高見順『如何なる星の下に』を読みました。

いま読んで面白いか? と言われると若干評価が難しいところもあるが、いわゆる「小説の書けない小説家」がその様子を小説として書いていくというある意味での「ズルさ」を持った小説。まあこれがどこまで史実と違うかどうかどうでもよくて、一応最終的な「オチ」は最後に明かすつもりで書かれたのだとしたら、意識的な技巧も散りばめられているのでしょう。

根底にあるのは舞台となっている「浅草」への愛情でしょう。同じ映画を見ても丸の内のハイソな観客にとっては「貧乏」は笑いの対象でありながら浅草の観客たちはわがことのように落涙する……というこの描写は非常によかった。同じように、夜更けの火事の場面でもいつもは化粧で繕って舞台上で張り切っているダンサーたちが、化粧を落としてぼんやりした「黄色い顔」で窓から顔を出している場面も非常に印象的。最後の方に出てくる、日向ぼっこのために移動雑貨屋に群がる女の子たちと盆栽の比較とか、こういうのは愛情がないと書けない。計算で小説を書く人にはできない描写なんだろうと思いました。

割と「描写の後ろに寝ていられない」点が強調されがちな高見順ですが、なんかもっと、濹東綺譚的な味わい方もあるのだなあと読んでみて思いましたね。

あとは実在する食べ物屋さんがたくさん出てくるんですよね。ちょっとネットで検索すると現在でも営業している老舗もあるようです(作中の店名は少しアレンジしているのもわかります)。どじょう鍋などぼくは食べたことないですが読んでいると、なんかこれで一杯やりたくなるような、そんな気持ちにもなります。

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