2026.5のツイート

駅前でU◯HCRがティッシュ配りしているが、まるでキャ◯クラの客引きみたいな配り方(若い女の子がわざわざ駆け寄っていく)、どうしちゃったんだろう? インスタの広告見ててもU◯ICEFがロゴ入りカバン作ったりして、寄付してる私=リッチな私、みたいな逆ブランド化現象? もちろんやらない善より…

すべての文章を、入試現代文を読み解くように読んでしまう。すべての英文を入試の英文読解として読んでしまう。別にいいではないか。精読とはそういうものだし、精読を起点としてしか速読も多読も成立し得ないと教わったではないか。熟達とは、母国語を扱うようにそれを扱えるかどうかということ。

足踏みする準備はできたか。それは準備のための準備ではないのか。「今までなにやってたの?」という問いに対するアリバイ作りが人生であるわけがない。永遠に時間があるかのごとく行為せよ。今しか役に立たないことをせよ。それが、逆説的ではあるがイマココを生き生きとさせる秘技なのかもしれない。

風が強くて、隣の民家の車庫をおおっているプラスティックのトタン屋根がバタバタと一晩中音を立てている。気になりだすと気になって仕方がない。
今日は晩ごはんのためにカレーを作った。足りなかったらどうしようという恐怖で作りすぎてしまった。しかし明日また食べればよいのだ。

池袋のポケモンセンターはシャッターがしまったままで、連休なのにそのフロアーは少し薄暗くて寂しい。「◯◯は営業中」という看板も物悲しい。シルバニアのお店に小さい子がいるのがせめてもの救いか。営業中の本屋には『BUTTER』の新潮文庫版がまだ平台に積まれている。世界は良くなっていくのか。

連休中はひたすら読書に明け暮れていたので、休み明けて会社に行くと人と喋るのがほんとうに久しぶりのような感じがして、なんだか声の音量調整がオカシイ。メールを書いていても言葉や人の名前がすぐに思い出せない。しかし一番恐れているのは実は老後だ。本は死ぬまで読んでいたいが…。

肩が痛い。ひたすら肩が痛い。会社に行くとなったらとたんに肩が痛くなった。まったく治る気配がない。風呂に入って温めても、下手に伸びをしてほぐそうとしてもダメだ。もし土日で治ったらこれは精神的なものに違いない。いつもは逆に休みに入ると体調を崩すのだけれど。仕事を休みだと思っている!?

東大商法をやっている人たちは何歳になるまで続けるつもりなのだろう。自分個人の「成功体験」を過度に一般化しても、それが例えば十年後の世界でも通用すると思っているのだろうか。そう思わせているとすればそれこそ情報商材だ。他大では見られない傾向で、そろそろやめたらと本屋に行くたび思う。

住宅街に突然現れる空き地が好きだ。昨日まで解体工事をしていた。古い家屋が跡形もなくなくなって、長年陽の光を遮られていた隣家の壁面が恥ずかしそうに顔を出す。すぐにまた次の家が建つ工事が始まる。建ってしまえば、もとなにがあったかなんて想像もできなくなる。不思議な時間が空き地にある。

昔の日本語は横書きを右から書いて今と逆、と思われているが違うのでは。そもそも日本には縦書きしかない。右から「横」に書いているのではなく、一文字しか書けない一行に縦書きに書いているだけなのだ。それが結果として欧文と逆に見えるというだけで、日本語に横書きという概念は無いと思っている。

夕食はいつもスーパーの弁当だ。早く帰れるときは定価で買う。遅く帰るときは、スーパーも閉店間際なので値引きシールが貼ってある。ワークライフバランスを取ろうと思えば出費がかさみ、仕事に明け暮れるとご褒美のように食費が下がる。健康と家計が両立するすべは無いものなのだろうか。

ポテチが白黒だっていいじゃないか。紙の本なんて、もっと少なくていいじゃないか。誰も困らないよ、あなたが思ってるほど。過剰な競争をやめて、必要なものを必要なだけ消費していく。不要なものを買って捨てて、それが国のGDP成長だなんてそもそもおかしかったのだ。今こそ知足に立ち戻るチャンス。

新築マンションの広告で、よく新卒カップルかと見紛うばかりの若い夫婦がさっそうと家事分担したり、まだ明るいうちに帰宅したりしている場面が流れるが、いったいどこの世界の話なのだろうか。もっと気になるのは、誰に向けての広告なのかということ。まさか自認年齢がいつまでも二十歳の中年夫婦か。

恋愛リアリティーショーが全盛だ。なぜなのだろう? 見たことがないがあれを見て、なにが面白いんだろう? と、四十を過ぎたオジサンは思う。オジサンが若い頃はな、テレビにうつつを抜かす余裕などなく、月曜日の仕事を乗り切るために月曜夜の「あいのり」を見ることだけが楽しみだったんだ…。

五月祭といえば、まだ右も左もわからなかった学部一年のときに展示をやっていたら、安田講堂前のステージから聞いたことのある歌が……、と見に行ったら、毎週深夜ラジオを聞いていた三重野瞳さんがライブをやっていた! 駒場祭でも当時まだ無名だったクレイジーケンバンドを見れたのがよい思い出。

英語のスラングでビンボーという言葉がある。エッチだけどバカな女、昔で言えばブロンドみたいなことだ。しかし最近は、あえて金髪にしてバカっぽくし社会的な規範から自由になる生き方を選ぶスタイルもあると言う。なんとなくその気持ちは日本人の僕らでも分かる。何故なら、性根が貧乏だからだ…。

かつて無料時代にEvernoteを愛用していた。ウェブサイトを簡単に取り込めるのが便利だった。サービスが有料になってOneNoteに鞍替えした。これはクリッピングはできるんだけど文字だけか、スクショだけかでやや使いづらい。最近Notionの良い噂を聞く。メモもしたいしスクラップもしたい用途にどうか?

鋤と鍬、網と綱、荻と萩、などいまだに読むときに迷う漢字は多い。鋤(すき)は助(すけ)に音が似ているから。網(あみ)は網で漁をすると魚が亡くなるから(亡が入っている方)。萩(はぎ)は秋(あき)に音が似ているから。これで片方を確実に覚えて、ペアのもう一つは「じゃない方」で一括する。

雑誌『ダ・ヴィンチ』といえばメディアファクトリー時代に文学賞があって、初回で受賞された前川梓さんの『ようちゃんの夜』というのが好きでしたね。第二作も出されて、その後は完全に音信不通になってしまいましたが、良い作品でした。いまwikiで確認すると朱野帰子さんも同賞受賞者だったんですね。

置き配の時間指定ってどういうことなの??

「設備の近代化」とは今でもよく使う表現だが、現代に生きる僕らからすると「近代化」してしまったらダウングレードにしか思えない。モダナイゼーションの逐語訳だと思うが、「現代化」でよいのでは? しかし、現代とは常にイマココのことで、常に最新の設備を構えられるわけではない。言葉は難しい。

急に暑くなったからなのか、普段あんまり飲まない(種類の)酒を飲んだからなのか、下痢が昨日から止まらない。昼の散歩中にもよおして、近くの商業施設を競歩した、2回も…。元気で前向きでありたいと思うときは何でも食べてやろうと意気込むが、リスクヘッジして人生を制限しすきるのも本意でない。

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