筑摩全集類聚『太宰治全集』6

を、読みました。

6巻目は「右大臣実朝」がメイン。これもまた史実に疎いぼくにはどこまでが創作なのかはわかりませんが、けれど基本的なスタンスというのは「駈込み訴え」と同じで、みんなが思っている偉い人のイメージというのも、本当にただ作られたものにすぎないということを、これは当人をこき下ろすという下品な手法では全然なしに、すっとぼくたちのすぐそばにまでキリストや実朝を持ってきてくれて、その人間臭さを嗅がせてくれる。これを文字だけでやってのけるのが小説家というものの小説家たるゆえんなのでしょう。

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