第二章 横光利一の〈カタチ〉
第一節 なぜ「花園の思想」か
まず初めにモダニズム文学の〈カタチ〉、すなわち「形式」から考えていきたい。ここで想起されるのはやはりプロレタリア文学との間で交わされた形式主義
文学論争で、そこから帰納的に「形式」を定義づけるのが論の筋というものである。しかし、「形式主義文学論争は論争自体としては中味の乏しいもので、今日
はほとんど再読にたえない」(平野謙『昭和文学覚え書』)とまで言ってよいかどうかはわからないが「用語の混乱を論理的に整理することは不可能に近い。恐
らく争点は成立しない。形式主義の名で呼ばれるべき形式主義も、論争の内部には存在しない」(鈴木晴夫「形式主義文学論争」『国文学解釈と鑑賞』昭和四五
年六月)という見方が一般的であるため、ここではモダニズム文学の先導者である横光利一に焦点をしぼって論じてみたい。
反私小説=反「日本的リアリズム」という視点から「形式」を論ずるためには「素材=内容」の条件を一致させると違いが見えやすい。つまり「素材=内容」
を私小説と同じく作家の身辺に取材したモダニズムの作品を分析することで、「形式」の効果を対私小説という比較の中ではかることができる、ということであ
る。そこで横光の作品に「素材=内容」を身辺に取材したものがないかと探すと、病妻物三部作と呼ばれる一連の作品群が見つかる。「春は馬車に乗つて」
(『女性』大正一五年八月)、「花園の思想」(『改造』昭和二年二月)、「蛾はどこにでもゐる」(『文藝春秋』大正一五年一○月)がそれにあたるが、いず
れも最初の妻キミの死を素材にしている。これら病妻物三部作は、他の新感覚的作品の中でも身辺に取材していることが明白であるため「形式」の分析には好条
件であると思われる。ここでは特に妻の死の瞬間を含む「花園の思想」を分析の主な対象としたい。「妻の死」というきわめて私小説的な「素材=内容」は、横
光の「形式」を通じていかにして作品となったのだろうか。
第二節 理論面から見た横光の〈カタチ〉
作品分析の前にしなければならない作業がある。そもそも形式主義文学論争は昭和三年を始点としているが「花園の思想」の発表は昭和二年二月であるため論
争での定義をそのまま当てはめるわけにはいかない。したがって昭和二年二月まで発表された横光のエッセイの中から「形式」に関わる部分を検討し、その上で
「花園の思想」を分析する、という手順を踏むことにする。
まず、大正一三年三月『文藝春秋』に発表された「明日」で、横光は次のように述べている(以下、横光作品の引用は全て河出書房『定本横光利一全集』昭和
五六〜六二年より)。
昨日までは、題材を披瀝し摘出すれば済んで了つた。しかし、明日
は、題材を投げつけ出すにちがひない。その投擲したスピードに、明日の文学は展開されるであらう。題材は古くとも、手法は譬え古くとも、人々の面部へハツ
シと叩きつければ鳴るのである。
「昨日/明日」の文学を分けるのは「題材=素材=内容」の扱い方である、と述べている。「題材を披瀝し摘出す」るだけの文学とは「題材=素材=内容」に
絶対の信頼と価値をおき、それをうそ偽りなく読者の前に開示する文学のことであり、「日本的リアリズム」のことを暗示しているように思われる。あるいは志
賀直哉に影響を受けて私小説的なものを書いていた自らの習作時代を指しているのかもしれない。いずれにせよ、反私小説の立場を意味していることには変わり
ない。それに対して「明日の文学」は「題材=素材=内容」は古くてもかまわない、「手法」も古くてもかまわない、ただその「題材=素材=内容」を「投げつ
け」る「スピード」に展開される。
「明日」から横光の主張を二つ読み取ることができると思う。一点目は「題材=素材=内容」を「ありのまま」に提示することを横光は意図していないという
こと。二点目は、題材や手法が「古くとも」という表現からわかるように、横光はなにも奇妙奇天烈な新奇の文学手法を考案しようとしているのではないという
ことである。既存の文学の題材・手法で充分であり、それ以上に大切なものがある。それを横光は題材投擲のスピードと言っている。
同年七月『新潮』に発表された「絶望を与へたる者」ではまさに自然主義の大御所を次のように挑発する。
われわれの長者、田山花袋、正宗白鳥、諸氏の作品に現れた人生観
は、その年齢に対して実に概念的だ。〔中略〕/概念的な人生観をいけないと云ふのでは決してない。出来ることなら聞きたくはないと云ふのである。何ぜな
ら、分つてゐるからだ。分つてゐることは聞きたくないのが山々だ。
さらに結末では次のように述べている。
願はくば、われわれをして卿等(=花袋、白鳥ら)の昨日の糞を食ら
はしめるな。絶望を与へたるものは卿等である。われわれは人生のごとく絶望を嫌ふ。われわれは卿らの握つた真実を否定せんがために傀儡を造る。われわれの
傀儡こそは、どんづまつた卿らからの飛躍である。われわれは虚偽を造る。われわれはわれわれの虚偽を真実ならしめんがためかく傀儡師たることを欲す。卿ら
が故に、敢てわれわれは卿らの認識を否定する。(括弧内引用者)
ここもまた非常に挑発的であるが、「日本的リアリズム」が追求し続けた芸術即実行式の「真実」と、「傀儡師たる」ことによって「虚偽」を「真実」に変え
ることへの意志とが対立的に語られている。たとえ「題材=内容」が「虚偽」であってもそれを「真実」として読者に提示するために作者は「傀儡師」でなけれ
ばならない。「題材=内容」がいかに「あるがまま」なのかが問題なのではない。それが「真実」となるためには筆者がなんらかの操作を行わなければならな
い。それが、ここでは「傀儡」と表現されている。表現は違えど横光が「内容」を「ありのまま」に提示することを拒んでいることがここからもわかる。
大正一四年二月『文藝時代』に発表された「感覺活動――感覺活動と感覺的作物に對する非難への逆説――」は、横光の方法論がまとまった理論として初めて
提示されたものである。先に引用した二つの文章からは横光の〈カタチ〉が「題材投擲のスピード」であり「傀儡師たる」ことであるという結論を導出すること
が言葉の上ではできるが、直接的な表現ではないのでこれを結論とすることはできない。反私小説・反「日本的リアリズム」という主張を直接的表現を用いた理
論としてどのようにして表現するかを横光は探っていたはずで、そのための言葉を「明日」や「絶望を与へたる者」の段階ではまだ持っていなかったと言える。
そこに来て千葉亀雄が「新感覺派の誕生」(『世紀』大正一三年一一月)という記事によって「新感覚派」という名称を初めて使いこれが広まったため、それを
逆輸入する形で「新感覚」という言葉を横光も使い「感覺活動――感覺活動と感覺的作物に對する非難への逆説――」は書かれたのではなかろうか。方法論の概
念自体は横光は明確に持っていて「笑はれた子」(『創作春秋』大正一三年四月)や「頭ならびに腹」(『文藝時代』大正一三年一〇月)で実作に応用すること
はできていたが、それを理論として表現するための言葉を明確に持っていなかったために「題材投擲のスピード」や「傀儡師」といった比喩を弄していたのだ
が、千葉の「新感覚」という言葉を見てこれぞと思ったに違いない。
内容の検討に移ろう。まず横光は次のように「新感覚」を定義づけている。
さて、自分の云ふ感覺と云ふ概念、即ち新感覺派の感覺的表徴とは、一
言で云ふと自然の外相を剥奪し物自體に躍り込む主觀の直感的觸發物を云ふ。
もちろんこれでは説明不充分であるから、横光はすぐに注釈を始める。
主觀とはその物自體なる客體を認識する活動能力をさして云ふ。認識と
は悟性と感性との總合體なるは勿論であるが、その客體を認識する認識能力を構成した悟性と感性が、物自體へ躍り込む主觀なるものの展發に際し、よりいづれ
が強く感覺觸發としての力學的形式をとるかと云ふことを考へるのが、新感覺の新なる基礎概念を説明するに重大なことである。〔中略〕感覺とは純粹客觀から
觸發された感性的認識の質料の表徴であつた。そこで、感覺と新感覺との相違であるが、新感覺は、その觸發體としての客觀が純粹客觀のみならず、一切の形式
的假象をも含み意識一般の孰れの表象内容をも含む統一體としての主觀的客觀から觸發された感性的認識の質料の表徴であり、してその觸發された感性的認識の
質料は、感覺の場合に於けるよりも新感覺的表徴にあつては、より強く悟性活動が力學的形式をとつて活動してゐる。
横光の論理は非常に込み入っている。ここでの横光の主眼は、「感覚」と「新感覚」との相違点を説明することによって「新感覚」のなんたるかを提示するこ
とにある。ひとまず結論だけを取り出すと次のような説明になるだろう。まず「主観」とは「客体を認識する活動能力」のことであるが、その「認識」は「悟
性」によるものと「感性」によるものとの二つによって構成される。そして従来の「感覚」は「感性」による「認識」の方が強く働き、「新感覚」は「悟性」に
よる「認識」の方が強く働く。
それではそもそも「感性」と「悟性」の相違点はなんなのだろうか。文中で横光はこれ以上の説明を加えていないので辞書的な意味から類推してよいと思われ
る。『広辞苑』(引用は第二版)には次のようにある。
感性=一、外界の刺激に応じて感覚・知覚を生ずる感覚器官の感受
性。二、感覚によってよび起され、それに支配される体験。従って、感覚に伴う感情や衝動・欲望をも含む。三、理性によって制御さるべき感覚的欲望。
悟性=一、感性的所与を対象とし、それに基づいて概念を構成し、判
断および推論を行う精神活動。二、広く知性一般のこと。
相違は明白である。「感性」が刺激に対する受動的な反応であるのに対して、「悟性」は能動的に対象を解釈するいとなみのことである。ここで気をつけなけ
ればならないのは、「新感覚」という言葉を聞いたときに、果たして受動的なイメージを浮かべるか、能動的なイメージを浮かべるかである。これもやはり「感
覚」という言葉の持つ辞書的な意味に依存する。同じく『広辞苑』から引く。
感覚=音・色や味のように、感覚器官に加えられた刺激によって生ず
る経験。ふつうには、知覚の中で記憶や推理などの要素を除き感覚器官に直接関係のあるものをいい、その器官に応じて、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚・温度
覚・圧覚などに分ける。
果して「感覚」は能動的か受動的と問われれば、それは受動的なものと答えざるを得ない。そのとき、「新感覚」もまた受動的なものとして解されることを横
光は防ぎたかったのである。次のようにも横光は書いている。
人間として根本から純然たる感覺活動をなし得るものがあるなら、その
者は動物に他ならない。悟性活動をするものが人間で、その悟性活動に感覺活動を根本的に置き代へるなどと云ふことは絶對に赦さるべきことではない。
外界からの刺激に単に反応するだけでは単なる動物である。それは感性による認識である感覚活動でしかない。新感覚はそうではない。横光の説明は「ない」
というかたちを取り間接的であるが、「新感覚」がなにではないのかを明らかにすることは「新感覚」がなんであるのかを探るのに有効な手順である。横光はま
た「新感覚」は「官能」と違うとも説明している。
苡ュ納言は感覺的に優れてゐたと多くの人々は信じて來た。だが、自
分は苡ュ納言の作物に現れたがごとき感覺を感覺だとは認めない。少くとも新感覺とは遥に遠い。〔中略〕苡ュ納言の感覺は、あれは感覺ではなく官能が靜冷で
鮮烈であつたのだ。〔中略〕新感覺的表徴は少くとも悟性によりて内的直感の象徴化〈シンボライズ〉されたものでなければならぬ。即ち形式的假象から受け得
た内的直感の感性的認識表徴で、官能的表徴は少くとも純粹客觀からのみ觸發された經験的外的直感のより端的な認識表徴であらねばならぬ。從つて官能的表徴
は外的直感が客觀に對する関係に於て、より感性的に感覺的表徴より先行し直接的に認識され直感される。
ここもまた非常に込み入った論理ではあるが、せっかく清少納言が例示として出されているので、その「作物」「官能的表徴」として『枕草子』を取り上げて
官能(この場合は「感覚器官の機能(『広辞苑』)」という意味だろう)について考えたい。
たとえば有名な冒頭の「春は曙。やう/\しろくなり行、やまぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」(引用は岩波書店「新日本古
典文学大系」の『枕草子』より)に描かれているものはいったいなんなのだろうか。「あけぼの」の情景には違いない。横光の用語に即して言えば、「すこしあ
かり」たる「山ぎは」も「むらさきだちたる雲」も「純粹客觀」である。この外界の「純粹客觀」を「經験的」に「外的」に「直感」した「認識表徴」が(『枕
草子』原文には言明されないが)「春はあけぼのがよいのだ」という価値判断である。「純粹客觀」は外界に無数に存在する。机の上の鉛筆から夜明けの山ま
で、それはすべて客観的に存在し誰にも「感覺」することができる。鉛筆の硬さを手で触覚することもできれば、夜明けの空を知覚することもできる。清少納言
の「官能」が「靜冷」なのは「春の世界に存在する純粋客観の中で何がよいのか」という価値判断であり選択の仕方である。清少納言はたとえば机の上の鉛筆よ
りも夜明けの空が春には似つかわしいと判断している。その判断に使われた清少納言の「官能」が「靜冷」なのであって、決して「あけぼの」という「純粹客
觀」が、あるいは「春はあけぼの」という体言止めの表現が「靜冷」なのではない。同様にいわゆる「ものづくし」の章段もすべて、そこに書かれている「純粹
客觀」そのものが「靜冷」なのではなく、清少納言の「官能」を通じてなされた価値判断が「靜冷」なのである。そして、「新感覺」とは価値判断の静冷さでは
ないと横光は言うのである。
それでは「新感覺」とはなんなのだろうか。この問いに直接的に答えることは「感覺活動――感覺活動と感覺的作物に對する非難への逆説――」からは難しい
と言わざるをえない。この論文に書かれてあるのは右に見てきたように「新感覺」とは「感覺」と名のつくものの受動的なものではないということ、「新感覺」
とは純粋客観に対する価値判断ではないということの二点にしぼられるからだ。しかしこの二点を確認しただけで充分である。
最後に、大正一四年五月『文藝春秋』に発表された「ユーモラス・ストオリイ」を見てみたい。このエッセイは「モーラン」「鍍金」「冠詞」「歴史」「ユー
モラス・ストオリイ」の五つの小文からなるのだが、このうちの「鍍金」を次に全文掲げる。
真鍮をメツキして金になし得ると云ふ法則を、直ちに藝術へ当て嵌め
た男がある。この男は定めし周章て者の相貌を備へゐるにちがひない。何ぜかと云へば、彼は次のやうなことを吹き廻し出したからである。「真鍮をメツキして
金となした藝術であるが故に、その藝術は剥げるであらう。」と。
藝術とメツキ術とを同一に考へてゐる彼には、藝術の上へ金をメツキ
させるが良い。
メツキ術と藝術との相違は、真鍮に金をメッキして真鍮をまで金にす
ることと、金のみを金とすることの相違にある。
金のみを金とすることは何人にも不可能なことではない。だが、真鍮
をまで金にするには芸術家でなければ不可能なことである。常に比喩は得意になればなるほど剥げるものである。恰もそれはメツキせる金の如きか。われわれは
すでにこの比喩をさへ吟味するべき必要を感じる。
言うまでもなく田山花袋の「露骨なる描寫」(『太陽』明治三七年二月)を充分に当て込んだ文章である。花袋は「露骨なる描寫」で明治の文壇を振り返って
「吾人は果してどんな作品を得たかと言ふに、多くは白粉沢山の文章、でなければ卑怯小心の描写を以て充たされたる理想小説でなければ態と事件性格を誇大に
描いて人をして強ゐて面白味を覚えしむる鍍小説」(引用は臨川書店『定本花袋全集』平成五〜七年より)と書き、「技巧」を廃し「何事も露骨でなければなら
ん、何事も真相でなければならん、何事も自然でなければならん」と「露骨なる描寫」を主張したのだが、横光は「素材=内容」がすべて「金=真実」であるな
らば芸術家の必要などなく「素材=内容」が「真鍮=金ではないもの=虚偽」であっても「鍍金=〈カタチ〉」によって「金=真実」へ変えるのが芸術家の仕事
だと述べている。これは、先に引用した「絶望を与へたる者」の「傀儡」を比喩を変えてもう一度説明したもので内実は変わっていない。
以上、「花園の思想」を分析するために昭和二年二月までに発表された横光のエッセイの中から後に「形式」と呼ばれる〈カタチ〉について関連する部分を抽
出して紹介してきたが、以上をまとめると次の三点を横光の〈カタチ〉はその性格として持っているのではなかろうか。
・題材をあるがままに描くことはしない。
・題材がどのようなものであれ〈カタチ〉によってそれは真実になる。
・〈カタチ〉は受動的なものではなく能動的な題材への働きかけである。
この三点をふまえて「花園の思想」の分析に移りたい。
第三節 実作面から見た横光の〈カタチ〉
「花園の思想」は昭和二年二月『改造』に発表された。作品論として一つのメルクマールとなるのが由良君美の「横光利一の『花園の思想』分析」(『国文学
解釈と鑑賞』昭和四○年六月)だが、この論考の冒頭で由良は「『花園の思想』は、その構造の簡潔さ、素材の日本的な通俗性にもかかわらず、主題の展開が、
深い象徴の輝きを湛えた完成度に達している点で、西欧的な分析に十分耐えうる高度の作品のひとつであり〔後略〕」と述べ、「素材の日本的な通俗性」への注
釈として「『日本的な通俗性』といつたのは、私小説が好んでとりあげ、かつ、私小説の許容しうる最も異常な事件の性格をもつものの一つが『病妻物』であ
り、『病妻物』によって私小説は多くの成功作を生んできた事情を指している」と述べている。由良の分析はニュークリティシズムに便乗したもので方法論自体
の今日的価値については議論が待たれるが、議論の出発点に関しては筆者も同意するにやぶさかではない。きわめて私小説的な「題材=素材=内容」である「妻
の死」を、自然主義作家の代表格である花袋に反旗を翻した横光がその〈カタチ〉によっていかに作品として提示したのかは、最初に述べたように非常に興味深
いところである。
分析を始める。一読してわかるように、「花園の思想」は新感覚派の代表作としても目される「春は馬車に乗つて」以上に表現過多である。たとえば次のよう
な表現が出てくる。
さうして、水平線は遙か一髪の光つた毛のやうに月に向つて膨らみなが
ら花壇の上で浮いてゐた。
鯛は太股に跨られたまま薔薇色の女のやうに觀念し、鮪は計畫を貯へた
砲弾のやうに、落ちつき拂つて竝んでゐた。
見る間に、太陽はぶるぶる慄へながら水平線に食はれていつた。海面
は血を流した俎のやうに、眞赤な聲を潜めて靜まつてゐた。その上で、舟は落された鳥のやうに、動かなかつた。
「春は馬車に乗つて」に使われているレトリックのほとんどが直喩表現であるのに比べて「花園の思想」は暗喩や擬人法が多用されている。先に「明日」で横
光は「題材は古くとも、手法は譬え古くとも、人々の面部へハツシと叩きつければ鳴るのである」と述べているのを紹介した際に、筆者は横光の〈カタチ〉は
「手法」や「題材」の新しさではないと結論付けた。「手法」そのものを横光は否定しているわけではない。また「手法」の新しさを主張しているわけでもな
い。それではなんなのか、という問いに対する答えが右の引用から明らかだろう。既存のレトリックを横光は堂々と使っている。そしてなによりも比喩によって
結び付けられているイメージとイメージとの間に意外性がある。「水平線」「髪の毛」「月」「浮く」、「鯛」「薔薇色」「女」「觀念する」、「鮪」「計畫を
貯へた」「砲弾」などおよそ結びつきにくいものが結びついているという意外性である。これは田山花袋が「露骨なる描寫」で主張したことの逆をやっている点
で反私小説的であると言えよう。つまり、技巧を廃し「あるがまま」を追求する私小説に対し、レトリックを複雑化させる方向へ横光は向かっているのである。
それは作品の冒頭からもよくわかる。
丘の先端の花の中で、透明な日光室が輝いてゐた。バルコオンの梯子
は白い脊骨のやうに突き出てゐた。彼は海から登る坂道を肺療院の方へ歸って來た。彼はかうして時々妻の傍から離れると外を歩き、また、妻の顏を新しく見に
歸つた。見る度に妻の顏は、明確なテンポをとつて段階を描きながら、克明に死線の方へ近寄つてゐた。――山上の煉瓦の中から、不意に一群の看護婦達が崩れ
出した。
「さやうなら。」
「さやうなら。」
「さやうなら。」
退院者の後を追つて、彼女達は陽に輝いた坂道を白いマントのやうに
馳けて來た。彼女達は薔薇の花壇の中を旋回すると、門の廣場で一輪の花のやうな輪を造つた。
「さやうなら。」
「さやうなら。」
「さやうなら。」
芝生の上では、日光浴をしてゐる白い新鮮な患者達が坂に成つた果實
のやうに累累として横たはつてゐた。
ここにあらわれているのは「白い脊骨のやうに」「白いマントのやうに」「一輪の花のやうな」「坂に成つた果實のように」という直喩表現、「一群の看護婦
達が崩れ出した」「白い新鮮な患者達」という暗喩表現、「さやうなら。」をたたみかける反復法である。いずれも既存のレトリックである。しかしこれを読ん
でわかるのは肺病院や死にゆく妻という「題材=内容=純粋客観」が持つ暗いイメージが「表現=形式」によって明るいイメージに転化されているということで
ある。たとえば「バルコオンの梯子は白い脊骨のやうに突き出てゐた」という部分では「白い」という色覚に訴える表現があることで「脊骨」も骨格標本のよう
な清潔さを帯び明るいイメージになる。「不意に一群の看護婦達が崩れ出した。/『さやうなら。』/『さやうなら。』/『さやうなら。』」という部分から
は、「退院患者」を見送るために外に出てきた「看護婦達」を「崩れ出した」と表現することで「肺病院」や「妻」の静的なイメージと対比的に「看護婦」の動
的なイメージが強調されて場面が活性化される。また「さやうなら」一語の場合は誰かがなにかを他の誰かに伝えるという言語の伝達性が前面に出てきてしまう
が、「さやうなら」を三度たたみかけることでそれが歌のように響き、「退院者」の祝福のようにも聞こえる。「芝生の上では、日光浴をしてゐる白い新鮮な患
者達が坂に成つた果實のやうに累累として横たはつていた」という部分も「白い」「新鮮な」「果実」という表現が「患者」を明るいイメージに変えている。さ
らに指摘しなければならないのは「白」というイメージが各レトリックの間で共有されているということである。これも「春は馬車に乗つて」には見られない傾
向で、たとえば「春は馬車に乗つて」の表現で有名な「俺の身體は一本のフラスコだ」という部分の前後は次のようになっている。
彼は苦痛を、譬へば砂糖を紺める舌のやうに、あらゆる感覺の眼を光ら
せて吟味しながら紺め盡してやらうと決心した。さうして最後に、どの味が美味かつたか。――俺の身體は一本のフラスコだ。何ものよりも、先づ透明でなけれ
ばならぬ。
「砂糖を紺める舌」と「フラスコ」との間にはイメージの連関がない。読者によっては「フラスコ」という比喩の出現が唐突で面食らうこともあるだろう。し
かし「花園の思想」の冒頭部分では「梯子」「看護婦」「患者」が白というイメージで連鎖している。
それでは、果たしてレトリックの巧みさだけが「花園の思想」が持つ反私小説性なのだろうか。もちろんそこに作品の価値を見出すこともできるだろう。しか
しそれだけでは横光の〈カタチ〉も単なる原語遊戯で終わるという反論に答えることはできない。考えるべきは横光がこうしたレトリックによってなにを実現し
たかったのかということである。この問いに答えるために「花園の思想」の次の一節に注目したい。
彼は、總ての自分の感覺を錯覺だと考へた。一切の現象を假象だと考
えた。
――何故にわれわれは、不幸を不幸と感じなければならないのであら
う。
――何故にわれわれは、葬禮を婚禮と感じてはいけないのであらう。
彼はあまりに苦しみ過ぎた。彼はあまりに惡運を引き過ぎた。彼はあ
まりに悲しみ過ぎた、が故に、彼はそのもろもろの苦しみと悲しみとを最早僞りの事實としてみなくてはならなかつた。
――間もなく、妻は健康になるだらう。
――間もなく、二人は幸eになるだらう。
彼はこのときから、突如として新しい意志を創り出した。彼はその一
個の意志で、總ゆる心の暗さを明るさに感覺しやうと努力し始めた。もう彼にとつて、長い間の虚無は、一睡の夢のやうに吹き飛んだ。
筆者はここで一つの仮定を打ち出したいと思う。ここに書かれてある「葬礼を婚礼と感じる」「意志」あるいは「總ゆる心の暗さを明るさに感覺しやうとす
る」「意志」こそが「新感覚=〈カタチ〉」ではないのだろうか、という仮定である。なぜなら筆者が先にまとめた横光の〈カタチ〉の特徴三点(題材をあるが
ままに取り出すことはしない/題材がどのようなものであれ〈カタチ〉によってそれは真実になる/〈カタチ〉は受動的なものではなく能動的な題材への働きか
けである)をこの小説文中の表現はカバーしているからである。「心の暗さを明るさに感覺」することは決して「あるがまま」ではないし「意志」であるからに
は受動的なものではない。妻の死という「素材=内容」が本来的に持つ「暗さ」を「ありのまま」に暗いまま描くのが私小説的手法であるのに対して、その「暗
さ」を「明るさ」に転換する〈カタチ〉こそが「新感覚」という「意志」であると言うことができる。また、感覚者にとっては「明るさ」こそが望むべき「真
実」であるはずである。したがって、先にあげた引用で言えば、最初に引用したような純粋なレトリックの意外性よりはむしろ、冒頭部分のように肺病院や死に
ゆく妻という「題材=内容=純粋客観」が持つ暗いイメージを明るいイメージに転化させるレトリックこそが反私小説=反「日本的リアリズム」という文脈にお
ける横光の〈カタチ〉であると言える。いくつか引用してみよう。
「お前の顏は、どうしてさう急に美しくなつたのだらう。お前は十六の
娘のやうだ。お前はいつぱいのスープも飲まないくせに、まるで鶏の十五、六uもやつつけたやうな顏をしてゐる。不思議な奴だ。さては、俺の知らぬ間に、こ
つそりやつたと見えるな。」
これは「彼」から「妻」への言葉である。死の瀬戸際にある「妻」を元気な姿にたとえることは、「彼」にとってだけでなく「妻」にとってもまた救いとな
る。
彼は兩手の上へ妻を乗せた。
「お前を抱いてやるのも久し振りだ。そら、いいか。」
彼は枕を上へ上げてから妻を靜かに枕の方へ持ち上げた。
「何んと、お前は輕い奴だらう。まるで、これや花束だ。」
この場面も「彼」と「妻」とのやりとりであるが、「妻」を「花束」にたとえることで病気のために体重が落ちきってしまった事態を明るいイメージに転換し
ている。
彼女の把握力は、刻々落ちていく顎の動きと一緒に、彼の掌の中で木の
やうに弛んで來た。彼女は動きとまつた。さうして、終に、死は、鮮麗な曙のように、忽然として彼女の面上に浮き上つた。
これは「妻」がついに死ぬ場面であるが、「鮮麗な曙」に例えられる死は少しも悲壮ではない。
それでは横光はこの〈カタチ〉によって「日本的リアリズム」を超克したと言うことができるのだろうか。実は横光の〈カタチ〉は私小説の厳密なアンチテー
ゼたりえていないと考えられる。それは次のような理由による。
たとえば「妻」を「花束」にたとえた場面では、「花束」にたとえているそのことが感動を誘うのでは決してない。他のなにものでもなく「花束」に「妻」が
たとえられた、その表現が感動を呼ぶのではない。「花束」という明るいイメージが、死を目前にした「妻」という暗いイメージと結び付けられている、その
「標高差=コントラスト=差異性」が感動を生み出すのである。つまり転換された「明るさ」と「素材=内容」が固有に持つ「暗さ」との「標高差=コントラス
ト=差異性」に「新感覚」の価値があるとすれば、それは「暗さ」と「明るさ」との二者が揃わなければかなわないのである。そして「暗さ」を持つ「素材=内
容」は概して私小説が好んで取上げるものであるから、結局「新感覚」の効果は「素材=内容」に固有の「暗さ」を一つの条件としているがためにかえって「日
本的リアリズム」に依存する形で成功を収めていると言わざるをえない。もう一例挙げれば冒頭の場面においても、もし「白」という明るいイメージで語られる
「素材=内容」が肺病院や患者たちではなく幸福な若夫婦や元気に走り回る子供だとしたら、そこには「標高差=コントラスト=差異性」は生じない。生じない
のであればそれは「新感覚」ではなく単なるレトリックの域を出ないものなのである。単なる表現技法の巧妙さでしかないのである。
以上の分析から結論を述べると、横光の〈カタチ〉とはそれによってある内容が固有に持つ「素材=内容」の印象が反転するもので、もとの印象と「標高差=
コントラスト=差異性」のによって効果が生じる性質を持つ。したがって私小説的な「素材=内容」を扱ったとしてもその固有の「暗さ」に依存しなければ効果
をあらわすことはできないため、「日本的リアリズム」に対する厳密なアンチテーゼとは言えないのが実際である。
もちろん右の結論は新感覚的表現の効果を対私小説という文脈の中に限定したものであるから、横光の新感覚的表現の全てに対する評価とすることはできな
い。「鯛は太股に跨られたまま薔薇色の女のやうに觀念し、鮪は計畫を貯へた砲弾のやうに、落ちつき拂つて竝んでゐた」という表現も表現として充分に評価で
きるものであり、新感覚の効果はむしろ対私小説という文脈外に存在する可能性があることは付記しておく。