腕時計交代

まるまる十年の苦楽をともにした腕時計のベルトがついにはずれて直せなくなってしまった。新しいのを購入した。また十年をこいつとともに過ごすのだろう。

腕時計に限らず「電池交換」というのがとにかく嫌いなので電波かつソーラーと決めている。シチズンのセカンドラインであるQ&Qを使っていたのだけれど、いかんせん分厚くて重かった。今回はカシオのリニエージを選んだ。ウェーブセプターブランドの中でも薄型でケースがフルメタルのものをラインナップしているようです。たしかにぜんぜん軽くて非常に良い。日付表示に「月」が無いのがちょっと気に入らないが、まあそのうち慣れるでしょう。

選び始めるといろいろ考えてしまうが、結局似たようなものを買ってしまった。

ユニット折り紙 その9

これは異常。「夏・朝顔」という。ユニットの一個一個がとんでもない工数がかかる。しかも本の通り作ったら最後の最後で左右が逆になる・・・? と思いきゃ、一個一個差し込んでいったらうまくいったという謎。たぶん私に幾何学的な発想が乏しいからなのでしょう。

これは子供が自力でできた。しかし四隅を糊でくっつける邪道中の邪道だ!。

朝顔のおかげで消費ペースが落ちてしまった。ここからまた追い上げていく。

連休が終わるなあ

基本的にコロナだろうがなんだろうが一日家にいても困る人種ではないのですが。前半は先のエントリでも書いたごとく、書き続けていた小説の仕上げやらタイトル付けやらに精を出していたのですが、後半はわりと読書ばっかりしていました。子供と公園行っても、遊んでいる横でベンチに座ってひたすら(日差しを浴びながら・・・)本を読んでいました。

といっても、本棚の肥やし再読キャンペーン中のため、特段こだわりがあるわけでもなく、ぼくの場合は今どうしているかというと、2010年くらいからつけ続けているブクログに登録されていない本を本棚に並んでいる順に読んでいくという・・・。おかけでエリック・ホッファーの作品社から出ている一連の著作(これは学生の頃よく読み返したもんで、俺もサラリーマンにならずに沖仲仕になろう・・・というのは冗談ですが)は読了。あとは村上春樹の読者とのメールのやりとりをまとめた赤本、青本、緑本を順にちびちびやっていました。

最近はいちいちこのブログにも読んだものをすべて紹介していません。気が向くと、感想を書かない読書は時間の無駄と思う時があって、そういう時期は無理にでも書いたりするんですけどね・・・。

あとは知り合いの知り合いでやはりここと同じように10年以上書かれ続けているブログの2005年あたりから読み返してみたり。なんとなく趣味が近い人なので、2000年代の懐かしいキーワードを掘り返したり、まあ自分もこうしてブログを長く書いているわけですが、かつての情熱というか、ニュースのいちいちに怒り狂っていたころの心の飛び跳ねみたいなものをね・・・なんかこう、思い出したくてね。

太宰の『正義と微笑』の奥野健男の名解説にある「青春小説は青春を過ぎた者のためにある」っていうのが身に染みる今日このごろです。

ブログというのは、かつて20代の頃は明確に目に見える読者がいて、それはリアルでも付き合いのある友達だったりして、そういう人たちに語りかけるように、あとで直接会ったときに「ブログにも書いたけどさあ~」と言いながら話題にするようなものだった。だからコメントつけ合ったり、掲示板なんかも太古の昔にはあったりしたわけなのだが。

いつのころからかそういった人たちとは本当に疎遠になってしまい、連絡先もわからなくなってしまった。それは、たぶんこれはお互いさまなのだが、ガラケーからスマホになったおかげでだんだんキャリアのメールアドレスというのが知らん間に無効になってしまい、いちいち連絡し合うわけでもない相手に変更の連絡もせずそのままになっているのではないか。それで、電話番号が相変わらず変わっていない人だけラインで見つかるという・・・。そしてフェイスブックもやっていない(その手のはmixi止まり)ぼくのような人間は、もしかしたらあるのかもしれない別の場所にある円環からも抜け落ちていっている。ツイッターもブログの更新用だしなあ。

寂しいものだがそれもまたブログを長く続けるということなのだろうか。まあこちらもサーバーというか、ブログサービスそのものを何回か引っ越ししているのでそのたびに読者は匿名の度合いを増していくわけだ。だってこのブログでいまだに一番アクセス数を稼いでいるのって『潔く柔X』人物相関図、住友有X園、フXイングカーコーポレーション研修の3つですからね・・・(過去エントリーは引っ越しのたびに引き連れていっています)。

昔みたいにある意味で生き生きとブログを書き続けていきたいな。と思ったりしました。自分が好きなものだったり、いろいろなことに挑戦したりする心の動きとか、そういうのに縁遠くなったが、今一度、自分のペースでなにか残していきたい。

かつて学生の頃なんであんなに生き急いでいたのか、自信のない自分を隠すのに必死だったのか、もうそんなことどうでもいい年齢になったので、もうすこし地に足ついたエントリーをもう5月になったけど、1エントリでも増やしていきたいなあ。

長々書いていたら日付を越えてしまった。

ユニット折り紙 その8

「冬・伝統色」。これも見本通りの配色でおらないと本当は意味がないが、これは割と簡単であった。ピース作成は父、組み立ては娘。糊なしでもちゃんと組み上がる。本来のユニット折り紙だ。

ここから邪道編に入っていく。上記は「春・桜」。あえて裏の白い方をメインにした。ここからは糊を使いまくり、いちおう差込口はあるが接着なしでは自立しない。まあ折り紙というよりは工作に近くなってくる。目的はちっちゃ折り紙を消費することなので特段問題はない。ドシドシ作る。

脱稿

数年かけて書き続けていた小説にようやくけじめをつけた。まあ、ごくごく個人的な話を書いているだけなので小説としての価値なんてほぼ無いに等しいのだけれど、書きながらもこれだけ書き綴ってきた期間が長くなると同一のモチーフに対しての考え方がだんだん変わってきて、途中で大部分を削ったり、あらすじを大きく変えてしまったりした。そういうことはこれまであまりなかったのだけれど、まあしかし原稿用紙換算で450枚。なんとか飽きずに走り抜けた。完結させた。機会があれば、またこのホームページで公開できればと思います。

しかしもうなんだか、小説を書くという趣味もこれ以上長く続けられないような気がしてくる。書くことは好きなんですが。もうしばらく書きたいという衝動は湧いてこないような気がするし、それを維持するのがとにかくしんどい。まあそれは書いている内容よりも現実の生活のほうがよっぽど忙しくて充実しているということなのかもしれないのですが。まあ、書くなら万年筆でちびちび短編をまたいくつかかきためたいですね。さいわい、何年も前に買った原稿用紙がまだ200枚近く残っておりますので。

ユニット折り紙 その7

「夏・アイスキャンディ」。ここから合作になります。これはピースはぼくが作りましたが、横から自分に組み立てさせろと子供が手を伸ばしてなんと30ピースを組み立てることに成功。大したもんだ。

「秋・おいしい秋」。こちらはピースは子供が折り、組み立てるかなと思ったら途中でギブアップ。やっていることは変わらないんですが。組み立てはぼくがやりました。タイトルは、クリに似ているからなんでしょうか。

「秋・落ち葉」。余った折り紙が白いやつばっかりになってきたためここで集中的に消費。なのであまり柄の感じがわからないですね。しかし白い折り紙って一体どんな需要があるんだ。

ジョゼフ・コンラッド『ロード・ジム』

を、読みました。

『ノルウェイの森』で誇り高き永沢さんはバルザック、ダンテ、コンラッド、ディケンズを読むべき作家として挙げている。そして、ワタナベは緑に約束をすっぽかされた午後に寮に戻って永沢さんから借りた『ロード・ジム』を読む。あるいは、就職祝いのハツミさんとのディナーのときに永沢さんとコンラッドの小説について話をしている。

『ノルウェイの森』において具体的に言及される小説は、日本文学を別にして『グレート・ギャッツビイ』『八月の光』『ロード・ジム』『魔の山』と、音楽に比べれば非常に数少なく、またそのセレクションも『魔の山』のあまりのお誂え向きさ(もちろんそれはレイコさんにつっこまれるわけだけれど)、『グレート・ギャッツビイ』への村上特有のこだわりを小説的な”遊び”と見れば、やはり残る二作の異様さというか、偏向さはいまだによくわからない。

『八月の光』も『ロード・ジム』もそれなりの長さがあって、そしてまあ今日たとえば人気の文庫にいつでも入っていて誰もが読むようなものではない。事実、今回『ロード・ジム』をようやく読めたのは、造本の割にあまりに値段の高い講談社文芸文庫ではなく、例の池澤全集に収められていた柴田訳が満を持して河出文庫に収録されたからだ。それでも文庫で1500円出させるのは、昨今の出版不況を鑑みてもなかなかに気軽に手を出せるものでもない。

もちろん『ロード・ジム』は永沢さんの読書癖の象徴として登場してはいるものの、ワタナベも共感を示す微妙な立ち位置にある。それは、これがジムの単なる出世物語ではなくあるいは貴種流離譚ですらない、解釈に相当の幅がある物語であるからこそなのだろう。誰が誰の何を語っているのか常に意識を張っていないとすぐに言葉の洪水に飲み込まれてしまう本作は、決して読みやすい小説ではない。大学生のワタナベが何を思いながらあの和敬塾で読書にふけったのか・・・。

ユニット折り紙 その6

「春・フラワー」という。頂点に三角形の出っ張りが3つ集まっている。それが花っぽいということなのだろうか。緑とピンクの裏表の折り紙だとそれっぽくなるようです。

ちなみに我が家にはこれでもまだ小さい折り紙が500枚以上存在します。作る方もだんだん飽きてきていますが引き続きよろしくお願いいたします。

ユニット折り紙 その5

やっていることは変わらないが、ここから「くすだま」シリーズになる。装飾性がさらに加わってくるわけだが、たぶん見本の色どおりのユニットで組まないとあまり意味がないのかもしれない・・・。