解題:椎名要『こたえあわせ』(KDP14冊目リリース!)

14冊目のKindle Direct Publishingです。無事にリリースいたしました。

今回は、ぼく自身の「裁判員」体験をもとに小説を書きました。タイトルは「こたえあわせ」

こたえあわせ

実際に裁判員を経験してみて、別に司法制度自体を高見から批判したいという思いは全然、本当にありません。ただあそこで行われていることも制度の中にある以上は一定の箱庭の中での出来事でしかないし、「真実」なるものを仮定してそれをすべて明らかにするということが法廷の目的ではないということだけは痛感しました。

もし、この世に正義があるとしたら、それはどこにだってあるのでしょう。被告人のなかにも、被害者の中にも、検察の中にも、弁護人の中にもあります。それぞれの正義をある時間的な制約の中で「調整」するのが裁判官の役割なのだとしたら、刑事裁判であっても、それは、最後はなんらかの結論を出さなければならない以上、制度の中で仕事をするしかないのです。

ぼくはそれを別に悪いこととは思わないし、「争点」の設定がテクニカルなものになるのは刑法に取り決めてある「量刑」なるものに相当のあそびがあるのが日本の特色である以上、それは結果として裁判官、ひいては裁判員の最良の大きさの中で「ゲーム化」しているという風に言い換えられるのもまた一面では真実なのかもしれません。もちろん一面的な見方であることは繰り返しておきます。

でも、別にだからと言って司法には限界があるとことさらそのことだけを言い立てたいわけではありません。ぼくが感じたのは、そういう制約の中で被害者を救済し、加害者を更生させるか、ということもまた同じように制度によって可能だし、そうしなければならないのだろうという現実的な解です。もし、今の司法制度に欠けているものがあるとすれば、などという言い方はしたくないけれど、もっと制度として一貫させることを求めるのであれば、やはり判決の後の人生の長さをどう救っていくか、ということに焦点が当たるのだと思っています。それは、当事者たち全員に当てはまります。

つまり、容疑者は犯人となり被告人となり、判決後は受刑者になっていきます。それで終わらないのが人生です。そのあと、刑期を終えて出てきたとき、その人をなんと呼べばよいのでしょうか。そして、その人が法廷で約束したことをだれが見届けてくれるのでしょうか。そこまでの責任を誰も負ってくれないのでしょうか、あるいはそれこそが自己責任なのでしょうか。被害者については言わずもがなです。

裁判を美しく終わらせることが、加害者の更生に直結するのであればそれは大いにそうしたらいいでしょう。けれど、その後のことは誰もわからないのです。最初から最後までを「出来事」として体験できるのはそれぞれの当事者でしかないのですから。あるいは、再犯者が再び法廷に現れた時に、そのこと自体を裁く前に、そうなってしまった結果に対して初犯時の関係者は無罪放免とせざるを得ないのでしょうか? 一方で、犯罪というのは本当にケースバイケースで、当事者間でしかわからない個別の事情というのがあまりにも多くを占めているということも、裁判員を通じて感じたことの一つです。

裁判なんてしょせんそんなもんだよ、罪を繰り返してしまうやつはもう、救いようが無いんだ。

そう言って世間に安住することも一つの態度でしょう。しかしそう言い切ってしまうほど、ぼく自身は割り切れないものが残りました。それを考えていたら、こたえあわせ、というキーワードが頭に浮かんで、そうして、裁判員と被告人が再会するという設定をこしらえて、そうなるように逆算的に物語を遡及していったら「こたえあわせ」という小説ができあがりました。これがこの短い小説の縁起です。

なお、体験記「4番さん、良心に従いましたか? 〈ある裁判員体験記〉」の方もリリースしていますので興味を持たれた方は合わせて作者としては読んでいただけると大変うれしいです。

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