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ドストエフスキー
『カラマーゾフの兄弟』
ドストエフスキーというと『罪と罰』ですが、スタイルについて考えるなら『カラマーゾフの兄弟』でしょう。とにかくドスト氏の作品はどれも人物の造形に
圧倒されます。ドミートリィ、イワン、アリョーシャ、スメルジャコフという性格のまったく違う兄弟が文庫三冊の中を走り回ります。カラマーゾフの兄弟のな
かで誰が一番好きか? なんて会話ができるのはなかなかオツなものですよ。 |
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D[di:]『キぐるみ』
今や知らない人も少なくないD[di:]ですが、雑誌『文藝』で特集されてこの本が出世作という評価が今は固まってきたのでしょうか。中を
見ればわかるんですが小説と漫画がミックスされた作りになっていて、基本的に彼女の作品は絵と文章が等価に扱われています。そういうスタイルなんですね。
一見すると気楽に読めそうな本ですがこの本自体が絵という「着ぐるみ」を着ていて、テーマはかなり重いです。 |
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太宰治『パンドラの匣』
この文庫には「正義と微笑」と「パンドラの匣」の二編が入っていて、おすすめなのは実は前者です。今で言う大学受験生が主人公で、結局第一志望には入れ
ず進学先の大学には幻滅し役者を目指す道を選ぶ、というあらすじで日記体の小説です。これは実際にあった日記を元に太宰が脚色したもので、主人公芹川進の
スタイルが随所に火花を散らしています。「人間失格」もいいんですが、太宰のベストスリーには入れたい作品です。 |
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町田康『くっすん大黒』
題名の意味は読めばわかります。とにかく笑えます。町田康はどの本を読んでも、町田康の文章だとわかるくらい完成したスタイルを持っています。とかく
「語りの復権」のような文脈で無理やり文学史上に位置付けさせられる作家ですが、そんな難しいことは忘れて本人の爆走ぶりを読んで笑うのが健康な読書とい
うものでしょうか。 |
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岡崎京子『ヘルタースケルター』
『pink』のワニ、『リバーズ・エッジ』の死体、そして『ヘルタースケルター』のトラ。鬼束ちひろの「Tiger in my
Love」も想起させます。登場人物のスタイル、岡崎京子のスタイルは濃密です。なかなか言葉になりません。 |
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保坂和志『季節の記憶』
保坂和志はどれを読んでもおもしろい。そのおもしろさというのは物語を読んでどきどきハラハラするおもしろさではなくて、世の中にはこんな小説もあって
いいんだ、といいう存在肯定の面白さ。著者は登場人物設定だけしてこの小説を書き始めたと言います。それぞれの人物があとは好き勝手に動いてくれるその
「自然な流れ」のようなものはとてもリアルで、筆者のメッセージに隷属しない彼らの存在は読む者にとってもかけがえのない存在になります。
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横光利一『機械・春は馬車に乗って』
文学の革命、それは文体の革命でした。その表現の斬新さから一世を風靡した新感覚派というとどうしても川端ばかりが現在では取り上げられてしまいますが
横光の方が当時は人気だったそうです。あっとおどろく実験作を次々と発表していった横光の文体の変遷は現代の読者の目にもとても興味深いものです。
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赤坂真理『コーリング』
元祖自傷系とかJ文学系(そろそろこの言葉も死語)とかいろいろ言われますけど、ちゃんと読めばなかなかカテゴ
ライズできる作家ではないなというのはわ
かるはず。文体はとにかくドライ。でも内容は部屋中甘い蜜のような湿度の高さ。ゲームのような人間関係の裏に見え隠れする「つながりたい」というどうしよ
うもない欲望。そこが受けているのかもしれません。
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吉本ばなな『キッチン』
高校生のときは理解できなかった。でも二十歳を過ぎてやっと『キッチン』の一行一行が身にしみてきます。卒論でこの作品の分析をしながら思っていたより
も一筋縄では行かないということに気がついて自分の中では「ばなな再発見」という感じ。『キッチン』がおもしろいと思えれば『デッドエンドの思い出』にも
感応できると思います。どんなに負けまくっても「癒し」はある。陳腐な言い方になってしまうけどそれはすごく大事なことだと思います。
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