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声のスタイル論

  朗誦することによって、その文章やセリフをつくった人の身 体のリズムやテンポを、私たちは自分の体で味わうことができる。それだけでなく、こうした言葉を口ずさんで伝えてきた人々の身体をも引き継ぐことになる。 世代や時代を超えた身体と身体とのあいだの文化の伝承が、こうした暗誦・朗誦を通して行われる。(齋藤孝『声に出して読みたい日本語』)

 ……日本人にとって英語は、どちらかというと演劇的な言語であり、 そうした言葉を朗読するには、演劇的な身体が必要だということだ。(中略)私が本書で訴えたいのは、英語を朗読することが実に気持ちいいということだが、 同時に、日本人にとって演劇的な感性や身体を、英語を道具に使って培う人の意義も訴えたい。(齋藤孝『からだを揺さぶる英語入門』 )

 というわけで齋藤孝にかぶれて英語やら古文やらを朗読していたらいまやほとんど趣味の一部になってしまった感があります。齋藤孝の主張は明確で、言語を 声に出して読むことでその言語の持つ身体性を再生することができる、そして身体によってとらえられたものがスタイルに昇華される、というもの(と書くとか えって分かりにくいなあ)。

 英文を映画の予告編のナレーションように思いっきり声を低くして読んでいると、心なしか気分も落ち着いてくるし、ヒットラーの演説張りに「I have a dream」を読めば気分は高揚する。ちょうど、楽器を奏でるように、のどに空気を送って震わせる。その響きはなかなかに、いいものです、というか、いい ものだと感じる感性が芽生えてきました。

 もちろん『声に出して読みたい日本語』に端を発したちょっとした流行という一面はあるけれど、しかしこの素読という文化はぜんぜん日本に昔からあるもの で、むしろ「英米人の英語による授業を受けるという学習形態が急速に広まったために、日本古来の語学学習の伝統がそこで途切れてしまった(斎藤兆史『英語 達人塾』)」後に、今になってリバイバルと考えたほうが正確なようです。『感動する英語!』(近江誠)のようないいテキストも売られているので(この本自 体は十分に齋藤孝を当て込んで作られていますが)この流れは途絶えてほしくないですね。明治の文豪島崎藤村は「初学者のために」というエッセイの中でこう 述べています。

 すぐれた人の書いた好い文章は、それを黙読玩味するばかりでなく、 時には心ゆくばかり声をあげて読んで見たい。われわれはあまりに黙読に慣れすぎた。文章を音読することは、愛なくては叶わぬことだ。

 愛! 確かに。音読するなら音読したくなるようなすてきな文章を探したくなります。もちろん、視覚的効果を狙って書かれた小説には(例えば村上春樹の作 品などは)黙読という楽しみもあるけれど、外国語、古文、漢詩なんかはやっぱり自然と声に出して読んで見たくなります。

 あるいは古文。もともと和歌にせよ軍記物にせよ近世の小説にせよ「語る」という前提で書かれたものなのでむしろ黙読するほうが古文に関してはおかしいの です。『日本古典読本』(筑摩書房)など日本の古典のベスト版といった感じで現代語訳もついているし音読のテキストとしてかなり重宝しています。で、古典 を音読してどのような身体が培われるかといえば、やはりなんと言っても日本語の持つリズム性でしょう。「外郎売」なんかは演劇で滑舌の練習に使われるよう ですけど、実に楽しいテキストです。あるいは虫の音を感ずるようなウン千年の文化を自分の身体という器に流し込むということでしょう。よく言われることで すけど、ぼく一人で感覚できるものなどたかが知れているのですから、先人の言葉の助けを借りて感性を研ぎ澄ます、という算段です。冬はつとめて、なんて知 らなかったらただ寒くてイヤになるだけです。

 で、話を英語や古文に話を限ることもない。

 例えばロシア語。ぼくはロシアを偏愛していてロシアと名のつくものなら何でもウラー! という感じなのですが、やはりロシア語を読んでいて思うのは、こ の言語は口の中でぼそぼそ言うのが似つかわしいということ。ロシア語の向こうにぼくが見るのはドストエフスキー、トルストイ、チャイコフスキーといった巨 人。ロマノフ、ソ連という巨大な文化。その底知れぬタイガのような深い森に分け入っていくような感覚。もしロシア語を壇上に立って高々と朗誦したら、なん だかスターリンのアジ演説みたいになってしまいます。やっぱり、虚空をを見つめながら「Здравствуй, новая жизнь」とつぶやいてみる……これでしょう。ともかくロシア語によってロシア的憂愁を身につけることが出来るように思います。そしてロシア的に日本語 を言ってみる。なんだか人生の酸いも甘いもかみしめた男の落ち着いた雰囲気が、……ああ、欲しいなあ、そういうの。

 あるいは、『ライフ・イズ・ビューティフル』『ニュー・シネマ・パラダイス』に感銘を受ければ当然イタリア語を少しかじって見たくなる。あの陽気さ、地 中海的奔放さ、何より彼らの人生に対する愛情。それはイタリア語という、フライパンの上ではじけるバジルオイルのような発音に起因しているのかもしれな い。だから、「チャオ! ピアチェーレ!」と自意識過剰気味な「ッ」に胸をときめかせながらハツオンしてみる。うん、これはいい趣味と言えそうだ。

 あるいはご多分に漏れず『冬のソナタ』にはまり込んでしまったぼくは早速韓国語の初学書を買ってきてハングルの文字の仕組みを二日で学び三日目からは文 字など無視して「チョヌン、ミニョンイムニダ、、パンガプスムニダ」とCDの声はモノトーンでつまらないからペ・ヨンジュンばりにいい男ぶってかしこまっ て大人ぶっておちつきはらって発音してみる。うん、これもいい趣味だ。

 そして、まだぼくの知らないフランス的優雅、ドイツ的ザッハリヒカイト。けれど、全ては現代に生きるぼくの口から発せられる日本語のために。英語的に、 古文的に、ロシア的に、イタリア的に日本語をしゃべってみたい! ということなのです。常に「外部」からスタイルを取り入れる。例えばその実践としての外 国語学習。村上春樹の文体〈スタイル〉に思いをめぐらせば、結果の有効性は計り知れない。

 ところで、話は戻って、あるいは進んで「声」について。

 「体」と「言葉」というテーマで本をあさっていると、どの本を読んでも取り上げられるのが「声」でした。身体を使って言葉を現前化させる方法は声しかあ りません(人文字は不可)。それだけに、声を発するという身体的行為も(特に、齋藤孝が主張するように身体性を多分に含意する)スタイルにおいて考えなけ ればならないこと。角栄のだみ声、なんて有名な話ですよね。

 演劇のワークショップでよくあるのが、五、六人の後ろを向いた人のなかのある一人に向かって声をかける、というのがあります。うまくその人が「あ、いま 自分に声をかけられたな」と思わせるためにどのように声をかけるのか(もちろん名前を呼ぶとかはダメですけど)というのを鍛錬するのだそうです。

 鴻上尚史『あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント』では「表情のある声」というのを最終目的に声について語られています。自分の一番大きな声を知る こと、声の高さのバラエティーを知ること、速さ、間、音色といった要素を組み合わせてたくさんの表情を作ることができるということです。

 なるほど、すぐに寝てしまう授業の先生は声が「ブサイク」だ。たとえば、ずっと一本調子だったり、独り言でもいってるんかおまえは! と言いたくなる口 調だったり(寝てしまうのを全部そのせいにすることはできませんけど……)。少なくとも、声に表情をつけるというのは意識的にならないと実現できない。

 人前で小話をする能力が、会社に入ると求められるのですが、いかんせん文学部生としてはそういう場面で失敗するわけにはいかず(と、勝手にぼくは自分に プレッシャーをかけているのですが)、やっぱり話の内容もそうですがどこにアクセントを置くか、どういう順序で話すかにも気を配らなくてはならないし、話 す内容は同じでも「元気な新入社員」「上司の前でちょっと怖気づく新入社員」「お偉方の前にいるにもかかわらず大胆な新入社員」などのキャラクターを声の 調子で演じ分ける必要も出てきます。これは最初の引用(『体を揺さぶる英語入門』)に戻りますが、普段から外国語でも朗読して様々な音色を使い分ける能力 を身に付けておけば難なくその演劇性を発揮できるはずで、現在のところ連戦連勝(と、勝手にぼくは思っていますが)です。その意味でも教育実習は大変な訓 練の場にはなりました。

 声、というのは抽象論を具体化する一番原初に位置すると思う。人と(言語)コミュニケーションするのに声なしですますことはできない。今、こうして書い ている文章もその内容を口で人に伝えるのには相手が百人いれば百通りの伝え方があると思う。それはなんの違いかといえば声の違いであって、声の違いとは単 に声色の違いではなく「声の表情」の違いだ。「アルバート・メラビアンの法則」というのがあって、なんでも人の印象というのは話す内容以外の要素が93 パーセントを占めていて、そのうち見た目・しぐさ・表情が55パーセント、声に関するものが実に38パーセントも占めているのです。話す内容というのは観 念上にしか存在しませんが、それを口で人に伝えるメディアとなるのはやはり声。だから声の表情の豊かさがコミュニケーションを前提とするスタイルの最初に 位置するということは、確実に言えると思うのです。

04/01/28初稿
04/08/30改稿

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