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スタイルとは

 十代の頃から考えていることがある。それが「スタイル」について。
 きっかけは、高校二年のときに通っていた駿台予備校で出会った霜栄という現代文講師のエッセイ『生と自己とスタイルと』(曜曜社出版、1994)を読ん だことだ。この中に次のような一節がある。

 スタイルとはぼくらの突起であり、触角であり、誰もが世界じゅうの他者 とは異なる「この 僕」であるということの表現だ。それ が無ければ、僕らは生きることもなく死んでいかねばならないだろう。

 この場合の「生きる」とはたとえば「生きるものは全て死ぬ。しかし死んだものがみな生きていたとは限らない」と言うときの「生きる」と同じ意味だろう。

 スタイルがなければ、僕らは日常の中を移動する亡霊と同じ。な ぜならいっさいの現実との出会いは、スタイルに触れて絡まるこ とから発するのだから。自己のスタイルがなければ、何もやって来はしない。現実の中で思い切りスタイルを軋ませてみる。(同書)

 スタイルがあればこそ他者に対する親和や違和を感ずることができる。この人は同じにおいがする、とかこの人は自分とまったく違 う人生を生きている、とかそう感ずることが人と「出会う」ということだ。自己にスタイルの無い人は他者と決して「出会う」ことはできない。その場のノリ、 場が期待してくる役割を演じていれば確かに何も考えずにすむ。予定調和というやつだ。借り物のスタイル。自動運転的に生きるのは傷つかずにすむかもしれな いけれど、きっとノッペラボーな人間にしかならない。

 生きるのが不器用で、その生きづらさに毎日傷ついていた当時のぼくにとって『生と自己とスタイルと』の中の言葉は宝石のようにキラキラ輝いていた。太宰 治に かぶれて彼の作品を真似しながらいろいろ書き散らしていた高校生の時分、中学入学以来続いていた自律神経失調症も手伝って生きた心地がしていなかっ た。そういう時に「生きるにはスタイルが 必要なんだ」という霜氏の言葉は、自分がこの先どうやって生きていけばいいのかを模索するのにこの上ない道先案内だった。氏の授業を毎週楽しみにする生活 は大学に受かるまで続いた。

 強固なるアイデンティティが無い。つまり、スタイルの問題なの だ。つまり自分の価値観に論理的なbackground を与え、固有のものとし、それを世界に開示できるほどのスタイルを持つ。スタイルとは固有の唯一なるもの。これさえ確立すれば、おれは、借り物ではない固 有の人生を始めることができるのだ。そのためには何をすればいいのか?(02/04/29)

 上に引いたのは当時の日記の一節だ。生きるのにスタイルが必要なのはわかった。それではスタイルはどうしたら身につくのか? この 問題が、明確なスタイルを打ち出せずにいたぼくに「このままでは人生が始まらない」という気持ちにさせた。大学に入って、自由なキャンパスに放り出 されて、それは重く大きな問題だった。いったいいつ人生が始まるのか? この問いはもう一度ぼくを憂鬱にした。

 たとえば受験生というのは一つのスタイルになりうる、たとえそれがステレオタイプという別名を持っていたとしても。勉強に励むこと――文字通り「典 型的」だがぼくはそこに安住することができていた。受験生が主人公となっている太宰治「正義と微笑」(新潮文庫『パンドラの匣』所収)や井上靖『あすなろ 物語』がバイブル だった。主人公と自己を同一視して出来合いの物語の中に身をやつす。そしてこの試みはある程度成功してしていた。「優秀な受験生」という物語に運良く同 調することができていた、高校の卒業式の日でありかつ合格発表の日でもある三月十日までは。

 ところが大学生、である。誰も「大学生かくあれ」と言わないし、むしろ「らしさ」がないことが大学生の一つの特権だ。バイトもコンパも行かない勉強熱心 な大学生(いわゆる「東大生」というステレオタイプ)にも、バイトもコンパもサークルもこなす要領のいいイマドキの大学生にも、タテカンとビラマキとアジ エンに熱心な政治青年にも、ましてや文学青年にも哲学青年にも自分から身をやつしにいくことなどもうできなかった。それはぼくのスタイルではないし、あま りにもわかりやすく単純で魅力を感じなかった。

 ぼくはその時点で、まだ「スタイル」について理解が乏しかったと言っていい。「スタイル」とは選ぶものではなく作り上げていくものであることにまだ気づ いていなかった。

 それでもヒントになったのは既にスタイルが確立している人々を研究することだった。たとえば櫻井和寿、小谷美紗子、Cocco、中島みゆき、矢 井田瞳、ドリアン助川、南条あや、菜摘ひかる、太宰治、三島由紀夫、村上春樹、高橋和巳、ドストエフスキー、ニーチェ、ピカソ、ムンク……。彼等の強烈な 個性に圧倒された。「かくあれ」が鐘の音のように鳴り響いた。そこまではよかった。けれどもそこからがよくなかった。安直にもぼくは彼らに「なろう」 とした。髪形をまね、持ち物をまね、文体をま ね、口調をまね……彼等のスタイルをそのまま自分のスタイルに移行しようともがいた。でもそんなことがうまくいくはずがない。彼らのうちのだれか一人にな るこ ともできなければ、異質なスタイルを使い分けることで(それは「スタイル」ではなく「モード」と本当なら言うべきだろう)多重人格的になる自分を持て余す 結果になるのは当然だった。四六時中その人であり続けようと することに次第にぼくは疲れていった。

 結局同じことを繰り返していたのだ。新たな「らしさ」を他者に求めていたにすぎない。自分で作り上げる努力もせずに、きっとどこかに自分にぴったりのス タイルがあるはずだと小説を読み、テレビを見、映画を見た。どこかに? そんなものはどこにもないというのに。

 ぼくが小説を好きなのは、登場人物と自分を同一視することによ るカタルシスが得られるからである。受験を乗り切れたのも太宰 のおかげである。ぼくは小説を読むことで自由に変化(へんげ)できる。ところが一番根幹にはぐうたら一日中ねっころがっては爪を噛んでいる肉体がある。 (03/03/05)

 そうしたときにヒントをくれたのは、同じように「スタイル」について考えている人との出会いだった。『声に出して読みたい日本語』で 一躍有名になった齋藤孝だ。教職の授業で彼を最初見たとき、なんて独善的な人だろうと圧倒された。「ぼくの言っているようにやれば間違いありませんよ」 「だーめなんだよ、俺の言ったとおりにやんなくちゃあ」と、大教室でマイクも使わずに甲高い声で言っていた。自己へのゆるぎない自信。 それ はぼくが咽喉から手が出るほど欲しかったものだ。

 全てを包み込んだ自分のスタイルがあると、人生がこれまでより もずっと積極的な意味を持ってきます。そのスタイルが「自己肯 定の回路」です。天才たちは、すばらしく性能がよい「自己肯定の回路」をもっているのです。(『天才の読み方』大和書房、2003)

 自分に才能が有るか無いかよりも、具体的な工夫を積み重ねることができるかどうか、自分のスタイルというものを作っていく意 識を強くもっているかどうかこそが、生きるうえでは重要な意味を持っているのです。(同書)

 齋藤氏自身、スタイルを持った人物だ。それは『齋藤スタイル 自分を生かす極意』(マガジンハウス、2003)に詳しい。もちろん氏の スタイルにも大きく惹かれる部分はあったが、彼に「なろう」と考えることはもう無かった。自分を肯定できてこそのスタイル。今までスタイルがあればそれで いいとばかり思っていたが、スタイルそのものの概念について考えることが無かっただけに「自己肯定の回路」という換言は鮮やかに思 えた。

 スタイルってどういうもの? ようやくそれを考え始めたときに矢井田瞳の「Buzzstyle」という曲を聴いた。

 ヤイコのスタイル。それがバズスタイル。軽やかなビートに絡み つく彼女の声とエレキギターの音色とが挑戦的に未来へ向かう。 恋人が変わるたびにひどく変わる女の子がいる。「あなた仕様の私色が一番」な女の子だ。けれども不測の事態に借り物のスタイルはひずむ。あの人だったらど うするかしら? その恐ろしさをヤイコはちゃんと知っているから「スペアキーをこの手に握りしめる前に」ぶんぶん羽音を立てる。思いっきりバズしてみる。 ぼくたちはそうやってじたばたすることしかできない。スタイルは後からやってくる。でもその「じたばた」こそが私のスタイルなんだと言ってのけるヤイコの この曲はすがすがしく正直なのだ。(某レコ評サイトに投稿したもの)

 スタイルは変化する。あるいは変化こそがスタイルである。――スタイルを固定的なものととらえていたぼくには、目からうろこであった。変化するものと考 えたとき、時間という概念がそこに吹き込まれる。「スタイル」とは出来合いのものを見本帳から選ぶのではないということをこの曲によってぼくは再確認する ことができた。

 スタイルについて固定的に考えるのは無意味だ。スタイルが無い というスタイル。ケ・セラ・セラというスタイル。 (03/07/13)

 変わることこそがスタイル。では「変わる」とはなんだ? もう少し徹底して考えようと思った。ちょうど大きな失恋をした直後だったこともあってぼ くは改めて自分の存在の不確かさに苦しんでいた。大学三年目の夏休みのことだ。「スタイル」について考え始めたそもそもの出発点が「生きづらさ」だったぼ くにとってその恋は「生きづらさ」解消のための闘争だった。他者の全的な了解を得られれば「スタイル」なんてコムズカシイこと考えなくても楽に生きていけ るに違いない――ぼくの恋に対するもくろみはいつでもそうだった、そしていつでもそれは失敗に終わった。いらだった。同じ苦しみに帰らざるを得な かった自分の情けなさ、ふがいなさ、ちっぽけさ。でも、そここそがぼくの場所〈サイト〉であるらしい。

 その夏はいろいろな本を漁るようにして読んだ。古本屋に行ってタイトルが心に引っかかった本は全て買い込み、家に飛んで帰っては読みふけ、再び古本 屋へ行くという生活を送った。その中 でもっとも救いを与えてくれたのが田口ランディの著作だ。

 自分が変わる気のない者は相手を変えようとする。そして相手が 変わらないことに怒るのだ。(「あの世の意味、この世の意味」 『根をもつこと、翼をもつこと』晶文社、2001)

 自分が辛いとき、なにもかも思い通りにならないと思っていたが、実はなに一つ思い通りにしてやろうなんて思っていない。辛い というのは「どうにもしてくれない」誰か、もしくはなにかへの恨み。すごい逆恨み。(「呪いの言葉」同書)

 そして、大失恋を重ねて重ねたあげく、私は泣く泣く諦めた。「もう、この世には私を無条件に愛してくれる親のような存在はい ないのだ」ついに私は「永遠の保護者探し」を断念したのだった。ああ、長い道のりだった。(「恋愛の裏ゲーム」『馬鹿な男ほど愛おしい』晶文社、 2000)

 恋にはたぶん、私というシステムをバージョンアップする力がある。ただし「別れ」という儀式を経ないと、新しいシステムは作 動しない。恋と別れはワンセットのパッケージ売りなのだ。(「恋によるシステムヴァージョンアップ方法」同書)

 結局他人任せでスタイルを身につけようなんていうのがそもそもの間違いで、変わることができる、あるいは自分で変えることができるのは自分自身しかない という ことだ。こんな簡単なことなのに、理解するのにずいぶん長い時間がかかってしまった。特に最後に引用した文章を読んだとき、ぼくは大きく何度もうなずい た。 「私というシステム」が「スタイル」ならば「変化」は「バージョンアップ」だ。ただ変わればいいというものではない。変化は必ずしも成長ではない。異質な ものを取り込んで大きく、広くなっていくことこそがスタイルの変化だ。余裕を持つこと、キャパシティーを 広げること。

 ぼく以外の他者が外側からスタイルを与えてくれることなどありえない。両親はこの世に肉体を与えてくれた。この肉体は素材であり、ぼくはこれを彫刻して いか なければならない。のみの一打ち一打ちがスタイルを形成していく。自分で、この手で作っていかなけ ればならない。今、この瞬間からスタイルに対して自 覚的に生きることがぼくを変える。

 きっとそういうことなのだ、生きるとは。自分を限界まで広げていくこと なのだ。限界がきたらやめればいい。けれどきっと広が れば広がるほど宇宙のように限界も広がるのだろう。その外形がスタイルだ!! 生きるとはスタイルの拡大。これまでBuzzstyle=変化すること=ス タイルだと思っていたが、縮んでしまってはスタイルどころではない。(03/08/22の日記)

 変化するためには異質なものと出会うこと。出会うためにはスタイルが必要。そして出会うとは受容するということ。異質だったものを自分のスタ イルに取り込むこと。そうしてスタイルは変化し鍛錬され拡大する。あるいはそれをこそ「出会う」というのだろうか。スタイル、出会うこと、変化すること ――この三つは互いにリンクしている。

 ぼくにとって「生きる」ということの実体が突然立ちあらわれてきた。そう、あとはこの人生を生きるだけだ。そう思 えたとき、今まで呪わしいものと思っていた過去を受け入れることができた。そして「生きよう」と強く思った。二十一歳。もしかしたら遅いスタートかもしれ ない。けれど、やっとぼくは自分の人生を引き受ける気持ちになったのだ。自分のスタイル、自分の人生。他人の人生の脇役でいようなどと考えるのはもうやめ た。

 このホームページ上に書き綴っているのは、このページ(「スタイルとは」)に書いたものを概論とすれば日々の 実践としての各論だ。決して垂れ流しの日常をつづろうとは思わない。それは自分で読み返すためだけのノートに記録として書けばいいことだ。そう ではなく、読めば「なるほどこういう『文体=スタイル』なんだな」というのがわかるようなテキストをアップしていきたい。もちろんスタイルについて考えな くとも人は生きていける。実際「あなたは不幸な人だ」と言われたこともあるけれど、今ならそう言った人のたとえば幸福を、もううらやましいとは思わ ない。

 そうさ、もう何にもあこがれない。

 ここからはじめよう。

03/08/27 初稿
04/02/11 改稿
04/11/26 改稿
05/01/14 改稿

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