小林哲夫『予備校盛衰史』を読みました。

2024年5月に開催されたイベント「予備校文化を哲学する」からもう1年以上も時が過ぎ去っていることも驚きです。あのイベントを動画を通してながらも触れることができたのは、想像以上にぼくの中でその後いろいろと考えるきっかけになっています。自分の子供も含めて、これからの受験とはどうあるべきなのか、今の共通テストの位置づけの変化や大学像、あるいは自分自身がこれからさき、もう人生を折り返し地点を過ぎて残された時間であとなにをどう学んでいくのか、など。

そのなかでも1982年生まれのぼくですら、もはや高校生当時駿台に通っていたことは「予備校史」の中ではかなり「衰退」に位置付けられる時代にあったのだろうということもまた本書を通じて明らかになるのはこれもまた新鮮な読書体験でした。

ごく個人的なことを言えば、ぼく自身は神奈川県下のとある進学校に通っていましたが、確かに代ゼミの授業は学校名でいくつか無料で受けられる特典がありました(結果として利用はしませんでしたが)し、伊藤和夫の薫陶を受けた高校教師がひたすら英文解釈教室のコピーをやらせる授業を受けていましたし、そうでなくとも学校の副教材はほとんどが駿台文庫でした。

それもあって、駿台に通っていたわけですが、そこで出会った講師の皆さん──霜さんは言わずもがなですが、いま思い返すと英語は高橋善昭さんの授業を横浜校に居ながらにして一回だけ受けることができてそれは鮮烈な記憶として残っています(小説の文章で、先生のcliffの発音を今でもすぐに思い出せます)、英語は基本的に高橋秀夫さんでしたが真冬でも白いティーシャツ一枚で時に医系のとんでもない難解な英文をプリント配って解説しだす(「conception of conception」が「妊娠という概念」という訳になるというくらいのレベルでしたが、これも昨日のことのようです)。世界史の齋藤整さんもタテの各国史を同時代的にヨコに並べての解説が(そういう参考書も書かれていて、何度も読み返しました)すばらしかったです。

まあそういうこまごましたことをよく覚えているくらい、予備校という場所は深く十代のぼくの孤独な心に響いていたわけです。そういえば、他塾でいえばやっぱりZ会の世界史の荒巻というのは当時から有名でした。それだけのためにZ会に通っていた同級生も結構いましたね。本書にも出てくるSEGとかも、懐かしい名前です。

だから逆に鉄緑会などはまったくもって別世界の出来事だと思っていたので、そういうのも本書でフォーカスされているのは秘密を明かされるようで面白いです。そう思うと、英単語帳の盛衰史というのもあるでしょうね。シケタン、マメタンなどはぼくの親世代で、ぼくの感覚だとターゲットが先輩、ぼくのころは速読英単語がちょうど出立てで話題になってぼくもよく使っていました。DUO派も結構いましたね。システム英単語はありましたけど市民権を得たのはもう少し後の世代でしょうね。あとはドラゴンイングリッシュ。いまは電車の中でよく見るのはそれこそ「鉄壁」をボロボロにしたやつを抱えている受験生です。みんながみんな東大受けるわけではないのでしょうが、あれはぼくらのころはなかった。

予備校の話に戻ると、ぼく自身は駿台に辿り着く前にZ会、河合、城南は講習などで通って見て自分に合うかどうか見極めていたこともあります。河合で習った英文法の品種のくくり方、名詞句は[](名刺だから四角い)で、形容詞句は()(「け」が丸いから)、副詞句は〈〉(ふ「く」しだから)でくくるという手法は、あまりに便利すぎて駿台に通うようになってからも使っていましたし、何なら今でも使っています。城南は、もう無くなったので言いますが授業が始まる前にチューターが「手を膝において静かに先生を待ちましょう」とか、女子学生に「教室暑いから上着脱いだ方がいいよ? え? 脱がなくていいの?」と執拗にからんでいたのが気持ち悪くてすぐに行かなくなりました(全体的に宗教がかっているというか、なんか予備校という場を勘違いしている雰囲気が好きになれませんでした)。

あの時代で言うと早稲田塾がとにかく広告を打ちまくっていて、うちにもよく立派なパンフレットが送られてきましたね。いまではその面影は全くなく、東進の傘下に入ってAO入試に特化した塾になったようです。通称「茶ゼミ」お茶の水ゼミナールも当時は元気でしたね。横浜校の校舎が電車から、駅に着く直前の京急側にあったのでよく見えたのを覚えています。そういえば河合塾の横浜校も西口の繁華街を突っ切った先にありましたし駿台も現役生の校舎(S館)はソープランドの横を通って近道するとほぼラブホテル街に近いようなところにありましたし、ひどいもんでした。

しかしこういったぼくのささやかな個人史も、浪人生を当然の顧客としていた70~80年代を経て子供がいよいよ少なくなっていく最後の時代の一つの現象でしかなかったことが本書を読み解くとよく理解できます。確かに代ゼミの校舎大量閉鎖は衝撃的なニュースでしたが、新しい時代に予備校文化がどうまた変容し、イリフジ的に言うならまたあらたなパーフェクトの在り方を探し求めていくのかは注目に値しますし自分もそこから何を学べるのか、子供世代へのバトンの渡し方も含めて考えていければいいなと思いました。

ノスタルジーをかきたてられますが、決して後ろ向きな本ではなく、未来を考えさせられる良書です。教育のことですからね!

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2件のコメント

通りすがり

Xから訪問させて頂きました。九通テストってなんだろう?とちょっと考え込みましたが、共通テストの変換ミスみたいですね。あと、下のほうの「最後の時代の一つの減少」も「現象」の変換ミス?

自分は1980年に駿台予備学校生だった、マメタン・シケタン・キセタン(奇跡の英単語)世代ですので、もっとも良い時代のド真ん中で浪人生活が送れたのだなぁと再認識しました。
まぁそれで人生行路狂っちゃった感がなきしもですがw 関西の駿台生だったので、伊藤和夫先生の生講義を受講できなかったのだけが少し残念だったりします。

l32314

誤字指摘ありがとうございます(修正しました)!
いろいろ思い出を語りだすと止まらなくなりますね。お読みいただき、またコメント寄せていただきありがとうございます。

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