しまった…

結局国会図書館には行きませんでした…雨降ってるんだもん。月曜日に行くことにします。ぎりぎりにならないと行動できません。

眼が疲れるとホント脳みそ疲れますよね。大して脳みそ使っていないのに暇にあかせてネットサーフィンなんかして眼を酷使していると、その後で本を読もうと思ってもなかなかできません。これぞ人的資源の無駄遣いなのでなるべくパソコンは必要なときにしかし使わないようにいたしましょう。

この前も最近はお金のことをよく考えると書きましたが、丸田潔『お金がたまる人 たまらない人』(主婦の友社2001)を読んでから、お金に対する姿勢というのも人の生き様が色濃く反映するものだと感じて、まあ正確に言えばお金について考えるというよりはお金の使い方について考えることで生き方について考える、生き方について抽象的な観念を育たせないためにお金の使い方について考えることで具体的な生き方を考えていく――そんな感じです。

おかげで無駄遣いがだいぶ減りましたねー。お金ってためるものというよりはたまるものなのかもしれません。浪費は人生の豊かさには直結しない。むしろ必要なものを買うことで浪費を抑えて本当に欲しいものを買う……一事が万事ですからね。

そういえば今紹介した本はイーエスブックスで買いました。お近くのセブンイレブンで注文した本が受け取れるというアレです。これはかなり便利ですよ。配送料、代引き手数料が要らない、つまり本代だけ払えばいいのでアマゾンなんかよりずっとお得です。

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GO!GO!7188の

新しいアルバム『竜舌蘭』を買いました。生きていて良かったと思いました。いいアルバムです。バンドとしてのバランスがとてもいいのが好きなところです。

最近地元にどでかいショッピングモールが誕生しました。

http://www.moritown.com/

おかげで連日駅の周りはえらい混み具合で家から外に出るのがおっくうでなりません。まあ、本屋が多少大きくなったのはいいんですがね。でも若者向けのお店ばかりで私のような「若年寄」の寄り付くしまは残念ながらありません。

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卒論題目

卒論の題目を正式に登録してきました。

「〈カタチ〉の行方 ―横光・谷崎・芥川を軸に―」

です。まあ、100枚はもう書いているし、全体の半分くらいまでは出来上がっているので精神的には余裕ですが、しかしこんなところで気を抜いていないで、学生時代最後の一大記念碑たらんと、気合を入れて書いていきましょう。

最近思うんですが、ぼくは性格から言って自分というものにほとんど価値をおいていないので「自分のために」というのがすごく苦手と言うか、「自分のために」何かをがんばることがとてもできなくて、でも一方で「誰かのために生きてみても」明日なんかわかんねえんだよって歌っている好きな歌手もいたりして、もちろんパンクチュエイトな意味においては他人は偶像になるかもしれないけれど、それは健全な人との付き合い方ではないし、何をよりどころにして生きていいのかがよくわからない。じゃ宗教か、といきたいところだけどスイスの法学者にして敬虔なキリスト者ヒルティの著作を読んで感心するくらいで、とくに熱心になれるわけでもない。じゃ、やっぱりダンスダンスダンス? その辺のことをやっぱり村上春樹には聞いてみたい気もする。

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買いすぎ

水谷修『夜回り先生』
村上春樹『アンダーグラウンド』
石川九楊・加藤堆繋『書家101』
『田村隆一詩集』
図解雑学『構造主義』

を、買いました。久しぶりに、どの本も面白いです。だんだん本選びもうまくなってきました。

どうやって本を読むか、という問題をしばらく考えていて、いろいろ参考書をひもといたんですが結局どれも行き着く先は「自分の古典は自分で探せ」ということなんですね。そしてどうやってその本を「自分の古典」にするかというと「何度も読み返す」ということです。

何度も読み返せる本が少ないですよね、今は。もちろん今、いわゆる「クラシック」「古典」と言われているものを読むのも大事だけど(岩波教養主義でも、権威事大主義でもなくね)、ベストセラーだって何度も読み返すことができれば「自分の古典」になるということでしょ。

ぼくがサイトで引用する本はたいていぼくにとっては「古典」です。なので同じ本からいろいろなところに引用してしまいます。ブックリストも何度も読み返している本ばかりですし。

ぼくは図書館が嫌いで、本は身銭切って買うものだというポリシーがあるので今まで本にいくら使ったかという計算をするのは怖いんですが、たいていのものははずれで「くっそー、この作者、つまんねえ本書きやがって! どうして気がつかなかったんだ、だまされた~」という悔しい思いをかなりしてきました(最近では石原千秋の受験関連本、あれは、読んでいて不快になります。こんなせまい小説観を持った人間が「研究者」だなんて…)。部屋の隅にはハズレ本がうずたかく積み上げられています。おかげで本を買うということにはかなり神経を使うんですよね。福田和也も「立ち読みせずんば買うべからず」とおっしゃっておりますし。

ま、そんなこんなで卒論に関係ない本ばかり買って現実逃避している私でした。

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ブッキッシュ

読み捨てた本も含めると300冊は下らないじゃないかと思えるくらい、本の虫なんですが、その経験を生かして言っておきたいことがあります。

文庫の造本についてです。

新潮文庫は一度目はいいんですが、二度目読むときにかなりの確率でページが根元から外れます。ぼくは本はぎちぎちと限界まで押し広げて読むので、これでダメにした本がけっこうあります。そんなありさまなので「本なんて一度読めやいいんだ、二度も三度も読むような本はうちは出してないよ」という態度が造本から伝わってしまいます。

中公文庫は古本で買うと必ずページが外れます。年単位で保存する場合には向きません。「うちは歴史に残る本なんか出さないよ」ということなのでしょうか。

ちくま文庫は当たり外れが激しすぎます。造本のいいものはかなり頑丈にできていますが悪いものはそれはもう悲惨なありさまになります。ちくまはめったに増刷をしないことで有名ですが、いい本出しているんだから、そこも何とかしてよ。

角川文庫は造本だけはいい。もう少し実のある本を出してください。

講談社文庫は可もなく不可もなくですが、講談社文芸文庫はひどい。少しでも力を入れると薬品で固めた部分が二つに割れてしまいます。割れ物を触るようにして読まなければならないので値段も含めて何とかしてください。

さて、なんと言っても造本中身共にエクセレントなのは岩波文庫です。別に嫌味な教養フェティシズムを標榜するわけではありませんが岩波はすばらしいです。第一ページ目からしっかりと背に糊付けされていて、五年くらい経つとさすがにページが茶っけてきますがびくともしません。ページ数が多くて厚いものも真ん中のページで背が折れることもなく、無造作にかばんの中に入れておいても安心です。カバーも新潮社と違ってビニールが張ってあるので汚れに強いですし文句なしです。

まあ、岩波をほめるのもこのくらいにしておきますが、これは売り方の違いが影響しているのも知れません。ふつう本は売れなかったら本屋から出版社に返品されるのですが岩波は本屋に買い取らせて売るので返品が効かないのです。よく文庫はページの部分に斜めに切った跡がありますが、あれは返品された本の汚れをページの端を切ることによって落とし、もう一度出荷しているのです。岩波はそんなことはありませんから。ページもめくりやすく本が作られているのです。買い取り制だからこそ商品の質には文句をつけられない状態にしておく岩波書店のあり方はすばらしいと思います。もちろん異論反論もあるんですがね。

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村上春樹

『蛍・納屋を焼く・その他の短編』
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
『中国行きのスロウ・ボート』
をたいらげる。『アンナ・カレーニナ』を読もうと思っていたのに、おかげで中断だ。

長いこと、ハルキは読まず嫌いだった。どうしても「古くさいなー」としか高校生のときには思えなくて、その感性が正解だったか不正解だったかはわからないけれど。あるいは、太宰同様、作品と自分との距離を保つことができないと思ったのかもしれない。そういう私小説的読者の呪縛から抜け出せそうになってきたので、最近よく読んでいる。でも『ダンス~』も『クロニクル』もまだ読んでいないんですが。

「踊る小人」(こういうホムンクルス的なキャラに弱い…)「貧乏な叔母さんの話」と上記対談本がおもしろかった。「おもしろかった」と素直に言える短編と出会ったのは何年ぶりだろう。

今日は天気がいいので、昼に起きて、コーラを飲みながらやっぱり本を読む。

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『八日目』

『八日目』という映画をレンタルビデオで見ました(下の写真はDVDのものです)。これはダウン症をテーマにした作品です。

『ジョゼ虎』はねえ、なんだかんだ言ったって、池脇千鶴ですからねえ、皮一枚で様になっているんですよ。要するに「障害」はテーマにすぎない、という言い方ができてしまうんです、こてこての恋愛映画ですから。『八日目』は逆にかなり「障害」と真っ正面から取り組んでいてけっこう(というかかなりの度合いで)古典的な展開ながら、まあ「いい映画」と言っていいのでしょう。

でも『八日目』もダメな人はダメなんだろうなあ、という気もする。「障害者」を扱った映画は数知れずあるけれど、何の疑いもなく道徳的な展開にするか(『八日目』のパターン)、一見ア・モラルを装いながら発想はとんでもなく古臭い(『ジョゼ虎』のパターン)か、逆にモラルを装いながらよく考えるととんでもないことを言っているか(うん、こういうのあったら見たい)、徹底して不道徳に走るか(そんな映画があったら映倫が許さないと思うが)なんだろうなあ。

いずれにせよ感心したのは、登場する「障害者」に対する口ぶりが妻夫木もアリーも子ども扱いしていない、たとえば赤ん坊をあやすような言葉づかいになっていないところです(ぼくは無理でした)。そこにむしろ葛藤のなさを読む人もいるかもしれませんけどね。

こういう問題は表象としての分析が、知らず知らずのうちに現実に食い込んでけっこうどぎつい結論になりがちなので、まあ、この辺で口をつぐみます。あくまでも作品論です。

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DVD『ジョゼとトラと魚たち』

を見ました。あ~、こういう映画だったんだあ。あ~、こういう映画なのかあ。いや、いい映画だと思います。すっっっごい道徳的だし。こういうのを批判してはいけないと思います。けれど、そう思わせるテーマを選んだところがちょっと卑怯かな、という気もします。感動はするんですが、後で「なんで、こんなんに感動しているんだ、俺は」という後味の悪さを残します。いやいやいや、「いい映画」だとは思うんですよ。でもぼくの肌には合いませんでしたなあ。

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書き直しました。

去年書いたものを全部読み返してみたんですが、ほんっとひどいですね。こんな幼稚な文章をさらしていたなんて恥知らずもいいところです。ということで、書き直しました。日記風のものは全部捨てて、同じようなことを言っているものはつなげて、その後の気づきなど加味して。

その幼稚さというのは、たぶん、他人を否定しないと保てない自分がいたということ。自分の城を守るために自分とは違う人を傷つけようとしていたということ。
ドゥルーズをちょっとかじって、村上春樹も読んで、少し改善されました。彼らはそうやって生きてきた、自分はこうやって生きてきた、それだけのことだ。――これはニヒリズムではないと思う。もっとも単純に、正確に人間を表した表現だと思う。

「あいつと俺は違う。だから、あいつは/俺はダメなんだ」というのが自己愛。「あいつと俺とは違う。あたりまえだ」それは事実そのまま。村上春樹の世界。ややタコツボ。「あいつと俺とは違う。この差異を肯定しよう。差異はすばらしい」これがドゥルーズの哲学。

そこまでぼくはたどり着いているとはとても言えないけれど、少なくとも自己愛からは抜け出してきていると思う。それは最近書いているものと読み比べてみればすぐに分かった。

差異への志向を持つこと。そうすれば世界はまるで違ったように見えてくる。その結果がぼくのキーボードを打つ手にもいつのまにか現れていると、素敵だと思う。

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雨だ! イエイ、雨だ!

なんて、無理に元気付けるよりは、このシトシト感を堪能するために今日はラジオを消しておこう。

来年からでさえ「働きたくない」と無神経にも言ってしまうぼくが、この二週間ぶっ続けでバイトしています。おかげで受験生バリに英語の予習をやり、焼津の漁獲高やめだかのオスメスの見分け方も完璧です。自分が中学受験をしたときの参考書も引っ張り出して蛍光ペンでラインを引いてしまいます。でも、こういう「お勉強」が、案外好きだったりします。実生活だと、努力してなんぼっていうものが少ないので、ね。

いけね、またマイナス思考だ。この前も「社史編纂室で地味に働きたい」とか同期の人に言ったら「なんでそんなマイナス思考なの!?」と言われたし。でも、住友財閥の歴史とか「お勉強」しがいあるじゃないですか(ゴメン、うそです)。

こんなダウナー系の文章も、雨のせいですね。いや、雨のおかげですね……シトシト

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