『ロイヤル英文法』を読みました。

読んだのです、頭からお尻まで。

いま、Xを見ている限りにおいて英文法教授の方法論は本当に議論がかまびすしいのです。しかも健全な議論とはとても言えない状態。現役予備校講師諸君は、しがらみから自由なように見えて結局「御恵投」された新刊については互いに褒めちぎるのみでまともな意見はどこにも出てこない。新しい本にも見るべきものはあるのでしょうが、伝統的な保守派は新しいというだけで毛嫌いしてまともに読んだのか怪しい意見も跋扈。でも自称若手講師陣もお互い様なのではないか。

だから、いま目の前にある本を、まずは謙虚に謙虚に読むしか無いのだ。読んでないやつの勝手な憶測がネットには多すぎる。なぜ、虚心坦懐に読まないのだろう。読めないのだろうか? つまり読む能力が無いことを隠しているのだろうか。あるいほ読む時間が無いのだろうか。それなら何も言わずに通り過ぎれば良いものを。

それとも権威に対してたてつくポーズだけで例えば受験生の人気を獲得すると小銭が懐に入ってくるのだろうか? とにかく害悪でしかない。

参考書に限らず、あらゆる本は、役に立つかどうかすぐに分からないことも多い。あまり高度で、受験には役に立たなかったけれど、その後に読み直して例えば洋書を読むきっかけになったり、仕事でやむなく英語を使うことになったときにその真価が初めてわかることも有るのだ。

本はそこにいつでも静かにいる。変わっていくのは読者の方だ。読者は自分の成長に合わせて本から内容を汲み取っていく。だこら、本をくだらないと言っているやつは己のくだらなさを言っているにすぎないことを早く気がつくべきなのだ。

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