矢野久美子『ハンナ・アーレント』

を、読みました。

このレベルの内容で新書というのはさすがに中公の面目躍如といったところです。ぼく自身はこれまでアーレントについてはその著作すら読んだことのない不真面目な読者ではあるのですが、本書では(おそらく日本語で)ここまできちんと彼女の生い立ちと思想の変遷を丁寧に整理したものは無いのではないかと思います。入門書としては抜群のものではないでしょうか。

それにしても本書でも随所に出てきますが、アーレントの思想というか思索というのは常に生活──というかアーレント自身の半径五メートルの生活感覚を出発点としているので、その部分をよく理解したうえで読解しないと誤解の上に誤解を重ね、同時代にも論争を巻き起こしたそり同じ轍を踏むことにもなりかねません。あくまでも彼女はユダヤ人を代表しているわけでもなく、女性を代表しているわけでもなく、ただ一人の人間として様々な人々(そこには著名な哲学者も入ってくるのですが)と関わりを持った中から出てくる肉声そのものなのでしょう。だから二次情報でしかハイデガーを/黒人人種を/アメリカを……知らないということに対して僕達はもっともっと警戒しなければならないのでしょう。二次情報でしか知らない、伝聞でしか知らない「情報」をもとに何かを判断することが全体主義の思う壺なのですから。

だからぼくたちは例えば中国や韓国の特定の誰かと具体的に関わったりあるいは嫌な目に合わされたりしてもいないのに妙なナショナリズムに絡め取られてしまう、そのことをよくよく警戒しなければならないのでしょう。それはまったく、生活感覚に根ざしたものではなく。単なる政治のための政治でしか無いのですから。アイヒマンの問題にしてもそうなのでしょう。アーレントの発言について、彼女のバックグラウンドは事実として色いろあるのでしょうが、それを色眼鏡にしてしまうとなにも見えなくなってしまう。

本書は、言ってみれば毎日はてなブックマークを渉猟し、検索すればわかった気になってしまっているぼくたちに、政治的なものすごく重い課題を投げかけてきているようにも、思うのです。

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