を、読みました。
なんといっても、昨年末くらいからNHKの「白熱教室」として紹介されてよりブームが続いているマイケル・サンデル。氏の著作の文庫化ということで、本屋で手にしてすぐに購入しました。
一連のブームはぼくたちに二つのことを教えてくれた、あるいは衝撃であったと思います。
一つは氏の教授スタイル。あれだけの大規模な講堂で対話を軸にした授業を展開する技術には舌を巻くものがあります。日本の大学で同じ規模のマスプロ授業であれば教壇にあれだけの訴求力を持たせるのはほぼ不可能です。いえ、むしろ「不可能だ」と考えてしまうことがとんでもない先入観、諦めもいいところだということに気付かされる、そのことのはっきりとした反例を目の前で展開されたそのことが多くの人にとって衝撃だったのだと思います。
氏が学生に対して活発に問いを投げかける。それに対して周りの数に臆すること無く、あるいはこんなことを言ったら笑われるのではないか? などといった無駄な遠慮もなく討論が始まる。氏はきちんと一人一人の名前を確認して、フィードバックも活発に行いながら議論を誘導していく。シナリオなんて存在しない。議論をするということそのものが授業として成り立っている。このことを稀有な例として受け止めてはいけないのでしょう。このことが、マスプロであっても可能だということにぼくたちは気が付くべきなのでしょう。
そして大学教育とは、あるいは哲学をするという本当に原初の営みというのはギリシャの哲学者たちが行ったように対話を基軸とすべきだということを教えられます。哲学とは、誰かの考えたことをノートに書き写すことではなくて、目の前にある問題に対して仲間と議論をすることなのだということを、あの番組を通じて知ることができます。
もうひとつは、「公共哲学」というものが語られる素地が日本にはまだまだ不足していることを否が応でも認識させられることです。本を読み進めるに連れて、アメリカという国がいかに「市民」であること、自分が合衆国を形成する一員であるということを各人に自覚させるかがわかってきます。国の成り立ちが違うのですから、そもそも「公共」を議論の対象にするということ自体がなにか「寝た子を起こす」という発想になりかねない日本とは違うのかもしれません。けれど、現代という時代においてはむしろ各人のコミュニケーションが薄れ、地域の共同体も弱体化しているということは日本においても事情は同じです。この本では「公共」を語る「言葉」についてしつこく解き明かしています。非常に論理的です。ケネディの言葉、オバマの言葉……政治家たちが国民に対してなにが大切でなにが大切でないかを語ったその言葉に対して検証を加えていきます。
今の日本でそんなことが可能でしょうか? 言葉を検証すべき政治家が今、存在するのでしょうか?
一方で、「素地が日本にはまだまだ不足している」などと非評価めいた感想も述べてしまいましたが将来的に不足が解消される楽観的な見通しは全く無く、むしろ今の日本の政治家たちの言葉の不足に暗澹たる思いにさせられます。たぶん、無理でしょう。
と、言っても始まらないので、少なくともぼく自身は自分の言葉を鍛えることをこれからも続けていきたいと思っています……。
今本は、読んで終わってしまってはいけない、色々な問題を提起してくれます。NHKの番組ともどもおすすめ。