
男の子であれば誰しもが持っていた新幹線鉛筆。しかも、濃さはB! いまでは小説のプロットを書くのに使われてきました。鉛筆は古くても削ると、昨日できあがったかのような木の香りかすぐにぷんと漂うのが素晴らしいタイムマシーンだったりします。
梶井基次郎の『檸檬』を最近読み返したのですが、お金が無い主人公は丸善に行くと良い鉛筆を一本だけ買って帰るという「贅沢」をするという記述に、なんだか胸を締め付けられる思いがしました。お金のかからない贅沢。どうせ無くなってしまう消費財の「高級品」なんて値段にしてしまえばたかが知れている。それでも、一等高級な一本の鉛筆は、それがささいなものであるだけによりいっそう、生活を確かなものにしていく一つのきっかけとして大きな存在感を放つのでしょう。その気持ちは、なんとなくわかる気がします。



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