山本義隆『私の1960年代』

を、読みました。

私も含め、山本義隆自身による「マイ・バック・ページ」は語られぬまま、もしかしたら彼はこのまま……という思いを、少なからぬ人は抱いてきたのではないでしょうか。本屋でこの表紙を見た時、なんというか、雷に打たれたというか、久しぶりに心臓を鷲掴みにされたというか、これは何にも優先して読まなければならない、という啓示のようなものを感じました。そして十二分にその記述は、平易ながらも熱く、熱く、いまでもなおくすぶり続ける余燼を感じさせるにあまりあるもので、期待をまったく裏切りませんでした。

東大闘争の歴史的な意義を当事者というか一番の渦中にいた人物がここまで冷静沈着に客観的な判断を一つ一つ下していくということにまず驚かされるし、同時に、この闘争のハイライトとでも言うべき安田講堂攻防に至るまでの闘争の歴史的意義を、科学哲学や科学史という視点を通じて本当に小学生にでもわかるように説いてくれている、そのことに本当に山本義隆という人物の厚みというか、東大闘争は無駄ではなかった、歴史的意義があった、必要なことだったと信じているその信念が今もあるのだということにある意味で安心します。

もちろん、駿台の教室で古い先生から神田カルチェラタンを話しを聞いてなんとなく胸がワクワクさせた高校生のぼくが実際に東大に入れば、東大闘争で「古新聞」を消失させられたことに奮然と異議を、いまだに唱えている山本よりもひとつ下の世代の教官というのはいたし、それはそれで一つの正しい意見だと思う。本書に書かれているほど丸山真男を悪者にしなくてもいいし、学者にとって「古新聞」がどれほど貴重なのかというのは身を持ってわかるし、けれど一方で安吾的な日本文化史観というか、遺跡を大事にすることの馬鹿らしさのようなことも理解はする。物理学者の山本はもちろん物理学史家でもあり、文系学部に対する偏見などというのは毛頭ないのだけれど、でも、その雄である法学部の大先生がましてや「であること」に傾いてしまうのは許し難かったんでしょう。それもそれでわかります。

東大闘争の是非を問いたいのではないのです。この本を2015年に読む、ぼくのような1982年生まれの若造には。そうではなくて、ぼくが大学にいた十年前にも代議員大会で戦争反対を可決したり、自治会の選挙ごときで「党派」的な言辞が弄されたり、いつも授業が始まる前の大教室にはビラが撒かれていたり、駒場寮がなくなるのに機動隊が入ってきたり……そういう、あの頃はそういうものだと当たり前のように目の当たりにしてきたことをもっとちゃんと理解しておけばよかったという後悔からなのかもしれません。そして、やっぱり駿台が好きだった自分の一つのルーツとして、山本義隆という人物のなんたるかをちゃんと分かっておきたいということなのかもしれません。

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