サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読みました。

いつ、何度読んでもせつない小説だ。

いつも思う。ホールデン君にとって、映画はなにを象徴していたのだろう? そこには嘘のオトナ像が跋扈している。暴力とセックスがあり、ホールデン君からすれば知ったかぶりたい世界であり、同時にそんなものに憧れてしまう自分を認められない。だから映画に、殊にハリウッド映画にものすごく意識的に言及し、そしてわざわざ読者の前でこきおろす。

ホールデン君はオトナになりたかったのだろうか? 買春をしようと思えば、急に「話がしたいだけだ」と言ってやめてしまい、挙句の果てに支払いで揉めてボーイにぶん殴られてしまう。彼にとってオトナになるというのはセックスを意味するのだとしたら、その方向へ歩み出したとたんに暴力によって子供の世界に押し戻される。

加えて、この小説において部屋というのは本当に大きな役割を果たしている。先生の部屋はオトナの部屋だ。そこでは死の匂いも充満している。寮の部屋やホテルの部屋はマージナルな場所だ。オトナになりたての同級生から暴力を振るわれ、オンナを買おうとすれば暴力を振るわれる。その意味で、妹のフィービーの部屋は唯一の子供のための部屋だ。

いや、厳密には、フィービーが寝ていたのは不在の兄の部屋だ。そこに小説的な仕掛けをサリンジャーはふんだんに込めているのではないか。この物語は、子供部屋にたどり着いたと思ったら、映画的世界に足を取られた兄の部屋にフィービーが横滑りしている、そして、永遠のジュブナイルは既に失われているという残酷な認識を携えて、もう一度ホールデン君は、実家を飛び出していく。

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