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ぼくのかたち(二)

 なおみとは電話でアパートの近くにある公園で待ち合わせることにし て、ぼくはまだ寝ている二人の分の昼食も用意しながら時間をつぶしていた。もちろんま な板の傍らには水でページはふやけ飛んだ油でしみだらけになっている英単語帳を開いて。目玉焼きをトーストの上に乗せて食べていると寝ぼけ眼でおやじが台 所に入ってきた。精一杯の自然さを取り繕いながらおはよう、とぼくが言うと相手は黙ったままいすに座った。無精ひげの生えた口元はだらしなく半ば開いたま まで、目もとろけて流れ落ちそうだった。ぼくはフライパンに切っておいた野菜を突っ込んでいためた。それからおやじの前に皿を置きフライパンからそのまま 中身をこぼした。
「なにも食いたくねえ」
「野菜ぐらい食えよ」
「食いたくねえ」
 そう言いながらもおやじははしで少しずつ口へキャベツを運んだ。冷たい水で洗われていない顔の皮膚は脂で白く光った。鼻の頭には小さな油滴が毛穴の一つ 一つに浮いているのさえ見えるのだ。それはぼくに遺伝としてしっかり受け継がれている。洗っても洗っても、体の中から分泌されてくる。
「顔洗わないの?」
「新聞」
 自分の姿かたちよりも自分には何の関係もない殺人事件の顛末の方に興味が行くものだろうか。ぼくはハンカチで自分の鼻の頭をぬぐいながら英単語を一つで も覚えようとする。自分を取り巻く世界は閉じていて、手の届くものにしかぼくは触れようとしない。腕の長さよりも遠くにあるものはないも同然だ。
「ねえさんは?」
「まだ寝てる」
 おやじは言いながら大あくびをした。開いた口の端から野菜のくずがこぼれた。ぼくはフライパンをコンロの上にたたきつけるようにして置いて、隣りの部屋 にいるだろうねえさんに向かって言うつもりで「今日、出かけるから」と言った。
 なおみとは小学校から中学校まで同じところへ通い、東京と言っても西多摩の立川市では九年間同じクラスだったとしても別に驚くことではない。ぼくは女性 というと彼女しか知らない。クラスのたいていの女の子はぼくに話かけてこなかったし、例えば女子トイレのすみでこそこそと互いの性器を見せ合ったり、塾の 先生が街を女と歩いていたくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐ彼女たちに、ぼくはほとんど価値を見出していなかった、と言えばてらいになるだろう。ぼくはとにかく臆 病であった。軽薄な同級生たちの情事に対する嫉妬。自分は彼らのようにはなれないという言い知れぬ深い劣等感。そうしたお座なりな暗い少年の必須要素をぼ くは殆んど全て持ち合わせていた。ぼくはなおみに対しては非常にストイックで、もちろん彼女の性的な魅力に悩まされることはあったけれど(それはなにもぼ くに限った話ではないはずだ)その向こうに存在する彼女に常に相対するよう心がけていた。当然のようにぼくは中学二年のとき彼女に対して壮大な形而上の愛 の告白を演じ見事につっぱねられた。既に彼女は鉄也とどこか遠くへ逃げる計画を立てているところで、頭の鈍いぼくが彼らの関係に気がついたのは卒業式が終 わってからクラス担任の口から彼女が鉄也の子を身ごもっていることを聞かされたときだった。ぼくはその時に初めて、なおみにも肉体があることをを認めなけ ればならなかったくらい、うぶだったと言っていい。ぼくは精神的に参ってしまって、いろいろなことをしたけれどそのどれも成功しなかった。セックスの問題 はぼくには重すぎた。だから折りよくぼくの生活の中に入ってきたねえさんの甘い匂いに抱かれて問題を解決しようとしたのかもしれない。そしてそれが最終的 に解決されたのかは今もわからない。
 公園に行くともうなおみは先に来ていて、ブランコに腰掛けていた。工場地帯の中に申し訳程度に作られた狭いその公園にはいつも虹色の水たまりが出来てい て、そこで遊ぶ子供もいない。そのときも事務服を着た中年女性が二人、ベンチで弁当を開いていた。大きなトラックが狭い歩道に遠慮することなく行き交い、 黒い煙は工場のうねる壁をすすに染め、エンジン音は工場の騒音と競り合っている。都心までのルートが比較的明瞭でかつ地価が安いと言うことで中小企業の工 場が立ち並ぶ一角である。鉄也も中のどこかで雑誌の仕分けをてのひらを切り傷だらけにしながら働いているはずだ。
 薄いブルーのマタニティードレスのお腹がほっこりと膨らんだなおみが手を上げて、ぼくはそれに「よう」と答えるとすぐにきびすを返して公園から外へ足を 向けた。後からなおみはブランコを降りて追いついてきた。ぼくは彼女の姿をなるべく視界に入れたくなかった。そのすっかり変わり果てた体がぼくに対してナ イフを突きつけてくる。「私はあなたを選ばなかった」という。彼女の顔を見るたびに「付き合ってる人がいるの」と言われた日のことを思い出さずにいられな い。
「かばん持つよ」
 ぼくは顔は前に向けたまま片腕を心持ち後ろにいるなおみの方に伸ばして言った。
「あ、いいよ、いい」
 アスファルトのひび割れた狭い歩道を、バス停までぼくたちは縦に並んで歩いていった。段差があるたびに後ろを振り返ったがなおみは小さなサンダルで器用 に飛び越えた。ぼくのほうでは仰々しい革靴を履いていても、いやむしろそれゆえに小さな段差に気がつかずにつまづいた。
「あ」
「え?」
「ああ、あ」
「なに」
「なんでもない」
 なおみはけらけらと笑った。つまずくことはそこまで笑われるようなことではないし、かといって他に笑われることは何一つなかった。いつでも彼女はぼくの 予想外の反応を示す。その一つ一つの共通項をあえてくくり出すとしたら、ぼくがあたかも存在しないかのようにふるまうということだろうか。それだけにぼく は何年もなおみと付き合っているはずなのに彼女のことをなにも知らない。ぼくはいつも不思議に思うのだ。鉄也と普段どんな話をするのか。不意に二人でいる ところを見かけると、なおみは例えばぼくも含めて三人でいるときとはまったく違う顔つきをしている。つまり鉄也の言葉や行動に対していちいち反応する。そ こには表情がある。ぼくが今のようになおみと二人でいても、彼女はぼくがいないかのような表情でいる。けれどもぼくを積極的に無視したり一緒にいてほしく ないという意思表示をするわけでもない。
「その、大きなお腹に目一杯幸せを詰め込んでいるんだろう」
 「人類最高の笑顔」と名札のつけられた水槽を覗き込むときっとなおみのような笑顔が見られることだろう。ぼくは分厚いガラス越しにそれを見ながら、相手 には聞こえないことを十分承知でそんなことを言った。それにしても、とぼくは思った。どうして、妊婦はあたかも処女のように見えるのだろう。そこにたどり 着くまでのあまたの男たちの視線との戦い、たった一人の男との恋愛、その後に起こる全ての事柄を通り抜けてどうしてこんなにもきれいな姿に戻るのだろう か。子供のような、けれども子供とは全く別の存在。そして同時に胎内に子供を宿した存在。ぼくは確かに今のなおみを、例えば欲望の対象としての処女として みることは出来ない。経験のない女という意味での処女ではなく、男の全てを見尽くした焼け跡の静寂さとでも言おうか。そういうゆるぎない聖性である。ひる がえってぼくのねえさんとの不健康なつながり。それもあわせて考えると彼女はぼくとはよほど遠いところへ行ってしまった。ぼくは性愛の沼地に足を踏み入れ て妊娠におびえながらねえさんの肌に触れる。一方で、鉄也は生活資金のために受かっていた高校も辞退してアルバイトに明け暮れ、なおみもまた健康な生活を 送る。
 ぼくはぼくたちが二人で一緒に歩いているのか、他人同士がたまたまそばを歩いているのかわからなくなってしまっていた。
「昔ね、犬を飼っていたのよ。うん、犬。鼻のすっととがったコリーで、名前はペトルーシュカ。家族みんなでかわいがって、毎日散歩に連れて行って、うん、 わたしもよく行った。ランドセル置いたらとにかくペトルーシュカとずっと遊んでた。でもね、ある日妹が猫をもらってきたのよ。今度はプルチネルラって名前 をつけて……お母さんの趣味なんだけどね、私は_よく知らないんだけど。そうしたらもう、家族全員プルチネルラにかかりっきりで。猫って犬と違うでしょ。 呼んだって来ない。でも、知らん振りしてるとひょいひょい付いてくる。その方が面白いのよ。かわいがりがいがあるのよ、うちって変な家族だから。当然ペト ルーシュカの散歩はだんだん義務的になっていって、うん、それで、雨の日だった。ペトルーシュカ、逃げちゃったのよ。鎖のどこかががいつの間にか緩んでた のかもしれない。それ以来戻ってこない。あ、それでね、チャボ――」
 なおみは立ち止まって大手スーパーの配送センターの一角で飼われているチャボの小屋を歩道からのぞきこんだ。首の黒いもの、とさかの醜く垂れ下がったも の、ずば抜けて太っているのは群れのボスだろうか。ぼくたちの後ろを大型の配送トラックが出入りするたびにアスファルトがゆれたけれど、チャボたちはお構 いなしに首を振って歩き回っている。ぼくは別段チャボに興味はなく、なおみの唐突な独り言にも慣れているのでさほど驚きもせず、むしろバスの時間の方が心 配だった。もうバス停の見えるところまで歩いてきていたからぼくはそちらを見やると二百メートル先の交差点からちょうどバスが左折してこちらに向かってく るところだった。バスが来た、とぼくはなおみの背中に言って一人でバス停へ走っていった。
 ぼくがバス停のポールに走っていって到着したのと、バスがそこに止まってドアを開けたのがほぼ同時だった。それくらいの距離がチャボとバス停との間には あった。ぼくがバスのステップを前にしてチャボの方にふりかえったとき目に入ってきたのは歩道で倒れているなおみの姿だった。
「なお!」
 ぼくは彼女の方へ走って行った。昨夜、ねえさんのベッドから転がり落ちたときの動悸どころではなかった。ぼくは「走って行った」けれども、歩くくらいの 速さだったら足が震えて一歩も踏み出せずその場に倒れていただろう。耳に体中の体温が集まるのを感じながらぼくはなおみが起き上がるのを助けた。サンダル のかかとが片方、折れてしまっていた。ぼくたちの横を、乗り損ねたバスが排気ガスを吐き出しながら通り過ぎた。高校生の集団が皆イヤホンをして携帯電話の メールを打ちながら自転車で通り抜けた。
 なおみの額に浮いた汗をぼくはハンカチで拭いてやった。その腕を押さえるようにして彼女は手をかけてきた。彼女の体重がその一点へおもむろに加わり、ぼ くはこんな時にも彼女を抱きしめたい思いに駆られた。決して単位に還元されないその暖かな重み。けれどもそこにさえ鉄也の影が走る。
「一人で立てないか?」
 ぼくはなおみの体を思ってというよりは自分の欲望から逃れるためにそう言うしかなかった。鉄也の姿は見えなくとも、なおみといる間は彼を意識する呪縛か ら逃れることは出来ない。
「立てるわよ」
 なおみはぼくのハンカチを払って立ち上がった。
「病院に……。とにかく、病院に……」
「これくらいで流産してたら人類滅亡するわよ」
 それでもぼくはバス停のベンチになおみを座らせた。次のバスは三十分後だった。ちょっとここで待ってて、と言ってぼくは自分の家へ急いで戻った。ねえさ んに車を出してもらおうと思ったからだ。万が一のことがあったら、と思うことで恐怖の暗い霧は物理法則を無視して広がるにつれて濃くなっていった。
 アパートの階段を手もつかんばかりに昇ってドアを乱暴に開けると、靴も脱がずに廊下を相変わらずがらくたにつまづきながら走りぬけつきあたりの台所に突 進すると、誰もいない。テーブルの上にはおやじが食いかけた野菜いための皿と、コーヒーが一面に流れてしみこんだ新聞だけが置かれていた。台所からねえさ んの部屋をのぞくとやはり誰もいない。ベッドももぬけの殻だ。ふとんまできちんとたたんである。鏡台の上にはふたが開いたままの口紅が横倒しになって置か れ、ずいぶん前から空になった香水のびんが口紅の丸いケースが転がり落ちるのを止めていた。それから視線を上げると自分の顔が鏡に映った。別に驚きはしな い、いつもどおり鼻の穴が開き眉は濃く唇の薄い骨ばった顔がそこにあるだけだった。ぼくは自分の顔というものに愛着を持ったことがなかった。髪を伸ばすと いくらか顔の形が隠れるのでいくらか具合がいいのだが髪を短くすると露骨に角張った輪郭が露呈し堅物な印象を与えるらしい。けれども今はそんなものを眺め ている時ではなかった。耳鳴りがしていた。それは心臓がせっかちに送り出す血の巡りが為せる業だった。ぼくは例えばマイクのスイッチを入れたときに鳴る高 い周波の音を頭蓋骨の内側で鳴らされているような感覚に陥っていた。なおみの体にもし何かあったらどうする。ぼくは死んで詫びなければならない。いや、ぼ くが死んだところで赤ん坊の命が戻るわけではない。ああ、やめてくれ、死ぬだなんて、口にするものじゃない。まだそう決まったわけじゃない。ぼくは次に和 室に続く扉を開けた。けれどここもさっきとなんの変わりもない。ただ空いたビールびんが悪臭を放つばかりである。ぼくはさすがに靴をそこで脱いで畳の上に ひっくり返して置くと和室の窓を開けて外の空気を入れた。なおみと待ち合わせをした公園もそこから眺められた。公園を囲む工場にさえぎられてバス停のある 通りは見えなかった。
「どこに行ったんだ」
 大体、ほんの数分前に家を出たばっかりで戻ってくるとねえさんもおやじもいないとはどういうことなのか。ぼくはいやな予感がした。やはりおやじはぼくと ねえさんとのことに気がついていて、今ごろねえさんをを裏の林に引きずりこんで首を締め自殺に見せかけようと木に紐をくくりつけているかもしれない。こん な真昼間から! そうだ、それからぼくが帰ってくるのを隠れて待って、後ろからビール瓶でぼくの頭を粉々にしてしまうんだ。そうだ、きっとそうに違いな い。ぼくはそう思い始めるとその妄想の呪縛から逃れられなくなってしまっていた。既に確定した事件であるかのようにぼくはおやじの行く末を恐ろしく思っ た。頭の中で新聞記事の見出しが躍り、ぼくは腕の内側に鈍い痛みが走るのを覚えた。そういう種類の痛みは時々ぼくを襲うのだった。手で腕の痛む箇所をもん でみても痛みは血管の中を機械油がわだかまっているようにそこにとどまった。出場所のない膿みがうごめく。
「なにやってんだ」
 と、背後からおやじの声がしてぼくは「ばああああ」と頓狂な声を出してしまった。叫び声がぼくの杯から息を出し尽くしたままぼくは次の吸気をうまく続け ることができなかった。同時に、酸味の強い臭いが鼻を刺して、ぼくは嘔吐感を催した。
「おやじ、吐いたのか……」
「ああ、悪いな、お前の野菜炒め全部流しちまった」
「ねえさんは?」
 けれどおやじは不意とぼくに背中を向けてまた洗面所へ戻っていってしまった。こんなおやじに車を運転させるわけにはいかない。ねえさんを探す余裕もな い。
 バス停でおとなしくバスを待っていればよかった、と後悔しながらぼくはひたすらなおみの身の安全を思った。しかし一方でぼくはびくびくと鉄也に対する言 い訳を考えていた。ぼくが悪いのじゃない。彼女が勝手に転んだのだ。黒い考えが胸を何度も通り過ぎた。金で解決しようか、それともなおみをぼくが引き取る という責任の取り方もあるのだろうか。そんな英雄気取りってあるだろうか! 子供が死ねば、つまりは彼ら二人の幸せの結晶が消失すればいいのだ、という普 段は押し殺している、けれど一番願っているその事態をぼくは想像せずにはいられなかった。嫉妬のあまり子供を殺すという結果論的な筋書きも美しい。などと いうことを思いつつも、ぼくは自分がくだらないことをわざわざ整理していちいち頭の中で音読して考えるようなそぶりをしているような感覚だった。ぼくは 「本当は」という言葉を永遠に繰り返さなければならなかった。それを繰り返すたびに言辞は時にグロテスクに、時に堂堂巡りに、時に軽薄になった。子供が死 ねばいい。確かにそうだ。ぼくはそれこそ、手ずから殺してもいいくらいの思いだった。そうだ、ぼくが殺すのだ。彼等の愛を殺して、ぼくも死のうか。しかし 本当に、そんなことを願っているのではなかった。ねえさんから逃げるためになおみのことをなおも愛し続ける純真な中学生の続きを気取り、なおみから逃げる ためにねえさんの奴隷という役を買った。いや、これさえ嘘かもしれないのだ。本当に、ぼくは何をしたいのだろうか。なおみをバス停に置いてきた。それはな おみを思っての行動ではない。彼女を視界に入れることから逃げたかったのだ。ぼくは今現在の妙な落ち着き、つまり用うべき手段がないという事態にどこか安 堵していた。ぼくが悪いのじゃない。
「ねえさん……」
 ぼくは口の中でつぶやいた。意識的に、極悪の美青年が吐くせりふのように。
「ぼくにはねえさんがいる……」
 けれど、どこにもねえさんはいなかった。ただ、げえげえおやじの吐く音だけが聞こえてきた。ぼくは急にいらだってきた。昨日おやじが撒き散らしていため そめそした言葉の全てが頭の中で再生され、その感情的な悲鳴に嫌悪感を覚えた。ねえさんにしがみつく、そのあまりの幼稚さにぼくはそれこそ吐いてしまいた いくらいの気持ちだった。もう五十にも手が届きそうなおやじの悲鳴が、ぼくにはとにかく汚らしいものに思えてしかたがなかった。
 ぼくは洗面所へ入っていった。おやじの背中に一つでも二つでも何か突き刺すような言葉を投げたかった。ところが洗面所に入ってまず目に飛び込んできたの は真っ赤に染まった床とそこに横たわって口の周りを同じ色で汚しているおやじの姿だった。ぼくはとっさに言葉を飲み込んで、そしてその故に言葉を忘れ、立 ちすくんでしまった。
 ぼくは目の前にいる人物を自分の父親と見ることができなかった。
「病院に……。病院に……、雅彦」
 ぼくは後ずさりした。食器棚が肩に触れて中の皿が鳴った。
「これくらいでくたばつてたら人類滅亡するよ」
「まさひこ……病院に……。なあ、おまえ、俺が見えないのか? こんなになっちまった。」
 ぼくは走った。バス停へ、ぼくは走った。何台もの車にクラクションを鳴らされた。つぎはぎだらけのアスファルトにつまずくたびに、バス停で待っているは ずのなおみの姿を想像した。ひざ小僧から血を流して、色あせたベンチに座っているはずの姿。
 けれども、彼女はいなかった。そして、ぼくの横を救急車がサイレンを鳴らして走り抜けた。

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「ぼくのかたち(三)」
 
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