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光とは……

いまの気持ちを言葉にすることは危険だ。うすうすその片鱗を感じているから「危険 だ」なんてことが言えるわけで、やっぱりぼくは正体を自分から暴 いて「見 る」、さらにはこんなところにさらして「見せる」ということにとんでもない恐怖を感じている。

周りがぼくを見ている。ぼくもまた周りを見ている。それがぜんぜん交差しない。交錯もしない。視線が明後日の方向に行って、けれどもぼくはこうしてそのこ とを知っているわけだから、卑怯だと言われることにも甘んじなければならない。でも、それはぼくにとっての快楽だ、とてもとても自慰的な。

愛の話をしているわけではない。夢の話をしているわけでもない。ただ、空が広すぎて、それを仰いでいると自分がここに立っていることの現実感が希薄になっ てしまって、よろめきながらその支えが欲しくてこうして言葉を選んでいるのかもしれない。

あなたがこれを読んで感じていることと、ぼくがこれを書いて感じることと、そしてまたぼくがこれを読んで感じることと、それぞれが膨らむ。そして結局はこ れを書いたぼく自身が圧迫される。ドライになれない。責任の所在。

ぼくが自分をどれほど弱いと感じているか――それをあなたは知っているのだろうか。けれどもそれをこそ人々は強さと思うらしいのだ。

放り出したいとさえ思った。目の前にあるガラクタがキラキラ光って見えて、目が痛かった。涙が出てしかたがなかった。


光とは………


その定義をぼくは考えてみたかったのだ。長い間、ぼくはその機会を持たなかった。でも、だからこそ、ぼくははじめの言葉に戻ろう。「いまの気持ちを言葉に することは危険だ」。あなたは笑うかもしれない、こんなにも迂回することを楽しんでいるぼくの姿を。無様に見るかもしれない。けれどぼくは断言しよう、そ れは間違いだと。

このまま進むことにどれほどの価値があるのかを知らない。このまま進むことで、いつか上昇できるのかもしれない。けれど、そのときぼくの目に映るものがぼ くになにをもたらしてくれるのかを期待することは禁物だ。ましてや、どちらが上でどちらが下なのかさえわからない時代だ。

はっきりしているのは結局、闇に背を向けるすべをぼくがようやく信じ始めたということ。背負うものは大きく、また重い。けれど背負わなければ痛みを信じる ことはできない。痛みとは、ぼくにとって生きることの謂いである。

ここから見える空はまだ少し小さい。けれど、雲の流れるように、その速さに乗ってみるのもいいのかもしれないと最近思うのだ。

05/06/12

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