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〈カタチ〉の行方 =第四章=

  第四章 芥川龍之介の〈カタチ〉

第一節 理論面から見た芥川の〈カタチ〉

 この章では芥川龍之介の〈カタチ〉について考察してみたい。まずは「話の筋論争」の舞台ともなった「文藝的な、余りに文藝的な」(『改造』昭和二年四・ 五・六・八月)から芥川の主張を見ていく。

或小説の價値を定めるものは決して「話」の長短ではない。況や「話」 の奇抜であるか奇抜でないかと云ふことは評價の埒外にある筈である。〔中略〕更に進んで考へれば、「話」らしい話の有無さへもかう云ふ問題には没交渉であ る。僕は前にも言つたやうに「話」のない小説を、――或は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない。しかしかう云ふ小説も存在し得ると思ふ のである。

 まずここで明らかになるのは、谷崎が単に「話」「筋」とだけ言っていたところを芥川は「話」と「『話』らしい話」との二つの概念を持ち出している点であ る。しかしそのすぐ後で芥川は次のような表現をしてしまっている。

「話」らしい話のない小説は勿論唯身辺雜事を書いただけの小説ではな い。〔中略〕僕は三度繰り返せば、この「話」のない小説を最上のものとは思つてゐない。

 最初に「『話』らしい話のない小説」と言っておきながらこの語を「この『話』のない小説」という語で受けてしまっている。芥川の中では「話」も「『話』 らしい話」も同じ概念なのだろうか。一面ではそう言えるが実はそう言えない一面もある。というのも「文藝的な、余りに文藝的な」で「『話』のない/ある小 説」という表現はわずか四回しか使われているのに対して「『話』らしい話のない/ある小説」という表現は九回も使われているのである。しかも前者の表現は 第一章でしか出てこず、それ以降は後者の表現で統一されていることも考え合わせるとやはり芥川は「らしい」という部分にこだわりを持っていることが推測さ れる。
 さらに話の「筋」に関わる記述の最後の部分にあたる第三四章「解嘲」では急に「筋のない/ある小説」という言い方に一貫して変わる。「『話』らしい話の ない/ある小説」を「筋のない/ある小説」と最後になって言い換えているのであるとすれば、芥川の中では次のような等式が成り立っていることになる。

 筋=「話」らしい話

 谷崎とちがってに芥川の主張する「筋」は「『話』らしい話」という芥川独自の用語として定義しなおされている。それでは「『話』らしい話」の「ある/な い」小説とはどのような小説のことを言うのであろうか。芥川は次のように定義づけようとしている。重複になる部分も含めて引用する。

 「話」らしい話のない小説は勿論唯身邊辺雜事を書いただけの小説で はない。それしあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。しかも散文詩などと呼ばれるものよりも遙かに小説に近いものである。僕は三度繰り返せば、この 「話」のない小説を最上のものとは思つてゐない。が、若し「純粹な」と云ふ點から見れば、――通俗的興味のないと云ふ點から見れば、最も純粹な小説であ る。

どう云ふ思想も文藝上の作品に中に盛られる以上、必ずこの詩的lbの 淨火を通つて來なければならぬ。僕の言ふのはその淨火を如何に燃え立たせるかと云ふことである。

 いずれも人口に膾炙されたものであるが、論理の飛躍を否めない。この論理の飛躍の間隙を埋めるために具体的な作品の分析は行わなければならないが、その 前に「らしい」という部分についてもう少し詳しく説明しておきたい。ここで有用なのはやはり谷崎の分析の際も利用した河野多惠子『小説の秘密をめぐる十二 章』における「話の筋論争」の分析である。河野は次のように述べている。

田山花袋の「田舎教師」も「筋らしい筋」のある小説である。薄幸の若 い田舎教師の人生の過程が辿られている。/小説に関して「筋」そのことだけをいえば、今述べたような次第で、私が「和解」や「田舎教師」に「筋」があると 考えるのは、この言葉を敢えて広義に用いているからではなく、如何にも「筋らしい筋」が備わっているからである。このことは、「和解」や「田舎教師」に限 らない。島崎藤村の「新生」の「筋らしい筋」に較べれば、「痴人の愛」のほうこそ場面は豊かでも「筋らしい筋」の乏しい小説であろう。自然主義系統・私小 説系小説・人生派小説は「筋」とは深い宿縁で結ばれているのであって、そうなるのは、人生そのものが考えてみれば誰の人生でもまことに「筋らしい筋」を形 成しているものだからである。

 この引用で考えたいのは、河野の「筋らしい筋」という語(この言い方は芥川も谷崎もしていない)ではなく「らしい」とは一体なんなのかということであ る。右にあがっている「筋らしい筋」を持った小説は「和解」「田舎教師」「新生」と、いずれも自然主義系統の小説で「日本的リアリズム」の好例である。そ れらの持つ「筋らしい筋」とは一体なんなのだろうか。河野の文脈において「筋」とは「要約」によって取り出されるものであったから、「筋らしい筋」も 「筋」の一種であるとしてまずそれらの作品の「要約文=筋」を検討してみなければならない。そこで次に『日本現代文学大事典作品篇』(明治書院、平成六 年)から「田舎教師」と「新生」の「筋」にあたる部分を引用する(「和解」の「筋」については既に検討したので省略する)。最初に「田舎教師」の「筋」を 掲げる。

中学を卒業した林清三は、貧しさから進学を断念して小学校の代用教員 になる。わかいプライドが「田舎の一教師」たるかなしみを文学に導き、詩人山形古城の寺に身を寄せる機縁を生む。しかし、友人の妹への思いを絶たねばなら なくなり、荒んだ遊郭通いが始まる。借金と病魔に冒されたわが身が最後に託した音楽学校への希望にも失敗し、失意の克服は運命に随順する「勇者」たらんと の諦に変わる。母を思う心からであり、すでにそこに主張する個人はなかった。漂白の一家が親子揃っての生活を迎えたのも束の間、肺病に回復の見込みはな かった。遼陽陥落を祝う万歳の声を聞きながら、薄幸の青年はその生涯を終わる。(榎本隆司)

 次に掲げるのが「新生」の「筋」である。

四人の子を残して妻に先立たれた作家の岸本捨吉(藤村)は、仕事にも 育児にも疲れ、年齢的にも四十二の厄を目前にして深い倦怠感に陥っていた。青年時代の苦い恋愛と妻との長い葛藤で女性不信の念を植えつけられた彼は、偶 然、姪の節子と過ちを犯し、背徳を恥じてフランスに逃れ、一族の名誉を第一に考える兄(節子の父)の義雄は、秘密を自分一人の胸にしまって「事件」を処理 した。エトランゼとしてパリに暮らす岸本は、旅の無聊と前途の不安に悩みながら「心の漂白」を続けるが、折から第一次大戦が勃発し、世界中が「冬」の寒さ に耐えて「春」を待つ状況の中で、自分も「再生」の機を待つべきだと考え、帰国を決意する。三年のフランス生活を終えて帰国した彼は、自分も再婚し節子も 結婚させるつもりだったが、ふとしたことから二人の情縁が復活してしまう。彼はこの「肉の愛」を霊的な愛にまで高め、宗教的な境地に浄化すべく節子を導 き、ついには秘密を告白することによって、義雄ら一族の無言の圧迫を逃れ、何ものにも捉われぬ「新生」に至ろうとする。『懺悔』の発表に激怒した義雄は岸 本を義絶し、節子は台湾の伯父のもとへ送られるが、二人は自分たちの愛を信じて、「永遠の春」を待とうとする。(十川信介)

 これらの「筋」にあらわれている「らしさ」とは一体なんだろうか。それはパターン化された筋、あるいは河野の「人生そのものが考えてみれば誰の人生でも まことに『筋らしい筋』を形成している」という言葉から考えると実人生にも通ずる必然性を持った展開、と言えるのではなかろうか。たとえば「和解」ならば 父子に不和があるならば解消に向かうのがパターンとしてわかりやすいし、そういう展開は自然で必然性を持っている。もし不和が解消されないまま小説が終 わってしまったとしたら敢えてそうした展開に作家がした意味を問う問題提起があって不思議ではないし、逆に「和解」においてなぜ父子は和解する展開になっ たのか(もちろんこれはいかにして父子は和解に至ったのかという意味ではない)という問題提起をするにはある程度の不自然さを引き受けなければならない。 不和があれば解消に向かうのが「筋らしさ」なのである。同じように「田舎教師」においても「薄幸の青年」は徹底的に「悲劇」を身にまとわなければならな い。その苦しみの中から悟りを開くのも「薄幸の青年」らしい展開である。「新生」においても「背徳者」は罪を背負って放浪するのが「筋らしい筋」というも のなのだ。それは一つのパターンであり、読者にとって不自然に感じられない「筋」なのである。
 ところで河野は「話」「筋」「構造」の三語を区別しなければならないと主張しながらも「話」と「筋」の定義を一切行っていない。「筋」については谷崎の 章で「構造」との関係から独自に定義し直すことができたが、「話」については「構造」との関係も語られておらず河野がいかなる意味で使用しているのかが まったくわからない。そこで河野の「筋らしい筋」を芥川の「『話』らしい話」と同一視してよいかどうかを判断する材料が無い。しかしそれでは論が進まない ので、ここでは仮に河野の言う「筋」を芥川の言う「話」と同一のものとして扱い、河野の論を芥川の論に代入して論を進めることとする。この仮定が誤ってい れば以下の議論は全て無効であることを一応断っておく。
 そう考えると芥川は「筋=『話』らしい話」のないものを主張しているわけだから「自然主義系統・私小説系小説・人生派小説」とは真逆を指向していること になる。「私小説←→芥川」という図式が正しかったことがここでわかる。「らしさ」という観点から考えると芥川の反「日本的リアリズム」的姿勢というもの は確かに存在する。
 それでは対谷崎という文脈では「らしさ」の問題を踏まえるとどのようなことが言えるだろうか。「らしさ」を否定したところで「らしくない」筋の存在まで 否定したことにはならないということを考えると、芥川が結局「筋」を否定したいのか「筋らしい筋」を否定したいのかがいまいちはっきりしない。そこで「日 本に於けるクリツプン事件」の「筋」が「筋らしい筋」なのかそうでないのかを明確にする必要がある。河野は「人生そのものが考えてみれば誰の人生でもまこ とに『筋らしい筋』を形成している」と言っていた。これにしたがうならば読者の住む現実世界での必然性が作品内世界でも通用するかどうかが判断基準とな る。現実の出来事に取材している「日本的リアリズム」小説に現実世界での必然性やパターンが通用するのは考えてみれば当然のことである。そう考えると「日 本に於けるクリツプン事件」とはそもそも「マゾヒスト=變態性慾者」による殺人事件というきわめて非日常的な題材を扱った小説であり、その意味で「筋らし い筋」があるとは言えない。「谷崎君のを讀んで何時も此頃痛切に感ずるし、僕も昔書いた『藪の中』なんかに就ても感ずるのだが話の筋と云ふものが藝術的な ものかどうかと云ふ問題、純藝術的なものかどうかと云うふことが、非常に疑問だと思ふ」という合評会での芥川の発言に登場する自作「藪の中」もまた殺人事 件という非日常的な題材を扱っているが、いずれも「筋らしい筋」よりも作品内部で完結する「筋」を構築することの方が問題となる作品である。
 以上をまとめると、芥川は「筋らしい筋」の有無において「日本的リアリズム」と対峙し、「筋」の有無において谷崎と対峙していると言える。いずれにせよ 「『話』らしい話=筋らしい筋」も含めたあらゆる「話=筋」に対して芥川は懐疑的になっているのである。同じことを別の言い方をすれば、芥川の目には私小 説も谷崎の作品も同じように見えたに違いない。「筋」にこだわる、すなわち意味をつなぎ合わせて「話=筋」の因果性・必然性にこだわるという点で両者は同 じであり、その差異は「素材=内容」にしか求められない。「マゾヒスト」自体は非日常的だが、作中の出来事は「マゾヒスト」としての必然性にしたがって起 きているのであり、だからこそ「筋」があるのである。だから芥川は次のように言う。

 更に谷崎氏に答えたいのは「芥川君の筋の面白さを攻撃する中には、 組み立ての方面よりも、或は寧ろ材料にあるかも知れない」と云ふ言葉である。僕は谷崎氏の用ゐる材料には少しも異存を持つてゐない。「クリツプン事件」も 「小さい王國」も「人魚の歎き」も材料の上では決して不足を感じないものである。

 論点は「素材=内容」ではなく「〈カタチ〉=形式」の問題である。なにを書くかではなくいかに書くかということであり、もし晩年の芥川を私小説に傾斜し たと説明するならば、それは内容に限った言い方であり決して形式までを含めた言い方ではない。芥川は自らの「〈カタチ〉=形式」を表現するために、たまた ま「素材=内容」として身辺に取材したと考えることもできるのである。
 「らしさ」の問題が解決したところで具体的な作品の分析に移りたい。いわゆる芥川の「話のない」小説としてよく取上げられるのは「海のほとり」(『中央 公論』大正一四年九月)とその続編である「蜃気楼」(『婦人公論』昭和二年三月)とであるが、「話の筋論争」の発端を『新潮』昭和二年二月号の合評会とす るならば、発表時期から「蜃気楼」を取上げる方が適切であると判断する。
 例によって分析方法だが、これは谷崎と同様、構造分析によって「筋」を取り出すことを試み、あくまでも分析の可能性/不可能性を明らかにすることで証明 とする。

第二節 実作面から見た芥川の〈カタチ〉

 「蜃気楼」は昭和二年三月、『婦人公論』に発表された。志村有弘編著『芥川龍之介事典』(勉誠出版、平成一四年)による「梗概=内容」の紹介文を次に引 用する。

 鵠沼に滞在していた「僕」は、ある秋の昼頃KとOと蜃気楼を見に出 かけた。途中で「僕」は路上で轍を見つけ、Kは「新時代」と称した男女を目撃するが、Oは蜃気楼ではないかと言う。海岸では蜃気楼は見えず、歩いているう ちに黒枠の中に横文字で名前を記した木札、尾を垂らした真っ白い犬を見つける。Kが東京に帰った日の夕方、「僕」は妻とOと一緒に砂浜を歩いた。その夜は 星も見えなかった。Oがマッチを付けたとき「僕」は遊泳靴を「土左衛門の足」と思ったりする。火が消えた後「僕」は鈴の音を耳にする。草履を履いているは ずの妻は自分の木履きの鈴だと言う。Oは妻の袂に入っているおもちゃだと言う。「僕」は夕べの夢の話をする。印象の強いものはどこか頭に残っていると言 う。向こうから男がやってくる。「僕」はそれを錯覚だと思う。だが錯覚ではなかった。しかし擦れ違う男のネクタイピンが光っていると思ったのが、実は巻煙 草の火であったことを知る。Oと別れ、妻と話しているうちに、「半開きになった門の前」に来ていた。(須田久美)

 もちろん右の「梗概=内容」は「要約文=筋」ではない。筆者が試みなければならないのは右の紹介文中に出てきた様々な要素を意味によってつなぎ合わせる ことである。そのためにまず作中人物とその役割を考えてみたい。これは行為項分析の準備である。
 小説は一章と二章との二つの部分からなる。主要な作中人物は「僕」「K君」「O君」「妻」の四人である。これら四人の人物関係に注意しながら場面を追っ て行きたい。場面を追うだけので正確な意味でのシークェンス分析にはならないが、場面の展開の必然性にも留意して述べていきたい。

 まず第一章は「僕」がK君と鵠沼海岸から見える蜃気楼を見に行くところから始まる。時間は昼である。K君は「東京から遊びに來た大學生」である。「僕」 とK君とはO君を誘うことにする。O君は鵠沼に住む「僕」の知人であることが推測される。
 三人は鵠沼海岸に向かって歩いていく。その途中で「僕」は「牛の轍」を見つける。これに対して「僕」は「まだ僕は健全ぢやないね。ああ云ふ車の痕を見て さへ、妙に参つてしまふんだから。」と言う。この発言に対して「O君は眉をひそめたまま、何とも僕の言葉に答へなかつた。」しかし「僕」は「僕の心もちは O君にははつきり通じたらしかつた」と判断する。ここから「僕」が神経を病んでいることがわかる。「牛の轍」はそれをO君、そしてなにより読者に示すため の役割を担っている。
 三人が歩いて行くと浜辺で海を眺めている若い男女の姿を見つける。K君はその二人を「新時代」と称する。「女の斷髪は勿論、パラソルや踵の低い靴さえ確 かに新時代に出來上つてゐた」ためである。彼らを残して三人は蜃気楼の見える場所まで歩いて行く。そして腹ばいになって蜃気楼があらわれる方向を眺めるが さほどはっきりと見ることはできなかった。あきらめて立ち上がると「いつか僕等の前には僕等の殘して來た『新時代』が二人、こちらへ向いて歩いてゐた」。 けれどもそれはさっきとは別の二人で、先の「新時代」は遠くにいるままだった。この勘違いをO君は「この方が反つて蜃気楼ぢやないか?」と笑う。しかし 「僕」は「僕は何だか氣味が惡かつた。」と言う。こういう場合、O君のように笑い話にするのが通常の反応であるから「僕」の反応はやはり神経の不健全さに よるものだということが推測される。つまり、この勘違いも「僕」が神経を病んでいることの表徴となっていることがわかる。さらに友人知人であるはずのK君 とO君の役割も「健全←→不健全」=「『僕』←→K君・O君」という対立関係に整理することができる。
 三人が歩き続けているとO君が砂山の中から木札を拾う。O君はその木札を水葬された遺骸に付いていた十字架の残骸と推測する。O君はそれを「マスコッ ト」にすると言うが「僕」は「船の中に死んで行つた混血兒のヨ年を想像」する。ここにも「僕」とO君との差異性、すなわち「健全/不健全」が表現されてい る。木札を触媒にして、O君と「僕」との差異性が繰り返されているのである。第一章はここで終わる。
 第二章はK君が東京へ帰った後、「僕」と妻とO君との三人で再び海へ行こうとする場面から始まる。今度は「夕飯をすませたばかり」の「午後の七時頃」で ある。
 O君は波打ち際にしゃがんでマッチを擦る。すると不意に照らし出された「游泳靴の片つぽ」を「土左衛門の足」と勘違いする。第一章と同じ対比がここにも 繰り返される。
 さらに砂浜を歩いていると「僕」は鈴の音を耳にする。「僕」は「錯覺」かと感じるが妻は「あたしの木履〈ぽっくり〉の鈴が鳴るでせう。――」「あたしは 今夜は子供になつて木履をはいて歩いてゐるんです」と言う。しかし妻が木履ではなく草履を履いていることに「僕」は気がついている。結局O君の「奥さんの 袂の中で鳴つてゐるんだから、――ああ、Yちゃんのおもちやだよ、鈴のついたセルロイドのおもちやだよ」という言葉によって妻が冗談を言っていたことに気 がつく。これも実際は冗談ではあるが「健全/不健全」という構図がくり返されてきたことを考えると「僕」の「錯覺」として読まれてしまう。
 それから「僕」は「ゆうべの夢」を話し出す。その夢で「僕」は「トラック自動車の運轉手」と話をしているのだが運転手の顔だけが「一度談話筆記に來た婦 人記者」になっている。しかし「僕」は「その人の顏に興味も何もなかつた」ため「何だか意識の閾の外にもいろんなものがあるやうな氣がして」気味悪がる。 しかしこの「気味が悪い」という判断も不健全な神経のためであることが充分予想される。
 次に、星明りさえない夜なのに互いの顔だけははっきり見えるのを「僕」は無気味に思う。妻は「砂のせゐですね。そうでせう?」と「僕の疑問に返事を」す る。ここもやはり「僕」の不健全さの証明になっている。
 最後に「脊の低い男」と「僕等」はすれちがう場面が描かれる。そこで「僕」は男の「巻煙草の火」を「ネクタイ・ピン」と勘違いする。この勘違いに対する 「僕」の判断は書かれていないが読者は無論、これまでの文脈から「僕」の不健全さが原因であると判断してしまう。小説は「僕等」が滞在先の門の前まで戻っ てきたところで終わる。

 このように読んでみると作中人物を行為項分析することが非常に困難であることがわかる。作中で図式化できるものと言えばせいぜい「健全←→不健全」= 「『僕』←→K君・O君・妻」程度である。むしろこの図式を延々と繰り返しているだけなのである。場面ごとの連関も「なぞかけ→種明かし」というパターン を繰り返して並べただけでそこに因果関係を読み込むことは困難である。したがってシークェンス分析も困難であることが容易に推測される。梗概として話をま とめることはできるのだが各シークェンスを連結させる、小説全体としての「筋」はない。したがって要約も不可能である、と結論付けたいところなのだが、こ こでバルトの次の言葉を思い返す必要がある。

それぞれのディスクールには、それぞれ要約の型がある。たとえば、抒 情詩は唯一の記号内容の果てしない隠喩にすぎないから、抒情詩を要約するということは、この記号内容を示すということになるが、この操作はあまりに抜本的 なので、詩の自己同一性を消し去ってしまう(要約されると、抒情詩は「愛」と「死」という記号内容に還元されてしまう)。詩は要約できないという確信は、 ここから生まれる。(「物語の構造分析序説」)

 右の引用にある「詩は要約できないという確信」というのはあえて「抒情詩」を「物語」として読んだ時に「筋」を「要約」することは不可能であるというこ とであって、「抒情詩」を「詩」として読めば「記号内容」に「要約」することはできる。それが詩の「要約の型」だからである。そこで、「蜃気楼」の要約は 困難であるという先の結論を、「蜃気楼」はそれを「物語」として読むならは要約は困難である、と言い直さねばならない。つまり「蜃気楼」を「詩」として読 めば「要約」は可能だということだ。作品は「僕」の神経が不健全であることを表徴する謎解きが繰り返されていた。作品にあらわれている作者のメッセージは それしかないのであり、したがって「蜃気楼」を「詩」として要約すると「『僕』の神経の不健全さ」という「記号内容」になる。「蜃気楼」の性格は「不気 味」「憂鬱」などとよくまとめられるが、それも「記号内容」と言ってよい。表現としては色々ありうるだろう。
 「蜃気楼」は「物語」として読めば「構造」も「筋」もない。ということは作品内世界に因果性や必然性がないということである。それではあたかも因果性を 否定するかのようにでたらめに「話」が進むのかといえばそうではなく、ある統一性は保たれている。その統一性とは作品を「詩」として読んだときに要約され る一つの記号内容のことである。この事情を芥川は「最も詩に近い小説」「散文詩などと呼ばれるものよりも遙かに小説に近いもの」「詩的精神」という言葉で 表現しているのではなかろうか。これが芥川の〈カタチ〉の正体である。もちろん芥川はバルトを知らない。しかし「詩」という言葉を使って両者は同じことを 主張しているように思えてならない。
 先行研究として興味深い論文が二つあるので紹介する。紹介しながら筆者の意見で言い足りなかったことも適宜補ってもいきたい。
 一つは篠崎美生子「『蜃気楼』――〈詩的精神〉の達成について――」(『国文学研究』平成三年六月)である。この論文でも作品の内容を追うことで「なぞ かけ→種明かし」というパターンを明らかにし、次のような指摘を行っている。

「事件」とその種明かし(解釈)のパターンを〈物語〉と呼ぶならば、 『蜃気楼』は小さな〈物語〉の集まりによって〔中略〕構成されていると言えよう。

 しかし作品の構成に対する篠崎の解釈は筆者とはまったく逆である。というのも篠崎は「僕」の錯覚が持つ不気味さが「種明かし」によって消えてしまうこと に作品の主眼を置いているのである。篠崎は次のように述べている。

何度も立ち現れる「不気味」「気味が悪い」という〈言葉〉や「気味の 悪い」事象は、そのイメージが定着するより前に、かすかな余韻を残したまま消されてしまうのである。

いったん「不気味」なイメージを担った筈の〈言葉〉たちは、いつのまにかその「不気味さ」をはぐらかされて、全体としては、むしろ「平和、甘い静かさ」と いうべき雰囲気さえ醸し出しているのである。

 その上で次のような結論に至っている。

〈詩的精神〉とは、作者が作中の〈解釈〉を抑えることでコンテクスト の呪縛から〈言葉〉を解放し、個々の読者が無制限に抱いているその〈言葉〉へのイメージを能う限り投影させて読めるようにする、という一種の非〈物語〉的 発想だと言えるだろう。

 果してそうだろうか。疑わなければならないのは「種明かし」の効果である。「土左衛門の足」と勘違いしたものの正体が「遊泳靴の片っぽ」であったと明か されたところで「土左衛門の足」のイメージが全て払拭されるものであろうか。むしろ「種明かし」によって際立つのは「僕」の感じ方の不健全さである。なん でもないものに対して異常に「不気味さ」を感じる「僕」の神経の不健全さである。つまり篠崎は「僕」の感じ方に不健全さという一貫性があることを見ていな い。もし互いになんの連関もないなぞかけがなされ、それに対して普通の感覚では思いつかないような正体が次々と出て来るならば篠崎の言う通りであろう。し かしあくまでも各々の「なぞかけ→種明かし」が一定の法則でなされる以上、その一貫性を看過するわけにはいかない。篠崎は「文藝的な、余りに文藝的な」の 「『話』らしい話のない小説」という言葉から安易に「物語=意味」の否定という結論を導き出して、それを「蜃気楼」に当てはめようとしたように思われる。 「筋=話」を否定したとしても決して「物語=意味」を否定したことにはならないというのが筆者の立場である。
 もう一つ紹介したい論文は坂部恵「対照的なあまりに大正的な ――潤一郎・龍之介論争一面――」(『実存主義』昭和五三年九月)である。この論文ではま ず昭和二年四月に発表された芥川の「今昔物語に就いて」を手がかりに次のような結論を下す。

「説話」としての教訓的な性格や、まして話の筋などは、もはやどうで もよかったのである。/「ひろげる度に当時の人々の泣き声や笑ひ声の立昇るのを感じる」かどうか、その野蛮なまでの「生まなましさ」だけが、当時の彼(= 芥川)にとって、「今昔物語」の芸術的生命の全てだったのである。(括弧内引用者)

 そしてここから「文藝的な、余りに文藝的な」の記述について次のように述べる。

こころみに、先の「話≠轤オい話のない小説」の引用にかえって、 「話」というところに全部「ディスクール」とルビを振って読みなおしてごらんなさい。芥川の議論が、contre-discoursとしての文学の言論を 論ずる今日のミシェル・フーコーやロラン・バルトの文学論と格別違ったものでないことが、わかるひとには直ちにわかるだろう。
 芥川の直面していたのも、文学のコード喪失の問題、「人々の笑ひ声 や泣き声」だけで詩が作れるかという問題だった。

 「ディスクール」とは「ストーリー/プロットの対応関係」(『最新文学批評用語辞典』研究社、平成一○年)だから「contre-discoursとし ての文学」とは各々のストーリーやプロットが対応関係を持たない文学のことであろう。また「コード」とは「伝達行動で、伝達内容(メッセージ)が相手に伝 わるように、記号を組み合わせる際に用いられる規則もしくは慣習(約束事)」(同書)のことだから「文学のコード喪失の問題」とは記号が記号として機能し ない場所でいかに作品を作り上げるかという問題のことであろう。
 坂部も篠崎と同様「筋=話」の否定から「意味=物語」の否定を導き出している。しかし「意味=物語」の否定を芥川の最終目的とせずそれ以上の目論見が あったのではないかと探っている点が篠崎とは異なっている。坂部は「人々の笑ひ声や泣き声」の「野蛮なまでの『生まなましさ』」を、芥川が「筋=話」の否 定によって実現させたかったものとしてあげている。そういう「生まなましさ」は言うなれば言葉では説明不可能なものである。「生なましさとは○○である」 と説明されても決して「生なましさ」は伝わらない。それは、物語内部の因果関係や意味のように言葉によって理解されるものではない。先に筆者は「作品を 『詩』として読めば一つの記号内容に要約することができる」と書いたが、もしその記号内容が「生なましさ」であれば坂部の論は筆者の論とほぼ同じことを 言っていることになる。いずれにせよ柄谷行人「構成力について」(『群像』昭和五五年五〜六月)以前に右のような指摘がなされていたことは特筆に値するし 「話の筋論争」を構造主義的視点から読解する試みはまだまだなされるべきであろう。

     *

 さて、横光、谷崎、芥川の〈カタチ〉についてそれぞれ理論面と実作面からわずかずつではあるが検討してきた。ここで一度便宜的に結論だけを並べておく。
 横光の〈カタチ〉はそれによってある内容が固有に持つ「素材=内容」の印象が反転するもので、もとの印象との差異性によって効果が生じる性質を持つた め、私小説的な世界観を前提としなければ効果がないという意味で条件付きの反「日本的リアリズム」である。谷崎の〈カタチ〉は「筋を語ること」で、「語る 者/語られるモノ」=「主体/客体」という関係性を前提とする点、また読者と「語り手/聞き手」という関係を生み出すことによって本当らしさを実現すると いう点から完全な反「日本的リアリズム」であると言える。芥川の〈カタチ〉は「物語」としての「要約」の不可能性であるが、「物語=意味」の否定に走るの ではなく「詩」としての「要約」は可能にしている。「詩」として「要約」した結果あらわれるのがその作品の「メッセージ」である。技術的にはモチーフの反 復があげられる。
 次章からこれらの〈カタチ〉が広く現代文学にどのような形で生き延びているのかを検証してみたいと思う。

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「卒論の下書き(五)」

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