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「夜の仕度」から「仮面の告白」へ

 三島由紀夫にとって八月十五日とはなんだったのかを作品の上からさぐっていきた い。

 昭和二一年から昭和二十四年の『仮面の告白』までに発表された小説は「煙草」「中世」「軽王子と衣通姫」「夜の仕度」「春子」「獅子」「サーカス」「殉 教」「盗賊」「仮面の告白」である。このうち戦前戦後の近い時期を舞台としたものが「夜の仕度」「獅子」「仮面の告白」であるが、「獅子」は戦争というモ チーフを扱っていない点、後に紹介するように「夜の仕度」は「仮面の告白」と同じ素材を使用している点から「夜の仕度」と「仮面の告白」とを比較検討する ことで、三島由紀夫にとっての八月十五日が見えてこないかという算段でレポートする。

 「夜の仕度」は初出が「人間」の昭和二二年八月号。翌年の十二月に刊行された鎌倉文庫『夜の仕度』が初刊である。「三島由紀夫事典」の松本徹による「梗 概」をここに紹介する。

 ドイツが降伏するとともに、各地からドイツ人が集められたK高原 へ、六月上旬、大学生の芝がやってくる。勤労動員中だが、休みをとって、疎開している友人の一家を訪ねたのだが、じつは友人の妹頼子と手紙をやりとりし て、恋愛感情を持つようになっていた。そして、女ばかりの一家とともに、四日間を過ごすが、主に心理描写を中心につづられる。その小雨がふり霧の濃い日、 にこやかな母親に送られ、頼子と散歩に出る。そして、丘の上で、並んで座るが、その不安定な気持ちに疲れを覚える。そして、〈自分の体から流れ遠のいてゆ く夥しい血を安らかに眺めるやうに、彼は自分の熱情のゆくへを他人事のやうに見送つてゐる〉と感じ、〈その熱情が芝をはなれて頼子のなかへ流れ入〉り、 〈頼子の中に燃え立つにつれて芝の中に衰へてゆく〉と自覚する。そういうところで、体が荒々しくぶつかった瞬間を捉えて、抱き合い、接吻する。そして、 〈自分よりはるかに烈しい頼子の動悸を、彼はまづふしぎな嫉ましさを以て感じてゐる自分に気づ〉く。そして、この躾のいい家庭内では、これ以上関係をを深 めることはできないと承知した上で、寝る前に洗面所で歯を磨く時を捉え、〈無礼な要求〉を頼子にする。ところが頼子は母親に、友人と一緒に温泉に行くかも しれないと言う話を思い出させ、それが実際は母親が男と小旅行するための口実だったのだが、急遽、小旅行を実行させ、芝と二人だけで夜を過ごせるように取 り計らう。〈男がすべき夜の仕度を、一、二度接吻をうけたばかりの純潔な少女が見事に整へてしまつたとは何事であらう〉。
  芝は、頼子の腰へ回していた自分の手を〈血の気のない黄いろい薄 つぺらな手〉で、〈男の手〉ではなく、〈いやらしい何かの手〉だと思い、〈唾を引かけてやりたかつた〉と書く。そして、〈自分の手の上に、手相見のよう に、彼のあらゆる不幸のしるしをを読〉むのである。

 三島自身は「夜の仕度」についてどのようなことを言っているのか。作品が書かれてからいずれも十年以上が経過したものだがこれも紹介しておく。

 ……こうなるともう私は鎌倉文庫へは木戸御免で、デパートの二階の 事務所を、たまたま大学の帰り途であるところから、用もないのにたびたび訪問するようになった。
 「人間」の編集長の木村徳三氏にも紹介され、この小説の稀代の「読 み手」から、技術上の注意をいろいろ受けて、どれだけ力づけられたかわからない。私の「人間」所載の初期作品「夜の仕度」や「春子」などは、ほとんど木村 氏との共作と言っても過言ではないほど、氏の綿密な注意に従って書き直され補訂されたものである。(「私の遍歴時代」昭和三八年)

 ……たとえばこの中で「夜の仕度」には「美徳のよろめき」や「仮面 の告白」の、「家族合せ」や「殉教」には「仮面の告白」の、「幸福……」や「毒薬……」には「美しい星」や「金閣寺」の、「大臣」には「宴のあと」や「絹 と明察」の、それぞれの萌芽が見られる筈である。それはあるいは作者自身にしか見わけのつかぬ証跡かもしれないが、作者が見れば、ちゃんとナメクジの歩い たあとみたいな銀いろの筋が、それら年月を隔てた両作の間にはっきりと辿れるのである。
 しかし、今も昔も、形式意欲ばかりいたずらに旺盛な私は、当時の短 篇群も、ただのエスキースとしての自然な流露感を以て書いてはいず、小品なりといえども、いちいち額縁に入れたつもりになって書いているから、習作らしい 好ましさに欠けていると思われる。
 「夜の仕度」は、身辺に取材して、それをフランス風心理小説に仮託 するという手法においては、堀辰雄の「聖家族」の亜流であるけれど、私の作品には堀氏の作に比べて明らかに濁りがあり、その濁りがまた私の活力である。 (講談社版「三島由紀夫短篇全集」第二巻の「あとがき」昭和四○年)

 議論の前提にしなければならないのは「夜の仕度」が決して三島一人の手でゼロから生み出されたわけではなく編集者の手がかなり入っているという点であ る。その上で「夜の仕度」を読み解いていく。

 「夜の仕度」は軽井沢、敗戦直前の「七に二を足してまともに九という答えが出るようなことはかえってこんな時代の他にはあるまいと思われる簡単明瞭な一 時期」のなかに描かれる。敗戦の八月十五日に向かって時代は進んでいくが、そのベクトルとオーバーラップされているのが、女が処女喪失に向かうベクトルと 男が死に向かうベクトルとの二つである。少し長くなるが次のように小説では表現されている。

 夫人がこうして我を忘れた惑乱の中にある間、芝は革命の勃発を信じ ない王様のように何も知らずに呑気に構えていた。テラスの椅子で、薄曇りの光にかえって鮮やかな楓若葉の下に、彼は頼子の兄の書棚から取り出したメリメの シャルル九世年代記を読んでいた。近頃彼の癖になっているのは、浪曼的な物語を読むごとに、自分のまわりにあるこの非常識でもあり莫迦莫迦しく常識的でも ある戦争時代にあてはめて考えることだった。それは別にそういう物語の人物を気取ろうというわけではなく、あの虚飾と饒舌と繁文縟礼と過度の趣味性と色彩 の濫用とに充たされた暗黒時代はなぜそれらのものを必要としたが、比較的容易に理会されるからだった。
 シャルル九世年代記から彼はこんなことを聯想した。中世欧羅巴の騎 士たちは戦争のみならず日常生活の随所に織り込まれる決闘によってたえず生命の危険にさらされていた。それは古今東西変わらない女たるものの天賦の危険、 即ち貞操の危険と相頡頏するものであった。つまり男女の危険率が平等であったのだ。そういう時、女は自分の貞操を、男が自分の生命を考えるように考えただ ろうと思われる。貞操は自分の意志では守りがたいもので、運命の力に委ねられていると感じたに相違ない。また貞操は貞操なるが故に守らるべきものではな く、それ以上の目的のためには喜んで投げ出されるべきであった。と同時に、男がつまらない意地や賭事に生命を弄ぶことがあるように、女もそれ以外に賭ける 財産がないではないのに、一番見栄えのする貞操を、軽い手慰みに賭けて悔いないこともあったにちがいない。その果敢、その勇気が、かくして時には異様に荘 厳な光輝を放ったことがあったかもしれない。……

 女が貞操を失うにあたって、また、男が死を迎えるにあたって、そこには「荘厳な光輝」が戦争という暗い時代にあって必要だと芝は考える。「虚飾と饒舌と 繁文縟礼と過度の趣味性と色彩の濫用」が必要だと。頼子は芝に抱かれるための「夜の仕度」を自ら整える。

 「今 晩おかえりになるお心算?」と言った。
 「そうさ、仕方がないもの」
 「……うそよ、あなたきっとおかえりにならないことよ」
 「なぜ……」

しかしそこにはなんらの「荘厳な光輝」も見当たらない。そのことに芝は苛立ちを覚える。

 そ れにしても男がすべき夜の仕度を、一、二度接吻をうけたばかりの 純潔な少女が見事に整えてしまったとは何事であろう。かくてなお芝の責任は免れ得ないのだろうか。七に二を足して九が出るように、なんという退屈さ、なん という簡明な筋道だろう。こう考えることが、しきりと彼を苛立たせた。

 軍隊に取られていない芝はもちろん彼が思い描くような壮絶な戦死からは免除されている。つまり彼は自分の「夜の仕度」=死への準備をすることができな い。したがって彼はまた、「荘厳な光輝」からも取り残されるのである。

 や がて戦争も終わるだろう……。彼は烈しい嫉妬なしには、戦争が済 むと共にかえってくる大勢の健康な血色のよい若者たちを思い浮べることができなかった。

 という、小説のほとんど最後の言葉はそのことを物語っている。ここには兵役を免除された三島と重なる部分あるだろう。
 敗戦、死、処女喪失には「荘厳な光輝」を必要とする芝にとっては右に見てきたように、淡々と「夜の仕度」をする頼子に対しても、「荘厳な光輝」が不可能 な自分に対しても、敗戦直前の「七に二を足してまともに九という答えが出るようなことはかえってこんな時代の他にはあるまいと思われる簡単明瞭」さにも苛 立ちを覚えている。
 「夜の仕度」という小説自体は、三島自身述べるように「身辺に取材して、それをフランス風心理小説に仮託」したスタイルで頼子と芝との、母親と頼子との 駆け引きが主に描かれていくが、その間間に散見せられる右に引用したような文章が三島にとっての敗戦体験を匂わせているように思えて仕方が無い。ここに引 き合いに出すのは不適切かもしれないが、私は鶴見済が『完全自殺マニュアル』の中で述べている次のような文章を想起せずにはいられない。

 八○年代が終わりそーなころ、"世界の終わりブーム"っていうのが あった。「危険な話」が広まって、一番人気のあったバンドがチェルノブイリの歌を歌って、子供のウワサはどれも死の匂いがして、前世少女たちがハルマゲド ンにそなえて仲間を探しはじめた。ぼくたちは「デカイのがくるぞ!」「明日世界が終わるかもしれない!」ってワクワクした。
 だけど世界は終わらなかった。原発はいつまでたっても爆発しない し、全面核戦争の夢もどこかに行ってしまった。アンポトウソウで学生が味わったみたいに、傍観してるだけの八○年代の革命家は勝手に挫折感を味わった。
 これでやっとわかつた。もう"デカイ一発"はこない。二二世紀は ちゃんとくる(もちろん二一世紀はくる。ハルマゲドンなんてないんだから)。世界は絶対に終わらない。ちょっと"異界"や"外部"に触ったくらいじゃ満足 しない。もっと大きな刺激が欲しかったら、本当に世界を終わらせたかったら、あとはもう"あのこと"をやってしまうしかないんだ。(鶴見済『完全自殺マ ニュアル』一九九三)

 三島は敗戦を「デカイ一発」としてなにか「荘厳な光輝」が到来すると八月十五日を迎えるぎりぎりまで信じていたはずだ。期待していたはずだ。ところが実 際はどうであったか。それを「仮面の告白」を通じて次に確認してみたい。

 改めて言うまでもなく「仮面の告白」は昭和二十四年河出書房より書き下ろし長篇『仮面の告白』として刊行された自伝的作品で、三島由紀夫の文学的出発点 である。一応、富岡幸一郎による紹介文を紹介しておく。

 昭和二十四年七月に、河出書房より書き下ろし長篇小説として刊行さ れた『仮面の告白』は、三島の戦後文壇への登場を決定的に印象づけた作品である。主人公の「私」の幼年期の記憶から始まるこの作品で、三島は虚構の「ヰ タ・セクスアリス」を描くとともに二十歳で日本の敗戦をむかえた自身の心象も巧みに取り入れている。
   (中略)
 仮面をつけての「告白」という三島一流のレトリックとイロニー〈皮 肉〉が、自己をありのままに語ることに文学的価値をおく日本の私小説を逆手にとった、虚構の「私小説」ともいうべき新しいスタイルの作品を誕生させた。 『仮面の告白』はその意味で三島文学の代表作であり、この作品によって彼は日本浪曼派な流れのうちにあった作風を、戦後文学の領域へと大胆に転換させた。

 さて、実際の本文を見ていこう。敗戦の瞬間は第三章の章末である。適宜拾ってみる。

 空襲は中小都市の攻撃に移っていた。生命の危険は一応失われてし まったように見えた。学生の間には降伏説が流行りだしていた。若い助教授が暗示的な意見を述べて、学生の人気を収攬しようとかかり出した。甚だ懐疑的な見 解を述べるときの彼の満足そうな小鼻のふくらみを見ると、私はだまされないぞと思った。私は一方今以て勝利を信じている狂信者の群にも白眼を剥いた。戦争 が勝とうと負けようと、そんなことは私にはどうでもよかったのだ。私はただ生まれ変わりたかったのだ。

「おい、あの電単はほんとうだよ」
 ――彼は庭から入ってきて縁側に腰を下ろすとすぐこう言った。そし て確かな筋からきいたという原文の英文の写しを私に示した。
 私はその写しを自分の手にうけとって、目を走らせる暇もなく事実を 了解した。それは敗戦という事実ではなかった。私にとって、ただ私にとって、怖ろしい日々がはじまるという事実だった。その名を聞くだけで私を身ぶるいさ せる、しかもそれが決して訪れないという風に私自身をだましつづけてきた、あの人間の「日常生活」が、もはや否応なしに私の上にも明日からはじまるという 事実だった。

 という、既に人口に膾炙された文章で第三章は終わる。戦争の勝敗は「私」にはどうでもよいことで、「生まれ変わりたかった」と言う。「生まれ変わる」に は一度死ななければならない。その死の契機として戦争を「私」は予定していたはずである。では「私」は何を殺そうとしていたのか。どんな「私」を殺そうと していたのか。それを探るためには園子との出会いから婚約までを描いている第三章をさかのぼらなければならない。
 園子と接吻をし見送られながら東京へ帰る汽車の中で「私」は次のような思いに駆られる。

 園子! 園子! 私は列車の一ト揺れ毎にその名を心に浮べた。いお うようのない神秘の呼名のようにもそれが思われた。園子! 園子! 私の心はその名の一ト返し毎に打ちひしがれた。鋭い疲労がその名の繰り返されるにつれ て懲罰のように深まった。この一種透明な苦しみの性質は、私が自分自身に説明してきかそうにも、類例のない難解なものだった。人間のしかるべき感情の軌道 とは、あまりにかけ離れた苦しみなので、私はそれを苦しみと感じることさえ困難であった。ものに譬えようなら、明るい正午に午砲の鳴りだすのを待つ人が、 時刻をすぎてもついに鳴らなかった午砲の沈黙を、青空のどこかに探り当てようとするような苦しみだった。怖ろしい疑惑である。午砲が正午きっちりに鳴らな かったことを知っているのは世界中で彼一人だったのである。

 そして東京に戻ってきてから「私」は「はじめて本気になって自殺を考え」る。

 ……私は何ものかが私を殺してくれるのを待っていた。ところがそれ は、何ものかが私を生かしてくれるのを待っているのと同じことなのである。

 「私」は期待している。待望している。しかし「デカイ一発」である「午砲」は鳴らなかった。「私」を生かし、かつ殺す「何か」が訪れるのを待っている 間、「私」は「非日常」の中に生きているつもりでいる。ところが「非日常」を生きていると感じているのは「私」だけなのである。園子との別れの場面で、園 子が「私」がまた戻ってくることを自明であるかのように言うことに対して「私」が生死の問題を引き合いに出したがることにもそれは表れている。周りの人間 は相変わらず「日常」を生きている。それで「私」は「日常」を生きている園子やその周囲の人々との間に齟齬を感ずる。それをもっともよく表しているのが次 の一節である。

 ありえないと思っていたことが起ったのだ。戦争というものに対する 感じ方・考え方に、私とあの一家とでは格段の相違があるだろうことを、私は計算に入れていなかったのだ。まだ二十一歳で、学生で、飛行機工場へ行ってい て、その上また、戦争の連続の中で育って来て、私は戦争の力をロマネスクなものに考えすぎていた。これほど激しい戦争の破局のなかでも、人間の営みの磁針 はちゃんと一つの方向へむかったままだった。

 戦争中にも「関らず」、園子との結婚話は進んでいく。「私」にとってはもうそれは終わったことなのである。「私」にとって園子との接吻は死への準備であ り、死を演出するもののはずであった。その死を約束する戦争という事態が終わったときに、「私」が「非日常」から「日常」へ帰るのは当然の帰着である。
 ここまで見てくると、「仮面の告白」において語られる敗戦体験は「夜の仕度」の心理小説的な表面の裏側に見え隠れする敗戦への期待と一致することがわか る。はじめに議論の前提として「夜の仕度」が編集者との共作であることを考えなければならないと述べたが、敗戦に関する構想は三島によるものと考えていい のではないだろうか。

 「仮面の告白」第四章は次のように始まる。

 意外なことに、私が怖れていた日常生活はなかなかはじまるけしきも なかった。それは一種の内乱であって、人々が「明日」を考えない度合は、戦争中よりいやまさるように思われた。

 「私」にとって「明日」を考えないことが「非日常」である。「明日」を考えないとは、「私」にとって未来は決まったものだとする(戦前ならば戦死すると いう未来が決定付けられている)ことである。ところがその望みはもうかなわない。けれども敗戦直後の混迷期にあっては「人々」もまた別の意味で「明日」を 考えない事態に陥らざるを得ない。このあたりで三島の「日常生活」という言葉の定義が読者にとって矛盾したものとなってくる。というのは、大多数の人間に とって敗戦はやはり「非日常」であったはずで、敗戦直後の混迷期にあって「明日」を考えられるほうがおかしいことなのである。ところがそんな中でも園子は 次に見るようにいつの間にか結婚し、「明日」を考え始めるようになっている。

 「ぼくは君を尊敬しているんだし、誰に対しても疾ましくないと思っ ているよ。友達同志が逢ってはどうしていけないの?」
 「今まではそうだったわ。それは仰言るとおりだことよ。あなたは御 立派だったと思ってよ。でも先のことはわからないわ。何一つ恥かしいことをしていないのに、あたくしどうかすると怖い夢を見るの。そんな時、あたくし神さ まが未来の罪を罰していらっしゃるような気がするの」
 この「未来」という言葉の確実な響きが私を戦慄させた。

 小説においては「園子」の側が「人々」で、「私」がいかにも「人々」とは異なった考え方をしているように語られている。しかし実際はどうだったろうか。 かえって当時の読者の大半にとって、園子の一家のように戦争から超越していられる状態のほうが浮世離れしており、「私」のほうへ共感するのではないだろう か。だからこそ「仮面の告白」は多くの読者を獲得しているのではないだろうか。園子という例外を一般化して描くことで「私」に肩入れする「読者」が特権化 される。そんな装置が「仮面の告白」には施されているのではないだろうか。
 いずれにせよ、「未来」について考えなくてはならない時期はやってくる。

 ――時刻だった。私は立上がるとき、もう一度日向の椅子の方をぬす み見た。一段は踊りに行ったとみえ、空っぽの椅子が照りつく日差しのなかに置かれ、卓の上にこぼれている何かの飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。

 という結末は、園子という「非日常」からの別れを意味すると同時に、「日常」へ参加せんとする強い意志の宣言に聞こえるのである。


〈参考文献〉
・「新潮」平成十二年十一月臨時増刊「三島由紀夫 没後三十年」
・奥野健男『三島由紀夫伝説』(新潮文庫)
・勉誠出版「三島由紀夫事典」
・新潮文庫『仮面の告白』
・ちくま日本文学全集第十二巻「三島由紀夫」
・決定版「三島由紀夫全集」第十六巻(新潮社)

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