「椎名麟三集」筑摩日本文学全集56を読みました。

そのむかし、「深夜の酒宴」を読まなければならないことがあってさすがに講談社学芸文庫には手が出なかったため古本屋で買い求めた500円の端本。むかしはこういう文学全集の〇〇集みたいなのが安くたくさん売っていて、学生の身分には助かった覚えがあります。もちろん長編作家は読めないのですが。

さて、あらためてこの作品集を読み返すと、むしろ「深夜の酒宴」一つがあまりにも暗すぎて、文学史的には「第一次戦後派」(そもそも第一次というからには第二次がいるのですが、これっていつだれが命名したんですかね)とレッテル張りをするのにちょうどよい作品ではあるし、別にこれが優れていないと言うつもりもぜんぜんないのですが、やはり椎名の作品で面白いのは「美しい女」「神の道化師」のようなそこはかとないユーモアを根底にひそめながらも貧困という悲惨な状況下でも(単にもうかるから仕事を選ぶのではなくて)自分のやりたいことを大切にしていく主人公たちの生きざまなんですよね。

それを「実存」なんて言葉であえていうのだろうか? むしろ初期村上春樹的な健康的な軽さ、明るさもそこにはあるんですよね。「美しい女」の主人公はとにかく電車を運転するのが好きなんですよね。そこにべつに理由もないし、結婚したからと言ってそれが変わるわけではないし、共産主義者になったからと言ってそれが変わるわけでもない。思想が胃痙攣に無力であったように、もっとなにか自分という肉体にぴったりと寄り添った「嗜好」のようなものを押し通していくありさまがある意味では潔いし、ある意味ではその理由の無さからあくまで文章の中では異様な行動様式に映るのかもしれません。それとカミュの主人公との間にどれほどの懸隔があるのかわかりませんが、個人的には全然違うんじゃないの? という気もしますね。

椎名麟三はまだまだ現代的なテーマを持った作家として生き続けていると思います。

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