スーザン・ソンタグ『イン・アメリカ』

ファン待望の邦訳。

元ネタは、Helena Modjeskaというポーランドの女優が米国に渡って大成功を収めるという実話にもとづいています。アメリカと言っても、西部開拓時代の話なので19世紀末を舞台にしていると言ったらいいのでしょうか。このHelena Modjeskaという人は日本語ウィキにはあまり記述がなく、英文でも米国に渡って一時的にカルフォルニアでユートピア的な共同体の創設を目論みながら「失敗」し、舞台女優としてアメリカでのデビューを果たし主にシェイクスピア女優として名声をほしいまにしていく……というところまでは小説そのままで、そしてその後は大きなドラマがあるわけでもなく、アメリカの地で68歳の生涯を閉じます。

小説は、アメリカでの成功を描くところまでで終わっているので晩年の記述は全く無いのですが、やはり同じようにアメリカという異国の地で作家として成功していったソンタグ自身と重なるところがあり、異様なまでに感情移入し、あるいは「アメリカで成功する」事の意味を一人の女優を通じて考えたかったのかもしれません。もちろん作者は前書きできっちりとフィクションだと釘を差すのですが……。

ポーランドという国が考えさせることというのは、今も昔も大きいというのもあるのかもしれません。本書でもショパンは繰り返し出てきます。そしてもうひとつは国際語という使命を帯びた「英語」という言語に対するコンプレックス。このふたつがからみ合って、「アメリカで成功する」ということの意味や是非を小説という形式を通じて考えていくというのが、まずは一読した限りでは本書の特色ではないかなと。人種の坩堝として、一つの国家として呼びがたいアメリカという「共同体」の中で英語で成功するというのは、それもポーランド人が「なまり」のある英語で成功するというのは、ある意味で日本の芸能界でも外国人タレントが重宝されるのと同じ構図なのかもしれません。厚切りジェイソンを日本人がやっても全然面白くないのと同じ。その成功は果たして「アメリカ」という国において「アメリカ人」というフィクションの中で成功することすら拒まれた一つの珍事にすぎないのではないか、というのが最後まで頭を離れない疑念です。そしてそれは、クイーンズイングリッシュを頂点とするイギリスにおいても事情は同じで、だからこそ女優はシェイクスピアにこだわり、イギリスでの成功に最後までこだわった、でもその時点で「国際語」としての「英語」ではなくて「英語」としての「英語」という枠にハマってしまっているんだよね。舞台って音声だから、本当にこれは難しいと思う。ソンタグはまだ書き言葉を主戦場としていたけれども、同じような葛藤は感じていたんじゃないのかな、とついつい勘ぐってしまう。

途中出ててくる写真家のおばちゃんが面白い。唐突に出てきて写真論をぶつあたりは、ソンタグ女史の小説ならではという感じ。

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