはそうやって生きてきた、自分はこうやって生きてきた、それだけのことだ。――これはニヒリズムではないと思う。もっとも単純に、正確に人間を表した表現だと思う。

「あいつと俺は違う。だから、あいつは/俺はダメなんだ」というのが自己愛。「あいつと俺とは違う。あたりまえだ」それは事実そのまま。村上春樹の世界。ややタコツボ。「あいつと俺とは違う。この差異を肯定しよう。差異はすばらしい」これがドゥルーズの哲学。

そこまでぼくはたどり着いているとはとても言えないけれど、少なくとも自己愛からは抜け出してきていると思う。それは最近書いているものと読み比べてみればすぐに分かった。

差異への志向を持つこと。そうすれば世界はまるで違ったように見えてくる。その結果がぼくのキーボードを打つ手にもいつのまにか現れていると、素敵だと思う。


雨だ! イエイ、雨だ!

なんて、無理に元気付けるよりは、このシトシト感を堪能するために今日はラジオを消しておこう。

来年からでさえ「働きたくない」と無神経にも言ってしまうぼくが、この二週間ぶっ続けでバイトしています。おかげで受験生バリに英語の予習をやり、焼津の漁獲高やめだかのオスメスの見分け方も完璧です。自分が中学受験をしたときの参考書も引っ張り出して蛍光ペンでラインを引いてしまいます。でも、こういう「お勉強」が、案外好きだったりします。実生活だと、努力してなんぼっていうものが少ないので、ね。

いけね、またマイナス思考だ。この前も「社史編纂室で地味に働きたい」とか同期の人に言ったら「なんでそんなマイナス思考なの!?」と言われたし。でも、住友財閥の歴史とか「お勉強」しがいあるじゃないですか(ゴメン、うそです)。

こんなダウナー系の文章も、雨のせいですね。いや、雨のおかげですね……シトシト


やあ、とぼくは言った。……いや、言わなかったのかもしれない

久しぶりに村上春樹を読み返す。やっぱり、この文体はくせになりますね。『ノルウェイの森』は実に五年ぶりくらいに読み返しました。意外と、春樹っぽくない小説ですよね。自然主義的な描写の練習のために書かれたとか何とか言われますが、まあ私小説風ではあるけど。『1973年のピンポール』はディスコミュニケーションそのものがクローズアップされていたけれど(根源的に人は誰かに何かを伝えたがっている、という定理によって)『ノルウェイの森』ではレイコの存在によってもう少し前向きになっているようにも思います。まあそれにしてもむかし夢中になった本を読みかえす熱帯夜はいいものです。