Distance 〜ウタダとハルキ〜
宇多田ヒカルは必死に伝えようとしている。しかもそれをみんなが受け
取ろうとしている。なんだ、村上春樹に熱狂していた日本人も、
本当はコミットメントを求めていたんじゃないか、と、いやあるいは(初期の)村上のデタッチメントのあり方にかぶれたからこそ、宇多田ヒカルの凶暴なまで
の「タメ口さ」にぼくたちは耳を傾けようとしているのではないか。
日記を読み返した。宇多田ヒカルは1998年から公式サイトに不定期更新で日記をつづっている。入院や入籍でマスコミを騒がせるニュースソースとして今
や立派に成立しているが、それを全て読み返してみて、この人はすごく何かを伝えようとしている、というのがまず感じられた。ぼくたちにとって実はそれは時
には暴力でさえある。誰かの政治的・社会的発言には「オイ、ちょっと注意しろ。割り引いて聞いたほうがいい。いやなに、どうせまたキレイごとだ」と構えて
しまう。そして彼女の時々見せるそういう面に触れるとどきどきする。けれどもそんなことにはかまわず彼女は伝えようとするのだ、しかも敬語抜きでダイレク
トに伝えようとしてくる。
ぼくたちは誰かが何かを伝えるということに慣れていない。傍目に見てもかたはらいたし、ということさえある。それはどうしても、誰が言ったかよくわから
ないけれど伝わっているよ、というきわめて日本的な伝達のスタイルが根深いからだろう。あうん、ツーカー、以心伝心、というものが尊重される。宇多田はマ
スコミの流す根も葉もないうわさに何度も憤っている(日記本文の引用は禁止されているので興味のある方は実際に本文にあたってみてください)。マスコミと
は実在の登場人物を使ったフィクション作家だとまで言う。不当な引用のされ方にによってたくさんの人が傷ついて(もちろんまず本人が)いることを訴える。
マスコミは特定の人物が言ったことを正確にすばやく広く伝達することがその第一の機能であるはずなのに、それが果たされていない。誰が言ったかよくわから
ないがこんなことが「言われている」という世界。だから、宇多田のマスコミに対する批判は、日本的なコミットメントへの挑戦状にシフトされ得る。ぼくたち
はむしろそうした文脈で彼女の言葉に耳を傾けるべきではないのか。
おそらく彼女は自分が異分子であるという自覚はあるに違いない。「どこにでもいる女子高生」という言葉に引っかかりを感じる感性は(つまり、「どこにで
もいる」なんて言葉を使う人間が信じられない、人間はみんな違うのに、ということ)、「誰もが普通でいたい」どころか「誰もが普通なんだ」という根拠のな
い確信が成立している一億総中流社会のなかにどっぷりつかっていては育たないものだろう。日本(語)に対するそうした距離のとり方を彼女は知っている――
と書いたら、それは嘘だろう。彼女は次第に日本との距離に気がついていったにちがいない。それはもともとそこにあった。なぜなら日本の内側でのみ彼女は
育ったわけではないから。
ぼくたちはむしろその距離に気がついたときの彼女の苦悩に思いをはせるべきだろう。だからこそ彼女は伝えようとする。距離を越えようとする。敬語を使わ
ないことが自分にとっては礼儀なのだと言う彼女のスタイルは、コミットメントを最優先させるための手段だ。伝えようとしなければ伝わらないし、あるいはぼ
くたち伝えられる側も聞く耳をもっていないといけない。宇多田ヒカルの歌がこれだけぼくたちの間でポピュラーなのは、ぼくたちもまた、コミットメントを求
めているということの証左なのかもしれない。
村上春樹もまた、デタッチメントからコミットメントへの方向性の転換のきっかけとして外国体験をあげている。そして「その場合のいちばん大きな問題は何
にコミットするかということ(『村上春樹、河合隼雄にあいに行く』)」だと述べている。学生運動を知っている村上にとっての問題設定は深い。けれどもぼく
たちは阪神大震災とオウムと9.11を知っている。「戦争を知らない」と言うことはもはやできない。それでもコミットするんだ、というエネルギーをぼくた
ちは村上春樹からも宇多田ヒカルからも学ぶべきなのだろう。
宇多田はトルコ地震に際して英文でメッセージを被災者に向けて書いている。そういうことをした日本人がどれほどいるか知らないが、何も言わなくても伝わ
るだろうという日本的な距離のとり方(いや、そこには距離という概念すらないのかもしれない)と宇多田の伝達との間にある溝は深い。そして村上の世代が経
験したのが日本的なコミットメントの極北でありそれが「しらけ」というデタッチメントとして反動したのであるならば、1982年に生まれたぼくたちは新し
いコミットメントのあり方――そこにある距離をぼくたちはもう知っている――それを追求すべきだろう。
だから、宇多田が非人間的な単なるコスモポリタニスト(ミュージシャンは安易にそういう方向へ流れがちだが)でないことはもはや明確であり、そうでなけ
ればこれほどの人気を獲得してはいないだろう。自分が最低だと思う人間にも悪人にも幸せになってもらいたいと最後には言うけれど、嫌いなものは嫌いだとき
ちんと伝えるというプロセスを踏んでいる。そこが、違う。誰もを自分と同一視して自分が幸せと思うことはみんなも幸せに感じるはずだという思い込み、ある
いは自分が不幸だと世界も不幸に見え自分が幸福だと世界も幸福に見えるような幼稚な自他未分化状態――そうしたきわめて日本的なコミットメントのあり方を
相対化してくれる視点を彼女はぼくたちに教えてくれる。デタッチメントによって距離を認識したのであれば、そこからが勝負だ。1969年からいったい何年
の月日が流れたというのか。ぼくたちはもう一度コミットメントへ向かう必要があるし、新しいコミットメントのあり方を二人の創作者からもっと学ぶべきなの
だろう。もちろん日本的なるものの美しさも残しながら……
04/09/20