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〈カタチ〉の行方 =はじめに〜第一章=

  はじめに

 この論文は大きく分けて第一部と第二部とから構成されている。第四章までの第一部では〈カタチ〉(その定義については後述する)の正体を各作家の理論と 実作とから三種類紹介する。他にも〈カタチ〉の種類は存在する可能性はあるが、分析対象とした昭和初年度という一断面においては大きく言ってこの三つがあ げられると思う。第二部にあたる第五章と第六章では視線を現代文学に転じ、これら三つの〈カタチ〉がどのような形で現代に継承されているのかを検証してい る。もちろん現代文学の全てを筆者が読んでいるわけではないから試論に過ぎないのだが、必ずしも恣意的な作家論になっているわけではないことは読んでいた だければわかると思う。


  第一章 〈カタチ〉とはなにか

第一節 三派鼎立と話の筋論争

 昭和初期の文学を文学史として語るときに無視できないのが平野謙の「三派鼎立」という言葉である。平野は『昭和文学覚え書』(三一書房、昭和四五年)の なかで次のように述べている(引用は新潮社『平野謙全集』昭和四九〜五○年より)。

 昭和時代の新文学はそのような(=「日本的リアリズムを中核」とし ている)既成文壇に対する反抗の声としてまず特色づけられるが、その反抗の叫びは先ず第一にいわゆるプロレタリア文学のがわから、第二にいわゆる新感覚派 文学のがわから起った。〔中略〕私小説に代表される既成文壇は、プロレタリア文学と新感覚派文学というふたつの新鋭部隊に挟撃され、一時は全く昔日のおも かげを失ったが、やがてそのぬきがたい潜勢力にものいわせて、失地回復に成功するようになるのである。ここに昭和初年代の文学界の最大の特徴がある。それ は簡明な二派抗争の歴史ではなく、いわば三つ巴の三派鼎立の歴史にほかならなかった。(括弧内引用者)

 大正末期から文壇を席巻していた私小説に対抗してプロレタリア文学とモダニズム文学とが台頭してきたという「文学史」はすでに異論のないものとして語ら れる。しかし、反私小説という観点から昭和初期の文学を見直すと、無視できない動きがもう一つあることに気がつく。谷崎潤一郎と芥川龍之介との間で交わさ れた「話の筋論争」がそれである。これは『新潮』昭和二年二月号の合評会で芥川が谷崎の作品に関して「話の筋と云ふものが藝術的なものかどうかと云ふ問 題、純藝術的なものかどうかと云ふことが、非常に疑問だと思ふ」と発言したことに端を発し、谷崎は「饒舌録」(『改造』昭和二年二月〜一二月)で「筋の面 白さは、云ひ換へれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさである。此れに藝術的價値が無いとは云へない」と主張、芥川は「文藝的な、余りに文藝 的な」(『改造』昭和二年四〜六、八月)でさらに「詩的精神」という言葉を使いながら「『話』らしい話のない小説」を説く、という論争である。また、この 論争は論争とは言いながらも「芥川君が必ずしも私に對してのみ物を云つてゐるのでないやうに、私も芥川君にばかり答へる積りはない」と谷崎が言うような性 格のもので、お互いの文学観を開陳し合った程度であるという見方も充分に可能である。論争自体は昭和二年七月二四日の芥川の自殺によって幕を下ろすが、問 題は解決されないまま残った。
 さて、なぜこの論争が反私小説と関連しているかというと、次のような見方ができるからである。

「いつたい私は近頃惡い癖がついて、自分が創作するにしても他人のも のを讀むにしても、うそのことでないと面白くない。事實をそのまま材料にしたものや、さうでなくても寫實的なものは、書く氣にもならないし讀む氣にもなら ない」とか、「近年の私の趣味が、素直なものよりもヒネクレたもの、無邪氣なものよりも有邪氣なもの、出來るだけ細工のかかつた入り組んだものを好くやう になつた」とか語つているが、これがとりもなおさず、『饒舌録』の全體を貫ぬいている彼(=谷崎)の小説觀である。「近頃惡い癖がついて」と言い、「近年 の私の趣味が」などと言つているが、これは處女作以來終始變らぬ谷崎の「癖」であり、「趣味」であるこというまでもない。もともと、そういう作風をひつさ げて出現したはずの彼が、今ごろになつて、わざわざそれを強調するようになつたのは、さきにも言つたように、當時の支配的な文學思潮が、彼の「癖」や「趣 味」とはまるで逆の方向に動きつつあつたからである。つまり、一方にはプロレタリア文學の急激な進出があり、他方にはこれに對抗する新感覺派の提唱があつ て、明治以來の自然主義の系統及びそれにつづく『白樺』派など、當時の主流が、それなりの成熟を示し、その境地をいよいよ洗練深化することによつて、意識 的であれ無意識的であれ、これら新文學の挾撃に對抗しようと身がまえたところに現れた傾向であつた。(臼井吉見『近代文学論争』筑摩書房、昭和三一年・括 弧内引用者)

 たしかに、昭和二年ごろを境に谷崎文学の方法論が変わったと考えることはできない。もちろん『痴人の愛』(大正一三〜一四年)以降、『卍』(昭和三〜五 年)『蓼喰ふ虫』(昭和三〜四年)などで伝統的な日本文化に回帰したという作風の変化は指摘されるが、その緻密な物語性についてはデビュー以来変わらぬ谷 崎のスタイルである。それを昭和二年になって急に思い出したように「饒舌録」で「筋の面白さ」をわざわざ主張したのは、私小説に対する対抗意識からであり 芥川の発言はそのきっかけに過ぎなかったのだと臼井は言う。ここに至って私小説・プロレタリア文学・モダニズム文学という三派鼎立に「私小説←→谷崎←→ 芥川」という構図が加えられるのである。このように谷崎についてはその反私小説的姿勢が認められるが、一方で芥川と私小説との関係はどうなのだろうか。詳 しくは各論に譲るが、芥川はたとえば「『私』小説論小見」(『新潮』大正一四年一一月)で次のように述べている(以下、芥川作品の引用は全て岩波書店『芥 川龍之介全集』昭和五二〜五三年より)。

 文藝上の作品はいろいろの種類に分たれてゐます。詩と散文と、叙事 詩と抒情詩と、「本格」小説と「私」小説と、――その他まだ数へ立てれば、いくらでもあるのに違ひありません。しかしそれ等は必ずしも本質的に存在する差 別ではない、唯量的な標準に従つた張り札に近いものばかりであります。

「私」小説は嘘ではないと言ふ保証のついた小説である。〔中略〕しか し「嘘ではない」と言ふことは実際上の問題は兎に角、藝術上の問題には何の権威も持つてゐません。

 芥川は小説を分類することに異議を唱えるかたちで私小説と距離をとっていることがわかる。また、私小説の「あるがまま」や「本当らしさ」にも評価を置い ていないこともわかる。王朝物をはじめ、それまで物語性の強い作品を書いてきた芥川が保吉物等を通じて私小説へ作風の転換を図り「詩的精神」を唱えたとい う「文学史」は単純でわかりやすいが、芥川の意図としてそれがどこまで正しいのかはやはり考える必要がある。この問題を考えるためにも、谷崎と論争をした からといって安易に芥川を私小説サイドへ放り込んでしまってはならない。そこで「私小説←→芥川」という図式を便宜上、追加することにする。
 以上から反私小説=反「日本的リアリズム」という観点から改めて昭和初期の文学を眺めてみると、三派鼎立に加えて谷崎と芥川という二人の作家を無視する ことができないことがわかる。大正末期に爛熟を迎えた自然主義を超克しようという意志は、新進作家だけのものではなかったのである。そこでこれまでの文学 史とは少し異なる形で、つまりプロレタリア文学、モダニズム文学、谷崎、芥川を反私小説=反「日本的リアリズム」という文脈で位置付け直す必要が出てくる のである。その試みをまず本稿の前半で行いたいと思う。

第二節 反「日本的リアリズム」とは

 最初に「日本的リアリズム」について説明をしておきたい。
 「日本的リアリズム」が非難されるのは、「作者=書く者=主観」と「対象=書かれるモノ=客観」とが「あるがまま」という金科玉条のもとにずるずるべっ たりの癒着をなしてしまっている点にある。ここで「癒着」という言葉が意味するのは、「書く者=筆者=主観」がそれ自身を「書かれるモノ=客体=客観」と してとらえようとして「主観/客観」の区分が不明瞭になる事態のことである。主観と客観とが不分明になったために、「『作者=主観』→『作品=客観』」 (作品は作者によって生み出される)という通常の創作のプロセスが、生活の芸術化という形で逆流する(「『作者=主観』→『作品=客観』」)ことをも容易 に可能にしてしまった。しかし主観と癒着した客体を純粋に作品に写し取ることは原理的に不可能である。なぜなら、たとえば悲しんでいる自分をに描き出すた めには悲しんでいる自分を描くための「余裕=主観と客体との距離」が必然的に要請されるためである。しかしいったん「あるがまま」という条件を持ち出すと その「余裕=主観と客体との距離」は否定されなければならない。したがって描くという行為自体が否定される。言い換えると、「あるがままに描く」という言 葉自体が自家撞着だということになる。にもかかわらず、私小説作家はそこに「嘘がない」かのようにふるまい、「あるがまま」を実現したかような身辺雑記を 書く。主観を一度通過した客観である以上は、たとえその素材が主観を持つ作家自身に取材したものであろうと純客観ではありえない。「あるがまま」というの は「主観=客観」という癒着を温床にした幻想でしかないのである。
 「主観=客観」という癒着状態はまた、「客体」に対して都合よく「意味」を配置することを可能にしてしまう。「主体」によって敵対者としての役割を作品 内でいったん付与された人物はそのように振舞わざる得なくなり、風景描写はそれを見ている「主体」の内面描写にすりかわる。「客体」が「客体」として純粋 に存在することはなくなり、「意味」に汚されて作品内世界に従属する構成要素になり下がる。こうしたことは決して現実にはありえないのに、そうであるかの ように私小説作家は書く。
 こうした大正末期の「日本的リアリズム」に対抗してモダニズム文学は「表現=形式」(←→内容)によって、プロレタリア文学は「素材=内容」(←→形 式)によって、谷崎は「筋」によって、芥川は「詩的精神」によってそれぞれ主観と客観との癒着を乗り越えようとした、というのが本稿で描こうとしている 「文学史」の大枠である。この仮定をもう少し詳しく述べておこう。
 「日本的リアリズム」が「主観=形式」と「客観=内容」とが癒着した状態であるならば、これを分離させるにはまずどちらか一方を作者が認知し同定しなけ ればならない。つまり、なにを書くかという内容を認識することではじめてどう書くかという形式が意識されるし、あるいは逆に形式を意識することによって内 容が意識される。ここで仮に前者の方法論を内容論、後者の方法論を形式論と呼ぶこととすると、プロレタリア文学は内容論に基づいた反「日本的リアリズ ム」、モダニズム文学、谷崎、芥川の三者は形式論に基づいた反「日本的リアリズム」であると言える。
 論の便宜から先に言ってしまうと実は筆者は形式論についてのみ本稿では扱いたいと思っている。つまり、プロレタリア文学が厳密には反「日本的リアリズ ム」にはあたらないとここでは考える。その理由を次に述べる。

第三節 プロレタリア文学について

 プロレタリア文学については蔵原惟人の「プロレタリア藝術の内容と形式」(『戦旗』昭和四年二月)をここでは参照したい。この論文はモダニズム文学との 間で交わされた形式主義文学論争におけるプロレタリア文学サイドの重要な理論として目されている。ここでは論のプロセスは省き、結論だけを並べて簡潔に説 明したいと思う。
 まず蔵原はプロレタリア文学の「内容」を次のように述べている(引用は『戦旗』復刻版より)。

各階級(或は層、或は集團)が與へられたる時期に於いて必然的に課せ られる社會的課題は種々樣々である。この課題――正確に云へば必要は、その終局に於いて、人間社會の生産力の發達と、それによつて規定される階級関係とに よつて決定されるのであるが、それはまたあらゆる人間的社會活動――政治、經濟、宗ア、哲學、科學、等々の眞實の客觀的内容を爲すものである。藝術の内 容も亦これ以外ではあり得ない。即ちダンテの藝術の内容を爲すものは、ダンテによつて代表されたる階級の必要であり、トルストイの藝術の内容を爲すものは トルストイの屬する階級の必要である。

 筆者はここで蔵原の「内容」の内容について考察を企てるつもりはない。指摘したいのは、プロレタリア文学の「内容」というのが作者の自由意志で選択可能 なのではなく歴史の必然性によって決定づけられているという点である。実はこの点は「形式」についても当てはまる。蔵原はプロレタリア文学の形式について 次のように述べている。

藝術の形式は、與へられたる時代、與へられたる社會の勞働の形式を終 局に於いて規定するところの生産力(技術)の發達によつて規定される、と云ふことが出來る。〔中略〕農業を主とする社會にあつては農業的藝術形式が生み出 され、商業を主とする社會にあつては商業的藝術形式が生み出され、工業を主とする社會にあつては工業的藝術形式が生み出される。

 「形式」もまた歴史によって規定されるという決定論が繰り返されている。しかもこの論文の他の部分も見ると蔵原の言う「形式」とはいわゆる様式と言われ るものを指しているようで、このことからも蔵原が芸術家個人の選択による「内容/形式」というよりはむしろ人類の歴史的発展の中の芸術の「内容/形式」と いうかなりマクロな視点で論じていることがわかる。
 したがって、三派鼎立と呼び習わされているように「私小説←→プロレタリア文学」という図式が存在するのかと言えば、文壇の勢力争いとしては正しいが、 文学理論上の対立としては成立しないということがわかる。このことから本稿ではこれ以上プロレタリア文学へ言及することはしない。

第四節 〈カタチ〉の定義

 話を形式論に戻すと、モダニズム文学は「形式」(ここで言う「形式」は「内容/形式」と言うときの「形式」ではなくロシア・フォルマリズムの「フォル ム」に近い概念)に着目して「新感覚」の表現を追求した。これは新感覚という「表現=形式」によって内容を差異化するはたらきである。谷崎は物語性を強調 し「筋」という作品の構造(=形式)を強調して内容を差異化し、芥川は素材を「ありのまま」に提示するのではなく「詩的精神」というフィルター(=形式) を通過させて内容を差異化する。いずれも、「主観=形式」と「客観=内容」との分離を試みていることに違いはない。
 さて、役者はそろった。本論へ進む前に一点だけ用語の使用について言っておく。「形式」という用語は形式主義文学論争はじめ横光が独自の意味で使用して いるために混乱を生じやすいので、本稿では右に見たような三者の「形式」を統合する概念として〈カタチ〉という用語を使いたいと思う。モダニズム文学の 「形式」、谷崎の「筋」、芥川の「詩的精神」、いずれも〈カタチ〉と呼ぶことにする。

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「卒論の下書き(二)」

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