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接続詞が見つからない

 目覚めたとき、部屋は薄明るいとも薄暗いとも言えるような色彩だった。もし白い カーテン越しに朝の光がさしこんでいたならけっこう情緒たっぷりの雰囲気だったかもしれない。けれど、あいにく部屋の窓に設置されているのはブラインド だった。それでも窓の反対側に置いてある藍色の冷蔵庫の扉に映ったストライプ模様は、アスファルトの上で生活するリアリティのようなものを表現するには充 分すぎるほどだ。ぼくの眼は確かに開いていたけれど、体中がばらばらになってベッドの上に置かれているような感覚がしていた。右のてのひらを顔の上に持っ てきて、ああこれがぼくの手か、といちいち確認しなければならいほどだった。てのひらは裏返され、左のてのひらに観察は移る。重い眠気はぼくと世界とを未 分化なるままに放置するものだから、せめて目覚し時計の轟音で聴覚を呼び覚まして自分の存在を対象化しなければならなかったのだけれど、当の目覚まし時計 は都合よく鳴ってはくれない。第一、昨夜は疲れ切って部屋に戻ってきたからセットしないままベッドに倒れ込んだはずだ。
 昨夜? そう、昨夜。ずいぶん時間がたったような気もするのだけれど……。
 持ち上げていた左手を下ろして目をこする。そうやって視覚を呼び覚まそうとしたのだけれどまぶたは腫れ上がったように動きが鈍い。きっと鏡を見たら真っ 赤に充血しているだろう。ずいぶんと長い時間眠ったはずなのに。だから寝すぎるものじゃない、人間は一○時間以上眠るとかえって疲労が蓄積されるんだ、よ くテレビで言っているだろう。そんな声を頭の片隅で聞きながら再び世界と同一化するべく、眠りへのスロープを緩やかに滑り降りようとしていた。と、どこか で、といっても部屋の中のどこかでブウンという低い振動音がした。携帯電話のバイブレーションだ。規則的に一回、二回、三回……それ以上は続かなかった。 ぼくの目はもう閉じていた。だからその響きは耳でとらえたはずだ。目で音をとらえることはできない。そんな当たり前のこと、いちいち言っていたら終わらな い。でも本当にそうだろうか? 冬の寒い朝、網膜がふるえるような青空を見たとき、ぼくは確かになにかを眼で聞いているのではないか……やめだやめだ、そ ういう言葉遊びに関してはちゃんと世の中に上手なプレイヤーがいて、彼らがちゃんと日々量産してコマーシャリズムにほんの数バイトの情報として売っている んだ。それをぼくがまねしようったって無理だ、ぼくが手を出せる世界じゃない。これ以降、文学的表現というものをぼくはできるかぎり慎もうと思う。文学 「的」なるものは文学ではない。
 バイブレーションは三回で止まった。ということはメールを受信したということだ。迷った。メールならあとで見たってかまわないからこのままもう一度眠っ てもいい。でもとりあえずこれをきっかけに起き上がってメールをチェックした方がいいようにも思う。もしかしたら急な返信を求めているかもしれない。で も、ぼくのメールアドレスを知っている人間を一人一人思い浮かべてみて、まずぼくに急用があるような状況は考えられなかったし、大事な用件なら電話をして くるはずだ。ぼくは寝返りをうって再び枕に顔をうずめた……と思う。
 次に目覚めたときも部屋の光線の具合は同じような感じだったから、ぜんぜん時間がたっていないんじゃないかと思った。けれど一度目に目覚めたときの、眼 球にべったりへばりつくような眠気はなくなっていたから、やっぱり相当な時間をあれからまた眠っていたのだろうと思う。ぼくはベッドからはい出した。
 腕時計を枕元から取り上げて、それが午後四時二○分を指していることを確認すると腕にはめ、机の上に置いてある携帯電話のディスプレイを見た。メール二 件、着信一件と表示されていた。二通のメールはいずれも同郷の友人澤田からのもので、「オハヨー。今日も朝から鬱だよう。人生どーでもよくねー?」という ものと「今日も昼飯はマック。安い死ねー。おまえ、ちゃんと食ってるか?」といういつもながらの内容で、この男はつい最近はじめて携帯電話を買ったものだ から誰かにメールというものをしたくてたまらないらしい。手で書けば決して書けるはずのない「鬱」という文字が出てきたり、「死ね」という変換がミスなの か故意なのか判断しにくいあたりが彼らしかった。こういう散乱した自意識に付き合うほどの気力も時間もないから面倒でも消去する。自分の携帯電話にどうで もいい内容のメールが保存されているのがなんとなくいやだ。
 着信のほうは妹の友美からで、用があればまたかけなおしてくるだろうと思って携帯電話はそのまま机のすみに置いた。それからもう一度腕時計を見て時刻を 確かめた。四時二二分。なにかを始めるには遅すぎるし、なにかを終わらせるには早すぎる時間。そしてなにもしていないぼくにとっては真空の時間だ。顔を洗 いたかったから結局もう一度時計をはずした。ラジオをつけてボリュームを上げ、洗面所に入って冷たい水で顔を洗う。コンタクトレンズをつける。そこで視覚 がはじめてはっきりと目覚める。ぼくはひどい近眼で、コンタクトレンズを入れていないと対象との距離感覚がつかめない。はいつくばって舐めるような視点で ものを見るか、なにもかもがはっきりと見えないことにいらいらして一番まともに見える自分のつめを噛むしかできなくなる。コンタクトレンズをつけること は、ぼくにとって第二の目覚めだ。
 洗面所から出ると着替えてインスタントコーヒーを一杯作り胃に流し込んだ。ラジオからは他の局で声を聞いたことのある女性のパーソナリティーが、最近一 曲だけヒットした若手のロックバンドのメンバーにインタビューしている様子が流れていた。なんでもその曲の歌詞が失恋の内容で、メンバーの実体験に基づい ているのか否かという話題のようだった。「井上さんでも失恋するんですかア」とコメントしたところでその曲がかかった。もう最近、レンタルショップに行っ てもコンビニに行ってもセンター街に行っても耳に入ってくる曲だ。それでも、と言うか、だから、と言うか、ぼくはこの曲が嫌いではない。大学生にもなって 和製ポップスばかり聞いているとたいていはバカにされるものだけど、日本語の歌詞のついた曲しかぼくはどうもしっくりこない。英語はできるほうではないか ら洋楽を聴いても対訳を見ないと理解できないし、理解できる範囲で考えてみても、たとえば「Love is real」のようなフレーズに出てくるbe動詞の妙な説教くささが鼻についてしまう。このことを友人の森田さんにしたときに、彼女は「でも、日本語ってな んなのよ」と言った。
「それじゃあ『ラブはリアルだ』って言ったら君は納得できるの? だいたいねエ、私たちが今使っている熟語表現だって日本語じゃなくてもともと漢語なの よ、外国語なんだから。昨日の国語学概論で習ったばっかりでしょう。それとも、出席していなかったの?」
 その通り。その時間ぼくは不忍池まで散歩に出かけていたんだ。でもまあ、彼女の言うことはその通りだと思う。
 高校時代「当たり前のことを当たり前にやれ」と担任教師がことあるごとに言っていた。ぼくはわりにこの言葉が好きだった。他の友人たちはその老獪教師の 言うことなすこと全てを陰で戯画化しては笑っていたけれど、たとえば教師用そろばんの上に正座させるような、漫画に出てきそうな鬼教師ではぜんぜんなく て、遅刻すれば怒るし、早弁や漫画雑誌を見つければ怒るという程度だ。今考えれば教師としての仕事を真っ当にやっていたのはあの人ぐらいだったと思う。た いていの教師は笑って「気をつけろ」と言うくらいだ。そうでもしないと生徒は教師に寄り付かなくなる。
 森田さんに言われたことを自分で考え直したときに「当たり前」のことというのはなぜ「当たり前」なのだろうかという疑問が浮かんだのだけれど、日本語が 純粋な大和言葉ではないという話題がどうして「当たり前」の話につながったのか正確にはちょっとわからない。もしかしたら森田さんの言葉ではなく存在感と か雰囲気のようなものが喚起させたのかもしれない。ふだんあまり会う人ではないから。
 「当たり前のことを当たり前にやる」ためには「当たり前」という無意識を意識の境界にまでひっぱってくる力は必要だ。やっぱり高校時代通っていた予備校 の現代文講師が「みんなが当然と思っていることに疑問を持つことから哲学が始まるんだよネ」と、得意の語尾をつけて言っていたのを思い出す。「どうして売 春をしてはいけないのか」とか「どうして人を殺してはいけないのか」とかいう類いの問いに対して「そんなことは当たり前だヨ」という答えではなくて、理路 整然とした答案を提示することは難しい。「どうして私は自殺してはいけないのだろうか」「どうして私は生き続けなければならないのだろうか」というような 極端に自己へ向かう問いになるとさらに難しくなる。一旦この疑念を抱いてしまうとそれに絶対肯定的な答えを与えない限りは、本当に自殺するか思考停止して 生き続けるかしかない。生きるのが途端に苦しくなる。そして、……少なくともぼくはそういう人間だと思う。
 ただ、今のぼくにはその絶対肯定的な答えがある。恋という陶酔。こう書くといかにも陳腐で、チンプという言葉とチープという言葉の音が似ていることにつ いて論文でも書こうかとかなんとかすぐに話題をそらしてしまいたくなるくらい妙な恥ずかしさをおぼえる。森田さんのことが好きなのだ。大学に入ってからは じめて言葉を交わした女性が彼女なのだけれど、男子校に六年も通っていたぼくが惹かれてしまうのは当然と言えば当然で、それは周りから見てもすぐにわかっ てしまうものだったらしい。森田さんをよく知るある口の悪い男は「お前の恋はな、刷り込みってやつだよ。ひよこが生まれてはじめて見た動くものを母親と思 い込むってやつ。昨日の発達心理学で習ったばっかりでしょう。それとも、出席していなかったの?」と言ってげらげら笑った。たぶんその笑いは自分のたとえ 話に対してではなくて森田さんの口真似をしたことに対してだったのだと思うけれど、そのときのぼくにはわからなかった。
 森田さんはフランクでファッショナブルでブライトで、でもこういう言い方をすると八○年代の青山通りあたりにいそうな雰囲気しか出なくて自分の語彙の貧 しさに絶望するのだけれど、ぼくが言いたいのは彼女が「素直」とか「明朗」なんていう漢語よりもそういうカタカナ英語的表現を惜しみなく身にまとっている 人なのだということで、それが「スタイリッシュ」であろうと「セクシー」なんであろうと大した違いはない。もっともこれは森田さんに恋をしているぼくの認 識だから当てにはならなくて、「理屈っぽい女だ」と言う人がいれば「論理的な話し方をするから説得力がある」と言う人もいるし「ときどきなにを考えている のかわからない」とこぼす人もいればぼくなんかはそういうところにこそ惹かれる。彼女についてほとんどなにも知らないけれど、どうして誰も彼女について ちゃんと理解しようとしないのかと憤ることもあれば、実は本当のことを知らないのは自分だけだとしょげることもあるし、その矛盾もちゃんと自覚していて、 苦しいし、勝手な物語の中で彼女を遊ばせることも多い。
 森田さんについて知っているのは次のようなことだ。
 まず、事務所に入っている。本人は「レッスンを受けたいから所属しているだけ」だと言う。劇団にも所属していて年に二回くらい公演をやっている。顔のこ とはぼくの口から言うとまた良いこと尽くめになるから控えるけれど、美人だと言う人もいれば普通だと言う人もいるし「あんなのが?」と反語を投げつけてく るヤツもいる。人の顔に対する評価なんて誰に対してもその程度なのかもしれない。「見た目よりも大切なもの、君には思いつかないの?」と森田さんなら言い そうなところだし、舞台で演技をしている姿を見れば誰だってそう思うはずた。もちろんぼくもそういう一生懸命な姿に惚れたわけだ。
 それから、シンプルだ。朝早くから授業に出て、授業が終わると劇団の練習に向かい、公演前でなければ土日はアルバイトをするという生活そのものがシンプ ルだし、着ているものも変にこだわったようなところもなければ自意識過剰なところもないし、かといっていつもティーシャツにジーンズのような型通りの演劇 少女であるわけでもない。「ない」という言葉で可能性を消していったところでなかなか彼女姿に近づくことはできないけれど、言葉で説明しようとするとその どれからもするりと抜け出てしまう。もう、最後にはぼくの紹介文なんかあてにならないから彼女について知りたければ直接会ってみてくれ、としか言えなくな る。
 最後までコーヒーを飲み干した。毎日午後六時には夕食をとることにしているので、冷蔵庫を開けて昨日作り置きしておいたサラダと適当に買っておいた惣菜 しか食べられそうなものがないことを確認すると財布を尻のポケットにつっこんでアパートから外へ出た。
 三寒四温の言葉どおり、昨日までこのまま春に突入するのではないかと思わせる陽気だったけれど、今日はまた寒い風が吹いている。それでも冬用のコートを 着て歩くには汗ばむくらいに感じられる。部屋の鍵を閉めると階段をおりて商店街へ歩いていった。このあたりは小田急線の和泉多摩川駅を中心にして線路と商 店街とが十字に交差している。ぼくの住んでいるアパートは十字に区切られた北東の面にあって、北に伸びる商店街へ出れば左折して駅に向かうことができる し、右折して十五分ほど歩くと多摩川のほとりに突き当たる。だからこのあたりの空気は川から流れてくるせいか都心よりもずっと涼しい。涼しいというのは決 して温度や湿度の差によって説明できるものではなくて、川が近いという意識もかなり作用していると思う。もう少し上流に行くと河原が整備されていて、芝生 の広場や駐車場、子供向けのちょっとした遊園具があって、そこでバーベキューもできるから天気のよい休日などは家族連れでかなりこみあう。そういう日には ぼくもたいてい散歩に出ていて、川沿いを歩きながら家族連れを眺める。青年と老人とは似ているとなにかで読んだことがあるけれど、こういうときにこの言葉 を実感する。楽しそうにはしゃぐ家族の光景を見て、かつては自分もあの輪の中にいて周りから幸福と目されていたのだと自分に言い聞かせたりして、簡単に深 刻主義におちいってしまう自分の性格を矯正したりする天気のいい日曜日の午後というのは、半月に一度くらいは欲しい。
 土曜日の夕方だったから、商店街は買い物に出てきたたくさんの主婦で活気づいていた。駅から北へ伸びる北口商店街と南へ伸びる南口商店街とはそれぞれ全 く別の性格を持っている。南口商店街は戦後の闇市が発祥と言われていて、コロッケ屋に駄菓子屋、乾物屋、荒物屋など昭和の空気を今に残すところだ。テレビ や雑誌で言われるほどそういう商店街が、わざわざテーマパークとして復元しなければならないほど絶滅の危機に瀕しているわけではなくて、東京も郊外に行け ば五日市街道沿いにたくさん「昭和」は息づいている。一方で北口商店街は平成元年に駅周辺が開発・整備された際にチェーン店を誘致するかたちで造成された もので、大型スーパーマーケット、コンビニエンスストア、レンタルショップ、焼き肉屋や喫茶店のチェーン店、ファーストフード店が並ぶ。ぼくが住んでいる アパートも整備のときに建てられたもので、同じようなアパートやマンションは付近に多い。駅を中心にして小田急線と二つの商店街とが十字をなしているとい うよりは、二つのT字型の一方をひっくり返してもう一方の上に乗せたと表現したほうが正確かもしれない。
 ぼくが入っていったのは北口商店街の大型スーパーで、駅から部屋までの道の途中にあるから生活に必要なものはほとんどここでしか買わない。特売のトイ レットペーパーが山と積んである入り口の自動ドアをくぐり、持ちにくい買い物かごをつかんで店内をぐるりと回る。魚売り場の生臭さがぼくの生活にもっと必 要ななにかを象徴している気がして、ぶりの切り身をかごに放り込む。冷凍食品売り場に足を向けて三種類のピラフとギョウザとをかごに放り込む。近くにあっ た牛乳も放り込む。
 ところで冷凍食品というのはレジに向かう最後にかごに入れるべきだと思う。冷凍食品をかごに入れたまま売り場をうろうろしていると気温で中のものが溶け てしまうし、袋の表面にびっしりと水滴がついて会計のときにそれをさわるレジ店員にいやな顔をされるからだ。ぼくはその店員の顔を今すぐにでも思い出すこ とができる。「酒田」というネームプレートをつけていて、ぼくが行くとたいてい4番のレジにいる。ちょっと見ると高校生くらいで、でも男子高校生がスー パーのレジでアルバイトというのもあまり聞いたことのある話ではないから、ぼくは勝手に店長の息子と決め付けている。学校から帰ってくるといそがしそうに している父親に「おまえ、勉強もしないでヒマならレジ打ちでもやれ」とかなんとか言われてしぶしぶレジに立つのだけれど、心の中ではスーパーを継ぐ気など さらさらなくて毎朝東京駅前の大きな横断歩道を渡るサラリーマンにあこがれているような男の子の物語をぼくは勝手に作っている。そうすると無愛想な応対も それほど気にならなくなるのだ。かえって無愛想が愛嬌にも見えてくる。もし次のような問題が入試で出題されたらぼくは満点を取ることができるだろう。

問一 なぜ「酒田」は無愛想なのか、その理由として適当なものを次のア〜エの中から一つ選びなさい。
 ア 昨夜好きな女の子に送ったメールの返事がまだ返って来ていないから。その子はメールの返事が遅いということで有名なのだが実際どれほど遅いのかはわ からない。やっと友達からメールアドレスを聞きだして昨日はじめて送ってみたのだが、はたして「メールの返信がない=その気がない」と早合点に処理して さっさと悲嘆に暮れた方がいいのか、それとも「遅い」のうちに今現在も自分が所属しているとして返事を待つ楽しみにふければいいのかわからないでいる。
 イ 野球中継が延長したために録画予約していたドラマが半分しか録れていなかったから。高校野球のチームが、弱小だったところから一人のエースのがんば りによってだんだん強くなっていく過程を描くそのドラマというのは、まるで自分のために書かれたのではないかと思わせるくらい「酒田」と似た状況設定で、 毎週それを見ることで自分の部活動の励みにしている。
 ウ 店長である父親に自分の意思に反してレジ打ちの手伝いをさせられているから。実は母親も若い頃この店でレジ打ちのアルバイトをしていて、店長(その 頃は店長ではなかったかもしれないけれど、とにかくアルバイトよりは「偉い」立場にはあったはずだ)がアルバイトの女の子を嫁にするというのもあまり外聞 のいい話ではないけれど、人目を気にしないところが父親の性格である。息子の嫁探しのためにもこのスーパーでは既婚女性すなわち主婦をパートとして雇うこ とに積極的ではないらしい。
 エ 朝の寝癖が夕方までなおっていないから。一○代の男子であるからには不機嫌と無愛想は当然と言えば当然だがそれにしてもなにかしらのきっかけがない といけない。この日はたまたま寝癖がついていたのが気にいらなかったらしい。便座の外に小便をしてしまったとか、ラッシュのために降りるべき駅で降りられ なかったとか、昨日時報と一緒に合わせておいた腕時計が今日はもう三○秒も遅れていたとか、なんでもいいのだ。
問二 問一で答えた根拠を本文の言葉を利用しながら五○字以内で説明しなさい。
問三 「酒田」についてあなたが思うところを「フリーター」「親子関係の希薄」「インターネット」の三語を使って自由に作文せよ。

 そういうわけで今日も4番のレジに向かうとやっぱり酒田がいて、ぼくはかごを機械の前に置いた。酒田の顔はいつもは明らかに不機嫌そうなのだが今日は無 表情だった。でも実際問題として不機嫌そうな顔と本当の無表情とを識別するのは難しい。それは無表情が往々にして不機嫌そうに見えるためで、本当に表情の ない顔というのはむしろ少し微笑んだ顔のことを言うのだという説もぼくは聞いたことがある。それでも直感的に今日の酒田はいつもと少し違うなという気はし た。ほんとうに、ただそういう気がしただけだのだが、それを証明するかのような出来事が起きた。会計を済ませると「いつもどうもありがとうございます」と ぼそりと彼は言ったのだ。とっさにぼくも「……っ、ああ」と、声にならない声を出す。
 不意をつかれるとうっかり素面を人前でさらけ出すことはよくあって、大学の構内をボケッと歩いているときに限って知り合いとすれ違って肩をバシンとたた かれたりすることはよくあるし、小学生の頃、夢中になって本を読みながら家へ帰る途中に電柱にぶつかりそうになったところを近所のおばさんに見られたり、 やっぱり小学生の頃だったと思うけれど自転車に乗りながらあんまり気分がよくて歌を歌っていたらすれ違った高校生にニヤニヤされたりすることはよくあっ た。とにかくぼくがその一言を聞いてひどく狼狽したのは確かで、酒田がぼくに向かってその言葉を発したということを認識するのに一秒くらいはかかった。一 秒というのはかなり長い。しかも彼は単に「ありがとうございます」という接客マナー最低限の言葉を客であるぼくに向かって発したのではなくて、「いつも」 という言葉によってぼくがこのスーパーにいつも来ていることを自分は認識しているのだということをぼくに伝えたのだ。だからこれは彼のアドリブであり、マ ニュアルを越えたものだ。ぼくはそう思ってなんだか懐かしいような気持ちになる。ひさしぶりに誰かに人間であることを認めてもらったような感覚と言ったら 大げさだけど、もし最近それと似た思いをしたときのことを思い出せと言われたらぼくは二年前に渋谷を歩いていたときに若い女の子から「山手通りはどっちで すか?」と交差点で尋ねられたときまでさかのぼらなければならない。でも、自分が「かけがえのない一人の人間」(他人が言うのを聞けば吐きそうな言葉ナン バーワンだけど)であると思わせるのがマニュアルとマニュアルたるところで、「顔をおぼえた客には『いつもどうもありがとうございます』と言うこと」なん てことがしっかり書いてあるのかもしれない。でもそれはあんまり夢のある話ではないからぼくはそういう選択肢を最初から考えないようにした。これは日々を 幸せに過ごすための小さな努力の一つである。
 買ったものを袋につめて店を出ると商店街には明かりが灯るところだった。店から家に戻りながら「問三」を解こうと思ったのだけれど、自動ドアをくぐった とたん外の風が「答えはぼくがすべて知っているんだよネ」と言っているような気がして考えるのをやめた。それでも人間の脳みそというのは不思議なものでな にも考えない状態を意識的に作り出すのはとても難しく、あとからあとから雑念を噴出させるからタバコに火をつけて思考停止しようかとも思ったのだけれど、 大きなランドセルをガチャガチャ言わせてジグザグに走りながらぼくを追い越していった三人の小学生の後ろ姿がそれぞれ「兄ちゃん!」「走ると!」「気持ち いいよ!」と言っているような気がして、クシャクシャにつぶれたタバコのパッケージをお尻のポケットから出すのをやめた。彼らは自分のことを飛行機かオー トバイかなにかと思っているのか「ウウウウウーン」と全員で合唱しながら手を横に前にしながら全速力で駆けていった。レンタルショップの店先では中古CD を中学生の女の子が三人で楽しそうに品定めしている。お弁当屋さんの前では主婦が二人で浄水器を買うか買わないかについて熱心に議論していた。そういうの を見ていると別に「問三」なんか解かなくてもいいや、と改めて思った。もっと考えるべき大事なことがあるはず――例えばぼくがこの商店街を堂々と歩くこと ができることとか。
 小学生や中学生や主婦たちに混じって一人暮らしの大学生が買いものに来るというのはごく当たり前の光景で、そんな場面を写真に撮ったってなんの賞ももら えないかもしれないけれど、風景の中に自分が溶け込んでいることの快さを感じるというか、自分が風景の中にいることを快いと確かに感じる。その快さは「当 たり前のことを当たり前にやる」ことの快さなのかもしれない、と言ったらうがち過ぎかもしれないけれど魅力的な仮定ではあると思う。考えてみれば、店員が なじみの客に「いつもありがとうございます」と言うことなんて当たり前も当たり前の話で、ぼくが勝手に抱いていた酒田へのイメージこそが「当たり前」では ないということになる。「いつもありがとうございます」と客に言って驚かれた酒田の方こそ驚いたかもしれない。たぶんこの商店街にも、なんでもないどこに でもある当たり前の商店街たらしめている空気が流れていて、それに従って生きていることを自覚することがあるかどうかは別にして、その空気がそこにいるす べての人間を共通項でくくっているのだと思う。それは日本人の場の連帯意識とかそういうしちめんどくさい社会学的なことではなくて、道路の真ん中でピエロ の格好でも平気というような自己肯定などいらないということだ。誰もなにも言わない――それこそが最大の肯定なのかもしれない。
 アパートに戻ってまたラジオをかけながら買ってきた食材で夕食を作り、きっかり六時の時報とともに食べ始めると電話が鳴った。携帯ではなく部屋の電話 だったので家族の誰かのはずだから「もしもーし」とまぬけな声を出して電話に出るとやっぱり妹の友美からだった。彼女も東京の女子大学に受かって去年茨城 から出てきたのだが、母親は二人に同じことを連絡するのが面倒くさいらしく友美に言付けて友美がぼくに電話をよこすという一種の家庭内連絡網ができあがっ ている。
「ひさしぶり、元気にしてる?」
 友美の声は母親と似ているから、彼女と電話をしていると途中から母親と電話しているような気分になってしまい調子が狂うことがよくある。友美が姉でぼく が弟であった方が自然だというのは家族全員が珍しく一致する意見なのだけど、でもそれは友美をぼくの妹であるという一面でだけ見てしまっている見方で、友 美は友美で長女という立場にあることを結構意識していて、そこがきょうだいとはいえ男と女の違いなのかもしれない。
「特別元気というわけではないけれど、まあいつも通りにやっているよ。それに年中元気でいるやつなんか信用ならない。今日な、いつも無愛想だと思っていた ――」
「待って待って、どうしてまたそういうひねくれた言い方をするの」
 「どうして」という部分で声が裏返るところがますます母親と似ている。
「ちがう、人の話は最後まで聞け――」
「そっちこそ人の話を最後まで聞きなさいよ。元気? って聞かれたら元気だって答えるのが当たり前でしょ。単なる挨拶よ」
「当たり前ねえ……」
 なんだか友美に酒田の話をする気が失せてしまった。
「そうよ」
「で?」
 友美の鼻息が受話器にかかっているのか、ぶわーと音がした。
「あのね、野島さんって人が結婚するんだって。式に出てほしいってお兄ちゃん宛てで実家に葉書が来ているらしいのよ。返事を出さないといけないからどうす るか聞いてくれって」
 野島さんというは高校時代に同級生だった野島小枝子のことで、ぼくが彼女についておぼえているのはその長くて黒い髪の毛と細い目だけで、制服を着た日本 人形というのがもっぱら彼女を形容する時のクリーシェだった。ほとんど話をしたことのないぼくにも招待状が来ているということはたぶん同級生の全員が招か れているということなのだろう。田舎の結婚式というのは半分、同窓会のようなところがある。
「野島さん……か」
「式は三月二九日になってるけど、お兄ちゃん、春はあっちに帰らないんでしょ?」
「母さんがそう言ってるのか? 言いそうだな。別に用がなければ帰るんだけど、この前もさ」
「は?」
「この前も、帰ったら帰ったで猫は死ぬし父さんは骨折するし、あんまりいいことないだろ」
「は?」
「父さん、退院したのか?」
「だから、出席なのか欠席なのかって聞いてるのよ」
「うん」
 話している途中から中心議題からどんどんはずれていってしまうのがぼくの癖らしく、友美は逆に電話だろうが手紙だろうが形式を大事にする人間だから話題 が一つ終わらないと次の話題に移ることを許さない。
「たぶん、今のぼくには野口さんのことなんてどうでもいいのかもしれない」
「野島さんでしょ」
「えっ?」
「いま野口さんのこと野島さんって、……じゃない、野島さんのことを野口さんって言った。私まで間違えちゃったじゃない、ほんとにどうでもいいみたいね」
「うん、まあ、そういうことだ」
「でもなんだか、野島さんのこと、昔は好きだったみたいじゃない?」
 友美の論理性の中で唯一の例外が恋愛の話で、この手の話題になるとどんなに強引でもほれたはれたの話に結びつけてしまう。友美の中ではそこに疑問をさし はさむことが考えられないくらい強烈な論理でそれらは結ばれていて、それがおもしろいからたまに聞きたくなってわざとあいまいな言い方をよくするのだけれ ど、今の友美の反応は語尾が笑っていたからそのことをちゃんと自覚しているのだろう。
「欠席かな。そう伝えておいて」
「そうしておくね」
「そうしておいてくれ」
「そうしておくね」
「しつこいなあ、おまえも」
 それがおかしくてどちらが自分の笑い声なのかわからないくらい二人でげらげら電話口で笑い合った。やっぱり友美はなにか言いたいらしい。ぼくは立ちっぱ なしで電話していたからベッドに腰を下ろした。
「ねえ、森田愛美さんって知ってる?」
 友美の口から森田さんの名前が出てきたからぼくはせっかく座ったのにもう一度飛び上がらなくてはならなかった。でもモリタマナミという名前はそう珍しい ものではなくて、ある有名な少女漫画に出てきた脇役の女の子の名前が森田愛美だったのをぼくはよくおぼえている。
「どちらの森田愛美さんだろう?」
「たぶん同じ大学にいるんだと思うんだけど」
 それならやっぱりぼくの知っている森田さんのことだ。
「うん、まあ、知ってる」
「やっぱり! あのね、今すごい有名なんだよ」
「なにが有名なの」
 ぼくがへたくそな推理ドラマみたいにわざわざそう聞き返したのは、友美がぼくの森田さんに対する気持ちを知っているんじゃないかと思ったからだ。もしそ うだとしたら大変だ。妹にそんなことを知られている兄ほど情けないものはない。
「インターネットで愛美さんのサイトがあって、そこにいろんな文章が載っているのよ。私の周りで密かなブームよ。ドメインがお兄ちゃんの大学になっていた からもしかしたら、と思って」
 「有名」というのは友美の周りでの話であることがわかってほっとした。それにしてもぼくは本当に森田さんのことを知らないな、と思った。所属している劇 団のホームページに自己紹介が載っているのを見たことがあったけれど彼女自身が自分のサイトを運営しているなんてはじめて知った。でもぼくが知らないんだ からみんなも知らないだろう。もしぼく以外のみんなが知っていてぼくだけが知らないとなるとそれは明らかな作為であって、彼女のホームページにぼくにとっ て都合の悪い記述が存在するということになる。まさかぼくの悪口が書いてあるわけでもないだろうし、恋人とのおのろけ日記が日々更新されているわけでもな いだろうし、友美だってそんなものおもしろがるわけがない。じゃあやっぱりぼくだけが知らないというわけではないんだろう。大学では一年生のときに情報処 理という授業で一応全員がホームページを作らされることになっていて、ぼくも題名とメールアドレスだけ書いたホームページを作ったけれど、たいていの人は 単位をもらってしまうとそれ以上手を入れるのをやめてしまい卒業とともにアカウントが削除されるまでそのページは放置される。でもときどき授業をきっかけ に凝り始める人がいて、ぼくの周りにも何人か掲示板やらチャットやら設置したり書きためていた詩を載せてみたり日記をつけてみたりし始める人はいた。森田 さんもそうなのかもしれない。
「ふうん、見てみたいな」
 あまり興味のないふりをしても白々しいし、かといって急にくいついていくのも不自然だからぼくはそんな言い方しかできなかった。
「ぜひ! 見てみて」
 それにしても友美が過去に夢中になったものを並べていくと、習いたての英語でエリオットを読んだりだとか、ダイエットと称して筋肉がつるほどヨガをやっ たりだとか、チェブラーシュカのグッズを唐突に集め出したりだとか(そのおかげで彼女は大学に入って第二外国語を迷わずロシア語に選択した)、どこかかた よったところがあって、もちろん見ているぶんには面白いのだけど一度インディアカというバドミントンのようなスポーツにはまったときには毎週末どこかの体 育館に連れ出されては相手をさせられて大変だったのをよくおぼえている。森田さんのサイトのアドレスはメールで送ってもらうことにして友美との電話を終え た。
 中断されていた夕食をまた食べ始めるとなんだか味が感じられなくて、野菜炒めにむやみにこしょうをふってみたけれども舌の表面がちくちくするだけで、ご はんと一緒に口の中に押し込んでさっさと食べ終えてしまった。ベッドに横になって小説を読んでいると、また携帯電話がふるえる。今日三度目の澤田からの メールだった。「金曜日飲まねえ?ちょっと失恋しちゃってさあつきあってよ」という、句読点も足りなければ「?」のあとにスペースも入れないあいかわらず 読みにくいメールで、壁にかけてある「世界の名画カレンダー」の二月はなぜかゴッホの「ひまわり」なのだけれど、その絵の部分にまではみ出すほど書き込み がしてある中で妙に白さの目立つ部分があると思ったらそれが今週の金曜日だった。「六時、ハチコウ前、でいいな?」と、必要最低限の用件だけ打って返信し たらすぐに大仰な言葉で飾り立てたメールが返ってきて、彼が小躍りして喜んでいる姿が容易に目に浮かんだ。大学こそ違えど高校からの付き合いで、一緒に東 京に出てきたわけだからたまに会うのはいいもので、前に澤田と会ったのは去年の夏だから半年ぶりになる。本当は「失恋」なんてしていないのかもしれない な、と思った。「ちょっと」とか書いてあったし。
 人と会う約束をしたから今日はもう眠ろうと思った。さんざん眠った後だから眠りにつくのは簡単ではないけれど、本も閉じて携帯電話の電源も切って部屋の 電気も消そう。「待ち受け」ない時間。どうして携帯電話の画面は「待ち受け画面」と言い、電話をかけていない時を「待ち受け中」と表現するのだろう。電話 を持つ誰もが待っていたら誰のところにも電話はかからないじゃないか。でも、それもまた明日考えよう。今日はもう電源を切って、待つことをやめよう。今日 も誰とも会わなかった。友美とは電話でしゃべったけれど、顔を合わせてしゃべった人の顔を一日の終わりに思い出そうとしてもまるでかいのない生活がこれで 何日続いたのだろう。そしてあとどれくらい続くのだろう。あ、でも酒田――……


 翌日は朝の六時に目が覚めた。もう部屋の中も明るく、思い切ってふとんを蹴飛ばして起き上がった。まだ鳴っていない目覚し時計を三つ、枕もとと机の上と 冷蔵庫の上とを順番にパチパチと消していく。窓を開けてコーヒーの匂いが充満した部屋に新しい空気と日光を入れる。ベランダに出て空を見上げると小田急線 の高架橋の上にきれいな青空が広がっていた。その天気のよさといったら病み上がりにかじったシトラスのようだ。あるいは病院の屋上で干している真っ白な シーツがはためく、その背景の青。そんな下手なことを考えて思わずにやけてしまう。もちろんそれは自分の表現力の余りの欠乏に対してではなくて(しまっ た、言わないつもりだったのに)、単に朝早く起きたというだけで気分が浮ついてしまう妙な自分に対して。こういう変な気分の朝だからぜひ変なことをしよう と思って、多摩川の河原までジョギングにでも行くことを思いついた。ぼくが思いつくとんきょうなことなんてその程度だ。
 ペットボトルのお茶を片手に持ってティーシャツの上からパーカーをはおると外に出た。お店のシャッターがまだ下りていて酔っぱらいが電柱の下に倒れてい る商店街の景色を予想していたのだけれど、それは見事に裏切られて、店の前を掃除している腰の曲がったおばあさんや、これから出勤するのであろうサラリー マンや、朝の練習に向かう中学生の集団や、そしてぼくと同じように朝の散歩を楽しんでいるたくさんの人がいた。考えてみれば朝だから多摩川までジョギング に行くなんてことはこのあたりの人にとっては当たり前のことで、それをとんきょうなことに思ってしまうぼくの感覚のほうこそ一体なんなのだともう一度思い 知らされる。大学に入ってからもう三年もここに住んでいるというのに、ぼくにとって多摩川というのは夜中に友達と飲んでいて外の空気を吸いたくなったとき に行く場所であり、ぽっかりと時間が空いた午後に一人でのんびりしにいくところでしかなかった。
 商店街を駅とは逆の方へ歩いていくと住宅街が切れる。そして道路を一本はさんで土手というか堤防があって、それを乗り越えると河原に出ることができる。 そこまでたくさんの人が歩いたり走ったり犬を連れたりしていたのだけれど、ぼくはなんだかふわふわした気分だった。もし誰もいなかったら誰もいないという 風景を独占できたはずだったし、それをぼくは期待して部屋を出てきたはずで、あるいはこれまでそれを当然のことと思ってきたわけだ。この感覚は昨日買い物 に出かけたときと同じ感覚なのだけれど、一点違うのは今それを生まれてはじめて味わったかのような思いにこの朝の空気はしてくれるというところだ。でも五 分も歩けば、こんな散歩毎朝やっているよとでも言いたげな顔になってくるのはぼくの性格なのか。
 ぼくは歩きながら昨日眠る間際に明日になったらまた考えようとしたことを思い出そうとしたのだけれど、思い出すことができなかった。それよりも野島さん の結婚の話の方が強烈で、なにが強烈だったのかをもう少し考えてみると結局ぼくにとっては他でもないあの野島さんが結婚するということよりも、自分と同年 代の女の子が結婚するという事実の方が強烈で、もちろん話はもし森田さんが結婚するなら、という架空の話につながる。
 森田さんが男の人と結婚して子供を産んで主婦をやるようなタイプではないとぼくは勝手に思っているのだけれど、それは森田さんがセーラー服を着ていると ころを想像できないのと同じ次元のことで、実際彼女は十二歳から十八歳までセーラー服を着て満員電車に揺られて同じ格好をした同級生がうじゃうじゃいる駅 で降りて校門で友達に会ったりして教室に入ると自分の机といすがあって一日六時間びっちり勉強して帰りは肉マンかなにかほおばりながら予備校に行って、と いうような生活をしていたはずなのだけれど、まるで自分の母親にも当然少女時代があったことを「発見」したときのような違和感がある。過去の森田さんなん て知らない。知りたいとは思うけれど、知ることはたぶんできない。ましてや未来の森田さんのことなんてぼくにはわからない。知っているのは見たことのある 森田さんだけだ。ぼくはそこから彼女の過去とか未来を推測しようとする。それでもときどき森田さんの元同級生という人物から彼女についての昔のうわさを聞 く機会があって「昔はあんな人じゃなかった」とか「一時は四人の恋人がいた」とか、全く信じられない、あるいは個人的には信じたくないような内容もあるの だけれど「それが彼女の真実なんだヨ」と耳元でささやかれるとやっぱりそれは違うと言いたくなる。ぼくの周りには、ぼくの知っている彼女から直接判断する ことのできない様々な情報が存在していた。それはすべてぼくにとっては間接的なものであっても、他に頼るものもないからどうしてもぼくの知らない彼女の姿 をそれによって補ってしまう。想像できないところに周りから言葉の断片が入り込んで、膨張していく。そんなことをしていると単に「知らない」というだけの 部分に「美しい」とか「醜い」とか、なんの根拠もないのだけれど勝手な価値判断がいつのまにか生まれて、根付いて、次に森田さんに会ったときのぼくの振る 舞いを縛ってしまう。でもぼくは何度も実体のない言葉だけの亡霊と闘おうとしたはずで、何度かは勝利を収め何度かは敗北している。勝利というのは単なる力 の浪費だ。ぼくが行き着くのはいつでも「現在の彼女」という動かしがたいスタート地点なのだから。そこでは「知らない」という絶望をもう一度抱きかかえな ければならない。かえって敗北の方がぼくにとっては実りの多いものだった。それはぼくを狂おしい気持ちにさせ、ちがう種類の絶望に駆り立て、これこそが恋 なのだという気持ちにさせる。片思いの苦しみというのは大半がそういうものなのだと思う。決して言葉だけでは到達できないことを自覚したときの、「愛して いる」という言葉では決して「愛している」ことを伝えられないことに気がついたときの苦しみと同じ種類のものなのだと思う。ぼくは、彼女について本当にな にも知らない。降ってくる言葉の断片をかき集めてなんとか一つにまとめようとするだけ。そしてその努力が報われるものではないということも知っているし、 知らない部分をすべて言葉や情報で埋め尽くしたとしてもぼくが彼女を愛している証明にはならないし、誰も満足することはないだろう。どこに欠乏があるのか もわからない。そういう苦しみ。
 ひるがえって野島さんの結婚については事情が逆で、野島さんと言えば日本人形をそのまま人間にしたような風貌が有名で「いいお嫁さんになる」という言葉 を惜しみなく満身に浴びて育ってきたようなところがある。「たぶんクラスで一番早く結婚するよ、それもいいとこのお坊ちゃんと」なんていう本当によけいな おせっかいを小さい頃からされてきたようなタイプだ。そうして、本当にクラスで一番早く結婚してしまう。ぼくはなんだかそれが不思議でしょうがない。こそ ばゆい感じがする。それはちょっとやりすきだろと言いたくなるような、勧善懲悪のハリウッド映画を見ているような、登場人物のキャラがいちいちわかりやす いへたくそな小説を読んでいるような。野島さんのことは森田さん以上になにも知らないのに、野島さんについて勝手に抱いている少ないイメージが実現しよう としている。几帳面にクラスメイトの全員に筆で宛名を書いている姿が容易に目に浮かぶ。こういうことを言うとちょっと僭越と言うか、「お前なに様だよ」な んて怒られそうなのだけれど、たぶんぼくが野島さんに異性としての興味がわかなかったのは、彼女の一挙手一投足にわかりやすすぎるなにかがあったからだと 思う。なにを考えているのかわからないというよりは、実際なにも考えていないのが見ていてよくわかった。だからといってそのことで彼女を嫌っていたわけで はなくて、嫌うほどつっこんだ部分について知らなかったし、知るきっかけもぼくと彼女との希薄な関係においては起こらなかった。実際クラスメイトには「野 島はなにを考えているのかわからないから好きじゃない」と公然と言う人間もいたし、逆に「野島さんの、あのすべてを受け入れてくれるような笑顔にほれてい るんだよ」とぼくに向かって力説する人間もいた。だからぼくの彼女に対するイメージもあてにならない。もしかしたら「野島さんがこんなに早く結婚するなん て信じられない!」と悲鳴を上げているクラスメイトもいるかもしれない。それはわからない。わからない。
 もう少し考えれば森田さんのことと野島さんのこととを結びつけてなにか有益な結論を導くことができたかもしれなかったのだけれど、ぼくはいつのまにか河 原の砂利を靴の裏に感じていたから、考えるのをやめることにした。せっかくの朝をコムズカシイことで頭を悩ませるために使うのはもったいないような気もし たし。
 しかし河原は異常な光景だった。背の高さほどもあるススキが埋め尽くす中、所々に見える青いビニールシートはホームレスの小屋で、河原の一画が黄色い テープで区切られているのも最初はそういうものだと不思議に思わなかった。けれど、その中に警察官や検視官が立ったり座ったりしているのを見てぼくはこれ は普通じゃないなと思った。青いビニールで隠された部分の下には大きさから言ってどう考えても人の死体があるはずだった。テープで区切られた区画の中を見 ようと、犬の散歩中の中年男性やランニングの途中らしいジャージ姿の高校生やそのまま台所から飛び出してきたらしいエプロン姿の主婦が周りを囲んでいる。 高校生の一人が警察官に対して熱心になにか説明している。後ろのドアが開けっ放しになったパトカーも一台停まっていて、枯れ草を押し倒したタイヤのわだち が堤防の上の車道の切れ目から続いていた。その車道からもたくさんの人が河原を見下ろしていて、ちょうどぼくはその中にいるかっこうになった。わざわざ河 原まで下りていって「立ち入り禁止」と印刷されているテープで区切られた部分を覗き行く気持ちなど起こらなかった。悪趣味とか人道的見地とか人としてのマ ナーとかそういう問題ではなくて、あの四角い枠の中で不幸があったという事実があまりに唐突で、自分がその事実を見ているという状況を俯瞰するイメージを 持つことができないためだった。他でもないぼくが見ているということに意識を向けると目の前の事件がぼやけ、事件にフォーカスすると自分が見ているという こと自体がぼやけてしまう。あまりにそれは朝の散歩に似つかわしくない風景だった。
 ぼくは朝の散歩の中に溶け込むことはできても、河原の事件の中に溶け込む準備はできていなかった。たぶん、そこが現場の近くまで見に行ってしまう人間 と、堤防の上からそれを眺めてしまう人間との違いなのだと思う。ぼくたちは必死になって今そこでなにが起きているのかを把握しようとしていた。もしかした ら、それを言語化し要約して効率よく記憶の中に閉じ込めようとするために。そして「この前不思議なことがあってさ、いつものように朝のジョギングをしてい たら偶然、検死の現場に出くわしちゃって」なんて同僚や家族に語るために。その準備を、堤防の上にいる人間たちはしていた。そして午前六時に外を出歩くこ とさえさえ当たり前ではなかったぼくは、重ねて身に降り掛かったこの偶然事をいささか複雑な手間を取って理解しなければならなかった。どんなに荒唐無稽で あってもぼくは別の可能性を何度も探さなければならなかった。あれは映画か刑事ドラマの撮影で、ぼくは間違ってその中に入り込んでしまったのだ。どこかに 監督がいて、どこかでモニターをチェックしているはずだ。そうしたらぼくが部外者であることなんてすぐにわかってしまう。たぶん遅かれ早かれぼくはこの場 所からつまみ出されるに違いない。あるいは、仮にあのパトカーが本物だとしても誰も死んでいないかもしれない。これは単になにかを探しているだけであっ て、付近の住民もその作業に参加しているだけなのだ。あの制服の男たちは警察官ではなくて地元の消防団の人たちなのかもしれない。ならばぼくもこんなとこ ろにボケッと突っ立っていないで協力しなくちゃいけない……。けれども、考えれば考えるほど目の前の事実は反対に現実味をどんどん濃くしていった。
 ぼくたちは不思議なくらい、静かだった。堤防側にいる誰もが口をつぐんでいた。もし派手な交通事故とか、川に人が流されたとか、橋の上から今にも人が落 ちそうだとか、そういう状況であったら人々は互いになにかをささやきあったかもしれない。ぼくも「なにがあったんですか」と気楽に聞くことができたのかも しれない。けれど、その異様な静けさは青いビニールシートの下にある死体の存在をはっきりと証明していた。そしてその静けさを共有できない人間だけがビ ニールテープで囲われたぎりぎりのところまで押しかけていた。
 彼らは背伸びをして身を乗り出し、目を見開き、耳をそばだて、全神経を集中させているように見えた。それほどまでにして彼らはなにを見ようとしているの だろうか、彼らはなにを理解しようとしているのだろうか。けれどこの問いはむしろ、ぼくたち自身に向かって発せられるべき種類のものだ。答えは簡単だ、な にがそこで起きているのか、それでしかない。彼らは自分がそこにいるという興奮を、ぼくたちとはちがって大切にそのままの形でしまっておくに違いない、心 の奥の引き出しに。それがどういう意味を持つかは誰にもわからないけれど、それに目を向けなければならない意味を彼らは引き受けているに違いない。だか ら、ぼくはさっき彼らを「静けさを共有できない人間」といささか排他的な言い方をしたけれど、むしろ阻害されているのはぼくたちなのかもしれない。そし て、なにを見ているのかという問いがあまりにも容易なためにむしろぼくたちを縛るのは、なぜそれを他でもないぼくが見ているのかという問いだった。もう少 し正確に言えば、なぜぼくがそれを見るはめになったのか、という問いだった。
 なぜ?
 救急車がぼくの立っているすぐ隣に停まった。カバの口のように後ろの扉が開いて、中から白衣とヘルメット姿の男性が二人出てきて堤防を駆け下りていき黄 色いテープをくぐって中に入った。そして青いビニールシートをめくってしばららく手を動かしていたが、最後に首を横に振った。ビニールシートは元に戻され 担架に移された。そのとき、シートがちょっとめくれて片足の腿の部分がほんのちょっと目に入った。その白さは遠くから見ているぼくにもはっきりと映った。
 なぜ?
 ぼくが考えようとしても、目の前には事件の内容が次々と展開されていく。ぼくのすぐ横を戻ってきた担架が通り抜けた。そして救急車はゆっくりと、静かに 走り去った。中には手を合わせる人もいた。彼らは理解したのだ、「心ある」人間として。手を合わせることで「心ある」人間に溶け込んだのだ。誰かが死ん だ。いや「誰か」ではない。名前もある。性別もある。友達もいれば、家族もいたかもしれない。一体何人の人があの人のために泣くのだろうか。あの人がいな くなったことで何人の人が心を痛め、その傷を背負ってこのさき生きていかなければならないのだろうか。もしかしたらあの人とどこかで出会っていたかもしれ ない、あるいは生きていたらこれから出会うかもしれなかった。……そういうことを理解したのだ。そしてそういうものは簡単に伝染するからさっきまで黙りこ んでいた土手側の人も、河原側の人と同じように思わず手を合わせてしまう。ぼくも手の甲が少しうずくのを感じた。それはいい、でも、なぜ他でもない自分 が?
 救急車が見えなくなって人々は元の自分へ戻り始めた。今手を合わせていた主婦も自分の家へ足早に戻っていく。彼女は朝食の支度の途中だったのかもしれな い。犬の散歩もランニングも、中断されたものは再開されなければならない。ぼくも家に戻らなければならなかった。いつまでもここにいるわけにはいかない。 中断されたものは再開されなければならない。


 金曜日になって、あまり気乗りがしなかったけれど夜は渋谷へ行った。約束した時刻より三○分遅れて澤田はやって来た。ぼくは時間には昔からうるさくて常 に五分前行動を励行してきた人間だから、二○分経ったあたりから腹が立って仕方がなかったのだけれど、一方で「こんなに腹を立てるなんてどこかおかしい」 という思いもあって、やっぱり河原での事件が神経系に影響しているのだと自分に言い聞かせた。そう考えるとこの二日くらいあまり気分が晴れなかったのも説 明がついてしまうのだけれど、ちょっと人の死体を目の当たりにしたくらいで気が滅入ってしまう自分のナイーブさを貴いと、少し思った。ぼくたちは毎日テレ ビやネット上でたくさんのものを見ているようだけれど、それらはブラウン管に映ったものや液晶モニターに映ったものであって、やっぱりそれは見ていること にはならない。光の点滅があたかもそうではないもののように演ずる様を見ているのであって、それは実際画面に近づいていけば行くほど、というのはそのもの をもっとちゃんと見たいと思えば思うほど擬態が明らかになる。「テレビは離れて見ましょう」という当然の注意書きも本当は「テレビは離れて見ないと、本当 らしく見えません」という意味なのではないかと疑ってしまうほどだ。そのことをちゃんと体が覚えていることに、ぼくはホッとしたわけだ。
「よう、わりいわりい。人身事故だよ、人身事故」
「地下鉄で人身事故なんて珍しいな」
「あっ、疑っているわけだ、そうなんだ」
「ちがうよ、感想を述べただけだよ」
 澤田の姿を見ると、しつこく残像として網膜に残っていた河原の光景が吹き飛ぶように感じられた。あの真っ白な足と、目の前の日焼けした若者と、二つは不 思議なほど明確なコントラストをなしている。あの朝の光景がぼくの前にすとんと下ろした暗幕を、澤田は遠慮なくバリバリと派手な音を立てて引き裂いてどっ こいしょと足からぼくの前を現れたのだ。そういう対立関係は、文章の中にはあっても現実の中にはなかなかあるものではない。ぼくにとっては幸福な関係のひ とつのかたち。
「だいたい『失恋』したわりに元気じゃないか」
「おいおい、おいおい」
 澤田は大げさにぼくに向かって手を振ってみせる。たいていの言葉はこの男の口にかかると反復させられる。
「こういうのをな、カラ元気って言うんだよ。ま、失恋もしたことのないおまえにはわからないだろうがな」
「誰でも失恋くらいはしているよ」
 交差点の方へ歩き出すと、二人で横に並んでは話せないほどの人だから縦に並びながらしゃべる。
「どこ行くの?」
 とぼくが聞く。
「この前と同じんとこ」
「階くらい変えない?」
「こっちがメニューをだいたいそらんじてくると、あっちも新商品を出してくるんだ。それを確かめなくちゃあ」
「物好きだな」
 澤田はだいたいにおいておおざっぱなのだけれど、ときどき妙なところにこだわりを持つ。高校のときも、辞書で調べた英単語にはすべて蛍光ペンで印を付け ておくというのに凝って、イエローは「はじめて知ったけど大して必要じゃない単語」、オレンジは「はじめて知ったし必要な単語」、グリーンは「前にも引い たけど忘れていた単語」、ピンクは「個人的に面白いと感じた単語」などと色分けまでして二ヶ月くらいは熱心にやっていたと思う。それをぼくがよくおぼえて いるのは彼の辞書をよく借りていたからで、その度に「submit」という単語をイエローで塗り始めながら上からオレンジ色で塗り直してあったり全体的に だんだんとグリーンが多くなっていく様をおもしろがっていた。そんな男だから行きつけの居酒屋のメニューを暗記することくらいしかねないし、案外また色分 けしておぼえているかのもしれない。「一度食べたけどまた食べたいもの」はグリーン、とか。
 横断歩道をわたりセンター街を抜けて、ちょっと繁華な雰囲気の無くなったあたりにぼくと澤田が会うときにいつも行く居酒屋がある。全席がボックス席に なっていて、周りを気にせずに話をすることができるので気に入っていて、澤田と一緒でないときでもぼくはよく使っている。
「金曜日だから混んでるだろうね」
 とぼくが言うと、
「いいや、渋谷はいつ来ても混んでる。月曜だからすいているとかいうことはない。そこが渋谷の渋谷たるところだ」
 と澤田は妙に理屈っぽく答えた。そんなものかとぼくは思ったけれど、ちょっと澤田らしくないな、とも感じた。失恋は人を詩人にさせるらしいから、澤田の 口ぶりがちょっといつもと違うのもかえって当然なのかもしれない。
 店に到着して席に案内されると適当に料理をたのみ、一杯目のビールで乾杯した。
「それで? 誰にふられたのさ。俺の知ってる人か?」
「誰に、というのは残念ながら今日の大きな問題ではない、です」
 そう言いながら澤田はかばんから一枚の紙切れを取り出して、ぼくの読める向きに置いた。それは結婚式の招待状だった。「出席」「欠席」という文字が印刷 してあって、まだどちらにも丸はついていない。ぼくはまさかと思って葉書をひっくり返した。案の定、「飯山(野島)小枝子」と差出人の欄に手書きで書かれ てあった。
「ああ」
 ぼくはうなずきながら葉書を戻す。どういう表情をしていいのかわからないからとりあえず眉毛を吊り上げてみせた。
「野島さん? 本当に? 冗談じゃなくて?」
「そういっぺんに質問しないでくれよ」
「まあ、ちょっと、最初から話してみてよ」
 ぼくはお通しの酢の物を口に運ぶ。
「最初も最後もあるか。俺は高校の頃、結構好きだったんだ。それが結婚だなんて」
 澤田はビールのジョッキをあおる。
「気持ちは伝えたの?」
「片瀬とつきあってたじゃんか」
「つきあってた?」
 それじゃあ「失恋」にならないじゃないか、と言おうとしたけれどそれよりも野島さんに恋人がいたことに驚いた。そんな話は聞いたことがない。
「ああ、あ。君も割と人を見た目で判断する口だよね。野島さんってけっこうモテたんだよ」
 料理が運ばれてきた。
「食べよう」
 片瀬というのはサッカー部のキャプテンというどう考えても学校一の人気者という定位置にいた男で、実際顔もよかったし性格もさっぱりしていて良かったか ら(そうでなかったらぼくなんかと口を聞かなかったはずだ)人気があった。大学には進学しなかったから今は地元の鉄鋼会社で働いているはずだ。その会社は 以前にJリーグのサッカーチームを所有していたからたぶん社会人チームも盛んなんだと思う。彼はそこで働きながら会社が終わると工場の広場でサッカーボー ルを今この時間も蹴っ飛ばしているかもしれない。
「まあ、片瀬とつきあい始めたのは卒業間近だったからなあ」
 二人で箸をうごかしながらぼくは澤田とどんな話をしたらいいのかよくわかっていなかった。ぼくが予想していたのは、たとえば大学のサークルにかわいい後 輩の女の子が入ってきてその子と最初のデートは渋谷のがんがんに冷房の効いた映画館でアクション映画、二度目のデートは新宿の御苑でお弁当を食べ、三度目 に誘おうと思って電話をかけたら仏文学科の留学生とつきあっていると告げられて昨日まで熱心に読んでいたスタンダールの『恋愛論』も一気に興ざめたとか、 アルバイト先の牛丼屋で知り合った服飾専門学校生の女の子に告白してみたのだけれど「あなたはいつも同じ格好をしているから私とはつり合わないと思う」と 言われ「自分だっていつも黒い服ばっかりじゃないか」と言い返したら「あなたには黒い服は全部同じように見えるのね」と言い返されてしまったとか、そうい うごく普通の大学生が最低二度は経験すべき種類の失恋話だった。
「野島さんに恋人がいたのは知らなかったし意外だけど、片瀬とつきあってたと言われると急に納得がいくような気がする。青春ドラマみたいだ」
 「美少女」「美青年」という言葉は近頃じゃうっかり口にすると野暮ったくてなんだかセンスのないお酒の名前のように聞こえて仕方がないけれど、二人が並 んで歩いているところを想像すると映画のワンシーンのようだ。
「だからこの葉書見てさ、ああ、やっと片瀬と結婚するのかあ、と思ったら姓の部分が『飯山』ってなってるだろう? なにかの間違いじゃないかと思ってアル バムを引っ張りだしてきて」
「むしろ、そっちの方がショックなんじゃない? 片瀬と結婚するなら素直に祝福できるけど」
「そう、二重に失恋だ」
「二重ではないと思うけど」
 ぼくは笑った。
「でもその『飯山』っていうのは誰なんだろう?」
「それなんだよ、そこなんだよ。岡田さんとか石川さんにも聞いてみたんだけどみんな知らないっていうんだ」
「おまえわざわざ聞いて回ったのか」
「メールしまくった」
 そのときぼくと背中合わせにいたグループがわっと歓声を上げた。澤田はちょっとそっちを見て、まだ半分くらい残っていたビールを傾ける。上を向いて飲み 干し、首を戻すときにもう一度ぼくの後ろに視線を送った。
「人の笑い声って」
 ドン、と思ったより大きな音を立ててジョッキが卓の上に置かれる。次の言葉を待ったけれど、澤田はそう言ったきり黙り込んだ。言いたいことはだいたいわ かる。「こういうとき、妙に心に響くよな」とか「ムカッとくるんだけどうらやましいよな」とか、もしかしたらもっと下劣な言い方を飲み込んだのかもしれな かった。もしそうだとしたら澤田は本当に野島さんのことが好きだったのかもしれない。冗談めかした言い方をしているけれど、本当はずっと傷ついているのか もしれない。
「なんで」
 もう一度澤田は短く言った。
「なんでその、俺でも、お前でも片瀬でもなく飯山ってやつなんだろう。どうして野島さんはそいつを選んだんだろう……飯山ってやつはどうして選ばれたんだ ろう」
「うん」
 ぼくはうなずくしかなかった。
「なんで俺じゃないんだろう」
「うん」
「いつも思うんだけど、どうして俺には野島さんのように二一歳で結婚するという人生が訪れなかったんだろう」
「なんか、論点ずれてきてるよ」
「そうだな」
 やっと笑みがこぼれた。
「でもそれは違うよ、人生は訪れるものじゃなくて選択するものだよ。だって今の大学だって入りたいと思って勉強して入ったわけだし」
「じゃあ、野島さんはすべて自分の意思で結婚を選択したのかな」
「そうじゃないの? その男と結婚したいからするんでしょ」
 言ってから言わなければよかったなと思った。彼の質問に対して自分の立場に一貫性を持たせて答えるつもりがかえって彼を傷つけかねない言葉になってし まった。
「違うと思う。世界中の男とつきあった上でその人に決めたなら選択と言えるけど……だってさ、人を好きになるのに『よし、この人を好きになろう』って意志 するか? いや、そうじゃないな、そうじゃなくて……」
「よっぽど自己評価が低い人ならそれはあり得ると思う」
「だから、そういう話じゃなくて」
「ごめんごめん、あせらずしゃべってください」
 ぼくは店員を呼び止めて二杯目のビールを注文した。
「お前の言い方だと、失恋という結果も俺が主体的に選択したということになるな」
「そう考えた方が、生きやすいのは確かだと思うけど。運命論っていうのはやっぱり悲壮なところがあるよ」
「もしかしたら、意思とか選択っていうのも後付けなのかもしれないな」
「おお、珍しくサエているね。野島小枝子なだけに」
 ぼくのつまらない冗談に澤田は眉一つうごかさなかった。酒が進むにつれて澤田はだんだん生真面目な態度になっていき、悪いことにぼくはどんどん酔いが 回っていった。
「恋が意志でできるのかな」
 澤田は相変わらずそこにこだわった。
「まずラブソングやラブストーリーを頭に叩き込んで恋愛感情を学習するんだよ。あるいは、これが恋なんだって自分の感情を認識するためにはラブソングを聞 くなりラブストーリーを読むなりして再確認しなくちゃならないんだ。そこは鶏と卵みたいなところがあるけれど、あ、これ、今の自分と同じだ、これが恋 か、ってね。でもそれは一度で充分だ。だから初恋は絶対にうまくいかない。恋がどういうものなのかを知らないんだから、相手に思いを伝えるやり方を知らな いんだから。少女漫画の告白シーンを何度も見てやっとわかる」
「ああ、あ。そういうこと言う人っているいる。たいてい恋愛が下手なんだよ」
 そう言われてぎくりとした。森田さんの顔が頭に浮かんだ。
「おまえってさ、頭で考えて人を好きになるタイプだよね」
「おお、体で感じて好きになったりしないよ。なに? きみは女の子全員と体重ねて感じちゃった人とつきあうわけだ、世界中の女と」
「体で感じるっていうのはあ、そういうことじゃなくて――」
 ぼくたちの会話はその後も二時間近く続いたけれど、あいにくぼくは酔いが回って記憶していない。でも、彼と実りのない恋愛論を戦わせながらもぼくの脳裏 には森田さんのことがずっとあったのは確かだ。


 河原での事件を思い出したのは翌日の昼間、大学の図書館で新聞をめくっているときだった。小さな記事が載っていた。二日酔いの頭にもその「多摩川河畔で 女性死体」という活字ははっきりとぼくの目をとらえた。記事によると、殺されたのは近くに住む女子短大生で、絞殺された遺体には着衣の乱れがあったという ことだった。犯人はまだ捕まっていない。ぼくは他の新聞にも同じ事件の記事が載っていないか探したけれど、遺体発見現場の位置が地図入りで少し詳しく出て いたりするくらいで新しい情報はなかった。
 残念ながら「レイプ」という三文字はぼくにとって生まれて初めて身近に感ずる言葉ではない。中学のときの話だ。その子とは中学に入ってから初めて知り 合ったのだけれど、教室に入ってくる誰にでも朝から挨拶をするような元気で明るい女の子で、道徳の教科書からペロッと舌を出してそのまま抜け出してきたよ うな模範的な女子中学生だった。きっと物事に対してはなんでも一生懸命やるのが最低限のルールであると思っていて、その場にいない人の悪口を言うなんてこ とはけっしてしないような子だった。個人的なことを言えばまともに挨拶をする女子と言えば彼女ぐらいのものだったから、ぼくはけっこう好きだった。けれど あの年代のことだからある程度は仕方がないのかもしれないけれど一部の女子のあいだではそのあまりにも模範的過ぎるところが好かれてはいなかった。でもそ ういう意味では人間的ではないところが彼女には確かにあって、いつでも笑顔、いつでも元気、いつでも大きな声――そんな思春期があったらまず嘘だと疑うも のだ。彼女は決して不用心な表情を作らなかった。常に見られているということを意識していた。そのことはもちろん当時はわからなかったけれど、振り返ると やっぱり絵に描いたような中学生というのは比喩になっていなかったと思う。そして結局それが彼女自身の意思でなかったことが明らかにされた。彼女が父親か ら恒常的に性的虐待を受けていたことを担任の口から知らされたのは、彼女が一ヶ月ほど欠席していたさなかだった。彼女の席だけぽっかりと空いた放課後の教 室で担任は彼女の境遇について語った。両親は彼女が三歳のときに離婚したこと、彼女は父親に引き取られたこと、父親は酔っ払うとアパートで暴れ、手を出し てくるということ。
「それがどういうことか、わかるな」
 けれどそう言われた瞬間にぼくを含め数人の男子は思わずにやけてしまったのだ。彼女が父親に犯されている場面を、偏った知識の中で想像してしまったから だった。今笑った者は立つようにと担任は静かに言った。それからぼくらを一人一人拳骨で殴った。空気の張りつめた教室でぼくたちが殴られる音だけが響い た。
「座れ。お前たちが今感じた痛みよりもずっと苦しい思いを彼女がしているということだけは忘れるな」
 それだけ言って教壇に戻ると何事もなかったかのように話は続いた。
「彼女は施設に引き取られます。また、病院にも通うことになります。みんなも気づいていたとは思うけれど、彼女はとてもいい子だった。いい子すぎたと言っ てもいいでしょう。それを不自然に思うお前たちの直感は正しかった。彼女は家での不幸を悟られないために必死に演技をしていたんだ。でも、それに対するお 前たちの対応は正しくなかった……
 話はそれから一時間も続いたと思う。ぼくはあれからエロ本というものを見ることができなくなった。そこに写っている女の一人一人がとてつもない不幸を抱 えているように見えて、その重々しさが自分に伝染してくるような気がしたからだ。
 結局、すべてのセックスはレイプなのではないか、程度の差こそあれ。担任に殴られたその日の夜、中学生のぼくは少ない脳みそで性欲というものについて考 えた。部屋を真っ暗にして、机のスタンドだけつけて、目の前には机の引き出しに隠しておいたその本を置いて。性欲が無くなれば世の中のたいていの事件は無 くなるんじゃないか。痴情のもつれもレイプ殺人も無くなるんじゃないか。ショックだったのはぼく自身がを彼女を犯す空想を一度となくしていたことだった。 それだけで自分が彼女をレイプしたかのような罪悪感を感じた。自分の性欲を憎み、勃起した自分のペニスを切り落としたい衝動にも駆られることもあった。
「あ、それそれ。君んちの方で殺人事件があったらしいね」
 びっくりしてふりかえると森田さんがぼくの見ていた紙面を覗き込んでいた。普段はあまりかけない眼鏡をしていたから一瞬わからなかった。そのとき、つい 最近似たような思いを経験したような気がしたのだけれどちょっと思い出せなかった。
「珍しいね、森田さんが図書館なんて」
 あわててぼくはそう言い繕う。性欲について考えていたときに好きな子と遭遇した人間がどのような顔をすればいいかなんてことはだれも教えてくれない。
「脚本を書こうと思って調べものよ。書庫なんてはじめて行ったわ」
「へえ」
 と、ぼくは感嘆の声をあげながらいそいで新聞をたたんだ。そこでやっと友美の言っていたことを思い出した。でもいきなりサイトのことを持ち出すのは、な んだか自分には明かされていない秘密を本人の目の前で暴露してしまうみたいで気が引けた。ぼくは直接彼女からその在処を聞かされているわけではないのだか ら。
「脚本を。どんな脚本を」
「まだ犯人捕まっていないんでしょ? 怖いよね。気をつけてよ」
 森田さんはぼくの質問には答えずにそう言う。逆にぼくは自分が森田さんの質問に答えていなかったことに気づく。でもそんな言葉をかけられて胸のどこかが うずくのを感じた。通り一遍の挨拶かもしれなくてもその言葉は森田さんの口から発せられたのだ。
「ああ、うん」
 阿呆のようにただ返事をする。
「それじゃあね」
 森田さんはさっさと二階へ続く階段を上っていってしまった。大学というのは不思議な場所で、人がたくさんいるように見えて知り合いと会うことはほとんど なく、同じ学科にいる人でも会えば「ひさしぶり」という接頭語が必ずはじめにつく。だから森田さんがまるで明日も会えることが当然であるかのように「それ じゃあね」とだけ言って立ち去ったのをひどくさびしく感じた。追いかけようかなと一瞬思った。理由はいくらでも作れる。でも、どんなにうまい理由をでっち あげることができたとしても不自然さは残るだろう。本当の理由は一つしかないのだから。
 それから妙に神経が高ぶって活字が目に入らないから図書館を出てしまうと、食堂に行って定食をかきこんだ。頭の中がかすみにかかったようにぼやけて、考 えるという行為がひどく億劫に感じられた。森田さんとの邂逅の映像を頭の中で反芻してばかりいた。彼女と会った後はそんな感じになってしまうのが常で、そ ういう、恋をしている自分を対象化して眺めることは難しかった。やっぱり澤田の言う通りなのだ。ぼくはいつでも感情だけを持て余してしまい、そこに溺れて しまう。あるいは、恋をしているという状況の非日常性に染まれるだけで満足してしまうのかもしれない。
 考えなくてもいいことが頭の中を支配していた。そのどれもが重く、そしてそのどれもが互いになんの関連も持っていなかった。考えないということは、対象 の存在を抹殺することではなくて目の端でそれを感じながらも見て見ぬ振りをすることなんだ、とぼくは考えることについて考えるという悪循環にはまろうとも していた。窓のない地下の食堂にいるとそれがどこまでも続くような気がしてたまらず席を立って、学生にパソコンを開放している情報棟へとぼくは向かった。 森田さんのサイトを見てみようと思ったからだ。友美に言われてすぐに見に行かなかったのは怖かったから。もしそこにぼくの知らない森田さんがいるのを知っ てしまうことが怖かったからだ。ぼくはなるべく森田さんに関しては意識して間接的な情報を排除してきたつもりでいて、いろいろな人が彼女に関していろいろ なことを言う一つ一つをできるなら確認していきたいという衝動にかられるのだけれど、それをやっても決して彼女自身にぴったりと追いつくことはできないの をぼくはよく知っている。彼女に過去何人恋人がいて、身長はいくつで靴のサイズはいくつで、一日あたり何通メールをして、睡眠時間が何時間なのかを知った ところで、それで一人の人間の一部分ですら知ったことにはならないのだと思う。どれほど数値化が合理的になされ平均値との差異が強調されたところで、それ がその人のたとえば個性と呼び習わすわけにはいかない。まあ、指輪の合数くらいは役に立つかもしれなないけど。
 ぼくは奥へ奥へと入っていった。縦横びっしりと教室内に設置されたパソコンはフル稼働状態で、空いている席はほとんど無かった。席に座っている全員が思 い思いの作業に没頭していて、人が多い割に教室内は静かだった。ハードディスクの読み書きするカラカラという音やモニターのブーンという低いうなりがか えって耳につくほどだ。友達同士数人で来ている集団も各々の画面に釘付けで、隣に座っている相手とチャットをしているらしい二人組もいた。喫茶店に行って お互い自分の携帯をいじくり合っているカップルよりはましか、とそんな姿を見ながら思い、やっと空いている席を見つけて電源を入れた。黒い画面は電流を流 しこまれてすぐに明るくなり、同時にぼくの周りの景色は一変する。視覚はディスプレイに略奪され、隣の席に座っている人間もどこか遠くに行ってしまったよ うに感じられる。ログインしてブラウザを立ち上げると、友美に携帯へ送ってもらった森田さんのサイトのアドレスを打ち込む。一字一字、間違えないように ゆっくりとキーを押していく。リターンキーをバシンとたたくと目の前にトップページが現れた。
 「too early to tell」と題されたそのホームページは、白い背景に黒い文字でメニューが並ぶというなんのひねりもないものだった。画像は一切ない。「自己紹介」「テキ スト」「掲示板」「メールはこちら」という四つのメニューボタンが題名の下に並んでいるだけだ。ぼくは内心ホッとしていた。黒い背景に灰色の文字で表示す るようなアングラの匂いがするでもなく、ショッキングピンクの背景にふりふりがついた素材をふんだんに使ったロリータの匂いがするでもなく、シンプルイズ ベストという哲学と自身のHTML知識の無さをはき違えているわけでもなく、むしろ意図した簡素さが森田さんの人となりをそのまま表現しているようにも見 える。メニューの下にあるカウンターだけは二万を越えていて、開設してから三年経っているとして一日二○人がこの場所を訪れていることになる。それが個人 の開設したサイトの訪問数として多いのか少ないのか見当がつかなかったけれど、たとえばぼくの携帯電話に電話をかけてくる人間の数を一日あたりに換算すれ ば、決して少なくないのではないかと思う。
 まず「自己紹介」をクリックしてみる。ところが劇団の自己紹介のページにリンクされていたので新しい情報は得られなかった。たぶんカーテンコールで出て きたところなのだろう、汗まみれでくしゃくしゃの笑顔の写真がいつもと同じようにそこにあった。こんなところで眺めていてもしかたが無いからページを戻っ て「テキスト」をクリックする。友美が夢中になっていたものがここにあるはずだ。
 ページが表示されるとまたメニューがあって、「脚本」「短編小説」「その他」に区分されていてそれぞれのブロックに題名が並んでいた。「煙草とスケッチ 帳」「コーヒーショップ」「拳銃をめぐるいくつかの問題」と脚本の題名が並ぶ。どうしようかと思ったけれど、「その他」のところにあった文章を最初にク リックしてみた。「シンデレラになる方法」と題されたのは次のような文章だった。

「きっと、困難にあるとき、わたしたちは物語によって自分を慰めることをするのでしょう。悲劇の中のヒロイン、困難に立ち向かうヒーロー。でも、わたしは 自分で言ったはず、シンデレラは最後まで自分が『シンデレラ』であることを知らないと。無残な叫び。『私がシンデレラなんだ! どう考えたって、私がシン デレラなんだ!』……わたしは何度それを繰り返してきたのだろう」
 これは私が初めて書いた脚本「煙草とスケッチ帳」の中で、主人公の女の子に言わせた台詞です。この劇は昨年、劇団呵々秋公演として上演されたのですが、 それほど評判が良いわけではありませんでした。それから私は公演のためには脚本を書くことができず、もっぱら自分がなにを書きたいのかをはっきりさせるた めに書いてはこの場所にアップしている状況です。
 下手な役者ほど台詞回しに気を使うと言います。「演技しない演技」こそが本当の演技なのだと言います。物語もそうだと思うのです。本当の物語とは「物語 ではない物語」のはずです。サクセスストーリーもシンデレラストーリーもそれが観客にさとられたとたん、ストーリーは死にます。あるいは役者が自分がシン デレラだと思い込んだとたん、全ての動作が嘘になるのです。シンデレラは自分が最後まで「シンデレラ」であることを知らないはずです。それなのに、役者は みんな役にはまりたがろうとします。そうではない、それではだめなんだ、と思って書いた脚本でした。なかなかそのことは理解されませんでした。
「おもしろくない」
 何度もそう言われました。でもみんなが求めているその「おもしろさ」とは一体なんなのでしょうか。それは結局、話の目新しさであって内容の問題でしかな いのです。既に、物語は出尽くしたのではないでしょうか、これだけたくさんの小説や映画や演劇が書かれて、まだなにを書けというのでしょうか。それが私に はわからない。わからなくて、あんなものができたのです。

 「煙草とスケッチ帳」という劇はぼくも見に行った。後で役者に聞いた話だけれど、あれはほとんどがアドリブで脚本には人物の設定とどうしても言わなけれ ばならないことになっている台詞だけが記されていたらしい。打ち合わせはなし。だから公演が始まったばかりの頃は本当にめちゃくちゃだったらしい。ぼくが 見に行ったのは最終日だったから、なんとか話に筋ができていたけれど、それでも所々破綻した部分があってその破綻が意図的なものなのかどうかよくわからな かった。森田さんは最終日、ひどく不機嫌だったという。
 「拝啓、上手に生きているあなたへ」と題された文章は次のようなものだった。これは少し長い。

 自分のことしか考えていなかったようで見ず知らずの他人の悩みまで抱え込んでいたときのことを久しぶりに思い出した。いつのまにか、他人の悩みも抱え込 んでいるようでその実、自分のことしか考えていない人間になってしまっていた。
 十代の頃は、――なんて昔話を始めるような二一歳をあなたはどう思うかわからないけれど、とにかく語らせてほしい。冒頭が鼻についたならあやまる。けれ どどうか最後まで読んでほしい。特にあなたがまだ二十歳の面影を残しているか、あるいは十代のど真ん中で愛を叫んでみることに躊躇しているなら。
 さて、人生は確かにフルコースで、食べるものが決まっているらしい。食べる順番まで決まっていて、マナーもあると聞く。小学校に入って友達と夕方遅くま で走り回ってけんかと仲直りを一日サイクルで回し、中学校に入ると今度はエロ本を回してクラスの女の子のランク付けに精を出し、高校に入ると勉強より大事 なものをうっかり見つけてしまい「人間は中身だよ」と叫んでせっかく作ったランキング表を破り捨て、大学に入ると酒とセックスにおぼれる自分に美学を感じ て部屋とワイシャツとキャンパスを往復し、会社に入ると急に「忙しいから」と言わないと社会人でないような気がしていつの間にか恋と愛と結婚を区別して若 くないふりをし、結婚すればやれマイホームだ子供だ親の老後だと資本主義の奴隷になって負け犬の遠吠えも耳に入らず髪を黒く染め、会社を退職すると自分の 子供が金をせびるのもまんざらでもなさそうにしてアームチェアでテレビをながめて一億総白痴化する。そこで聞こえてきそうなのが、「おい、そんなフツウの 生活も、これはこれで大変な苦労をともなうのだ」という声。そう、それこそが「上手に生きている人」の声。
 十代の頃は、そんな人生のフルコースのメニュー、自分には関係ないと思っていた。やりたいことをやって、それで、やりたいことができなくなったら自殺で もすればいいと思っていた。それはやりたいことが明確にあったからだ。ただ、ただボクは二一歳で、まだ十代の不器用さを備えていると思っていたらいつの間 にかそれを忘れていて、生きることの技巧を磨き始めている自分に気がついて愕然としているだけなのだ。目標という言葉の代わりに手段という言葉を使ってさ も上昇志向を捨てたかのような涼しい顔をしながら「会社も金も恋愛も手段だよ」と目標を明らかにしない詐欺師になっている自分に気がついて愕然としている だけなのだ。
 二一歳。それは、いったいなんなのだろう。二一歳は物語にならないのだろうか。もう、死んだ友達のことを思ってトイレの中で泣いたり、子供の生意気に付 き合ってくれる大人の存在に色めいたり、大人が案外子供っぽい夢を生きるよりどころにしていることに気がついて驚いたり、そんなことをしている二一歳は、 いませんか、いてはいけませんか。あの一生懸命さは、なんだったのだろう。物語と現実の区別もつかずに他人事を一生懸命に考えていたのはなんだったのだろ う。
 言いたいことがたくさんありすぎるのか、言いたいことがあるのにそれを必死に避けているのか、どっちかだろう、ボクがこんなにまどろっこしい書き方をす るなんて。全ては古びる運命にあるのか、この文章を書くのに使った時間さえも、それはどこへ行ってしまうのか。言葉で釘付けにしたと思ったとたんに、それ はするりと身をひるがえして空の彼方へ消えてしまう。でもボクはそうすることで十代の残り香を濃縮還元しようとしている。けれど、自伝を書くような年齢で はないはずだ。
 それじゃあ、他の誰かに書いてもらおうか。いや、ボクはそれさえ拒否しよう。ボクの目の前でボクについて語るのはやめてもらおう。だからたとえば、あな たとフルコースを食べに行く。東京駅の八重洲側にある眺めのいいフランス料理屋で向かい合わせに座って、あなたは慣れた手つきでナイフとフォークを動かし て肉を野菜を切って口に運ぶかもしれないけれど、ボクはワインばかりおかわりしてろくすっぽ料理に手をつけずに終わるかもしれない。ボクは酔っぱらって新 幹線乗り場でうずくまり、あなたはあきれ返ってさっさと終電に乗って行ってしまうかもしれない。そんなことも知らずボクは眠りの淵であなたのきれいなス カートの揺れ方や声の響きや髪の毛の手触りや香水の残り香や笑顔の輪郭を思い返していることだろう。翌朝、ベンチの上ですっかり風邪をひいて眠りから覚 め、酔いも覚め、ボクはなんと言うだろうか。それが問題だ。それだけが問題だ。
 けれど一つだけ確かなのは、一生懸命大人ぶってみたボクのこの文章は、上手に生きている人間があたかも書いたかのようだ、ということだろうか。

 ずいぶん込み入った文章だな、とぼくは思った。何カ所かもとの文脈がわからないと意味の通じない語句もあるように思われた。それにしても――と、ぼくは 一度画面から目を離した。景色は変わらない。キーボードを叩くカタカタという音がときどき神経症的に聞こえてくるだけで、直射日光を嫌う機械を置いてある この教室の窓にはすべてブラインドが下ろされている。機械が発する熱を下げるために冬でも冷房をかけて室温を一定にしなければならないこの教室は、なんの 収穫物も生み出さないビニールハウスのようにも思えた。ぼくは首をぐるぐると回してこりをほぐすともう一度画面に目を向けて次の文章をクリックする。「物 語中毒者の記」と題された文章は次のようなものだった。この文章もまた一人称「ボク」になにかが託されている。こっちの方が少し森田さんの実情に即してい るような感じもする。

 ボクは物語という枠からはみ出すことを恐れて、その中に安住し、傷つくことをやめていた。人は、傷つくまいとすればいくらでも傷つかずにいられる。物語 という麻酔薬によって痛みを忘れることができる。けれど麻酔薬の中毒にかかったが最後、なにかあるたびに本屋に走り甘ったれた恋愛小説を買い込み、甘った れたポップスをエンドレスで一日中かけつづける。自分にぴったりの物語を血眼になって探し回り、そこに慰安を求める。そして、物語なしでは生きられなくな る。自分は選ばれて生まれしものぞと、死ぬまで信じ続けることだろう。そうなったとき、人生をじかに体験したときの痛みはもはや感得されない。聖書を手放 せないキリスト者。自分を最後は神と信じた民俗学者。更級の少女。
 ボクの人間関係は限定されていった。ボクを否定する一切のものを排除していった。ボクは王国を作りたがった。そのなんという傲慢さ。シロップの如く甘く 滴る自己愛。煮詰めたジャムの如くのどを焼く自己憐憫。枠組みは既にそこにあった。あとはそれを埋める作業をするだけだった。ボクの口から出る言葉は薄ら 寒くなった。パブロフの犬のよだれのように、ぼくはなにかを言われればなにかを言い返した。ただそれだけ。死んだ世界だけが目の間に広がる。
 ペシミズムの憂愁でもなく、四六時中踊れ踊れのネアカでもなく、無意味の真ん中で腕を振り回したい。人生に意味があるのか、無いのか、そんなことさえ本 当はどうでもいいんだ。意味なんて誰かが後で勝手につけてくれる。大事なのは、無意味さの真ん中で精一杯生きること。

 ぼくは面倒でも森田さんのサイトにアップされていた文章をすべて印刷して持って帰ることにした。共用の印刷機が教室の後ろに設置されていて、そこで四○ 枚近く印刷をした。そんなにたくさんの印刷をしたらコンビニでは必ずなにか言われるはずなのだけれど、この教室では誰も他人がなにをやっているかなんてこ とには興味を持たない。なにをしようとぼくはなにも言われない。一瞬、手を広げて「ウウウウウーン」と叫んだらみんなどんな反応を示すかなと思った。そこ はがまんしたけれど。印刷が終わると何事も無かったかのように教室を出た。いや、「かのように」じゃない、何事も起きなかったのだ。


 友美からまた電話があった。森田さんに会いたいと言うのだ。
「いいけど」
 と、言いながらぼくは部屋に遊びにきていた澤田をキッチンに追いやる。
「お兄ちゃん、見てみた? 『語るには早すぎる』」
「読んだけど、意味がよくわかんなかった」
 そう言いながらぼくは友美が森田さんの文章をちゃんと理解しているのかどうかのほうが気がかりだった。少なくとも、ぼくの感覚で言えば彼女が夢中になる ようなたぐいのものではないはずなのだ。
「意味なんかわかんなくたっていいのよ、読んだらなんとなく面白かったって思えれば。意味がわかんないからつまらないっていう因果関係こそ、問題にすべき なのよ」
「へえ、だいぶ感化されているんだね」
 澤田はキッチンの扉をどんどんとたたいたりガラスの部分に唇をくっつけて不満そうな顔をこちらに見せてくる。ぼくは手を振って「あっちへ行け」の合図を する。友美と電話をしているところを聞かれたくないのではなくて、森田さんのことを話題にしているのを聞かれたくないのだ。
「じゃあ、とりあえず森田さんに聞いてみるよ。忙しい人だから」
 この商談は完璧に成立する。友美にとってはあこがれの文章を書く人間に会うことができる。ぼくにとっては好きな人を誘い出すいい口実になる。ぼく自身も 彼女にあの文章について話題にすることを許されるいい機会になるから、友美を介在させることでさっきまで感じていた森田さんの内面をのぞき見てしまったよ うな罪悪感、たとえば「森田さんのサイト、見つけたよ。あれはどういうつもりで公表しているの」と軽々しく口にはできないという感覚を幾分和らげてくれ る。そこに誰もがアクセスできるという実際の可能性と、現実に誰もがそこを見たという既成事実との間には途方も無い隔たりがある。彼女があの場所になにか を書き残したことを、積極的なメッセージとしてぼくは受け止めていいのか、わからない。もちろん、インターネット上で文章を公表した人間が「いやなら見な ければいい」と言うのは不毛だし、矛盾だ。それでも、森田さんは触れられたくない一面だからこそあそこに書き残したのではないかというセンチメンタリズム にぼくはどうしようもない魅力を感じてしまう。誰もわかってくれなくても、この広い世界のどこかに必ずわかってくれる人がいるはずだという儚い願い――も しそれを森田さんが持っていたとしたら、そう考えるだけでぼくは胸が苦しくなる。澤田が来るから机の引き出しの奥に隠したプリントアウトが、重く、微熱を 発するような物体に思えてくる。
「じゃあ、よろしくね。また電話する」

問四 道のりはまだまだある。(  )行こう。
問五 少しここで休みましょう。(  )三○分だけ。
問六 大切な点は三つあります。(  )彼らが親子であるということ。(  )私と彼らとなんの関係もないということ。(  )子供はもうすぐ死んでしま うということ。

「中学受験の問題なんだろう? なんでわかんないんだよ」
 友美との電話を終えて澤田をまた部屋に戻すと、これから小学生相手の塾の春期講習で講師のアルバイトに行かなくちゃならないと言うからその話をし始め た。
「いや、わからないというかさ、模範解答を見てもいまいち模範という気がしないんだよ。なんか予定調和的にこういうものだっていう根拠の無いルールを子供 に押し付けるみたいでさ。だいたいさ、子供に好かれる教師がいい教師とは限らないだろう、それとおんなじことだよ」
「ちょっと、ちょっと待ってよ、もうすこしかみくだいて言ってよ」
 ぼくはテーブルの上に問題の印刷されたプリントを並べて難しい顔をしている澤田を眺めて、こいつにしちゃ珍しいなと思った。
「だからさ、たとえば『彼は男です。しかし彼女は女です』って例文があったとしてさ、確かに二つの文の間に入るのは『しかし』なんだけど……」
 澤田はプリントの一枚をひっくり返してわざわざその例文を書いた。
「それは男と女が本当に対立関係にあるのかどうかっていうジェンダー論じゃなくて?」
 ぼくは「♂」と「♀」の記号をその横に書いて「←→」で結んだ。
「そうじゃないよ、そんな大きな話はしてないんだよ、簡単な話なんだよ。」
 澤田はぼくの書いた「←→」の上からばつ印を書く。
「わかった、好きだから好き、みたいな女の論理の復権みたいなことでしょ。そういうことを言いたいんだ」
 あんまり茶化すのもかわいそうだと思いながらもペラペラとぼくがしゃべっていると、澤田は口をますますへの字に結んでいる。
「そんな顔するなよ、冗談だって。この前飲んだときにもさ、お前同じようなこと言ってたじゃん。野島さんの結婚が幸せなものかどうかはわからないって」
「そんなこと言ったか?」
「言ってないかもしれない」
 アハハ、とぼくはまた笑った。澤田がときどき生真面目な話題を始めると、とたんにぼくは軽薄な役柄を身にまとってしまう。意図してそんな役を引き受けて いるわけではないのだけれど、たぶんそうしないと会話が成り立たないのだ。二人で深みにはまって行くのは得策ではないし、逆にぼくが真剣な話をしようとす ると澤田が茶化してくれたりすることもあるから、これはこれでいいバランスが保たれているのかもしれない。会話というのは、上手い下手の差こそあれすべて エチュードなのかもしれない。即興のコントはいつだってボケとツッコミという永遠の役割を役者に担わせる。
「いや、そうじゃなくてさ。オレって、難しいこと考えているような気になってるだけで、本当はお前の言うみたいなつまんないことなのかもしれないな」
「つまんなくないよ」
「つまんないだろ」
「いや、きっと誰かわかってくれる人がこの世のどこかにいるはず」
「なんだソレ」
 やっと二人で笑った。時間だった。


ゆみ
こんばんは。いつも読ませてもらっています。今度の出演はいつなのかな? また見に行くから今度メールするね。それでは。

ケン
文章、すごいですね。ふらふらとここまでやってきてしまいました。とりあえず足跡を残しておきます。

ゆみ
「恋する背中」、とても共感できました。こういう文章が書ける愛美がうらやましい。わたしもなにか書いてみようかな。書いたら愛美のところに別枠で載せて よ。ではまた。

たっちゃん
この前はどうも。森田さんが脚本書いてるって言うから、探したらここにあったんですね。あとでじっくり読ませていただきます。

つよし
メールしたんだけど届いてる? こんどまた遊びましょう。この掲示板は香川さんに聞きました。

友美
はじめまして。すごい、感動しました。あこがれます、私もいつか脚本とか書いてみたいです。これからもここには書き込みたいと思います。がんばってくださ い。

つよし
香川さんから連絡が行ったと思うんだけど、日曜日の稽古は延期になりました。場所がとれなかったみたいなので。いつでも連絡ください。

やよい
ここだったのね、秘密のホームページ。私が知っている愛美はどこにも見当たらない……こんな一面もあったのね。でもあんまり考えすぎるな! 今度また飲み ましょう。

友美
いつも見ています。私の兄がたぶん、愛美さんと同じ大学です。知り合いだったら、世間はずいぶんと狭いものですね。私はやっと原稿用紙と万年筆を買ってき ました。二○○字詰め原稿用紙は小さくてかわいいですね。また来ます。

ゆみ
この前図書館で男の子と話してたでしょう、珍しいんだあ。なんてね、彼氏にはナイショにしておくよ。試験が近いからノートまた貸してね、詳しくはメール で。


 三日後、河原での殺人の犯人が捕まったことが報道された。
 その明くる日、学校に行って書籍部の雑誌のコーナーで立ち読みしているとそのことが「十九歳Sのあまりにも平凡な凶行」という記事になっていたのだが、 ぼくが思わず声を上げそうになったのは「Sがパートとして働いていたスーパーマーケット」として紹介されている写真だった。固有名詞が写らないようなアン グルで撮られていたが、間違いなく日ごろ食材の買出しに使っているあのスーパーマーケットだった。
「Sは普段から温厚で、出勤態度もよく決して問題のある青年ではなかった。終始笑顔を絶やさず、客当たりもよかった。その笑顔は彼の心の中にうずまく欲望 を押し隠すことにある程度成功していたと言っていいだろう。このスーパーに通う客の誰もが彼を認知しており、その印象も前述した通りである。マイクを向け られた誰もが彼が逮捕されたことに驚きと戸惑いとをあらわにした」
「しかし取材を進めるにつれてSのもう一つの側面が次第に明らかになってきた。Sと高校時代同級生であったNさん(女性)の話である。Nさんは一時期Sか ら猛烈なストーカー行為を受けたと言う。高校一年の秋に彼女はSから交際を申し込まれたのだが、『いい人ではあったんです。でも逆に女性から見るとそのい い人さ加減が魅力にならないというか。そのことを正直に彼に伝えました』(Nさん談)と言うように断っている。ここまでなら誰もが経験するであろう青春の ほろ苦い一ページである。しかしSの行動はNさんに断られた日を境に豹変した。Sは意味も無く彼女の登下校を尾行したり、ほぼ毎日同じような内容の手紙 (写真参照)を送りつけるようになった。Nさんの話ではSの『笑顔』もこの頃からあらわれたという。彼女は彼の笑顔が仮面であるということを最初に発見し た重要な人物であると言えよう。なお、ストーカー行為は高校二年への進級を境にぱったりとやんだという」
「取調べに対してSはしきりに童貞の不安を訴えている。童貞のままでは動物以下で終わってしまう。だから犯行におよんだと言うのだ。この歪曲された優生学 を信じ込んでしまった一人の青年の哀れな姿は、昨今の突発型青少年犯罪の典型とも言える。これほど同類の事件が多発している現今、あまりにも平凡なこの青 年のあまりにも平凡な犯行動機は情状酌量に全く値しない」
「青少年の心理に詳しい精神科医の葉山茂教授はこの事件について親子関係の希薄を指摘する。Sは母親と二人でアパートに暮らしており、高校卒業後も就職は せずスーパーでのアルバイトを続けながらいわゆるフリーター生活を続けていた。近隣住民の話によると彼らの部屋からはほとんど話し声は聞こえず人が住んで いるのかどうかもあやしいという声さえあった。親子は別々の部屋で別々のことをし、顔を合わせるのは食事時だけ、いや食事さえ一緒に取らないことも多いの だろう。現代の核家族化が進んだ極北を見る心持ちがする。教授のコメントは次の通りである。『希薄というのは、単に薄いということではないんです。本当に 親子関係が希薄ならさっさと子供は出て行きますよ。けれど一日中ほとんど親子は言葉を交わさずに一つ屋根の下にいる。私はこれを〈濃密な希薄〉と呼んでい るのですが、同じような現象は特にフリーター世代に蔓延していることが今度の調査(図2参照)からも明らかです。こうした事件はこれから先、もっと増える 可能性があります。まずは親御さんが子供さんに挨拶をしてあげる、そんな当たり前のところから始めたらよいのではないでしょうか』」
「さらに、この事件が象徴的なのはSがインターネットにはまり、連日連夜掲示板の書き込みやチャット、オンラインゲームにどっぷりと浸かった生活をしてい るという事実である。Sがアルバイトをしているのは月々の通信費をまかなうためであり、コンピューターのことは皆目わからない母親がそのことに口を出せな いのは想像に難くない。コンピューターは様々なものを実現してきたが、同じ屋根の下で暮らす二人を断絶させることをも可能にしたのである。インターネット の専門家に取材したところ、Sのような人物、ひいてはSのような家庭は決して珍しくないと言う。日本で最初のインターネット評論家という肩書きを持つ小池 陽一氏は次のように警鐘を鳴らす。『インターネットというのは極めて依存性の高いメディアです。そこにはまり込んでしまう多くの若者はかつて自己表現の場 を持ちませんでした。かつて、というのはもちろん学生運動後ということですが。いわば空白の八○、九○年代に言葉を奪われたサバルタンたちが今、まさに現 実に対して牙をむけようとしているのです。彼らが殺人を犯すなんてことは少しも不思議なことではありません』」
 記事はしつこくまだ続いていたが、ぼくはそれ以上読む気にならなかった。Sというのは間違いなくあのスーパーの店員、酒田だろう。「いつもどうもありが とうございます」と言ってぼくを狼狽させた酒田だろう。ぼくは必死になって彼のことを思い出してみた。週刊誌に載っている彼の、目張りの入った卒業写真か らもその笑顔は容易に読み取れた。けれど、そこに描かれているSは酒田ではなかった。もっと別の誰かのことを書いている記事のように思えて、文脈からSが 酒田であることはわかっても記事からはなんの現実感も伝わってこなかった。Sが殺したのであって酒田が殺したのではない。いや、こういう言い方は詭弁に過 ぎる。ぼくは最後に酒田に会ったときの印象と、河原での奇妙な感想と、そしてこの記事を読んでの感想とを反芻してみた。何度も思い返してみた。そしてその どれもが互いによく似ていることに気がついた。
 ぼくたちの周りには間接的な情報しかない。ぼくが感じるのはたとえ直接本人に会って受けた印象であっても、それを直接であると呼ぶ保証はどこにも無いの ではないかという疑念だった。直接こそが真実であるとは言い切れないのではないか。もちろん記事のすべてがでたらめであるわけではない。けれどそこに一体 なにを信じるものがあると言うのか。一面でぼくが空恐ろしかったのは見た目にも好青年であった一人の男が、ぎりぎりの線まで「男性」であったという事実 だった。それは当たり前のことかもしれないけれど、隠蔽された「当たり前」だ。若い男はみな爆発せんばかりの性欲を持て余して日々過ごしている、という言 い方は成立するけれど、四六時中それを意識してその人も生きているわけではない。男であるということとその人のかけがえの無さをつなぐ線は捉えがたい。男 であることは忘れ去られるくらい当然のこととして好青年と呼ぶか、カッコつきで「好青年」と呼ぶか、好青年だけど最後は男と呼ぶか。この一般化はぼく自身 と酒田とをつなぐ。けれど酒田がレイプという犯行に及んだ事実とぼく自身との間には、接続詞が見つからない。
 雑誌をラックに戻すと、書籍部を出た。三時限目に試験が一つあってそれに出なければならなかったが、始まる時刻までは三○分ほどある。ぼくはふらふらと 図書館に行き、わけも無く中を歩き回った。誰かに会って、なにかを話したくてしかたがなかった。一階の新聞を読むコーナーを回り、書庫の受付カウンターの 前を何度か往復し、二階に上がってフロアーの隅々まで歩いて回った。けれど足ばかりが疲れて誰にも会わなかったから図書館を出てしまい、噴水の前まで行く とそこに座って携帯電話を取り出した。森田さんの声が聞きたい。そして好都合なことに電話をする理由をぼくは持っていた。
 森田さんへの電話は三度目でつながった。
「もしもし」
 声が震える。
「もしもし、どうしたの。めずらしいね電話をかけてくるなんて」
「うん」
 なにから話せばいいのか見当がつかない。
「噴水の音、聞こえる?」
「なに、図書館の前にいるの? 次の時間試験じゃないの? 余裕だね」
「あのさ、森田さん、あのさ、学校で作らされたホームページに友美の書き込みがあったの知ってる? 私の兄がたぶん、愛美さんと同じ大学ですっていう。友 美っていうのは、ぼくの妹なんだけど」
 言ってからぜんぜん言葉が足りないと思ってあわてて次の説明を考えようとしたのだけれど、森田さんがしゃべる方が早かった。
「ああ、ごめん、もうあのサイトは閉鎖しようと思っていたんだけどすっかり忘れていて。掲示板? も、見てないなあ。返信をいちいち書かなくちゃならない のがめんどうでさあ、アハハ」
 あっけらかんとそんなことを言うから、ぼくは今までなにを無駄なことを考えていたのだろうとおかしかった。
「それじゃあ、君もあれ見たんだ。どうだった?」
「いや、どうって……。まだあんまり、ちゃんとは読んでいないんだけど」
 四○枚のプリントアウトの束は、今ぼくの部屋のゴミ箱の中にある。
「友美に、妹に、教えられたばっかりで。でも、妹はすごくおもしろがってた。それで、ぼくに森田さんに会わせろって」
「そう、……あれ読んで私に会いにくる人って、例外無く腫れ物を触るみたいに私を扱うのよね」
「ああ」
 のどのずいぶん浅いところから、ぼくの嘆息は出てきた。彼女のその一言がすべてを説明しているように思えた。震えるような声で「もしもし」と言ったぼく のことも彼女は「腫れ物を触るみたいに」感じたのかもしれない。それはぼく以上に、森田さんが望んでいないことだ。たくさんの人が森田さんにいろいろなこ とを言ったのだろう。その言葉の一つ一つが彼女に輪郭を与えて、彼女自身もそれに答えようとしたに違いない。ぼくだったらやらない、でも彼女は役者を目指 しているから、虚像を味方に付けることだって時には必要だ。虚像が一人歩きしだしたとき、人々はゴシップを渇望する。「本当はね」という接頭語とともにた くさんの言葉がまたそこに生まれ、その言葉からまたたくさんの言葉が生まれる。連鎖が連鎖を呼んで影はどんどん大きくなっていき、大きな足音を立てて動き 始める。
「もしもし?」
「あ、ごめん。電話って、しゃべってないといけないから不便だね」
 ぼくはどうやって電話を終わらせようかもう考えようとしていた。
「あのさ、今度会えるかな。私、ホームページを削除する方法がわからないのよ。学校のシステムって普通と違うじゃない。やり方わかる?」
「うん、まあ、わかるよ」
 わかるわけがない。
「試験が終わってからにしようか」
「うん、そうしようか」
 噴水がやんだ。
「妹さんによろしく」
 急にはっきりと森田さんの声が聞こえるようになる。
「うん」
 そのときどうしてかぼくはこの電話を最後にもう森田さんとの関係が断たれるんじゃないかと思った。少なくとも今の約束はすごく不確かで、なんの効力も 持っていないんじゃないか、森田さんは友美に会わない代わりにそんな約束を持ち出したんじゃないか、そんな思いにかられてぼくは前後関係も無視して結論だ け持ってこようとした。接続詞なんて、見つからなくていい。
「ねえ、森田さんは人を殺したいと思ったことある?」
「なにそれ」
 森田さんの声が急に硬直するのをはっきりと感ずる。それはぼくの声もまた同じように張りつめていたことへの返答だ。ぼくは急に静かになった空気の中で次 の言葉を探す。でもやっぱり森田さんの方が早かった。
「じゃあさ、君は私とセックスしたいと思ったことある?」

問七 この時の森田愛美の気持ちを、主人公「ぼく」の気持ちと比較しながら六○字以内で説明しなさい。

 ぼくは返答に窮した。
「同じことでしょ」
 なにと、なにが? でもそれを考えていたらまた沈黙だ。ぼくは言わなければならないことを言わなければならない。当たり前のことを、当たり前にやらなけ ればならない。
「でも……ぼくは、男ではあるけれど、あなたのことが好きなんだ」
 たぶん森田さんは変な顔をした。

(おわり)

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