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卒論の素材(ダイジェスト)

卒論の素材(一)…… 04/07/18
 
 仮題目は「意味と物語と小説と」……どう考えても広すぎる。「小さく入って大きく抜ける」が卒論のコツであるらしい。出口は大体決まっている。問題は入 り口を見つけること。入り口として、現在考えていることが三つある。

一、「小説の筋論争」

 昭和二年一月『文藝春秋』掲載谷崎の『日本におけるクリツプン事件』に対して芥川が二月の『新潮』合評会で「話の筋というものが芸術的なものかどうか」 という疑問を呈する。谷崎は同年三月『改造』所載の「饒舌録」で次のように書く。

 筋の面白さは、いい換えれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的 の美しさである。此れに芸術的価値がないとはいえない。(材料と組み立てとはまた自ら別問題だが、)勿論こればかりが唯一の価値ではないけれども、およそ 文学に於て構造的美観を最も多量に持ち得るのものは小説であると私は信ずる。筋の面白さを除外するのは、小説という形式が持つ特権を捨ててしまうのであ る。そうして日本の小説に最も欠けているところは、此の構成する力、いろいろ入り組んだ話の筋を幾何学的に組み立てる才能、に在ると思う。

 芥川はこれに対して『改造』上に四月、「文芸的な、あまりに文芸的な」で反論を試みる。

 僕は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思っていない。従っ て「話」らしい話のない小説ばかり書けとも言わない。第一僕の小説も大抵は「話」を持っている。(後略)
 しかしある小説の価値を定めるものは決して「話」の長短ではない。 いわんや「話」の奇抜であるか奇抜でないかということは評価の埒外にあるはずである。(中略)僕は前にも言ったように「話」のない小説を、――あるいは 「話」らしい話のない小説を最上のものとは思っていない。しかしこういう小説も存在し得ると思うのである。

 さらに、芥川は「詩的精神」という言葉をも出すが、谷崎は「私には芥川君の詩的精神云々の意味がよく分からない」と言う。たしかに芥川の言うことはよく 分からない。

 先行研究としては安田孝「『饒舌録』一面」、川上美那子「『文芸的な、余りに文芸的な』について」のコピーを入手。あるいは、柄谷行人「構成力につい て」(講談社文芸文庫『日本近代文学の起源』所収、初出は『群像』)を議論のたたき台にしたい。柄谷は、谷崎の「構造」という言葉に飛びついたのか構造主 義的な読解をする。果たして、文学研究において構造主義がどれほど有益なのかは未解決の問題である(バルトとか小森陽一とか)。構造主義については、手段 のワン・オブ・ゼンとして扱うこととする。「いわゆる『戦後文学派』に流れている、構成的意志と実存主儀的な関心は、公式的マルクス主義による強力な配置 変容の所産である」というような柄谷の物言いには十分注意する必要があり、構造主義自体が一つのイデオロギー的な求心力を持っているのでそれにとらわれな いようにする。あくまでも、手段の一つである。もう一つ、佐伯彰一『物語芸術論』(中公文庫は絶版、古本屋で買ったがページがぼろぼろ外れる、何とかして くれ)は「小説の筋論争」において芥川を多少擁護している。臼井吉見『近代文学論争』はいまや研究論文の古典なのだろうか。教養のない私には、どの論文を を真っ先に参照すべきなのかわからず、路頭に迷っている。

 とりあえず、芥川の谷崎との論争をきちんと雑誌の初出からコピーして時間軸上に並べ替えて整理することが第一。芥川の使うタームを定義しなおした方がい いだろうか?

 小説が一体何を伝えるのか、何を伝えるべきなのか。というか、「小説は何を伝えるべきだと考えられてきたのか」についてしつこく考えていきたいと思って いる。谷崎の考え方、芥川の考え方、これは小説と物語との永遠の対決の縮図であるように思う。けれど、世間一般では「小説と物語」と言うと暗に「近代以降 の小説と平安期の物語文学」を示すらしいことが最近分かった。そうではなく、日本の近代小説において「物語る」ということがどういう機能を果たしているの か、ということを「小説は何を伝えるべきと考えられてきたのか」のなかで考えてみたい。「物語」については直接言及せず、ナラトロジーという形で小説論の 中に組み込みたい(という事は、やはり仮題目は変更せざるを得ない)。

二、吉本ばなな

 そこで、吉本ばなな、である。なんで、吉本ばなななのか。吉本ばなながデビューした当時、「一体これは小説なのか」という議論が結構あったらしい。で、 これは又聞きだったので実際に同時代評を探そうと思って書庫にもぐったら、これくらいしかなかった。『群像』の1988年(あ、何月号だかメモするの忘れ ちゃった)の何月号かの創作合評で吉本の「満月」について日野啓三がこう言っている。

 読み手としての感じですけども、今まで僕らが親しんできた小説、特 に短篇の場合、光源が一つあるわけね。例えば、この部屋の中に電球が一つぶら下がっているようなもので、あらゆる場面の描写とか動きとかいうのは、その光 源に収斂されていくとよくわかるし、逆に、光の当った部分をいろいろ読ませられながら、光源一つにだんだん絞っていって、あ、そうか、この光だな。それは 主題といってもいいし、書きたい何かといってもいいし、さっきの芯といってもいいんですけれども、一種のツリー状の構造ですから、そういうものが割合絞れ たわけね。
 この場合は、さっきもいいましたけれども、非常にキラキラした、お もしろいあれがあっちこっちにあるわけです。でもそれを一々たどっていっても、一つの光源に行き着かないのね。結局、なるほどな、これは裸電球がひとつぶ ら下がっている部屋じゃなしに、間接照明といいますか、あっちこっちに、壁にも、天井の隅にも小さな光源がいっぱいある部屋だな、だから、これの中に一つ の光源がはっきりつかめないじゃないかと文句をいってもしようがないのかもしれぬと思う。

 「光源」の比喩を持ち出すところからして、非常に構造主義的な読み方を日野はしたがっているが、それが通じないことに気がつくところがさすがという感 じ。遠近法に対する反駁はいくらでもできる。佐藤康邦『絵画空間の中の哲学』(三元社1997)など、参考になるかもしれない。で、問題は吉本の作品がど うやら入試現代文のように「イイタイコト」とか「テーマ」とか「筆者の主張」みたいな一つの光源にたどり着かないならば、その小説は何を伝えようとしてい るのだろうか? もちろんこの問いの立て方にも疑問を感じなければならない。小説という言葉の構築物が何かを伝達しなければならないという法は無い。けれ ども、言葉には意味が付随する。言葉がそこにあるだけで、その意味が必ず伝達される。これは言葉の持つ性質上仕方が無いこと。意味のない言葉の羅列は詩の 世界でどっどどどどうど実験されているが、小説はそうはいかない。これに対する一つの答えが辻邦生「映像に達すること」にあった。

 現代文学の混乱の大きな要素は、文章が形象(映像)であるという認 識が薄れ、情報伝達のレベルに落ち、何か事件を伝えようと書いていることだろう。吉本ばななの新鮮な衝撃は、小説散文が持つべき形象性(映像)を純粋に取 り戻したことから生まれている。『キッチン』『TUGUMI』以来、一貫して、文章は何も表現していない。文章の背後には、どんな伝達内容も存在せず、一 種の観念的具体の関係項が、ついたり離れたりしているだけだ。
 だが、思えばバルザック、スタンダールが近代小説を書き出したとき も、このことは変わらなかった。それなのに、そこに現実社会という伝達内容があると誤解されたことから、小説の長い彷徨が始まった。吉本ばななはその意味 で小説の王道をようやく見出してくれたといえそうである。

 ちなみにこの文章は入試の問題文で目にしたものなので、初出がわからない。辻邦生といえば最近亡くなったので全集もまだ一巻しか出てないし、誰かこの文 の出所を教えてくれ。
 もしかしたら芥川が言いたかったことを辻が代弁してくれているのかもしれない、という期待も込めて、吉本ばななについて誰が何をいっているのか、もっと 集めてみないといけません。それから、実際に作品のどのへんが「キラキラ」しているのか、「映像」なのか、分析してみる必要があります。作品は文庫でやた らめったらでているので問題なし。
 ちなみに、吉本ばななを評して「だんだん小説がうまくなっている」とさもその成長を喜ぶかのようなことを言うバカがよくいるけれど、あれは親を気取って 吉本隆明と同化したがっているのか。

三、保坂和志

 で、さらに小説の物語性・構造性を否定するフロンティアまで行こうと思って、保坂和志である。この人の小説は読めば分かるが、ほとんど筋が無い。いきな り野球の応援したり、ユーレイの話をしたり、子供がわけわかんないことを言う。で、そのことをかなり意識的にやっている。『書きあぐねている人のための小 説入門』は題名がやっぱり気に食わないけど、保坂による小説論で、そこで彼はストーリーを作って作者が小説世界を全てコントロールしようとすることに異議 を唱えている。やっぱり芥川の言いたかったことを代弁しているような気がしてならない。
 吉本ばななの初期の作品(あくまでも、初期の作品)の持つ何かを理論や実作で意識的に展開しているのは、現代作家の中ではおそらく保坂だけではないだろ うか。「残響」「コーリング」「カンバセイション・ピース」を分析することで何か見えてくるはず。ていうか、そもそもこの小説「分析」なんて可能なんだろ うか。
 保坂に対して誰か物語作家が反論していると面白いんだけど、そんな記事は見たことが無い。現代の谷崎なんて、誰かいないかしら。
 保坂については、単行本未収録の記事も全部氏のサイトに整理されているので問題ない。文庫は全部持ってるし。先行研究は皆無。いろいろ書けそうな作家だ と思うんだけど。

 吉本保坂ばっかり書いているとバランスが悪いから、昭和の作家でだれか同じようなことを考えている人がいないか探してみたい。『日本近代文学評論選』を 熟読玩味しなくては(岩波文庫で出たこの本、マジで便利)。

 こんな感じで、なんとか書いていきます。

卒論の素材 (二)……04/07/22
 
その後の展開。

一、「話の筋」論争

 『新潮』昭和二年二月号の「新潮合評会」(原本からのコピーを入手)で、芥川龍之介は谷崎潤一郎の「日本に於けるクリップン事件」(『文藝春秋』昭和二 年一月号掲載・全集からのコピーを入手)について次のように発言している。

 僕は谷崎氏の作品に就て言をはさみたいが、重大問題なんだが、谷崎 君のを読んで何時も此頃痛切に感ずるし、僕も昔書いた「藪の中」なんかに就ても感ずるのだが「話の筋と云うものが芸術的なものかどうかと云ふ問題、純芸術 的なものかどうかと云ふことが、非常に疑問だと思ふ。

 僕の筋の面白さと云うのは、例へば大きな蛇がゐるとか、大きな麒麟 がゐるとか、謂はゞ其の面白さ。さう云ふものが芸術的なものかどうかと云ふことは、僕は余程疑問だと思ふ。

 兎に角僕は話としての興味よりも外の興味のあるものを書きたい。

 同座談会で広津和郎が田山花袋の話を引用していて、花袋は小説の梗概を書くということを否定していると言う。これは全くその通りで、筋のある小説と言う のは要約が可能だ。しかし筋のない小説というのは「これこれこういう話で、あれがこうなっこれがああなったところが面白かった」という風に紹介することが できない。誰が「藪の中」なんて要約できるだろうか。
 小説の面白さと筋の面白さとは重なる部分もあれば重ならない部分もある。几帳面な芥川は「重ならない」と言い切ろうとしているけれど、どうしたって重な る部分はある。そのジレンマがおそらく「文芸的な、あまりに文芸的な」に弱腰な態度となって現れてしまっているのだと思う。
 川上美那子は「『文芸的な、余りに文芸的な』について」(どこからコピーしたんだっけ?)で、「プロットやストーリーという小説の輪郭線に従属していた 言葉そのものの直接的な喚起力を――言葉の生命力――を取り戻そうとするところに、芥川の意図はあったのではないだろうか」と芥川の意図を汲み取る。この 方向性に私も同調する。
 安田孝は「『饒舌録』一面」(これも初出どこだっけ?)で、谷崎が「饒舌録」で中里介山の「大菩薩峠」を推していることに着目している。「次から次へ と、それぞれのエピソードを書きつぐことはできるが、一つ一つのエピソードに決着をつけ、作品に、意味のあるまとまりを与える結末を書くことは、『大菩薩 峠』では、ほとんど不可能に近い」と安田は書いているが、(あのクソ長い「大菩薩峠」を卒論のために全部読むなんて事はしたくねえなあ)、それが本当なら ば谷崎の言う「筋」がプロット(要約可能な部分)とは少し意味合いが違うようにも思えてくる。そして芥川自身も「筋」という言葉を谷崎と同じ定義で使用し ていないきらいがある。「僕の筋の面白さと云うのは、例へば大きな蛇がゐるとか、大きな麒麟がゐるとか、謂はゞ其の面白さ」と、先に引用した部分はそれを 物語っているように思う。谷崎は次のように書いている。

 尤も芥川君の「筋の面白さ」を攻撃する中には、組み立ての方面より も或は寧ろ材料にあるのかも知れない。私が変な材料を選び過ぎる、「や、此れは奇抜な種を見付けた」と、さう思ふと、もうそれだけで作者自身が酔はされて しまう。さうして徒らに荒唐無稽な物語を作つて、独りで嬉しがつてゐる。と云ふにあるらしい。

 話の筋を組み立てるとは、数学的に計算をする意味ではない。矢張そ れだけの構想が内から燃え上がつて来るべきだと思ふ。

 こんな調子なので論争自体は芥川が完全に劣勢である。けれど今日的な意味で考えると、芥川の言っている事はもっともであるし、むしろ文学史上では優勢で ある。だからといって谷崎の文学論は決して劣ったものではないし、創作と理論とを一致させている数少ない作家の一人である。そのあたりをどう評価するのか が、卒論でも一つの問題になってくるだろう。
 ちなみにも文学論争において、互いの用語の定義が一致していないことは往々にしてあることのようで、私は先日岩野泡鳴の一元描写と田山花袋の平面描写と を比較する発表をしたのだが、花袋の書いていることをよく読むと意外に泡鳴と目指すところは同じで、泡鳴が一人でいきり立っている感じがした。そもそも 「自然主義」「写実主義」なんて言葉も、美術史上ならきちんと定義がなされていてわかるけれど、日本文学史上では定義が曖昧なままで、当時の人も曖昧に 使っているので非常にややこしい。言葉の定義づけは哲学の基本だし、論文でもそこは気をつけて扱っていきたい。

二、吉本ばなな

 例の創作合評は『群像』1988年3月号。改めて読み直すとイイタイコトを探すのに必死な竹田青嗣が滑稽である。

 一言で言いますと、一番ひどい状態にあったときに、こうやって自分 の生き方の形を自分なりにつかんだ、それがこの小説で一番いいたいことだと思うんですよ。

 …それが、この小説の中で作家が書こうとしたことの中心だと思うん ですね。これを小説の軸にしようとしているんだなということは伝わってきたんです。

 という竹田の発言に対して川村二郎(無教養のぼくはこの人の名前を初めて知った、有名な評論家らしい)は非常にいいことを言っている。

 そこが、逆ではないかもしれないけど、多分僕と竹田さんとはずれて くると思うんです。つまり、さっき、日野さんが光源といわれたことにもかかわるんだけれども、あっちこっちチラチラしていて、どこに光源があるのか分から ないような書き方をしているけれども、結局、今竹田さんがいわれたようなところに中心があるんだろう。(中略)
 ただ、その伝えようとすること自体に、作者が思っているほどの意味 があるのかな、その疑問ですね。(中略)
 つまり、ここで、もっともらしくといっては悪いかな、非常に真剣な 調子で言われていること自体は、人間の生き方においてごくごく真っ当といってもいいし、当たり前といってもいいし、そういうものなので、そこに特別なメッ セージが込められているようには、僕には読めないということです。

 つまり、確かにイイタイコトらしきものは読めば見えてくる。しかしそれは取り立てて言うほど特別なメッセージではないし、わざわざそれを言うために小説 をこしらえる必要もないくらい当たり前のイイタイコトなのだ。それでは吉本の「満月」はなんのために書かれたのか、いや、「何のために」という問いのおき 方から問われなければならない――ということは前にも書いた。
 さて、そこで辻邦生の「映像に達すること」だが、これは初出が『群像』の1994年3月号であることがわかり、原本からコピーをしてきた。辻は映画論も 結構書いていて、映像と文学との関わりについてかなり発言している。吉本ばななの作品は映像性が強い、そしてそれこそが小説の王道なのだ、と辻は言う。
 ここで思い返されるのは先の安田孝「『饒舌録』一面」の中にあった次の一節である。

 作品の結末において、作品に一定のまとまりが与えられるというの は、テーマが一つの命題に統一されることである。テーマが強く意識されると、場面は、テーマを述べるための媒体に化する。
 テーマのある小説は、テーマに問題が感じられる限りはまだしも、 テーマの問題性が弱まると、作品としての価値も少なくなる。

 つまり、小説はイイタイコトに従属するものであってはならない、小説は作者の思想を伝達する「メディア=装置」ではない、という文学観がここにある。 テーマとモチーフとは区別しなければならない。今我々が百年前の小説を読んでも感銘を受けるのは、そのモチーフが古びてもテーマは古びていないからだ。
 吉本ばななの作品は陳腐なテーマながら読まれている。漫画的に話が展開するにもかかわらず読まれている。これはやはり、言葉の持つ喚起力に徹しているか らだろう。意外と感激した映画も、ストーリーを要約すると陳腐であることが多い。しかしその事は決して作品の価値をおとしめるものではない。

卒論の素材 (三)……04/07/28

 作戦変更である。調べれば調べるほど当初自分が思い描いていた想像を覆す事実が出てくる。それはそれで面白い。ただ、卒論には締め切りというものがある らしい。今からそんなことを言っていても仕方が無いけれど、まあ自分が選んでしまったテーマだし、とことんやるつもりである。

 谷崎芥川論争から吉本につなげるのはいくらなんでも強引なのでその間を埋めるものは無いかなと思って探していたらありました。横光の「純粋小説論」。文 学史的には以下のような流れを意識することがあるらしい。

 芥川谷崎論争→純粋小説論→中間小説論議

 もちろん、芥川谷崎論争は大正末期からの私小説論争を背景にしているし、それを言っているとプロレタリア文学や白樺派も無視できない。純粋小説論も、そ の後国民文学論という論議に発展するとする論者もいる。上にあげたのはあくまでも多くある論争解釈の中の一例に過ぎない。恐ろしいくらいに単純化した図式 でしかない。ただ、上の三つを並べるとどうしてもその後に吉本ばななや保坂和志を並べたくなってしまう誘惑にかられる。

 作戦変更と言ったのは、上の流れを卒論の中心時軸にすえて、吉本保坂は「さて、以上のような観点から現代作家を試みに眺めてみると興味深い作家がいる」 のような形にしよう、ということだ。

一、芥川谷崎論争

 芥川が「話の筋と云ふものが芸術的なものかどうか」と疑問を呈した谷崎の「日本に於けるクリツプン事件」を読んでみると、芥川の疑問がよくわかる。彼は その形式に対して疑いのまなざしをむけたのではないだろうか。

 私は読者諸君に向つて、此の事に注意を促したい。と云ふのは、……

 クリツプン事件のあらましはざつと上述の如くである。そこで私は、 読者諸君に今一つ此れと似た事件、――日本に於けるクリツプン事件とでも云ふべきものを、以下に紹介しようと思ふ。その事件とは外でもなく、……

 私は読者に、此れ以上説明する必要はあるまい。

 いずれも、「日本に於けるクリツプン事件」からの抜粋であるが、わかるようにこの作品は一人の語り手がいて、その全知全能の語り手が読者に向けて事件の 概要を「要約的に」読者に開陳するという形式を取っている。この小説は異常性欲を扱ったもので、その素材に芥川は嫌悪を示したのではないかと浅はかな推測 を立ててみるがそうではない。

 僕は谷崎氏の用いる材料には少しも異存を持っていない。「クリップ ン事件」も「小さい王国」も「人魚の嘆き」も材料の上では決して不足を感じないものである。(中略)僕が僕自身を鞭つと共に谷崎潤一郎氏にも鞭ちたいのは (僕の鞭に棘のないことは勿論谷崎氏も知っているであろう。)その材料を生かすための詩的精神の如何である。あるいはまた詩的精神の深浅である。(「文芸 的な、あまりに文芸的な」)

 つまり、変態性欲自体は素材として申し分ない、しかしいくらなんでもでっちあげられた語り手がその事件の要約を語るというのでは、小説としてあまりにも 「詩的精神」に乏しいのではないか、と芥川は考えたのではないだろうか。語り手が種明かしまで全部してしまっては、素材が生かされきれていない、と芥川は 思ったのではないだろうか。

 どういう思想も文芸上の作品の中に盛られる以上、必ずこの詩的精神 の浄火を通って来なければならぬ。僕の言うのはその浄火を如何に燃え立たせるかということである。(「文芸的な、あまりに文芸的な」)

 芥川はその「詩的精神」が要約可能な「筋」と拮抗すると考え、谷崎に異議を唱えたのではないだろうか。

二、純粋小説論

 未調査

 岩波文庫『日本近代文学評論選(昭和編)』所収の掲題論文は一読したがさっぱり意味がわからない。横光、何が言いたいんだ。川端の「『純粋小説論』の反 響」は全集からのコピーを入手。

 辻邦生が小説の映像性について言っている事は何度も述べたが、よく考えるとその起源は横光を中心とする新感覚派にあるのではないか? 横光は「カメラ・ アイ」とか言っていたし。このまえ後輩が川端の「古都」「千羽鶴」をたいそうオススメしていたので早速買ってきて読んだが(人が良いと言うものは大抵読む ことにしている、読書の幅ってそうやっしか広がらないと思う)、確かに映像的に美しさがある(そしてまた、話の筋も面白いのが川端のすごいところ)。その へんで吉本につなげられたら、面白い卒論になりそうだ。そこまで行けたら綿矢りさもついでだからぶっこんでやろう。

三、吉本ばなな

 「キッチン」「満月―キッチン2」、やっと読みました。ぼくはたまたま単行本を持っているんですが、88年に出て、手元にあるのは90年に刷られたも の、実に第62刷! いかに売れていたかがよくわかりますね。ちなみに新潮文庫と角川文庫と二つに入っているのも売れるからこそなんでしょうか。

 さて、『群像』の創作合評を引用しながら吉本ばななの小説にはイイタイコトなんてないんだ、言葉の持つ映像性こそが作品の持つ価値なんだ、みたいな流れ でここまで論じてきましたが、灯台下暗し、東大生は論に酔って基本を忘れる、単行本の「あとがき」にこう書いてあった。

 私は昔からたったひとつのことを言いたくて小説を書き、そのことを もう言いたくなくなるまでは何が何でも書き続けたい。この本は、そのしつこい歴史の基本形です。
 克服と成長は個人の魂の記録であり、希望や可能性のすべてだと私は 思っています。私は、日常を激しく、または静かに戦いながら良くなってゆき続けるとしか思えない知人友人をたくさん持ち、本当はその人々すべてにこの私の 処女……単行本を捧げたい気持ちです。

 しかし、テクストを読む限り「キッチン」もその続編である「満月」もいわゆるテーマ小説ではない。そこでは「悲しい」「淋しい」が何度も繰り返される。 おそらくそれが吉本にとっての「たったひとつのこと」であり、それが大変に抽象的なため、具体を並列させて変奏を奏でる、いろいろな悲しさを場面描写で読 者に差し出してみせる、というスタイルをとっているのだ。それが構造的でないように見えるのは、伏線を張って思わせぶりなことを書き、後で「あーあ、なる ほどこういうことか」という種明かしをしない、する気もないという吉本の姿勢に起因しているのだと思う。

 つまり、論じたくなる材料があっちこっちに転がっているのだ。台所の象徴性、家族の問題、死と真実、植物の象徴性、孤独の問題、台所からソファーへの位 相、ヒトとモノ、夢の問題、光と影、満月と料理の関係、あるいはある方面の人々が大好きなジェンダーの問題……。しかしそれらは吉本にとって解決すべき問 題ではないし、はじめからアポリアなのだ。話の筋において必然性はまったくない、極めてコミック的である事は竹田青嗣も言っていた。イイタイコトもあると しても非常に平凡なことを言っている。にもかかわらずそのテクストに引き込まれてしまうのはなぜか。

 本当に暗く淋しいこの山道の中で、自分も輝くことだけがたったひと つ、やれることだと知ったのは、いくつの時だろうか。愛されて育ったのに、いつも淋しかった。

 ……田辺は女の子を万年筆とかと同じようにしか気に入ることができ ないのよって言っている。
 私は、雄一に恋していないので、よくわかる。彼にとっての万年筆は 彼女にとってと、全然質や重みが違ったのだ。世の中には万年筆を死ぬほど愛している人だっているかもしれない。そこが、とっても悲しい。恋さえしていなけ れば、わかることなのだ。

「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨て らんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことが何かわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」(いずれも 「キッチン」より)

 それぞれの淋しさ、悲しさは独立して語られている。そこには伏線も思わせぶりもぎ技巧もない(ように見える)。この魅力の秘密はいったい何なのだろう。 卒論だからきちんと言語化して説明できなければならないけど、とても不思議だ。

卒論の素材 (四)……04/08/08
 
 今から「素材(一)」とか読み返すと恥かしい限りだ。ほんと、勉強不足。二、三冊、近代文学論争関係の本を読んでみた。木を見て森を見ずにならないよう に、岩波文庫『日本近代文学評論選』も上下巻読破。それで感じたのは、本当にごくごく大雑把に言えば結局文学論争は「何を書くのか」と「いかに書くのか」 という二つの問題、つまり内容の問題と形式の問題とがついたり離れたりしているということ。「小説の主脳は人情なり」に始まる近代文学はけれども内容の問 題に関わりすぎたようにも思う。自然主義も白樺派もプロレタリア文学も内容の問題に区分される。現代でも小説を分類するときには恋愛小説には恋愛という内 容が描かれることからわかるように、内容ばかりが尊重される。逆に純粋に形式を追究したのが新感覚派の文学だったように思う。横光の小説を一つでも読め ば、その新鮮さは現代においても全く色あせていないことに驚かされる。

 ぼく自身が何を論じたいのかをはっきりさせよう。卒論においてぼくは内容と形式と、両方の問題を扱った論争を今一度整理しなおしてみたい。そしてその両 方を扱った文学論争は意外にも少なく、以下の二つのみだった。

・芥川谷崎論争(1927昭和二年)
・形式主義文学論争(1928昭和三年)

 そして、前回も書いたように

 芥川谷崎論争→純粋小説論争(1935昭和十年)→中間小説論(1947昭和二十二年)

 という流れがある。形式主義文学論争は蔵原惟人らプロレタリア文学と横光利一らモダニズム文学との間で戦わされたもので、多分にイデオロギー的な要素を はらむが、マルキシズムについては捨象して扱えばそれなりの収穫はあるはずである。純粋小説論はそれこそ横光の言い出した問題であるし、興味深い。昭和の 初期にこの二つの論争が平行して行われた事はやはり私小説からいかに脱出するかという問題意識が誰もにあったからなのか。

一、芥川谷崎論争

 正確を期すならば、この論争は心境小説論のなかに位置付けられることが多い。つまり真の小説とは作者の「私」が如実に表現された「心境小説」にあるとす る久米正雄に対して中村武羅夫が「本格小説」をとなえたことの変奏として位置付けられる。しかし「本格小説」がどれほど形式を意識したものであるかは未調 査のためなんともいえないが、それほど内容と形式との対立として意識はされなかったはずである(つまり、この論争はあくまでも私小説がメインテーマであっ た)。それよりは横光の言う「純粋小説」が「本格小説」の変奏であるという論に注目したい。内容と形式という対立関係についてより直截に論じるために芥川 谷崎論争は独立したものとして扱いたい。「本格小説」については別に調査が必要だ。

 河野多恵子は『小説の秘密をめぐる十二章』(平成14年文藝春秋刊)で、芥川谷崎論争について言及している。この本は保坂の『書きあぐねている人のため の小説入門』同様、小説家志望者のために筆者の小説観を交えながら書かれた「文章読本」である。河野は谷崎について「『筋』と『構造』を全く同一視すると いう誤りを犯している」と述べ、さらに「『筋』と『話』をも混同していたようである」とも言う。「筋」「構造」「話」はそれぞれ違うのはよいが、それぞれ の明確な定義を河野はしていないのでなんとも言えないが、推測するに下のようになるだろうか。

・筋………要約可能なあらすじのこと
・構造……起承転結や序破急といった各プロットの配置
・話………?? 私小説にもあったもの?

 「筋」「構造」につてはこれでいいと思うが「話」というのはよくわからない。また、同書で示唆的なのは「『構造』は最早、往年の『筋』のように目指すも のではなく、結果として備わるものなのだ」という一節で、やはり「構造」を持ち出すのは分析する側の勝手な方法論なのである(これは柄谷もおんなじことを 言っている)。そしてもちろん「形式」とも区別せねばならないだろう。

 「話」については柄谷行人が「構成力について」(『日本近代文学の起源』昭和五五年講談社刊)で構造主義的な分析を加えている。それによると、「芥川の いう『話』とは、見通し(パースペクティヴ)を可能にするような作図上の配置にほかならない」のだが、「谷崎の言う『話』とは、いわば『物語』なのだ」と いうことだ。谷崎については河野も指摘するところと重なるが、谷崎の中では「構造=話=筋=物語」という極めて素朴な図式があったことはほぼ確実と言えそ うである。芥川については、これは柄谷の一つの解釈に過ぎないため、これについては別に検討すべき問題であろう。とにかく芥川の言うことは漠然としすぎ て、彼の言葉を厳密な論理で読み込んでしまっていいのかさえ分からない。谷崎の論は分かりやすいのだが、芥川の解釈をめぐって、この論争は更なる論争を生 んでいるようにも思う。

 それにしても評価の分裂する論争である。昭和三三年に書かれた(中間小説論が盛んなりしころである)「中間小説論」の中で中村光夫は「以後三十年の歴史 は、芥川の理想と彼のやうな芸術家気質の敗北の道程であり、事態は谷崎潤一郎の指し示した方向に、彼の予想を遠くこえて進んだ」と書いて谷崎を勝者として いるのに対して、昭和五十四年に書かれた『物語芸術論』の中で佐伯彰一は「わが国の二十世紀小説のその後の推移について考えるなら、谷崎・芥川論争におけ る現実的な勝利者はむしろ芥川の方であった、と認めざるを得ない」と書いている。この分裂はおそらく中間小説の定義の多様さが元凶だとぼくは勝手に思って いるが、なんとか解決したい。しかしどちらが勝った負けたというのは極めてつまらない論で(ちなみに、上に引用したのは勝敗をつけることを目的とした論稿 ではないことを銘記しておく)、それよりもなぜこうした対立が小説において生まれるのか、そして現在その対立は曖昧になってしまったのだが、「曖昧になっ た」とは一体どういうことなのか、そこのところを追究しなければならない。

二、純粋文学論争

 中村光夫が言うように、「純粋小説」「純粋な小説」とは横光が定義する前から言葉としてはあった。そしてその意味するところは芥川の言おうとしたところ のものに近かったのだが、横光の定義はそれまで使われていた意味と真逆のものである。横光の言う「純粋小説」は「本格小説」や「中間小説」に近く、やはり 私小説に対する反発の意図が読み取れる。

 考えなければならないのは、彼ら反私小説の立場を取るものが私小説を何か、構造も話も筋も無い、リアリティも無ければ不自然で、観念ばかり述べ立ててい るものというような不当におとしめたイメージとして捕らえているふしがあることだ。本当にそうだろうか? あるいは、そうしたイメージでとらえたがために 私小説への反発は形式への志向となって表れたと言えるかもしれない。これは非常に面白い問題である。内容への反発が形式を呼び起こす。

 谷崎は『饒舌録』で『パルムの僧院』について「葛藤に富んだ大事件の肉を削り、膏を漉し、血を搾り取つてしまつて、たゞその骨格だけを残したやうな感じ である」とし、「骨組みだけで記録して行く」スタンダールの手法がリアリズムを生み出しているとして評価している。形式にこだわった谷崎と横光とが『パル ムの僧院』を一様に評価しているのは注目に値する。ちなみに谷崎は日本語訳が当時まだ無く英訳で読んでいる。昔の小説家の語学のレベルには頭が下がる。ち なみに新潮文庫『パルムの僧院』(大岡昇平の訳である)がぼくの本棚に、昔読もうと思って買ったのに結局放置されていたので久しぶりに頁を開いてみたら本 当にドライな文体であった。歴史の教科書のようだった。

三、中間小説論

 身辺雑記風の私小説は文壇の崩壊と共にほとんどその姿を消したが中間小説は文壇がジャーナリズムに乗っ取られて以降、隆盛を極めている。その延長上に吉 本があり綿矢がある。平野のように文体によって「純文学」を装う器用なものもいる。いずれにせよ、「中間小説は、原理的に云へば私小説の崩壊して行く過程 の副産物であり、いはゆる純文学と大衆文学との区別の曖昧になつたところから生れ、その出現によつてこれをさらに曖昧にしていると考へられ」る(中村光夫 「中間小説論」)。中村はこの論稿で、「芥川谷崎論争→純粋小説論争→中間小説論」という流れを打ち出しているが、これがソースかもしれない。この流れに ぼくもそのまま乗っかって、さらに形式主義文学論争を加味する、またベクトルの先に吉本と保坂を配置する、こんなアウトラインで卒論はなんとか書けそうで ある。

 中間小説論は「論争」ではない。現象である。それをどう評価するかについては資料を集めなければならない。ほとんどそれに関しては未調査。

卒論の素材 (五)……04/08/12
 
 やっとアウトラインらしきものが描けてきた。とにかく地道に調べて、何度も資料を読んで、常に修正主義で行こう。先に枠を決めてしまうとそれに合わない ものをすべて捨象してしまい、発見のないつまらない論文になってしまうからそこのところは十分注意しつつ、文学史的なマクロな視点と個々の理論を読み込む ミクロな視点を往復する快楽を感じながら今回もまとめていく。

 明治末期から大正の文壇は身辺雑記風の自然主義的な私小説が席巻していた(もちろんこの歴史的事実を裏付ける作品群は年表で確認しなければならない)。 大正に入ったあたりからそれに異を唱える潮流が次々と姿を現わす。それが耽美派であり白樺派であり(彼らは「自然主義前派」などとも言われたが)理知派で あり、さらには新感覚派であった。

 ぼくが卒論で取り上げたい谷崎は耽美派であり、芥川は理知派であり、横光は新感覚派である。そう考えると、これまで図式化してきた文学論争も反自然主義 (より正確に言えば反「身辺雑記」であるが)の文脈の中でとらえなおすべきかもしれない。

 さて、形式主義文学論争より以前に文学の「内容と形式」について言及した論争がもう一つあった。それは「内容的価値論争」と言われるもので、菊池寛(芥 川と並べるのは文学史上しかたのないことだが同じく理知派である)と里見怐i有島武郎の弟。もちろん白樺派)との間で交わされた。菊池寛は「文芸作品の内 容的価値」(大正11年7月『新潮』)で「文芸作品には『芸術的価値』とは別にもう一つの価値があると述べ、それを『内容的価値』とした。それは題材その ものが持っている道徳的価値、思想的価値であり、『われわれを感動させる力』である」(岩波文庫『日本近代文学評論選』解説)と述べ、「『これは、芸術の 作品である。ただ芸術的評価を下せ。』といったところで、其処に生の一角が描かれている以上、それに対して道徳的評価を下さずに入られないのである。其処 に、無反省な蕩児の生活が描かれている以上、それを非難せずにはいられないのである。それがどんなに、ヴヰヴヰッドに描かれていても、その生活に価値を見 出すことは出来ないのである。」と述べる。もちろん現代的な観点からすればつまらないことを言っている。非常に狭量な文学観である。しかしここで念頭にお かなければならないのが悪しき私小説の伝統であり、例えば岩野泡鳴の作品などを思い浮かべてもらえれば菊池寛が私小説作家の描く堕落した生活に対して異を 唱える手段として「内容的価値」を持ち出していることがわかる(でもぼくは岩野の「耽溺」が好きです。当時「耽溺」という言葉が流行ったそうです。葛西善 蔵も身を削っていい作品を残しているじゃないですか)。里見怩ヘそれに対する反論として何を言っているかは未調査のため不用意なことは言えないが、同解説 によれば「本来一元的であるべき芸術を二元的に把握して」いるところに異を唱えている。「内容/形式」流に言えば「内容」も「形式」も表裏一体であり別々 に考えられるものではないということか。そもそも「芸術的価値」とはなんなのか。確かに独立に論ぜられるものでもないような気もする。里見怩フ「文芸管 見」は見ておくこと。

 以上を踏まえると新たに下のような図式が提示される。

 内容的価値論争→形式主義文学論争

 この二つの論争は同じことの裏返しであるように思うのだが、もしそうだと仮定するならばなぜ論争は繰り返されたのか。それは形式主義文学論争における 「内容」とはマルクス主義という思想であり、「形式」を尊重するということは勢い「内容」を否定しかねない危険性をはらんでいたからだ(事実、本場ロシア では形式を主張するフォルマリストたちはスターリンに粛清されたらしい――筒井康隆『文学部唯野教授』参照)。内容的価値論争においては作者の身辺雑記と いう私小説的な「内容」は否定されるべきものだったが、形式主義文学論争においてプロレタリア作家は「内容」たるマルクス主義を守る義務があった。と、こ う書いてしまうと非常に簡単だが、後に紹介するように必ずしもプロレタリア陣営は形式を否定していたわけではない。結論から言ってしまうと、プロレタリア 陣営はマルクス主義という「内容」を大衆によりよく伝えるための「形式」を真剣に模索していたのに対して、横光らモダニズム陣営はとにかく「形式! 形式 が大事だ!」と叫ぶだけで理論としての体系性は皆無だった。「内容/形式」という論点から考えるならばプロレタリア陣営の言説にこそ(そのイデオロギー性 をどこまで捨象できるかはわからないが)見るべきものがある(臼井吉見は『近代文学論争』で(横光の)「理論そのものは、いま読み返すに値するものなど皆 無といっても過言ではない」と言いきり、「形式こそすべてだという極論が、真剣に主張されたということ、このことは、それ以外にかれらとしては、プロレタ リア文学に対抗するすべを知らなかったという事情を語るものである」と分析している。小林秀雄も「形式主義」に対してはたいそう意地悪なことを言ってい る)。参照すべきは蔵原惟人『プロレタリア芸術の内容と形式』『新芸術形式の探求へ』(ウワッ、蔵原惟人を参照すべきだなんて、見る人が見たらヘンに思う だろうな)。

 これと並行するようにして下のつながりもある。

 芥川谷崎論争→純粋小説論争→中間小説論

 「話の筋」論争と形式主義文学論争は大体同時期に行われている。これを中心にして、内容的価値論争についてはその前時代性を指摘するにとどめ、横光利一 の思想変遷を追う形で純粋小説論争に持っていく。そこから中間小説を導出するのは簡単だ。最後に吉本ばななと保坂和志をトッピングすれば卒論一丁上がりで ある。いや、これは結構大論稿になりそうだ。「昭和初期の文学論争」、これが中心軸である。題名をどうしよう。「〈カタチ〉の行方 〜昭和初期の文学論争 を軸に〜」なんてしゃれているんではないかしら。

 今、不用意に〈カタチ〉という言葉を使ったが、実はこういう包括的なタームを設置しておかないとこの先卒論を書くに当って非常に不便なことがわかってき た。というのも、形式、スタイル、フォーム、様式、活字、文字、筋、構造、構成、プロット、客観、というように「『内容』ではないもの」を表す語が後から 後から見つかって収拾がつかないのである。そこで便宜的にこれらを総称して〈カタチ〉と呼ぶことにする。

一、形式主義文学論争

 これが今回の本題である。が、ほとんど知られていない論争である。かく言うぼくも「純粋小説論」は知っていても「形式主義文学論争」は調べるまで知らな かった。これはやはり横光の言っていることがしっちゃかめっちゃかであることと、プロレタリア側が多分にイデオロギー性を帯びていることで扱いにくい問題 であることとが原因ではないだろうか。しかし料理の仕様によってはかなり有益な論争のはずである。その腕がぼくにあるかはわからないが、とにかく記述して いく。

 『横光利一事典』によるとこの論争は「新感覚派を中心とするフォルマリスト(形式主義者)とマルキストの論争であるが、横光が『形式とは、リズムを持っ た意味の通じる文字の羅列に他ならない。この文字の羅列なる形式なくして、内容があり得るであろうか』という見解を提示したのに対し蔵原惟人、勝本清一郎 が反論し、犬養健や中河与一、平林初之輔、池谷信三郎なども加わって各自の論が展開された」もので、「言葉の技巧の熟練によって、作品が読者に与える効果 を最大限に発揮させるのが作家の目標であるというこの考えは散文の分野では否定されながら詩論の領域では評価された」という。

 基本的な部分だが、横光の使う「形式」という言葉は谷崎の言う「構造」や芥川の言う「筋」とはまったく違うものである。それは日常言語と対立するもの で、ありていに言えば「いかにも文学的な表現」のことである。面白いのは、私小説的伝統に反発するという点では谷崎と共通し、詩的精神という点では芥川と 共通するものを横光が持っている点である。それはともかく、横光の言う「形式」についてもう少し彼の言葉から探っていく。以下にあげるのはいずれも「文芸 時評」からの要約もしくは引用である。

・平林たい子の「殴る」は形式が内容を決定するというフォルマリズムの理論の適例である。
・形式とはリズムを持った意味の通じる文字の羅列に他ならない。
・平林初之輔の言う「内容」は「材料」(=何を書こうとしたか)のこと。本当の意味での「内容」(=何が書かれてあるか)は形式を通じて見た読者の幻想。
・文学の形式とは文字の羅列である。文字の羅列とは、文字そのものが容積を持った物体であるが故に、客観物の羅列である。
・もう書く内容など残っていない。何を書いてもみんな知っている。だからこれから形式が大事になってくるんだ。
・内容とは、読者と文字の形式との間に起こるエネルギー。
・最も文学作品に於て必要なことは、読者にエネルギーを与える形式。
・文学作品は全部形式のみから出来ている。まずその最初において形式である文字が集まり、それが言葉という形式になり、さらに、それが句という形式にな り、さらに、その句の集合が部節という形式になり、その部節の集合が、構成という形式になって、そこで初めて文学作品としての全体的形式が生じている。

 ロシアフォルマリズムにおけるフォルム(=形式)は理解出来るが、横光の言う「形式」はいまいち要領を得ない。「形式とはリズムを持った意味の通じる文 字の羅列」とはいったいどういうことだろうか。臼井吉見は前掲書で「『意味の通じる文字の羅列』と横光のいっているのは、この場合、文学の形式でも何でも なく、作品そのものを意味するほかなく、『形式を通じて見た読者の幻想』というのは、内容でも何でもなく、読者の印象にほかならぬぐらいのことは、自明と いってよい」と一刀両断である。

 仮に表現描写上の工夫を「形式」とするならば、「筋」や「構造」との関係はどうなるだろうか。ここでぼくは〈カタチ〉という言葉を持ちだしたい。とりあ えず内容に対立、あるいは対になるものとして〈カタチ〉を規定すると、「筋」とは鳥瞰的な〈カタチ〉であり、「形式」は虫瞰的な〈カタチ〉と言えそうであ る。つまり、「筋」と言ったときそれは分析的し要約可能な小説の骨組みのことでありこれは外から俯瞰しなければとらえることは出来ない。一方で「形式」は あくまで書かれたもの(ディスクール? エクリチュール?)の上にとどまるためにむしろその上を虫のようにはいずりまわってとらえるしかない(「虫瞰的」 という言葉は最近知ったのだが確実に市民権を得ていないと思う。定義がなかなかしにくい)。

 横光の「形式」という言葉は理論的に彼がどのようなことを言おうと、やはり新感覚派的な表現を実際の作品の上に見て理解することの方が先決のように思わ れる。ただ、イメージとして横光の言いたいことはわかる。唯物的に見れば作品はインクのしみとして紙の上に存在しているだけである。しかしそのしみを文字 として読み取って意味や映像を立ち上がらせて内容を把握する、そのことの神秘を「エネルギー」といっているのではないか。となると、これは言葉の本来の意 味で「形式」とはおよそ呼ぶことの出来ないものを言葉だけ借りてきて「形式」と呼んでいるに過ぎなくなってくる。そのあたりがどうも、横光は怪しい。ただ し、あまり彼の言辞に足をとらわれすぎずに解釈するならばロシアフォルマリズムと同一視して新感覚派としてとらえておくことが中庸というものかもしれな い。

 一方、「形式」という言葉をフォルマリズムの文脈ではなくむしろ「筋」に近い意味で使っているのが中河与一である。形式主義文学論争は必ずしも「プロ対 モダ」の対立関係に収斂されない。その間に幾段階かある。つまりはてんでがばらばらに勝手なことを言ったということもできる。ただし、中河与一の論は「形 式」という言葉の多様性を「話の筋」論争との関わりの中で考えるにあたって参考になる。彼は「鼻歌による形式主義理論の発展」で以下のようなことを言って いる。

・作品以前に、作者がどんなに優れた思想を持っていても、作者の技術によって形式を与えられなければ、つまり作品にまで出てこなければそれを作品の内容と 呼ぶことは出来ない。
・形式にかまわぬ素材はあるが、形式にかまわぬ内容はありえない。
・菊池寛の内容価値説の「内容」は素材のこと。
・形式とはFORMである。様式(スタイル)ではない。形を持ったもの、存在、物質的なもの、経過を持った頂点、構成、具体である。
・形式とは素材の飛躍である。
・身辺雑記がのさばっていたのは文学理論もそれを許していたから。内容的には始まりも終わりもあいまいでいけない。しかし形式主義の文学はまとまった世 界、一つの形を持っていなければならない。
・大衆文芸は形式主義文学に近づいている。それは経過のある筋を持っていて、まとまった世界を持っている。
・素材+形式→内容

 ここに明らかなように、彼は「形式」を「筋」として扱っている節がある。中河与一はこの後も形式の問題にこだわり続け、『形式主義芸術論』というまと まった書物まで著している(これはまだ未読。全集第九巻所収)。しかしこれまた評判が悪い。小林秀雄は「アシルと亀の子」でくそみそに叩いている。「素材 +形式→内容。だが、素材とか形式とか内容とかいうものはこれを連結する+或は→が点検されなければ意味を持ってこない。」「氏は自分の論文は方法論に重 点を置かなかったと言われるかも知れない。だが、形式の動的発展性というものを根本規定として認める以上、方法論をのぞいて芸術理論に就いては一言も語る 事は不可能なのである。この論文集が『形式は大切だぞ』という以外何者も語られていない饒舌に終わった所以である。」というように。臼井吉見も基本的に小 林の論を最大限評価しているようだが、それで問題は片付いたのだろうか。

 プロレタリア文学の反自然主義性は内容に関わるものである。つまり個人性への偏重を是正するために社会性を内容に選ぶべきだとする主張である。次第にそ れはマルクス主義となったが。一方で新感覚派の反自然主義性は形式に関わるものである。文体や表現上の手法を追求した。そして横光の言う「形式」という言 葉が一人歩きしたのか、それとも横光が「形式」という言葉を誤用したのかはわからないが、とにかく、ある場面では内容と表裏一体のものとして、あるいは内 容と対立するものとして、「形式」は使われた。その意味するところを積極的に定義づけている者はいるようでいない。

 横光と芥川との関係がやはり気にかかる。フォルマリズムは一見、筋のない小説、詩的精神によって書かれた小説と似ている。しかし「形式」という言葉が いったん「筋」に置き換えられると、「形式主義」は「筋」のある小説を意味しかねない。横光は芥川をどう評価し、あるいは乗り越えたのか。横光自身も、か なり思想上の変転を重ねているはずである。

卒論の素材 (六)……04/08/22

 「卒論の素材」という野暮ったい名前もなんとかしたいけど、そんなことに頭を使っていたらかんじんの卒論が書けません。ところで卒論のために小説を読ん でいると頭がうっ血するのでたまには現代小説でも読んで頭を慣らし運転にしようと思い村上春樹を読んでいたら案の定ニヒリズムにはまり込んでしまい、ここ んところ目がうつろでした(その意味では村上春樹のおもしろさは太宰治のおもしろさ似ています)。が、とにかく Fの鉛筆を六本削って(比喩です)仕事をすすめなければなりません。この誰が読んでもおもしろくない連載(!)はあくまでナマケモノのぼくがサイトの更新 にかこつけて卒論へのモチベーションを高めようという企画なので、ちょっと間があいてしまいましたがとにかく今回も書いてみることにします。何事も前準備 が大事です。

 さて今回はもう少し全体のアウトラインから中身の構成について考えみようと思います。

 「三派鼎立」という言葉があります。全学連ではありません。私小説に対抗する形でプロレタリア文学とモダニズム文学が勃興したわけですが、この三つのこ とを指します。ようするに、前回ぼくは私小説に対して「内容」の面で対立したのがプロレタリアで「形式」の面で対立したのがモダニズムだと書いたのです が、既にこれは厳然たる文学史上の事実として受け止められているようです。「三派鼎立」という言葉は平野謙が案出したものらしいので、これはちゃんと全集 でチェックしておく必要があります(我らが東大総合図書館では「平野謙全集」が書架の一番下の段にあるためいつも狭い通路の真ん中にしゃがみこんでぺらぺ らページをめくらなければなりません。なんとかしてください)。

 もしも、ぼくの卒論で「三派鼎立」に新しい視点を加えるとしたらモダニズム文学から文学史はどう見えるかを考えることにあると思います。あとでも述べま すが、ほんっとに横光らの理論の評価は低いです。前回も臼井吉見の言などを引きましたが、形式主義文学論争そのものが無内容な(この形容詞も「形式主義文 学論争」に冠すると変な感じがしますが)机上の空論という評価を長年受けてきたように思います。〈カタチ〉というものを考えたとき、やはりぼくにとっては 見逃せない論争であるし、現代文学にまで視野を広げた場合横光の仕事は大変な意義を持っていると思うのです。吉本ばななについて書いたときに辻邦生を紹介 しましたが、分厚いエッセイ集成が二冊出ていて本屋で見かけるたびにぱらぱら立ち読みをしていたところ、横光について手放しでほめているエッセイがあり、 吉本ばなななんかを読む現代の読者に十分通用するものだ、みたいなことが書いてありました。教訓――迷ったら辻邦生に聞け。ともかく追悼の意もこめて辻邦 生の言っていることも卒論の中に織り込んでいきたいと思っています。

一、形式主義文学論争

 横光については、はっきり言って、言ってることがよくわからない。ので、彼の場合、実作を分析する中で理論を援用する手法を採ることにした。具体的に は、妻の死、という同じ素材で「形式」が異なる二つの小説、「春は馬車に乗って」と「花園の思想」を比較・分析する。これならかなり具体的な議論ができそ うだ。

 新感覚派を代表していいかどうはわからないが中河与一の論は最もまとまっている。蔵原惟人も同様に、プロレタリア文学を代表させていいかどうかはわから ないが論理はすっきりしている。この二人を理論という俎上で検討してみることも悪くないだろう。中河与一について言えば、「花の美しさ(形式)なんてもの はない、美しい花(内容)があるだけだ」という小林秀雄の名言を導き出した功績があるし、小林秀雄の「私小説論」は横光の「純粋小説論」について述べてい るところもあるので、(ぼくはとても苦手な評論家なんですが)小林秀雄をうまく配置して中河与一を逆照射すると同時に純粋小説論にまで持っていく接着剤に してみたい。

 読みたい論文はたくさんあるんだけどなかなか見つからない。とにかく理論は複雑怪奇でめいめいが勝手なことを言い散らかしているので、そこに厳密な整理 をつけるために資料を読むとそれこそめいめいに二回くらい脳溢血を起こしかねないので、なにか指針を持たないといけない。なんのためにその資料を読むの か、なにを探すためにその資料を読むのか。それがわかってないと、生かすことも殺すこともできない。とりあえず新しいものを先に読んで、いくつか指針を立 ててから同時代のものを読むことにしよう。ここんとこしばらく闇雲に読んでいたのだけどそれだけでいやになってしまったのでこのやり方ではだめだと思っ た。

二、芥川谷崎論争

 本当はこっちをメインに論じたいのだけれど、つまり「筋」としての〈カタチ〉について。

 志賀直哉「焚火」の要約を文学辞典から取ってきて笑ってやるのはどうだろう。あるいは芥川の「海のほとり」「歯車」についても。「筋」の無いものを要約 することのナンセンス。

 芥川が私小説についてどんなことを言っているのか、横光の小説についてなにか言っていないか、調べる必要がある。芥川の「詩的精神」と横光の「形式」が どういう関係にあるのか、同じことを言っているのか、違うことを言っているのか、調べる必要がある。

 谷崎はどうしよう。彼は自分が正しいと思うことしか言わないし、なにより芥川と違って実作から理論を導出しているから非難のしようが無い。全集の後ろの 方を紐解いて少し素材を見つけてくる必要があるかもしれない。実作の分析もやってみたいが、谷崎がいかに「筋」にこだわっていたかを如実に示す作品をひと つあげろ、と言われたらまずなにがあがるのだろうか。

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