全く同じ出来事でも、ある人にとってはそれが出発点になったり、別のある人にとっ
て
は終着点になったりすることがある。すごく陳腐な例だけれど(そんなこと言ったら怒られるか)結婚とか、失恋とか、就職とかに対して「これから自分の知ら
ない何かが始まるんだ」と思うか、「これで今まで自分の大切にしてきた何かが終わってしまう」と思うか。
それはとらえ方の違いだよ、よくあることでしょ、この相対主義の時代にはサ。
と涼しい顔をして言ってしまえばそれまでなのだけれど、じゃあその違いというのは果たして「A or
B」という等価の関係性に基づいているのだろうか? もちろんこの「始点であり、終点であるような場所」(青山真治『ユリイカ』の中の言葉)に今まさにい
るあなたが「A⇔B」という二項対立を認識できないことくらい、百も承知ではあるのだけれど。
――ちょっと謎かけ風に書いてみたけれど、ぼくの中でその答えは既に決まっていてわざわざコムズカシイ論証なんかしなくても「これが答えだ」式に暑苦し
く、
粘着質に、今日までしつこく同じようなことは書いてきたはずだから、隣にいらっしゃる勘の鋭いあなたはぼくの言いたいことをこの時点でズバリと言い当てて
しまうかもしれない。
しかし残念ながらこの文章でぼくが問いかけたい相手は目の前にいるあなたであって、斜め後ろ45度からこの文章を眺めているあなたではない。その前提を
確認した上で、本題に移ろう。
ぼくにとって全ては出発点であり、あらゆるパンクチュエーションにおいてぼくは何か新しいことを企ててきた。少なくともそうせざるを得ない状況に、ぼく
は自分を持っていくことに成功していたと言っていいだろう。けれどもそれらはいつだっていい加減に始められたから(なぜなら句読点は何の前触れもなく打た
れるものだから)最初のうち
はひどい失敗ばかりしていた。その失敗の一つ一つがかろうじて生きる実感のようなものをぼくに味わわせていたに違いない。ちょうど腕に傷をつける痛みに
よって初めて生きていることの実感を得た少女のように。ぼくはそういう具合にして新しい
「自分を発見」し続けてきた。もし各々の句読点を年表に並べれば楽譜が姿を現しリズムを奏で始めることだろう。
実は、これこそが生きるのが下手な人の姿。そこのところはいくら強調しても足りない。奏でられたリズムは時には速いテンポで、時にはだんだん前のめりに
なって、時には突然遅くなって、ついにぼくた
ち
は自分の足がもつれて倒れてしまうかもしれない。美しい比喩だと思ったかい?
でも、それでも、ぼくたちが愛すべきはリズムであってメロディーではないのだ。それ以外、あり得ない。これは論理ではなくて倫理だ。あなたが人生の節目
節目
で
なにを学んだかが、何を学ぼうとしたかが大事なのであってそれ以外はどうでもいい。
……と、今は言っておこう。こう言いよどむのはそれが明らかに強がりに聞こえるからだ。ぼくたちは選択できない。ぼくがどれほど美しいメロディーを渇望
し
たかをあなたならわかるはずだ。そのぼくがリズムが大切だと言う。これは眉につばをつけて聞くべきじゃないか、それくらいのことは先に気がついてくれたっ
ていいじゃないか。
なぜ、人はこんなにも選べないのか。虫ケラのように負けまくっても、ご飯を作って食べ
て眠る。愛する人はみんな死んでゆく。それでも生きてゆかなくてはいけない。(吉本ばなな「満月」『キッチン』福武書店,1988)
きっと運命論者は「負けまくって」いたんだと思う。涼しい顔して、全部わかっているフリして、でも一人でベッドに入って眠りに落ちるまでの短い時間がど
ん
なにか人を絶望に追い立てるのかを一番わかっていた。そういうときは涙で濡れたこぶしでトントントンと壁をたたいてリズムをとっていたんだと思う。そんな
空想はステキ(この形容詞も最近めっきり使わない)じゃないか。
私は局員たちを相手にキャッチボールをはじめました。へとへとになるまで続けると、
何か脱皮に似た爽やかさが感ぜられ、これだと思ったとたんに、やはり
あのトカトントンが聞こえるのです。あのトカトントンの音は、虚無の情熱をさえ打ち倒します。(太宰治「トカトントン」)
あるいは
「あいつは知っとっとさ、言葉使わんでも、遠く離れとっても喋らるっとさ」
〔中略〕
沢井はもう一度、車体を叩いた。かすかに、だが確かに梢の返答が聞こえた。そのか細い音に秋彦も気づき、やはりバスの後方を、そこに梢がいると感じなが
ら見上げた。(青山真治『ユリイカ』角川文庫,2000)
音、リズム、弱々しくも確かにそれは聞こえるはずだ。それを聞き逃さないことだけに、ぼくたちは注意を払えばそれでいい。梢が沢井のノックに答えたよう
に(感動的な一場面。映画『ユリイカ』もぜひ見てみてください)。そうなんだ、運命に逆らった
り、
何かを要求したり、不足を嘆く必要はない。運命の方からぼくたちにトントントンと肩を叩いてくれる時をぼくたちはただじっと待っていればそれでいい。幸も
不幸もごった混ぜにやってくる。その全てを歓迎し、それまで頭の中で鳴っていたメロディーを忘れ、新しい打楽器を手にしよう。感傷は禁物だ。力強く鳴ら
せ、感情をかき乱す弦の音色をかき消すために。
そう思ったとき、きっとあなたは誰かをウラムこともウラヤムこともできなくなるだろう。それだけ、最後に言いたかった。
05/03/23