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Coccoと三島由紀夫の愛

 8月23日の「NEWS23」で特集されたCoccoの姿には自傷を 歌ってきた昔日の面影は認められなかった、と言ったらそれは嘘 になる。もちろんそう言いたくなるのもわかる。美しい物語だ。自分を憎みつづけ歌を歌い、歌を捨て、それでも歌を捨てられず、愛する沖縄のために歌い始め ごみを拾う、そして今年、大人たちを動かして市町村単位でごみ拾いを成功させた。そうだ、彼女はもう自己愛人間ではない、人々と共同し社会を動かすことを 知った。メデタシ、メデタシ。という物語を描くとしたら、それは大変な誤解だ。

 彼女の今の姿は、沖縄を愛する彼女の姿は、自傷という土壌があったからだ。ぼくはそう信じたい。

 自分を嫌いでしょうがない時期があった。しかしそれは自分にしか興味がないという点で、自己愛人間に他ならない。自分だけを愛し、自分だけを嫌い、自分 だけを癒し、自分だけを傷つける。それが良いとか悪いとかいう話ではない。そういう時期は誰にでもあるし、これから迎えることだってあるだろう。しかし、 Coccoの一連の活動をメディア(というかパッケージメディア)を通じて見るにつけ、それを彼女の「成長」と呼んでいいのかもしれないがその変 化を見るにつけ思うのは、もしあなたが自分にしか興味がないということで自分を愛しすぎていたり自分を嫌いすぎていたりしていたとしたら、そこから抜け出 す方法を彼女から学ぶことができるとぼくは断言する。

 まどろっこしいので結論を言ってしまおう。自己愛人間から抜け出したいなら「自己」の領域を広げるしかない。そう、その意味で完全に「抜け出す」ことは できない。けれど、しょせんぼくたちはここではないどこかへ行くことはできない。ここから出発して歩いていくしかない。自己を作りかえることは不可能で、 自己は作り上げていかなければならない。Cocco自身もDVD『Heaven’s hell』のなかで、大人になるということは何かを捨てていかなくちゃならないことだと思っていたけれど取っておけるものもあるし取っておいてぜんぜんい いのだ、というようなことを言っていた。それを彼女はぼくたちにdemonstrateしてくれている。

 Coccoは自分を愛することをやめたわけではない。愛はそこにある。彼女は自分の故郷である土地に愛の対象であった「自己」を拡大したのだ。彼女に とって、沖縄の海岸にごみを捨てられることは自分の心の中に傷をつけられることと同一であったに違いない。彼女にとって、沖縄の海岸のごみを拾うことは自 分の傷を癒すことと同一であったに違いない。

 道徳的な、義務教育的な、宮台の言う「学校的日常」的な文脈の中では「ごみ拾い」は他人様のためになされるものである。権威から指示されて例えば日曜 日、例えば「ごみゼロ」と語呂を合わせて5月30日にそれは子供たちによってなされるものである。こうしたごみ拾いとCoccoのごみ拾いとは一見、同じ ことを結果的にはしているようでありながら根本はまったく違う。Coccoはなによりも自分のためにごみを拾い、自分のために人々に働きかけた。くどいけ れど、それが良いとか悪いとかいうことではない。自傷という究極の自己愛(もちろん自殺のための手首切と自傷のための手首切がまったく異質であることは論 を待たない)が、愛の方向性はそのままに自分を含めたあるなにかに対象が拡大したのである。

 方法論としてまとめなおしたときに問題となるのは、どうやって「自己」を拡大するかである。そして、なにに向かって「自己」を拡大するかである。そこに は共同幻想やアイデンティティや愛の暴力や……と、反論の余地はたくさんある。「自己」の拡大に賛同が集まればCoccoのように昇華が可能になるだろ う。けれど、例えば三島由紀夫。彼は本当に日本を愛し隊員以上に自衛隊を愛していたと思う。それは自分のアイデンティティが戦時に形成されたこと、そして もはやそれが民主主義の時代には是認されないこと(それどころか否定されていること)から、固執せざるをえないものだった。ところが当の自衛隊員は三島の 論理についていくことができなかった(し、ついて行く必要もなかったしついて行かなくてよかった)。日本国憲法のもとでその所在のありかさえ明確にされて いない自衛隊に属していながら改憲に肯定的でない隊員たちに三島はいらだった。日本なるものに対する三島の愛が1960年代に理解されることは困難だった だろう。今でさえ「プチナショナリズム」なる造語がはびこっているが、そんなファッションは三島の愛にはかなわない。三島は自分を愛した、自分の愛する日 本を愛した、日本を統帥する天皇を愛した、それがアイデンティティであったはずだ。終戦から一転してその「日本」の側からその愛を否定された三島由紀夫の 苦悩、切腹したその痛みをぼくたちは決して理解し尽くすことはできないだろう。失恋ならばまだよい、別の人を愛すればよい。けれど日本で生まれ育ち日本人 として天皇を愛することを教えられて育った人間が、8月15日をさかいにその愛を否定されたならば、それは想像を絶することだ(そういえば前に「三島由紀 夫にとっての8月15日」というテーマでレポートを書いたことがあった。興味のある人はこちらを どうぞ。)。

 Coccoは具体的であることにこだわった。それは彼女の活動の中で特筆すべきことである。三島由紀夫の愛の対象はあまりに頭の中で考えられたものだっ た。純粋すぎた。Coccoは沖縄防衛論など唱えない。足元にあるごみを拾う、それだけだ、手と足を動かすそれだけの具体的な行動をすることで愛すること を実現した。そもそも「愛する」という言葉が抽象的だ。

 日本中が途方もない平和への祈りをする日にごみを拾いたいと言って歌を歌いごみを拾ったCoccoにとっての8月15日は、どこか三島由紀夫にとっての 8月15日と折り目をはさんだ対照点という気がする。三島はその日を境に愛の純粋培養を始め、Coccoはその日を境に愛の具体化に努めた。その違いは小 さいようで大きい。

 さて、ぼくたちはどうしたらいいのだろうか。こうして分析ばかりしている自分に腹立たしい気がないわけではないけれど、ぼくたちはあらゆるものからなに かを学ぶべきだ。やっぱり、ここで思い出されるのは『ニュー・シネマ・パラダイス』の中の台詞、「自分のすることを愛せ。子供のとき、映写機を愛したよう に」。人間ができることは恐ろしく少ないのかもしれない。けれど、本当にそうだとしても、やっぱり、愛することは怠ってはいけないだろう。もしあなたが自 分が嫌いでどうしようもないなら、やっぱりそれは自分を変えたいという愛情の表われだから、そこを出発点にしなければならないし、そうすることしかできな いだろう。その意味で人間のできることは少ない。けれど、少ない中の一つ一つが大きな可能性をはらんでいる。自己愛は故郷愛に変わった。共に生きる人々へ の愛に変わった。具体的に、あくまで具体的に愛していくこと。ぼくたちにできるのはそれだけだ。しかしそれだけのことに一生懸命になる人生に価値はある し、それだけを一生懸命にやればそれでいいようにも思う。そしてそれだけのことさえ満足にできないぼくがそれ以上のことを言う権利はないし、そろそろこの 文章も同語反復に陥ってきたので田山花袋ばりに唐突に擱筆する。

04/08/27

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