まるで映画のように
映画を見ていて一番ぼくが好きなのは普段何気に聞
き過ごしている音が妙に大
きく聞こえることだ。例えば、いすを引く音とか新聞をめ
くる音とかドアが閉まる音とかコップがテーブルの上に置かれる音とか。
特にアニメーション映画を見ていると、こんな音までちゃんと吹き込んでいるのかという気づきが、ちょっと注意するだけでけっこうある。そういう生活の中
のささいな音ってなかなか耳を澄ます機会がないけれど、映画の中でははっきりと聞こえてくる。
それが不思議に新鮮で、映画館を出てから歩いていると自分の足音が気になったりする。つまらないと感じる日常の中でも耳を澄ませば、いろいろな音が聞こ
えてくる。ちょっと自意識過剰になるたけで自分が物語の主人公のように思えてくる。それが楽しい。映画館を出たあとの駅までの道のりは、カメラで取られて
いるような気分で歩く。映画を映画館で見る楽しみの、ぼくにとっては大切な一つだ。だから家でDVDで映画を見るときも必ずヘッドホンをして、ストーリー
と共に音も楽しむ。
でも、こういう気づきは耳だけじゃない。
中也の「ゆきてかへらぬ」という詩に「たつた一冊ある本は、中に何にも書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた」というフレーズ
があって、これを読んだ時にやっぱり「重さを楽しむ」というのが非常に新鮮だった。思わずその文庫本を手のひらの上に載せて上下させてしまった。
だからきっと、手触りとか、色とか、匂いとか、ちょっと意識すればといろいろなものが自分の周りに広がってくると思う。例えば、このところ天気が良くて
大学のベンチでねっころがっていたら、草の匂いや風の音や雲が太陽を隠す瞬間のひやりとするかげりを感じて、子どものころ空を見上げて雲が動いているだけ
で
面白かったころの感覚がよみがえるような体験は誰にでも一度はあるんじゃないだろうか。
まるで映画のように、ひとつひとつが大きく感じられる。そしてそのいちいちぼくは驚くのだ。そういう感覚でいれば、きっと日常生活はいつでも非日常に生
まれ変わるはず。
03/09/29 初稿
04/11/25 改稿
