丸山空大『フランツ・ローゼンツヴァイク 生と啓示の哲学』

を、読みました。

門外漢のぼくがあれこれ言っても仕方がないのですが、宗教が「世俗化」した20世紀にあって、まさにユダヤ教が人種と宗教の交差点にあるということが輪をかけて事態を複雑にしている「ユダヤ性」の原点へ、それも人工的に修正主義的に捏造された「原点」ではなく、━━あるいは、それすら不問にしてしまうような地平で、果敢に自らの「ユダヤ性」に回帰していく一人の男の純粋な闘争の一部始終、と言ったらいいんでしょうか。数年前に浩瀚な『救済の星』の邦訳が刊行されてからもなんとなくこのブーバー周囲の「対話の哲学」というのは日本の人文学においても少しずつその名を広めつつあるように感じてはいましたが、本書もおそらくは学会の空隙を狙い撃ちした待望の研究書、邦文書籍なのだと思います。

著者の眼差しは、ローゼンツヴァイクの交友関係がまさにそのユダヤとの関わりの中で揺れ動く源泉になっていることを見逃しません。いわゆる人文学の研究というのがブッキッシュな方面へ淫していくのは、原典=文字情報という宿命を背負っている以上ある程度仕方がないのですが、本書はインターネット上にも近年公開されたローゼンツヴァイクのあるいはやや私的なといっても良いくらいの書簡を丁寧に読み込むことで、その空白も補いつつ、単なる研究者ローゼンツヴァイクではない、友人や家族や恋人らの身近な人々の「ユダヤ性」へのゆらぎにたいして自らもまたシンクロし、思考のフロンティアを彼らのために懸命に進めていく姿がみずみずしく描き出されています。それに呼応するように、巻末の著者の謝辞もまた大げさに書くのを許されるなら涙を誘います。

ともあれ、丸山さん、単著刊行おめでとうございます!

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