ラグラム・ラジャン『フォールト・ラインズ』(あるいは持家幻想について)

を、読みました。

頭の悪いぼくには正直、難しかったのですが……。

内容としては、前半でリーマン・ショックが何故起きたのかを、アメリカ人の気質や、政府・金融の制度的な不備から非常にロジカルに説き起こし、その後、今後のアメリカや世界がどうあるべきかが後半で述べられています。基本的にアメリカの話なので馴染みのない(それがバカを証明しているのかもしれないんだけどさ)タームや人物が頻出で、しかも論文調ではなくて、レトリカルな表現もけっこう多いため、「イイタイコト」がなんなのかを捕まえるのにけっこう行きつ戻りつした。こういう脳に汗をかく読書は久しぶりです。

訳者は「フラット化〜」の伏見さんでしたが、本書でも「フラット化」という言葉こそ出てこないものの、「大衆化」という言葉でそれがひとつの重要な概念として取り上げられているように思います。「市民化」とも言えると思います。

とにかく為替を通じて金融という世界は、テクノロジーの力も借りてどんどんスピードアップし、因果関係が複雑になり、原因が結果になり結果が原因になるめまぐるしいものになっているように思います。大きな額のお金が一瞬にしてあっちに行ったかと思えば、次の日には引き上げて地球の反対側へ大挙する、なんてことが日常茶飯時になったし、そういう操作を一部のバンカーだけがやっているのではなくて、FXやら投資信託やらを通じて一般市民も直接間接に参加できる度合いがどんどん広がっています。そんな中で、ほんの少しのリスク評価の甘さが、債券として濃縮還元されて世界中にばらまかれる……本当に恐ろしいことがいつ起きてもおかしくない時代です。

住宅ローンっていうのは、ぼくは賃貸住まいなのでまだよくわかりませんが、根は持家至上主義なんだと思います。自分の資産として家を所有するために、サラリーマンはうん十年という気の遠くなるような住宅ローンを組み、地方に飛ばされてもなにされても支払いだけは続けなければならない、そして収入の無くなった=クレジットの無くなった老後にようやくそこで腰を落ち着ける(頃には家なんてもうボロボロのような気もするけど)なんて人生設計を、誰か偉い人が「こういうのが人間の幸せなんだ!」と声高に叫んでみんなそれを信じて、家を買うことに狂奔する。その辺のメンタリティはアメリカも日本も同じなんでしょうね。ヨーロッパは新築という概念があまりなさそうなので、そうでもないような気もしますが。

しかしこれってなんでなのかな?

なんでみんな家を持ちたいのかな?

というのは、ぼくも常々疑問に思っているというか、いずれ我がことの問題なので答えを出さなければならないのですが……本書でも、家を所有しないことで移動の自由を手に入れることで雇用の流動性をいい方向に担保できると言っています。日本では、なんだかんだ言って大企業は終身雇用の年功序列ですから、金を持っている人たちはやっぱり今までどおり持家至上主義を信奉し続けることができています。そしてそのとおり、春にはみんな新築マンションを買って引っ越しに向けてウキウキしている。

なんでなのかな?

たとえば無職でも老後でも、保証人無しで預金残高をクレジットにして相応の賃貸住宅に簡単に入れたりしたら、持家のメリットって全然いまと評価が違うんじゃないかな。年金がもらえるまでのあいだは預金を取り崩しておいて、年金がクレジットになるならそれを担保にしてもいいし。そのへん詳しく知りませんが、賃貸をもっと敷居を低くしたほうが、国全体として資産の有効活用がもっと出来るように思います。だいたいさあ、マンション買うのも投資、みたいな風潮もあるけど実際にローンを組む判子を押す時って「ま、いざとなったら売って稼ぐからいいや!」なんて軽々しく思えるもんなのかね。自分が毎日嫌な思いして残業して稼いだお金をそんなふうに使うのは、ちょっと信じられない。これは単なる一市民の視点にすぎないんだけど、と言うか発想が、不労所得を得るほどの資産運用なんて夢のまた夢のぼくの場合、そこからしか出発できないんだけどね。でも、そういう市民的な感覚が、リーマンショックを防げたかもしれないというのは、本書の主張の一つの柱でもあったりするのです。

リスク評価って、身銭を切る覚悟なんだよ、預ける方も、預かる方もね。

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