飲み会など

もはやコロナが流行っているのか流行っていないのかもわからなくなって、飲み会が結構増えている。とにかく元の生活に戻ったのはありがたい。先週も二回ほど有楽町で飲んだくれていたけど、特に金曜日はすごい人出で、二次会の店ともなれば満席の店ばかりだった。

たぶん、飲食店業界の人々も急な人の戻りと、インバウンドもあってぜんぜん店員の数が足りていない&質が確保できていないんだろうなと思う。そりゃあ、3年間も実質自粛していたら、飲食店のノウハウなんて急には取り戻せないわな。こういうのは、社会が払うべき代償として「大人」だと自分が思う人はしっかりお金を払わなければならないんだとぼくなんかは思ったりしています。

だから牛丼屋でオーダーが間違ってるとか出てくんのが遅いとからとか言ってイライラして口コミ書くような人はもう少しその辺のことを考え直した方がいいんじゃないかと思ったりもします。

しゃーないって!

いま新規開店したようなもんなんだって!

物価も含めて(絶対値ではなくバランス的に)本当に元の状況に戻るのがいつになるのかわからないところはありますが、少なくともそれを「正常」だと思っていた記憶のある人は、本当に戻す必要があるのかを一方では考えながらも、必要な時間とお金を惜しんではならないように思います。同じこと何度も教えなくちゃならないし、時間もかかる。少なくともそういう役割は引き受けられるような人ではありたいと思います。

ホウセンカ

娘が植えたホウセンカが発芽しました。

ぼくの住むマンションのベランダはなぜか植物の発育が良くないのでどうなるかわかりませんが、良い季節になりました。

森沢洋介『どんどん話すための瞬間英作文トレーニング』

を、読みました。

読みました、というよりはこれは言わずと知れた瞬間英作文の教本なので、日本語を見て英訳をするという練習の本です。とりあえず二週終わって、いま三週目ですが、率直な感想としてはこの勉強方法は自分に合っているかもしれないという淡い期待です。

瞬間英作文に関しては、日本語を介するのであまりやり過ぎてはいけない、という意見もネット上にはあるのですが、もはやネイティブレベルを目指すわけでもないオッサンにとっては、むしろ簡単な日本語でも英語に訳して言える、ということの爽快感の方が数倍勝ります。そうなんですよ、この本って繰り返しやっていくうちに快楽回路ができあがって、気持ちよくなってくるんですよね。

それでいいんじゃないか? 英会話なんて、しょせん。という気もしてきますが、これを例の7回読みクリアしてまた次の本にレベルアップしていけば、なんとなく英語力全体の底上げになるのは間違いないなあ、という気がしています。

いましばらく継続してみて、効果を見極めていきたいと思います。

祝【10冊目】Kindle Direct Publishingをやってみた

ついに十冊目を上梓しました。前作『勉強垢』からは半年くらいでのリリースになります。今回は『喫茶素描』以来15年ぶりくらいの「店長もの」リベンジです。

タイトルは『ニッケル&ダイム ~百貨繚乱~』と、すこし凝ったタイトルにしました。

舞台は百円ショップ。喫茶店経営に失敗した男がアルバイトたちを使いながら百円ショップの運営に奮闘する……というのがあらすじになります。ぼく自身も現実世界では中間管理職だったりしますので、そのあたりの経験がこの15年の時を経てすこしはリアリティを持った描写になっていればよいのですが。

タイトルの話に戻ると、ニッケルアンドダイムというのは英語では採るに足らないもの、という意味で、100円玉もニッケル合金なのでまあ英語表記でも多少は通じるかと。百貨繚乱は、「花」の漢字を「貨」に変えてもじった造語です。「百」円の「貨」幣のつもりです。ただし、全体としてこのタイトル構成は某映画への「オマージュ」だったりしますが、さすがにもう誰もそのことには気づかないでしょうか……しかし、自作解題というのは本当に書いていて自分でもしらけますね。このくらいにしておきましょう。

ぜひともキンドルにダウンロードいただき、楽しんでいただけると幸いです!!

鉛筆7本目

これはたしか10年以上前に会社の備品にあったやつで、ノーブランドのすぐに芯が減る(本当に三菱ユニと同じ「鉛筆」を名乗ってよいのかどうかと思うくらい)代物でした。

が、しかしともあれお疲れさまでした。

八重洲ブックセンターのこと

人生の各段階において行きつけの大型書店というのは必ずあって、中学生の時までは横浜・川崎の有隣堂、高校のときは立川のオリオン書房だったりフロム中部の新星堂(むかしは新星堂書店というのがあって、カバーの紙質が良くて好きだった)、大学の時のブックファースト渋谷店(これはもう今はない)、そして社会人になってからの八重洲ブックセンターがそれでした。

ぼくは社会人の最初の五年間を茨城で働いていたのですが、会社の寮までの高速バスが八重洲から出ていました。なので、社会人になってから東京に遊びに行って、帰りに「東京の出版文化」を金に糸目をつけずにしこたま買い込んで帰りの高速バスに乗り込む、その最後のショッピングスポットが八重洲ブックセンターでした。

以前は一階が文芸書で、そこのロシア文学の棚の前であえて友人と待ち合わせてみたり、あとなぜか大学時代の後輩の女の子とばったり階段のところで会ってちょっと立ち話したりとか、そういうちょっとした思い出がある本屋です。

社会人になってからも、最初のころは最上階の(文庫売り場のさらに上に行くには階段を上る必要があり、あのラスボス感が良かった)洋書と芸術書売り場で本を選ぶのが本当に楽しかった。会社員として働くことに腹をくくってからはビジネス書フロアの奥の方で原価計算の教科書を買ったり、東京駅近辺の本社に異動になってからも最近でもパワーポイントの本だったり英会話の本だったりを、オアゾの丸善よりもサラリーマン風の人が少ないので心行くまで選んだりするのに重宝していました。

そんなわけで、本屋というのはだいたいその棚の並びとか本のセレクションとともに記憶されているものなので八重洲ブックセンターがまた新しいビルに入居すればまた新しい本屋として利用することにはなるのでしょうが、ひとつまたぼくの慣れ親しんだ東京の風景というのが消えてなくなっていくのは寂しい限り。

新しい作品の進捗について

ようやく手書きの第一稿が仕上がりました。80枚ノートまるまる一冊と数ページを費やしましたのでそれなりのボリュームになりました。たしか去年の10月くらいから書き始めたのでこれだけでも半年くらいはかかってしまいました。

例によってこれからパソコンに打ち込みながら推敲を何回もやっていくことになります。パソコンに打ち込みなおす一回目が結構しんどいんですよね。ストーリーをやっぱりこうしておけばよかったとか思いついてしまったりするので。

完成までさらにあと半年くらいはかかると思いますが、夏くらいまでにはリリースしたいですね。

今回は「喫茶素描」の10年後のお話、というわけではないのですがそれを意識して書きました。なので店長ものです。ただ、舞台は100円ショップ。自分も現実世界で管理職だったりするのですが、そこでいろいろ考えたり悩んだりした内容を反映しています。お楽しみに。

鉛筆6本目

今回は赤鉛筆です。まるつけやアンダーラインを引くのには向いていますが、字を書く用途としてはなかなか使いづらい。

とはいえ、おつかれさまでした。

霜栄『現代文解答力の開発講座』を読みました。

を、読みました。

姉妹編と言いますか、本編「読解力の開発講座」から何年ぶりの続巻でしょうか。でも、たしか(市販用ではなく)学校教材用として同名の本はありましたので、もしかすると中身としては以前からあって、すこし改訂がなされた程度なのかもしれません。が、とにかく懐かしく読ませていただきました。

問題文はいずれも往年の駿台の教材ですね、おそらく。読んだ覚えのあるものもちらほらありましたので、出題された年としてはずいぶんと昔になるとは思いますが、良問というのは現代文において決して古びません。むしろ長年の授業の中で生き残ってきた珠玉の問題文ばかりと言ってもいいかもしれません。

体裁は赤シートもついてイマフウです。三冊の構成になっていて、解答欄の冊子と、要約を中心とした本文解説、そして設問に的を絞った個別の解法編です。今回もまえがきやあとがき、「ノイズ」と称されたコラムが充実。卒業生としてはこちらの方が楽しみだったりもするわけですが、アップデートされた開発講座、当然現役生にこそおすすめです。

吉本ばなな『アムリタ』を読みました。

を、読みました。

著者初の長編であり、やはりその後の長い作家生活において一つの基軸となる「オカルト」がほぼすべてここに出尽くしているようにも思えます。『アムリタ』自体は、作中に登場する作家が、主人公の女の子の通過してきた出来事を小説に書き上げようと言ってあげたタイトルそのものであるので、この小説自体が一つの入れ子構造になっています。つまり、作中の竜一郎が描いた作品を読者は読み、竜一郎の筆を通じて、その枠内でのみ主人公の朔美の不思議な出来事を体験していく──それは、文庫本を読んでいる最初のうちは全く明かされないので意識されないのですが、最終的にそう思って読み返すとやはり奇妙というか、気持ちの悪い作品だったりします。

夢であったり、第六感的なものがこの物語の原動力にはなっているのですが、それでも死んだ妹の恋人と関係してしまうあたりがなんとなく最後まで気持ち悪さを引きずると言いますか、そしてそれを当の男が小説に仕立てていると思うと輪をかけて気持ち悪いというか……。ただ、この小説の登場人物たちはある意味でそういうタブーだったり、社会的な常識的な枠組みから逃れることで生き生きとしている面があるし、この小説においてこれは大きなテーマでもあるわけです。

吉本ばななの「オカルト」的な方面が苦手な人はやはり一定数いるでしょう。それはこの初期のころからその後のスピリチュアルな対談本も多数出している中で確実に作家の中の一つの柱であることは間違いないのですが、そこが、吉本のもう一つの大切な価値観である生活の中の倫理性だったりそういう「まっとうな」面との近接具合があやうかったり、あるいは見えづらかったりすると「女性作家の地に足ついたエッセイ」みたいな形で売れたりもするのでこの辺りはなかなか昔からの読者としては複雑なところです。

そういうところも含めて、本作には小説でしか表現できない力があります。