かつてibookを

かつてibookを使っていた頃にバンドルされていたアップルワークスで作っていたファイルが開けなくなって久しかったものの、どうやらLIBRE OFFICEというマイクロソフト・オフィスのパチもん……と、一昔は言われたのでしょうが、今や立派なオルタナティヴ足りうるフリーソフトで開けるらしいということを知って、休日の午後を古いファイルをUSBから掘り起こしてPDF化しせっせとエバーノートに移し替えた。

しかしあれだね、十年前に書いたものがあたりまえのように残る時代になったんだね。

自分が書いたものもさることながら、当時は気になったブログの記事とかホームページとかの断片を保存して、ワードに移して、印刷して、ファイリングしてよく読んでいました。そういうこともしなくなったなあ。結婚して引っ越しをした時にもう読まないと思って全部捨ててしまったけど、こうやってファイルとして残っているとまた読み返してしまう。十年前の自分が考え悩んでいたこととか、刺激を受けていたこととか、憧れていたものとか、そういうのが生々しく再生されます。

ついこの前のことなのに。ほんとについこの前のことなのに、もうそれは戻ってきません。それって? コンテンツは残っていても、それに感応していた自分とか、そういう自分を取り巻いていた仲間たちとか、仲間たちに口角泡を飛ばして何かを訴え続けていた自分のカッコ悪さとか、カッコ悪さに付き合ってくれたいろんな人の優しさとか、あの空気、あの時の空気はどこに行ってしまったんだ?

昔に戻りたいとももちろん思わないけど、あの頃の一生懸命さで今も生きているかということを確認するための原点は、時によって変わるし、現在の自分のポジションによって、「どん底」や「灰色時代」の時期も定義も意義もころころ変わっていく。それはそれで面白いけど。でも、ああ、やっぱり、「若いころ」というのは確実にあったと、そんなふうに考えるように成ってしまったことをすこし悲しく思う。

このブログのむか~しの記事とか読み返したくもないけど、ちゃんとある。いつぐらいからか、文章も書き慣れてしまい、イイタイコトがなくても空白を埋められるようになってしまった。そしてイイタイコトを伝えたい相手も、すっかりどこかへいなくなってしまった。記憶に向かって、こだまさせて、キーボードを打つことで、なんとなく成り立っているのが、この場所だったりする。

それでいいのか? それでいいのだ、とも言い切れない日曜日の夕方。

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