余は如何にして内々定者となりし乎
そもそも就職活動をいつから始めたのかと問われても去年の11月に初
めて説明会というものに足を運んだとしても年末年始はぐうたら
していたし、企業の採用活動もボツボツ始まるのが二月後半に入ってからなのでなんとも言えない。
はっきり言ってはじめから就職しようという気のさらさらなかった私はこの就職難にかこつけて不景気の申し子として院にでも行くかフリーターになってちん
たら小説でも書くかという結末を一方で思い描いていて、いやしくも東京大学に現役で入ってしまった人生にちょっと挫折体験でもスパイスしてみようかという
思いもないではなかった。なんてなめきったやつなんでしょうか。ただ、そういう意味では気負ったり就職できなかったら死んでしまう、とかいう考えからは免
れていたと(完全に、ではないが)思う。
さて、年来箸にも棒にも引っかからない小説を書き綴る文学部生が就職しようと考えたときにまず頭に浮かぶのはマスコミである。マスコミ、華やかなるマス
コミ。各出版社、数えるくらいしか採用しない。しかもぼくが好きな中小出版社は採用ゼロ。で、出版社に関して言えばこだわりが強すぎてなかなか「どこでも
いいからとりあえずエントリーシート書いてみるか」という気持ちにさえなれなかった。
落ちたらトラウマになってその出版社の本を買えなくなるかも知れない、とさえ。だいいち、出版社のエントリーシートは書くところが多すぎた。「私の好きな
映画ベスト5」やら自由作文やらてんこもり。これだけ書かせて落っこちたら効率悪いよなー、ってんで、結局どこも受けませんでした。テレビは嫌いだし、新
聞社入れるほどの社会性は皆無だし、じゃあラジオ受けよう。ラジオ、どこ募集しているかな、って探したら一社しか募集していなかった。ここはエント
リーシート書いて出して通って試験で落とされました。これまた試験がマニアックすぎる。ラジオと言ったってニュースも流しているので世界情勢が解ってない
といけないし、文化も相当重箱の隅までつついてないと対応しきれん。ある意味、新聞社より難しいです。
で、マスコミに見切りをつけたのが三月に入ってからですか。そして本格的にカタギな会社が採用活動を始めるのも三月に入ってからでした。去年の合同企業
説明会なんかで興味を持った業界は食品、興味をもてなかった業界が情報、家電、銀行、金融、広告(こう書くと日本の産業のほとんどに興味をもてなかったこ
とになりますな……)ということはわかっていたのでそのつもりで会社を選んでいくとグルタミン酸の会社、サソトソー、タバコの会社、それから惣菜会社や社
員食堂を経営する会
社なんてマニアックなところも受けました。大手はエントリーシートやら試験やらで落とされ「うまくいかね―なー」と落ち込んだりもしましたのよ。
食品と平行して興味がわいたのが中間素材メーカーです。ランドセルの革で有名な某社を皮切りにして調べてみると化学、鉄鋼、非鉄、ガラスとけっこう実は
大きな市場なんです。なんで
そこに最初から気がつかなかったのか? それはテレビコマーシャルをやらなくても成り立つ産業だからなんです。つまり就職活動を始める前から知っていた会
社なんてほとんどない、東レか新日鐵くらいです。化粧品を売るのは資生堂とかですが中身の原料は化学会社が作っていたり、自動車を売っているのはトヨタと
かですが車体に必要な鉄板を作っているのは鉄鋼会社なんですね。ぼくは人の知らないことを知っている、「なにそれ!?」というマニアックなところをついて
いくことにフェティシズムを感じる人間です。中間素材、なにそれ!? これは開拓する価値がある。
開拓する価値がある、なんてえらそーに書きましたがそう思ったのも三月も後半。採用活動は中盤戦を迎えています。「やっべー、出遅れた!」という焦りは
まあ今思えばようやく就職活動に本腰を入れるきっかけになったのですからそこまでにあんまり手を広げていなくてよかったといえばよかった。
さて、業界についてはかようにその目指すところが見えてきたわけですがそんなこと言ったって採ってくれなきゃ、こいつ採ってやろうという思いにさせな
きゃ始まりません。当世の就活生はまず自己分析なるものをしなきゃならんことになっていて、今まで自分が何をやってきたのかを分析してそれを強調して
「俺ってすげーだろ、採ってよ」てなことを言わなけりゃならんそうで、またご多分に漏れずぼくも自己を振り返るわけです。しかしどうだ、これまでぼくは小
説ばかり書いてきた。それはぜんぜん自己PRにならない。例えばですよ、「ずっとバレーボールやってきました。チームワークと、試合に負けても頑張った根
性を活かしたいです」、うん、これなら説得力ある。ところが「ええと、小説ばっかり書いて恥の多い生涯を送ってきました。これからも小説書きたいんです
が、パトロンになってくれやしませんかねえ」て冷や汗をかきながら言ったって、誰も採らないわけですよ。でも、そうしか言うことができない自分がいたわけ
です。ぼくはいやに潔癖なところがあって嘘をつくことができない。全部顔に出る。言葉になる。
普通の企業の面接なら、「こいつアホや、働く気ないんジャン」と思われて落とされます。ぼくを救ったのはリクルーター制でした。そもそも採用活動は「試
験→面接→内定」が普通ですが「リク面X回→人事面接」という昔ながらのかたちをとっている会社もあります。ぼくが受けた限りでは鉄鋼と一部化学がリク
ルーター制で採用活動をしていました。
ここからは内定をいただいた会社の話をいたしましょう。
素材系に興味をもってからいろいろエントリーしていった中にその会社もありました。最初のリクルーターの方と会ったのが三月三一日。この日は無難に終わ
りました。二人目が四月三日。このとき会ったTさん
がぼくにとってはターニングポイントでした。上に書いたように「小説書きたいッス」て言ってたらそのまま落とされるのが普通なんです。ところが同じことを
言っても「おまえアホやなあ」と(言葉はそのままじゃないですよ)いうことをちゃんと教えてくれた人に会ったのが初めてでした。いや、こう書きながらつく
づくあの時の自分はアホだとしみじみ思う。そのとき言われたのは「こっちはもし君が他社とうちとで迷っていたら言葉を尽くしてこっちに引き入れるつもりで
来ているんだ」。これきは効きました。ぼくは働くということについてろくろく考えず「まあ土曜日だし、コーヒーおごってもらえるし、ちょっくら行ってくる
か」くらいの気持ちで行ってしまったので相手の本気に「なんて俺は愚かなのだあ〜!」と思わされたんです。あとで聞くとTさんはこの日たまたま出勤してき
たところに「(時間が)ちょうどよかった、○○(ぼくの名前ね)ってやつが下に来てるから会ってきてよ」ってな感じでぼくと会ったということで、はじめか
らぼくとTさんが会
うということにはなっていなかったそうです。就職は最後は縁だとよく申しますが、これをして縁と言わずになにを縁と呼びましょうか。
四月三日の日記には次のような反省がなされています。
- 観念論に傾いている、説得力がない
- その会社には入れなかったら露頭に迷うくらいの意識が必要
- 小説を書くということをアピールしたいならそれを仕事につなげて言わないとアピールにならない
- これから先小説を書くということにプラスになるような会社選びをしているのか
- 個性で仕事はできない
- 考えることと悩むことは違う、悩むことが足りていない
- しゃべるのがヘタ
今見るとすごいダメだしですね。なんですか、「しゃべるのがヘタ」って。でもここまで言われないと発奮できない自分もいたわけで。むしろこのとき考えさ
せられたのは小説に対する自分の甘さ。本気で書きたいやつは本気で小説を高めるための会社選びをしているはずでしょ。そこで一本貫かなきゃ、自己PRもク
ソもないわけだ。
この時点でぼくは採用フローからはずされたと思ったわけです(ホントはそうじゃなくて少し時間を与えるつもりだったそうです)。でもあそこま
で言われてそのまま引き下がるのも割り切れなかったので13日に会社説明会があったので行きました。ネット上でエントリーしてから一人目のリクルーターの
方から電話をいただいてそのまま会ったので説明会自体は行くのが初めてでした。アンケート用紙には「自分の甘さを実感し出直しのつもりで来まし
た」と書きました。これがよかったそうです。これがなかったらずいぶんその後変わっていたそうです。もちろん「こう書いときゃ俺のことも見直してくれんだ
ろう」なんてことまで考える余裕はなかったですよ……ただ単にくやしかったんでもう一度けんか売りに行ったわけです(というのともちがうか?)。
説明会参加後すぐにTさんから電話がかかってきて三人目のリクルーター(この方をAさんとしておきます)と会うことになりました。それが17日。この日
の日記をもう一度。
「今日はリクルーターの方と会ってきました。ホテルにどうやら社員の方がスタンバッているみたいで、連続三人の方と会いました。そして今
日もめちゃめちゃつっこまれました。昨日のことも含めてまとめると
- 仕事とバイトは違う、その違いは?
- 自己アピールになってない、自滅する方向に自己アピールを持っていかない
- 仕事はできるんだろうが、前向きな姿勢で入社して欲しい
- サラリーマンはプロです
- プロを二つ持つのは難しい
またものすごい個性の強い方とお話しました。文学部出の悲哀をよく理解なさっている方でしたのでもうホテルの一室は完全にカウンセリングルームでした
よ……しかし、まあ、とにかく前向きになってきました。やっと就活に対する心構えというか、割り切りというか、覚悟というか、そういうのができてきたよう
に思います。ここまで来るのに長かったなあ。明日からしゃべる言葉もかなり違ってくることでしょう。リクルーターの方にはぼくの人生相談に付き
合っていただき、誠にご迷惑おかけしております。この場をお借りして厚く御礼申し上げます」
この日は一通りダメだしされた後に(と
にかく関西に本社がある会社なので関西人ばっかり出てきてつっこみが激しいんです)二人会
い、その後も20日、22日に一人ずつ会い(その間社内では「じゃあちょっと小説家に会ってくるよお」とかなりネタにされていたそうです……。あ、でも
「意外と好青年じゃん」という評価に落ち着いていったそうですよ。
それまでに合計八人ものリクルーターの方と会ったわけですがぼくとしては「こんなに後から後から人が出てきて、きっとぼくはいまだに意識が低い人間とし
てなかなか人事に会わせられないという扱いなんだろうなあ」と勝手に思い込んでいたらぜんぜん逆で最後に会ったリクの方曰く「よくぞ勝ち残ってきた、よく
ぞ帰ってきた」
ということで、リクルーターと会わせる中で落ちていく人もけっこういるそうです。はあ、そういうもんなのか、知らなかった。なのでいきなり「明日人事に会
わせたいけど、内定出たら就活やめられる?」と言われてとまどいました。え? なに? そんなところにぼくは着てしまっていたの? 正直言ってここはダメ
なのかなあ、という感じだったので化学系に力を入れていたんですね、その時は。まあでもその場でよくよく考えてみて「だってここまで意識を変え
てくれたのはこの会社の人じゃん! いま化学系に行ってちゃんと自己PRもできるようになったのはここでダメだしされたからじゃん!」と思って、「リク
ルーターに会いに行って『小説書きたいんですけど』ってなこと言うくらいバカなんだから会社に入ってもたぶんバカなこと言いまくるんだろうなあ、そういう
時ちゃんとダメだししてくれるのはここだけだろうなあ」と思って、「わかりました。受かったら就活やめます」と自信を持って言えました。
で、ちょっと日程の調整をして27日の朝に本社にまた行って(もう五回目ですから出勤する社員の気分です)人事の方三人と会って「んじゃあ一緒に働きま
しょう」ということでめでたしめでたし、私の就職活動は大団円を見事迎えることができました。その日はどうしてもゼミに出なきゃならなかったので一度学校
に行って、また社に戻って一度目にダメだしをしてくださったTさんと人事のかたと飲みました。
Tさん曰く。「仕事ができるっていうのは10あるうち7できて3できませんと言えることなんだが君は『なに言ってるんですか、ぼくは10できますよ』と
いう顔をしていた」んだそうで、「やっぱり説明会にもう一度参加してくれたのが大きかった」らしく、「君は東大生だから採ったんじゃないからね」というこ
とで、とてもうれしかったです。あそこでTさんに出会っていなかったらこんなに就活にまじめになれなかったし、Aさんに夏目漱石の『それから』を紹介され
て読ん
でいなかったらずっと小説を書くことに依怙地になっていたと思うし。『それから』を改めて読みなおす機会を得られたのも就活の大きな収穫の一つです。以下
は19日の日記で
す。
「土曜日にリクの方に小説と仕事の両立について漱石の『それから』が参考になるから読んでみ、と言われたので早速読んでみました。目からうろこです。
- 飯のために小説を書かなくていいならそれに越したことはない
- 純粋芸術として小説を書くためなら他にお金を稼ぐ手段があったほうがいい
つまり、パースペクティブが全く逆だったんです。世の天才は飯のために書きたくないのにお金を稼ぐ手段になってしまうところに苦悩が有ると思うのです
が、もちろんそれはそれで贅沢な悩みだけど、(今のところ)凡才のぼくはむしろお金のために書かなくていい環境を選択できるならそれを積極的に選択すべき
だ。それは誰の、何のためでもない、ぼくの小説のためなんだ。あー、なんかすごい憑き物が落ちた感じ。働きたいって、初めて思った。
で、『それから』をお薦めして下さったリクの方からお昼に電話があり、明日また行ってきます。六人目のリクルーター。かわいがっていただいており
ます」
そんなわけで社会になんの役に立たないことばかりやっている文学部生でも(そういやあ人事面接でも「ほかになんか無駄なことやってないの?」と聞かれま
した)なんとまあ大企業に入ることができてしまったわけです。リクルーター制は優秀な人材よりは面白い人材を採るためにあるのでぼく
としてはよかったです。優秀な人材が欲しいだけならテストで落として面接で落としていけばいいだけですからね。公務員になったら昇進も試験なわけですか
ら、ぐうたら文学部生はそんな世界ではやっていけないと思います。
いろいろ本屋に行くと就活マニュアル本が置いてありますがマニュアル本を読んでわかることはマニュアル本は役に立たないということだけなので、ここでは
ぼくが就活した中で役に立った本を紹介しておきます。
- 「日経就職ガイド」
…これは「日経就職ナビ」に登録すると無料で送られてきたものです。四季報でもなんでも、分厚い会社図鑑みた
いなのは一冊あると便利だと思い
ます。
- 一橋総合研究所監修「2004年度版 図解革命! 業界地図最新ダイジェスト」高橋書店
…会社の名前を知っていても業界の中でどんな位置付けになっているのかを知らなかったので役に立ちました。知名度はおそらく会社の質に比例しません。てい
うか、どんな業界があるのかもよ
くわからなかったので「あー、世の中ってこんな風になっているのか」という社会勉強にも。
- 夏目漱石『それから』新潮文庫
…高等遊民にはなりたくない。漱石の小説はどれも恋愛小説として読まれがちですがその背後に金のつ
ながりがはりめぐらされています。まあでも
これはぼく個人の問題でしたから紹介しなくてもいいか。
- 香山リカ『就職がこわい』講談社
…就職活動前半で何度ともなく読みました。なかなか就職活動に前向きになれない若者像が活写されていて香山さんの「そんなに悩んでばっかりい
ないで、気軽に就活してみたら?」という声に励まされましたよ。
- 中谷章宏『面接の達人2005 バイブル版』ダイヤモンド社
…賛否両論多い「めんたつ」ですが本当に「参考」として読むだけでいいと思います。ただその他本屋の書棚を席巻しているマニュアル本のたぐい
の中ではマシなほうです。こんな本でマシなほうなのか、という失望を味わうだけでもいいと思います。
さて、そろそろこの文章もしまりをつけて終わりにしたいと思うんですが、とにかくぼくにとって就職活動は最初から「さあて、来年からバリバリ働くぞ」と
いう気持ちで始めたわけではなく、人と会い続ける中で「あ、働くってけっこうおもしろいかも」と思い始めたところで決まりました。もしかしたら就職活動と
いうのは仕
事の面白さを働いている方に教えてもらう期間だったのかもしれません。働いている人に会うにあたってぼくが一番欲しかったのは会社のデータでも事業内容で
も
なく、「俺こんな仕事やってんだけどさあ、こんなに面白くって、こんなことやあんなことがあってさ、楽しいんだよー」という言葉で、「だったらその面白
さ、独り占めしてないで俺にも分けてよ」という気にさせてくれる人に会うのはとても楽しかった。それはある意味で大人の責任だと思う。ぼくが一番思ったの
はもし自分が社会人になって同じようにリクルーターになって学生に会ったときに「俺こんな仕事やってんだけどさあ、こんなに面白くって、こんなことやあん
なことがあってさ、楽しいんだよー」と自分がかつて望んだ言葉を言えるかどうかということでした。それはこれからの自分にかかっているわけですがね……。
変わることができた、変えてくれた人のいる会社に入ることができた、これ以上の結果を望むことはできません。以上、余は如何にして内々定者とな
りし乎、でした。
04/04/29 初稿
05/04/23 改稿