檀一雄『火宅の人』を読みました。

檀は、まさに中高生時代に無頼派にはまっていた際にリツ子シリーズとともに『火宅の人』も楽しんで読みました。ちょうどNHKで、本書の最終部分の口述筆記を病床でやっていたその録音を通じて檀の生涯を紹介するという特集をやっていて、それにいたく感動したのも覚えていますし、高校の修学旅行で九州に行った時に柳川にある檀の歌碑を船から眺めたのもよく覚えています。

とはいえ、大人になったいま読み返すと、無頼派の生きざまというのも周りからしたらたまったもんじゃないよな、というしごくつまらない感想しか出てきません。やはり妻のヨリ子の、檀との着かず離れずの関係を続けながらも父不在の家庭、特に日本脳炎で不随になった次男の世話を中心に家を守っているその「書かれない」時間が叙述の裏に見えていて、そればかり気になります。檀の筆にかかると、意外とあっけらかんとして妻は妻で自由にふるまっているようにも思えてしまうのですが、果たしてそう読んでしまってよいものかどうか。檀の海外も含めた放浪の中の女性関係はどこまで本当なのかわかりませんが、一貫性があるようでいて特になく、読んでいてあまり面白いものでもありません。檀流クッキングが所々出てくるのはおかしみがあるのですが。

いずれにしても、この小さな文庫本二冊の中を縦横無尽に走り回っている一人の男の姿は、そのダイナミズムは、確かに活字としてしっかりと刻印されていて、いつでも取り出して再生することかできます。それに関しては、ものすごい精度で、まったく劣化することなく紙の上に保存されています。古びたカセットテープなんかよりも、ずっと鮮やかに「男の一生」を味わうことができる──その保存の鮮度にはただ驚くしかありません。

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