
なにかと「世界系」で話題の村田紗耶香。ニュータウンの中で、成長(=性徴)していく女の子の話、ではあるのだけどちょっとこれは……と思う、最終的なネタバレは読んで確かめてみてください。
確かに、クラスの中の女子のヒエラルキーの構造を平易な言葉でしっかりと書き込んでいるところは、今までここまで言語化した作品というものが無かったということなのかわかりませんが、日本語表現のフロンティアとして評価されるのでしょう。男性作家は、書けてもわざわざ書かない題材なのかもしれないし、女性作家にとっては当たり前すぎて題材にならなかった世界なのかもしれません。
世の中的な評価はよい。三島賞も取っているし。
ただ、ぼく自身はあまり乗れませんでした。まずニュータウンの膨張に仮託された住民の心性というのが、ちょっと恥ずかしいくらいに「純文学的」。昭和の小説みたいな感じがする。ニュータウンものはすでにニュータウンが衰亡していくさなかに様々な作品があるし、10年前の小説ではあるけれど現実には多摩ニュータウンのゴーストタウン化みたいな事象や、今現在であればさらに一歩進んで団地のリノベみたいな文脈もあるので、ちょっと使い古されたモチーフであり、かつ使われ方もだいぶ使い古された手法に思えた。
それから、あまりネタバレはしたくないが、結局「初体験」までの一部始終なわけだが、ちょっとカッコつけすぎというか……まあ「純文学的」なのでしょうがないのではあるが、はっきり言えば単にやっちゃうだけの話をあれでもかこれでもかと比喩と形而上学的な言説で着飾っているところが、これもまたオジサンが好きな昭和の文学の手法という感じがする。
主人公二人の習い事がなぜ「習字」なのかも、ちょっとミエミエすぎじゃないか? 教科書どおりの「小説」という感じがして、技法が読んでいて鼻についてきて入り込めない。文学部の大学一年生がゼミ発表するのにちょうどいい感じ、というか……。
そういう文学のよくわからない「特権意識」みたいなのが常にあるので、一見、児童文学のような文体で始まっていくと思ったら本を閉じるまでにとんでもないところまで連れていかれてしまってた、さすが世界系! と褒めたくなる人の気持ちもわからないではないものの、その「とんでもないところ」は文学「っぽい」ことが好きな人だけが仮託したいと思っている、外野からすればはっきり言って「ああ、またこの感じね」という嫌な気持ちでしかない。



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