Japan Mobility Show 2025に行きました。

本年のJMSは全体的に「こんなすごい技術が! こんな未来が!」のようなサプライズはあまりなく、もはやEVも(BYDも)当たり前の時代になったという、良くも悪くも地味な印象でした。EVに関してはもはや生活の中でどのように活用していくか、という視点からの展示が多く、着実に社会に浸透していっています。

その反動でか、旧車や平成の「懐かしい車」の展示がかなり目立ち、なんとなく自動車業界全体として懐古趣味に陥っている印象もありました。おそらくEV・自動運転時代に突入していくにあたってアイデンティティを見失っている不安から、(会社だけでなく乗る人も含めて)「自動車産業ってなんだったのだろう?」と考えるフェーズにあるように感じました。

あとは、業界にとってのカーボンニュートラルはBEVでいったんは答えが出たような感じがして、それ以外のオルタナティヴは鳴りをひそめましたね。違う言い方をすれば、BEVさえそろえておけばとりあえずオッケーみたいな。トランプの影響もかくやという感じですが、マツダだけはCCUを前面に出していましたが、水素関連もなんかもはや使うのはいいけど、そもそもグリーン水素ってどこから持ってくるんだよ? てな感じで注目度もあまりないですよね。

そうした中で、トヨタは元気です。今回目玉のセンチュリーは長蛇の列。レクサスのコンセプト改変も挑戦的です。会場の配置の問題もあるのですが(今年は東側を使い切っていないんですよね)、トヨタグルーブの展示空間は完全にトヨタ帝国の様相を呈していました。スズキもステージパフォーマンスを18時になっても精力的に展開するなどこちらも目立っていました。当たり前ですが売る車のある会社は前向きですね。

また子供向けの出張キッザニアでは金属加工や鋳造体験などもあり、次世代に「手を動かして物を作る」喜びを伝える姿勢は大変よいと感じました。

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椎名要『4番さん、良心に従いましたか? 〈ある裁判員体験記〉』リリース(KDP13冊目)

小説ではありませんが、タイトルの通りせっかくの機会をいただきましたのでそろそろ文章という形にしてもいいかなと思い、リリースいたします。どんな人にでも読んでほしいというものでもありませんが、短い文章ですのでもしご興味のある方はのぞいてみてください。

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私は毎日英作文をします。

します? まあ、しています。

広瀬直子さんの『日本のことを1分間英語で話してみる』はバージョンがいくつかあるので、ぼくの場合は古本屋で買った古い版のためやや話題が古い(AKBやジャニーズを紹介する項目があり)面もありましたが、両開きで左側に英文、右側に日本語文があるので左側を隠して日本語から英作文する練習にちょうど良い本です。分量も、気が乗れば一日二つくらいやっても1時間くらいで終わりますし、疲れていれば1題やるだけでも「なるほどな~」と思える表現に必ず出会えます。

で、今日ようやく80題目までようやく終わることができて、ほっとしています。全部記憶したわけではありませんが、まあ万が一外人に日本のことを聞かれても「まあこの程度の説明でもないよりはましだ」というくらいにはアドリブできそう。大昔、営業の時に「日本のごみ収集の仕組みはどうなっているんだ」と聞かれて大変答えに窮した苦い思い出もあり……。

さて、明日からは瞬間英作文ですこし息を整えながら次の教材を少し探してみたいと思います。受験英語でも、けっこう英作文はいい参考書があったりしますので。

しかし! いっぽうでリンガスキルが廃止となったいま、新たにTOEICスピーキング対策をしなければならなくなり、これはこれで一度も受けていないため感覚もよくわからずとりあえずこのミホ先生なる人物による『改訂版TOEIC(R)スピーキングテスト究極のゼミ』をひもといています。一週目をザーッと流し読みをして、だいたいの試験の内容を頭に入れられましたので、いまはダウンロード(というかアプリをわざわざ入れないといけないのがめんどいのですが)した音声を聞きながらちょっと話す練習などもしてみています。

写真描写などはLRテストの一問目の逆をやるような感じなので、まあTOEICっぽいといえばTOEICっぽい感じもします。どんな練習をすれば点数に結びつくのかわからないので、ほぼ唯一と言っていいこの市販参考書を(公式はライティングも入っているので買うには高い……)信じてまずは一度やってみようと思います。

はあ、しかし英語の勉強は終わりというものが無いですね……。

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雨が降って冬が来るとき

急に寒くなって、会社に行くときもコートを着ていたらいいのか、傘を持って行ったらいいのかよくわからないまま駅について周りと全然違っている自分を発見したりすることもある今日この頃でしょうか。

ぼくは、思い返すと去年も11月頭は熱を出していました。今年もなんだか調子が悪いです。軽い咳が出て、頭もぼうっとしています。大した仕事もしていないのにずっと眠っています。でも、体がそれを求めているのであれば、従うしかありませんね。

そんなときは、良くないと知りつつ葛根湯をクラシックラガーで流し込みます。苦い薬が体中を駆け巡って、アルコールが少しだけ冷えた体を温めてくれる気がします。冷たい飲み物のはずなのですが。

あなたも今、この音もなく降り続ける雨を窓の内側から眺めていたりするのでしょうか。あなたの周りはとても暖かくて、そしてあなたのことを一番に考えてくれる人々がすぐそばにいたりするのでしょう。ぼくはそれを信じています、すこしだけ回転の鈍った頭の中で。

今日は休日で、ぼくは珍しく一人でキーボードに向かってこうして意味のない文字を打ち続けています。ぼくはもう、意味のある文章を書くことが無いかもしれません。きっと誰かに宛てて、ぼくは20年か30年の間、文章に意味を仮託し続けていたのでしょう。いま、ぼくはそれすらできずにいます。

肝臓の、膵臓の、胃腸の、肺胞の言葉を聞きながら、手の筋肉はこわばったままで、コンピュータスクリーンの白い画面の明かりを視神経たちは灰色の曇天と勘違いしているのかもしれません。

あなたにおいては、くれぐれもご自愛ください。

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小腹が減ったとき

会社で小腹が減ったときってどうしていますか?

ぼくはその時々でちがうのですが、かつては休憩がてらコンビニに行って柿の種とかエナドリ買ってきて空き会議室で30分くらいのんびりしたものなのですが、やはり物価高で一回コンビニに行くだけで500円以上すぐに財布から出て行ってしまう。おまけに家に帰ってからも結構がっつりご飯を食べてしまうので(というか、牛丼屋に寄るか弁当を買って帰るのですが)まっすぐ帰るよりも倍近くコストがかさんでしまう。

それである時からコンビニに行くのをやめて、カロリーメイトを常備するようになりました。週末に買いためて置いて毎日一個ずつ持っていく感じです。カロリーメイトもずっと食べていると飽きるので、いろんな味を買って行ったり、カロリーメイトのパチモンみたいなのもたくさん種類があるのでそれを混ぜたりして飽きないようにしていました。が、最近は「クリーム玄米ブラン」がちょっと値段は高いのですがお気に入りです。

が、さいきんXを見ているとミックスナッツも健康的でかつ腹持ちが良いという情報もあったのでさっそく買ってきました。本当は無塩がいいのですが飽きると思いおつまみ的なものをとりあえず調達。どっちがいいかしばらく検証してみたいと思います。

ぼくは朝、基本的にお腹が弱いので会社についてからゼリー飲料を一個ちゅうちゅうしています。もう6年くらいそうしてパソコンを開きながらデスクで朝食の代わりにしています。おにぎり一個分と思えばまあ、十分かなと。それも最近は100円では買えなくなってきたので、安くて飽きないやつを日々探し求めています。これに関してはカロリー至上主義なので、あまり選択肢が無いんですよね……。

そんなわけで不健康なのか健康なのかよくわかりませんが、小腹対策を日々研究しているわけです。

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wordpressのテーマをEASELに変えました。

「創作・同人サイトに特化した多機能WordPressテーマ」と銘打っているEASEL。イーゼル、ってことはあの油絵を立てかけておくあれですよね。ネーミングからしてなかなか良い感じがします。

キンドル出版も数がそろってきたので、そろそろポートフォリオ的なものをまとめたいなあと思って、リットリンクなどイジっていたんですが、やっぱりどうせお金を払って使っているこのwordpressで作るのが一番いいのかなと思い直して、色々テーマを探していたら見つけました。

これでなくてもたぶん個別ページを階層に並べていけば同じものができると思うのですが、たぶんメニューの挙動が、このテーマを使った方がスッキリするように思いまして、決めました。

まだまったく工事中ですが、一覧のページは書誌情報だけのドライな感じにして、個別ページで思う存分、作品紹介をするような構成を考え中です。

……というわけで、小説をなにも書かなくなって2ヶ月以上が経とうとしていますが、いまだになにも書く気力は浮かんできません。その代わりと言ってはなんですが、ブログもたまにはせっせと書こうかなと思ったり(いつまで続くのやら…)。

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ドリアン助川『あん』を読みました。

塩どら焼きは完成したのだろうか? あるいは、完成しなかったのだろうか? それを最後まで明かさなかったからこその、この小説なのだろう。けれど、ハンセン病を扱っているとはいえ、もちろん本書は北條民雄の後継として並べることはできない。それは、良くも悪くも、だ。

この小説は決してハンセン病隔離の歴史、あるいはそれを他人事にしてきた市井の人々の「無感覚」「無神経」「無関心」を声高に糾弾したいわけではない。そんなところに主題はない。その意味で、決して「意識が高い」作品ではない。

もちろんいくつかの歴史的事実は指摘される。けれどそれはあくまでも資料館を見たり、インターネットで検索した結果でしかない。それは今、読んでいるぼくたちにもすぐにでもできることであって、そこに新しい事実認定や、歴史に埋もれていた「偉人」を掘りおこす意図すらない。

ではなんなのか? この小説が訴えようとしているのは。

いや、「訴える」なんてことすらしていないのだ。それがドリアン助川の小説なのだろう。ぼくなりに言えばそれは「トホホ」の中にも意味はある、ということ。passiveな人生態度の中にも、作中の言葉を借りれば風のにおいをかぎ、木々の葉擦れの音を聞き、太陽の光の、あるいは星たちの一日の中の輝きの濃淡をその目で感じ記憶する、それだけでもう十分人生を生きたことになるのだ、ということ。

1998年長野パラリンピックのテーマソング(旅立ちの時 ~Asian Dream Song~)の作詞に懊悩し、結実した詞にも通ずるものがあろう。

特定の病を、ましてや国の責任を問うような大きな病をモチーフとしたことは、作者にとっても大きな決意がいることだったと思う。若い世代は、むしろこれを入り口にして「ハンセン病文学」なるものに足を踏み入れるのかもしれない。それはそれで大きなきっかけを与える大切な一冊だろう。そういうポプラ社的な学校道徳的文脈の中でも長く生きながらえていく作品でもあるだろう。それが公教育の中での国家のつぐないとして機能することは、あまりうがって見る必要もないはずだ。しかし、繰り返しになるが、ハンセン病の隔離政策の悲惨さを言うのであれば他にもっと読むべきものはいくらでもある。

『あん』が照射したいのは、隔離があろうがなかろうが、健常者であろうがそうでなかろうが、人生に対する態度のぎりぎりの水準での肯定だ。しつこいようだが、ポプラ社的な世界には、たぶん前科者の中年男性はあまり出てこないだろう。むしろ透明な語り手として、社会の中で更生を目指す平板な主人公として注目を集めないかもしれない。だが、誰もが塀の中にいる、と言ってしまえば、それは言い過ぎだろうか。隔離施設や刑務所の塀は目に見える。しかし見えない塀はあなたの心の中にしっかりと根を下ろしてしまっている。

ところでハンセン病文学において川端康成の役割というか、その態度は時代背景を踏まえても特筆すべきものがある。もちろん北条民雄を激賞した文学史的な役割だけでなく、そもそも隔離施設を訪れて患者と間近に接するようなこともやってのけている。伊波敏男さんという作家の方の記録に出てくる話だ。本物を見据える目が、ただの比喩でもなんでもないということがよくわかる一挿話であるが、果たしてコロナを通過したあとのぼくたちでさえ同じことを躊躇なくできる心性が備わったかどうかはなはだ疑わしいものだ。

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つるなしインゲンの収穫に成功しました。

なぜか「さやなしエンドウ」と間違って言ってしまう「つるなしインゲン」。子どもが、理科の実験で中途半端に発芽させたやつをあろうことが捨てると言うので父親として引き取ったのが六月。キットに種も残っていたので撒いて育て始めました。

なにかを育てるのはいいぞ……、シンジ君……。

そして茹でて食べた。自分で育てた野菜はうまい!

しかし不思議なのはツルなしなので支えすらいらないと思っていたら全くそんなことはなく、放っておくといくらでもツルが伸びてこんぐらがってしまっていること。今年は暑すぎたからなのか、花が咲いても全然実がつかず、最近涼しくなってようやく実がなってきた。

最後どうなるかまでしっかりと見届けたい。

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鉛筆17本目

これで正式に削りかけの鉛筆はすべて使い切ったことになります。明日からは、子どもがなにかでもらってきたミニオンの鉛筆を下ろして使います。

小説を書かなくなると、文具の消費量が一気に衰える。ぼくはあえてそれも必要な緩急だと今は思っていたい。

しかしとにかくなにも書く気が起きない。一ヶ月以上経ってしまった。

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村田紗耶香『しろいろの街の、その骨の体温の』を読みました。

なにかと「世界系」で話題の村田紗耶香。ニュータウンの中で、成長(=性徴)していく女の子の話、ではあるのだけどちょっとこれは……と思う、最終的なネタバレは読んで確かめてみてください。

確かに、クラスの中の女子のヒエラルキーの構造を平易な言葉でしっかりと書き込んでいるところは、今までここまで言語化した作品というものが無かったということなのかわかりませんが、日本語表現のフロンティアとして評価されるのでしょう。男性作家は、書けてもわざわざ書かない題材なのかもしれないし、女性作家にとっては当たり前すぎて題材にならなかった世界なのかもしれません。

世の中的な評価はよい。三島賞も取っているし。

ただ、ぼく自身はあまり乗れませんでした。まずニュータウンの膨張に仮託された住民の心性というのが、ちょっと恥ずかしいくらいに「純文学的」。昭和の小説みたいな感じがする。ニュータウンものはすでにニュータウンが衰亡していくさなかに様々な作品があるし、10年前の小説ではあるけれど現実には多摩ニュータウンのゴーストタウン化みたいな事象や、今現在であればさらに一歩進んで団地のリノベみたいな文脈もあるので、ちょっと使い古されたモチーフであり、かつ使われ方もだいぶ使い古された手法に思えた。

それから、あまりネタバレはしたくないが、結局「初体験」までの一部始終なわけだが、ちょっとカッコつけすぎというか……まあ「純文学的」なのでしょうがないのではあるが、はっきり言えば単にやっちゃうだけの話をあれでもかこれでもかと比喩と形而上学的な言説で着飾っているところが、これもまたオジサンが好きな昭和の文学の手法という感じがする。

主人公二人の習い事がなぜ「習字」なのかも、ちょっとミエミエすぎじゃないか? 教科書どおりの「小説」という感じがして、技法が読んでいて鼻についてきて入り込めない。文学部の大学一年生がゼミ発表するのにちょうどいい感じ、というか……。

そういう文学のよくわからない「特権意識」みたいなのが常にあるので、一見、児童文学のような文体で始まっていくと思ったら本を閉じるまでにとんでもないところまで連れていかれてしまってた、さすが世界系! と褒めたくなる人の気持ちもわからないではないものの、その「とんでもないところ」は文学「っぽい」ことが好きな人だけが仮託したいと思っている、外野からすればはっきり言って「ああ、またこの感じね」という嫌な気持ちでしかない。

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